2024夏アニメ 8月28日視聴分 | アニメ視聴日記

アニメ視聴日記

日々視聴しているアニメについてあれこれ

2024年夏アニメのうち、8月27日深夜に録画して8月28日に視聴した作品は以下の2タイトルでした。

 

 

かつて魔法少女と悪は敵対していた。

第8話を観ました。

今回も相変わらず面白かったですけど、今回は次回のクリスマス回の前フリのような内容であったので次回はもっと面白いのでしょう。今回はベラトリックスという悪の組織の女幹部でミラの同僚の変態女も登場して笑わせてくれましたが、彼女の場合は頭がおかしすぎて単体でギャグが成立してしまっているのでミラと白夜のパートには絡んでこなそうです。前回に引き続き火花と鳥の御使いは白夜に絡んできますが、この2人のギャグは天丼化しつつありますね。まぁでも声優さんが達者なので天丼でもしっかり面白い。そんな感じで15分アニメなのに相変わらず見所が多かったのですが、やはり今回の圧巻は最後の白夜がミラをクリスマスディナーにお誘いするところでしょう。

まず冒頭は白夜が家で領収証をノートに貼り付けている場面から始まります。経費計算をしてるようですが、猫の御使いの接待交際費なんかもメモしてあったりして、天界に提出する経費報告っぽいですね。なんか中小企業みたいで笑える。そこに帰ってきた猫の御使いが白夜にノーパンしゃぶしゃぶで働くよう勧めてくる。なぜパンツを履かないのか理解できない白夜を強引に丸め込もうとする猫の御使いがホントにサイテーで面白い。遂には「アイツには色々揉ませてるんだろ?」とセクハラ発言をするが、そうした行為に全く身に覚えの無い白夜は「アイツ」が「ミラ」であることもよく分からず、ただ「揉む」という言葉に反応して冷蔵庫から揉んで作るお漬物を取り出す。

それでオカズがお漬物しか無いことを御使いが不満がるので白夜が今月は御使いの接待費が多くて家計が苦しいのだと言うと、御使いは忘年会やクリスマスで付き合いが多いのだと言い返す。それを聞き、白夜はクリスマスが近いのだとようやく気付きます。どうやらクリスマスは一応知ってるみたいですね。

OP曲が終わり場面は変わって悪の組織の本部となり、白夜へのクリスマスプレゼント選びに余念が無いミラの様子が描かれます。幹部仲間のオネエ男子のアルキオネと合法ロリ女子のスピカがミラをからかって絡んできますが、ミラは相手にしていない。もちろんアルキオネ達はミラが敵である魔法少女にプレゼントを贈ろうとしているとは想像もしておらず、ミラが隠している恋人にでもプレゼントをしようとしていると思っているようです。ミラの方は余計なことを喋って白夜との関係がバレないように2人のウザ絡みを無視し、無視された2人はお互いに悪口を言い合ったりする。

すると、そこに同じ幹部仲間でダ-クエルフのクールセクシー美女のベラトリックスがやってくるが、実はこのベラトリックスはイカレた妄想女子で、アルキオネとスピカの些細な遣り取りから2人の濡れ場を妄想して悶えてしまうようなヤバい奴でした。それでも表面上はクールに取り繕って近づいてきたベラトリックスですが、アルキオネ達からミラが恋人へのプレゼントを選んでいるのだと聞いて心が揺れる。

だがミラが「恋人ではなく知人の女性に贈るのだ」と言うので、ベラトリックスは「知人の女性=自分」ではないかと妄想してしまう。更にアルキオネとスピカがプレゼントにはそれぞれ意味があるのだとエロい話をし始めて、口紅は「キスしたい」という意味だとか、ネックレスは「束縛したい」という意味だとか、洋服は「脱がしたい」という意味だとか下らない話をする。てゆーか、悪の幹部同士でこんなオシャレっぽい会話すんの初めて見たわ。

