
起きがけには大きな音をたてて強く降っていた雨も、もう上がった。
活けてあった猫柳の柔らかな穂が、黄色く弾けているのを見つけた朝は暖かだった。
丁度遅い朝食の終わった頃、顔を出してくれた知人の手には筍!
有難う、初物よ!!
店先で見かけてはいたが、私は まだ買って食べるには高価と我慢していた 財布の紐の固い主婦だ。
早速米糠とともに湯掻いている。
湯がく匂いが立ち込めて、春が来ているのを感じる土曜。
「来」。
旧体は「來」で、穂が垂れて実った小麦を描いた象形文字で、麦のこと。
「麥=麦」は、それに「夊:足を引きずる姿」を添えた形声文字で 来る の意を表しました。
後、「麥」を むぎ に、「來」を くる の意に誤用して今日に至っています。
よって「來」は転じて 他所から到来する意となりました。
因みに、西北中国に定着した 周 の人たちは中央アジアから小麦の種が到来してから勃興したので、
小麦を神のもたらした結構な穀物だと信じて大切にしました。
そして、昨日いただいてあった大きな大きな苺大福をご一緒した。

この苺大福、私の住む町の隣の町の自治会長さんが作られたもの。
最初、ご自分のご趣味として作って ごくごく内輪で楽しませていただいていたのだが、
それが地元でじわじわと評判になり、今では我が地区では「苺大福のおじさん」として有名人、
地区で「苺大福講座」まで時々開いてくださっている。
私は毎年頂く一方で、作り方まで学ぼうとはしない横着者。
大きな苺大福をペロリと平らげ、お腹も春(=張る:春の語源でもあります)を満喫した・・・



