
「冬はつとめて。
雪の降りたるは言ふべきにもあらず。
霜のいと白きも またさらでも いと寒きに、
火など急ぎおこして 炭もて行き渡るも いとつきづきし・・・」
これは『枕草子』第一段の冬の項です。
清少納言による、有名な「春はあけぼの」に続くもの。
この清少納言の視点は、実におもしろく、
なるほど、と唸らざるを得ないものがいっぱい。
毎年、冬になり、布団から抜け出すのが辛い時期になると思い出すこの部分は、
生き生きとした生活を送る様子が伝わってきて、
冷たさとともに、ピンと張りつめた空気が漂っています。
確かに、背筋を伸ばして、シャキシャキして、いい感じ。
が、実際は、冬の朝ほど辛いものはない!
目覚ましの音によって断ち切られた、至福の眠りへの未練。
まだ気持ちよさげに眠っている主人への恨めしさ。
温かな布団から抜け出すのに必要なのは勇気。
あと5分、などと言ったら負け。
絶対に5分ですまないことは百も承知。
覚悟を決めて、10数えたら起きようと。
ゆっくり数える1・2・3・・・・・・8・9・10。
アッという間に数え終わり、
のそのそと布団から這い出し、台所へ直行。
5時半。
この時期はまだ暗い。
清少納言の炭は、我が家ではストーブ。
スイッチをつけ、身づくろいして、朝の早い子供達を起こす。
そこからはもう、慌しい日常。
冬の朝の冷たい空気を「をかし」と感じる日は来るのかしら?
わかってはいるものの、
清少納言との大きな違いを感じる、毎日の冬の朝です。
この「朝」、
金文では、「草」+「日」+「水」の会意文字で、
草の間から太陽が昇り、潮が満ちてくる時を示します。
篆文では、「幹(はたが上がるように日が昇る)」+(音符)「舟」。
東方から太陽の抜け出る朝を示します。
共に、朝、太陽の昇る時を表します。