これを聞き、ベラトリックスはいちいちミラが自分にキスをしたり束縛したり服を脱がせたがっているのを妄想してしまい、遂にはミラが自分に大量のプレゼントを捧げて「君の全てが欲しい」と言ってベッドに押し倒すのを妄想してしまい錯乱し「この鬼畜メガネ!不潔よ!」と罵倒して走り去ってしまう。そんなベラトリックスのことは一切気にせずプレゼントを選び続けるミラであったが、アルキオネ達に「クリスマスなんだからちゃんと会って渡す期日は押さえておかないといけない」と忠告されて、やはりクリスマスに会って渡すべきだろうかと考えるのであった。

一方、白夜は猫の御使いと一緒に商店街に来たところ、そこで火花と鳥の御使いに遭遇する。火花は相変わらず、大切なお友達の白夜に親愛の情を示すために抱き着いてくるが繊細で感情表現が苦手なのでサバ折りして「ファック」とか言ってしまい白夜に怖がられる。火花はクリスマスに白夜にプレゼントするケーキの材料を買いに来たとのことで、得意なケーキはアップルパイだとのことで果物屋でリンゴを買っていた。

白夜の方は買い物に来たのではなく商店街のお店からオカラとパンの耳を貰いに来たのだという。なんとわびしい。それで白夜はアップルパイのお礼にパンの耳で作ったお菓子を火花に贈ると言い、火花は「ファック!」と喜びますが、鳥の御使いはラスクというものを知らないのか「ただで配ってるパンの耳なんかで作ったお菓子を食べたらお腹を壊す」などとケチをつける。それに対して猫の御使いは「配ってるんじゃなくてお店と約束して白夜に特別に分けてもらってる」「そういう人情で成り立ってるんだよ」と妙に細かいところを指摘する。鬼畜ヤクザのクセに人情を強調するところが笑える。

ここでまた猫の御使いと鳥の御使いの間でどっちの魔法少女の方が優れているのかについての不毛な言い合いが始まる。鳥は人情よりも高級な菓子を作る火花の方が価値が高いと言い、猫は白夜の方が親しみやすいと言う。更に白夜はお菓子を喰っている時が魅力だとか言って鳥にエロいことを想像させてからかう。そんなことをしていると火花が唐突に人間の言葉を喋り、「料理に一番大切なものは心」とド正論を言い出し、鳥は毎度のことながら衝撃を受ける。「作る側と食べる側に信頼関係があってこそ、そこに込められたものを感じることが出来る」「だから同じ料理でも食べる人によって感じ方は様々なの」「競うことなんてハナから出来ない」「そんなのはファック!」という火花の主張に野次馬の商店街の人々も拍手。鳥は「私はまた間違ってしまった」と打ちのめされますが、この火花の言葉はどうやら白夜にも響いた模様。

後日、ミラから呼び出されてバイト先からうさぎの着ぐるみ姿のまま駆けつけた白夜は「少しだけでも参謀さんに会いたかった」なんて言うものだから、ミラはウサギの頭部分を撫でまくって「可愛すぎるぞ!」と悶絶したので白夜にウサギ好きなのかと誤解される。それで、ミラが呼び出した理由は白夜からそれとなくクリスマスに会う約束を取り付けるためだったのだが、白夜はクリスマスはバイトだと当たり前のように言うのでミラは手詰まりになってしまう。バイトを休ませてでも会ったりしたらまるで恋人同士なので、バイトと言われたら諦めるしかない。

だが白夜はクリスマスの日はバイトの後は時間が空くので、ミラに時間を空けてほしいと言ってくる。ミラが多忙だが宿敵の君が頼むのなら構わないと答えると、白夜は一緒に晩御飯を食べたいと言う。ミラはこれまでの晩御飯なら何度か一緒に食べたのでそんな改まって言うほどのことはないだろうと言うと、白夜は「クリスマスなので参謀さんと一緒に居れたらいいなと思って」と答える。つまりクリスマスディナーということで、ミラはそれを聞いてまるで恋人同士のようだと思い、しかし自分たちは敵同士なので一体どういうことなのか、どうしようかと混乱する。

それで白夜はミラが迷惑がっているのかと心配するが、ミラは単に混乱しているだけで全然迷惑ではなくむしろ大歓迎なので必死にポーカーフェイスで「何でも希望を叶えよう」と豪華なディナーを用意する気になる。ところが白夜は「よかったら家に来てください」と言う。ミラと家でご飯を食べてゆっくり過ごしたいのだそうだ。やはり白夜は火花の話を聞いて、豪華なディナーよりも心のこもった手料理をミラに食べてほしいと思い、それがクリスマスの晩御飯だったらなおさら素敵だと思ったようです。それを聞いてミラが「可愛すぎか!」と悶絶したところで今回は終わり次回に続きます。

 

 

異世界失格

第8話を観ました。

今回は見事な神回でした。この作品の物語の中では寄り道みたいな単独エピソードだったんですが、それだけに1話完結エピソードとしての完成度が抜群でした。こんな素晴らしい脚本が作れるものなんですね。脚本の完成度の高さでは間違いなく今期私が見てる作品の中で一番だったんじゃないかと思います。まぁもっと色んな要素が盛り沢山で、もっと盛り上がるエピソードは他にもあって、単に完成度が高かっただけですから、内容的には簡潔にまとまっていて、そんな壮大な話でもなく、ちょっとビターで皮肉が効いていて、綺麗にまとまったお話だったんですけどね、こういうの私は大好物なのです。この作品はここまでエピソードの完成度の高さでもう既に今期一番と言っていい作品ですが、今回のエピソードがその中でも特に優れていて、こんなのを見せられたら文句なしに総合的に見ても現状での今期一番の作品と言い切っていいでしょう。

まず冒頭はセンセー達が旅の途中で「世界樹」という名所に立ち寄る場面から始まります。この場所はまだ前回と同じくドンナスターク地方を治めるグリューン王国の領土内であり、亜人たちの住む領域です。前回グリューンの王都を出発して次の聖堂のあるザムスターク地方に向かって南下していっている途中なのだと思われるセンセー達はグリューン王国の辺境にある「世界樹」という巨木のある地に立ち寄ったのです。

世界樹はザウバーベルグで最も大きな樹で、ザウバーベルグを見守る聖なる大樹なのだそうです。樹の麓には「トネリコ」という自然と共生して素朴に穏やかに暮らす亜人たちの村があり、そこに泊まることが出来るという。世界樹は立ち寄った旅人に加護を与えてくれるとも言われており、アネットはせっかくなので旅の安全祈願のためにトネリコに立ち寄って宿泊しようと言い出し、センセー達はトネリコに向かいます。

もともと自殺志願者のセンセーはそんな生命力溢れた聖なる樹の話や、その樹から与えられる加護などには全く興味はありませんが、とりあえずアネットの方針に従って棺桶を引いてもらいトネリコに到着します。すると聞いていた話とはずいぶん違っていて、トネリコではカジノが営業していた。自然と共に質素に暮らす村であったはずなのですが、これは一体どういうことなのか。ただ、このカジノの看板はアルファベットで「CASINO」と書かれておりザウバーベルグの文字ではない。だからこの建物がカジノであると分かったのは一行の中ではセンセーだけで、センセーが皆にここは賭博場だと教えてアネット達は仰天します。ただセンセーだけは何だかこのカジノの退廃的なムードを見て、むしろ嬉しそうです。こういう不健康そうな場所の方がセンセーには肌が合うのでしょう。

それでアネット達はとりあえず事情を聞こうと村長を訪ねると、村長がどうしてこの村にカジノが出来たのかの経緯を説明してくれた。その話によると、これは転移者の仕業らしい。世界樹を見物に来た転移者がそのまま村に居ついてカジノを開店してしまい、そのカジノで遊ぶために世界中からガラの悪い転移者たちが集まってきて住み着くようになり、トネリコ村の半分はヒャッハーな感じの転移者たちの溜まり場となってしまい急速に治安が悪化してしまったのだそうです。何せ転移者たちはチートスキルを持っているので村人たちでは逆らうことが出来ず、やりたい放題にされてしまっているのです。

なるほど、それでカジノの看板が転移者たちの文字で書いてあり、カジノに出入りしているガラの悪い連中もこの村の元々の住人である亜人たちではなく人間だったのですね。人間といってもニアのようなこの世界の土着の人間族ではなく、センセーと同じ転移者だったのです。つまり現在、この村の半分は転移者に占拠されており、その中心となっているのがあのカジノというわけです。またしても転移者たちの無法によってザウバーベルグの聖地である世界樹の麓のトネリコ村が穢されているわけであり、全くけしからん話です。

しかも事態はより深刻みたいであり、そのカジノが出来てトネリコ村の空気が悪くなったあたりから世界樹も元気が無くなり始めたのだそうで、このまま転移者たちに好き放題させていては世界樹が枯れてしまうかもしれないと村長は嘆く。それで村長はセンセー達に「この村を元に戻してもらいたい」と依頼してくる。つまりカジノに巣食っているガラの悪い転移者たちを追い出してカジノも取り壊して、元の平和な村を取り戻してほしいと言うのです。

アネット達は世界樹が枯れたりしたら大変だと思い、すぐに村長の依頼を受けようとしますが、センセーはちょうどトネリコ村に到着した時点で愛飲していた睡眠剤「カルモチン」が無くなってしまい気が気ではない状態となっており、村長の依頼など全くどうでもいいという態度です。すると、そこにヤマダという転移者がやってきて、自分はカジノに入り浸る連中とは異なりこの世界の平和を願う転移者なのだと言い、村長の依頼を受けて無法な転移者どもを追い出して村を元に戻すと言う。それでアネット達もヤマダに協力しようということになるが、センセーはそんなことよりもカルモチン無しでどうしようか思い悩み、打開策を探るため1人でフラリと出かけてしまう。

この「カルモチン」という睡眠剤だが、これはセンセーが第1話でこのザウバーベルグに転移してきた時から持っていたものであり、元の世界から持ってきたものです。センセーは元の世界で自殺未遂の常習者であり、何度もこのカルモチンの多量摂取で自殺を試みていた。そういうふうに明確に描かれてはいないが、センセーのモデルは太宰治であり、太宰治は実際に若い頃から何度もカルモチンの多量摂取で自殺未遂事件を起こしている。この作品中でも第1話でセンセーはこの世界に転移してきた時に自分が心中に失敗したと知って絶望してカルモチンを大量に呑み込んで自殺しようとしたがアネットの治癒魔法で回復させられてしまっている。こういう行動を見ても、やはりセンセーは太宰治なのだと分かる。

カルモチンというのは正式には「ブロムワレリル尿素」という物質で、鎮静催眠作用があり、不眠症の治療薬に使われたり、解熱鎮痛剤の成分となったりする。ただ一度に多量摂取すると死亡するので自殺に使われることが多く、また継続的に服用すると薬物依存症となり、その状態で服用を止めると禁断症状が出るなど、かなり危険な薬物なので現在は海外では禁止薬物となっていることが多いが日本でも近年はほとんど一般薬としては使用されなくなっている。ただ太宰治の生きていた昭和の時代には割と簡単に入手出来たようであり、おそらくは元々は不眠症の治療や精神安定のために服用していたのであろう。だが常用するようになり依存症となっていたと思われる。そして遂には多量摂取して自殺未遂を繰り返すようになっていったようです。元々は精神の安定を求めての薬だったはずが、いつの間にか自殺の道具にしてしまったわけです。

そんなカルモチンを中毒患者であったゆえに常に持ち歩いていたセンセー(太宰治)がこのザウバーベルグに来た時点でもカルモチンの瓶を懐に入れていたのは当然であったわけです。転移して最初に多量摂取したのは自殺のためでしたが、センセーが旅の間ずっとカルモチンをチビチビと摂取していたのは自殺のためではなく、これも特に意味などは無く、単に中毒患者だから摂取しないわけにいかなかったに過ぎない。センセーのこの異世界での状態が「猛毒」であるのはこのようにして体内に蓄積されたカルモチンの毒素が転移者ゆえに増幅されて猛毒状態となっていたということなのでしょう。

ただ、このカルモチンはセンセーが元の世界から持ち込んだものであり、このザウバーベルグでは入手できない。だから、あんなにいつも服用していたらいずれ無くなってしまうのではないかと心配していたのですが、案の定、今回トネリコ村に到着した時点で瓶の中の錠剤は無くなってしまったようです。そうなると依存症になってしまっているセンセーは禁断症状が出てきて精神が落ち着かなくなってくる。この村に着いてからセンセーが挙動不審であったのは禁断症状のせいだったのです。

カルモチンは薬でもあるが一種の毒物です。そもそも薬というものは毒物を少量摂取することで薬効を促すものであり、多量摂取したり常用すれば毒になるのは当然であり、それはカルモチンに限った話ではない。だがカルモチンは特に毒性が強めであるのも事実であり、センセーの身体はずっとカルモチンに蝕まれていた。それを呑まなくなったのだから逆にセンセーの身体は調子が良くなってしまった。だがずっとカルモチンのせいで体調が悪い状態に慣れ切っていたセンセーにはその体調の良い状態の方が落ち着かない。そんなふうに感じてしまうこと自体、すでに依存症によって精神がイカレてしまっている証であり、センセーは禁断症状でそんな状態に耐えられなくなり死にたくなってくる。それと同時にカルモチンの代用になりそうな刺激物を身体が求めてしまい、そういうものを見つけて縋りつきたいと思い村の中を物色して回る。

転移者たちのたむろする退廃的なエリアの方にそういう刺激物があるのではないかと思い彷徨っていると、センセーは特に背徳の匂いのする洞窟を発見して、そこに行ってみると、そこはなんとアヘン窟のような場所で、見るからに薬物中毒患者のような堕落しきった転移者たちが怪しげな煙を立ち上らせたパイプを咥えて、白目を剥いた恍惚の表情で寝そべっていた。この世の終わりみたいな光景だが、センセーはこれを見て歓喜して、これこそ自分の求めていたものだと思い、自分にも分けてほしいと言い出す。だが、そこに現れた謎の妖艶な美女がセンセーが旅人だと気付き「こんなところより楽しいところに連れていってあげる」と笑いかけ、センセーを連れていく。

この流れだと完全に売春婦の客引きにしか見えませんでしたが、実はこの美女は売春婦ではなくカジノの隣で営業している酒場のママでした。彼女がセンセーを誘った場所も自分の店なのであり、彼女は単にセンセーに酒を呑ませてあげるために店に連れてきてくれたのです。ただセンセーがものすごい勢いで酒を呑むので彼女も驚きますが、センセーは「死ぬ気で呑んでいる」と言う。センセーはもともとカルモチンの禁断症状で死にたくなっているので別に急性アルコール中毒で死んだって構わないと思っているのです。もし死ななければアルコールでとりあえず禁断症状を抑えることは出来る。センセーはそういう感じの無茶な呑み方をしているのです。

この女性の話によれば、あの洞窟で転移者たちが吸っていたのは「鎮痛作用のある世界樹の葉」を燃やした煙だったようです。おそらくカルモチンみたいに鎮静催眠作用があって、煙を吸うと気持ちよくなるのでしょう。少量ならばリラックス効果などがあって薬にもなるのでしょうけど、あの洞窟に居た廃人のような連中の様子を見る限り、大量に濃厚な煙を吸って酩酊状態となって快楽に耽った挙句に中毒患者になったように見えます。そんなヤバいところに行くべきではないと女性はセンセーに忠告しますが、センセーはもともとカルモチン中毒者でありそういうヤバい状態であったのが急にカルモチンを断たれて禁断症状が出て苦しんでいるわけですから、そういうヤバいものをこそ求めていたのです。

それでセンセーは「大切なものを失くした」と言い、空のカルモチンの瓶を懐から取り出してその女性に見せて「このまま心身ともに健康になってしまうかと思うと夜も眠れないんだ」とこぼす。マトモな人間が聞くとほとんど狂人の戯言にしか聞こえない言葉ですが、実際のところ現代人の「健康」というものは「健康」を損ないかねない「薬剤=毒物」によって支えられているという側面はあり、何が健康であり何が不健康なのか、何が薬であり何が毒なのかよく分からないものなのです。もちろん「薬」や「毒」などに頼らずに「健康」を維持出来るならそれが一番素晴らしいことなのでしょう。しかし現実には「薬」に頼らなければ「健康」を維持出来ない人は多い。そして「薬」は「毒」でもあるのです。だから「毒があってこその健康」というものを意識することには意義がある。少なくともセンセーは自分の健康は「毒」があってこそ保たれるのだという考え方を持っている。そこには「薬」と「毒」を表裏一体と見なして差別しないという思想がある。同時にセンセーは「正義」と「悪」も表裏一体のものと見なして差別はしない。

そうしたセンセーの一風変わった考え方に女性も何か感じ入ったものがあったようで、センセーを心地良い眠りに誘ってくれると言って踊りを披露してくれると言う。女性は実は踊り子なのだと言う。ここでセンセーは「踊り子」と聞いて嫌な思い出が甦ってきて「舞を見るのがそんなに立派な生活なのかね?」なんて愚痴を言い出す。これは太宰治ネタであり、太宰治が芥川賞の選考で落ちた時に選考委員だった川端康成に私生活について苦言を呈された際に川端の作品「伊豆の踊子」などを念頭に「小鳥を飼い舞踏を見るのがそんなに立派な生活なのか」と反論したという故事をパロった描写です。

そんな小ネタは置いておいて、彼女の踊りを見たセンセーは不思議に心地よい気分になり、酔っぱらってぐっすり眠ることが出来た。そんなセンセーから村長の家に泊まっていると聞かされた彼女は眠ってしまったセンセーを村長の家まで運んできてくれたのだが、村長は彼女を嫌っているようで、彼女は村長に「ここへは来るなと言ったはずだ」と嫌味を言われると、そそくさと帰っていった。

それでアネット達が村長に事情を聞くと、彼女の名前はエッシャというのだそうで「トネリコの魔女」と呼ばれて村人たちに嫌われているのだという。エッシェはもともと村の外れに住む得体の知れない女だったらしい。そういえばエッシェは亜人ではなく人間族の風貌をしており、もともとこの村の住人でないのは明白だった。ニアのように人間族の住む地方から流れてきて住み着いた余所者だったように思われて、あまり村人と深く交流することもなかったことからも気味悪がられていたようです。まぁもともと閉鎖的な村なので住民も余所者に対して不寛容だったのかもしれませんが、しかしエッシェが村人たちに決定的に嫌われるに至ったのは最近のことであり、そこには例の転移者の作ったカジノが関わっていました。

転移者たちがこの村にカジノを作った際、村人たちが転移者たちを迷惑に思いながら怖くて手が出せなかった中、エッシェだけが転移者に取り入ってカジノの隣に酒場を建ててもらい、そこの店主に収まるとカジノに集まるガラの悪い転移者たちと仲良くするようになったというのです。そして酒と踊りで転移者たちを魅了して大金を稼いでいるらしい。そんなエッシェを村人たちは裏切り者と見なして嫌って「トネリコの魔女」と呼んで蔑んでいるのだという。そんな村長の話を聞き、正義の転移者ヤマダは悪の転移者たちと共にエッシェにも正義の裁きを下す必要があると言います。

そうして翌日、ヤマダと共にカジノに巣食う転移者どもを懲らしめようと準備するアネット達を尻目にセンセーはまたエッシェの酒場に昼間から酒を呑みに行く。センセーは昨晩のエッシェの踊りを見て感じた不思議な心地良さがどうにもクセになってしまっているようだった。そんなセンセーにエッシェは自分は「魔女」と呼ばれているのだと言い、自分の提供する心地良さの虜になると「廃人になるまで毟り取られても知らないわよ」とからかう。だがセンセーは「それはむしろ望むところだ」と応じるので、エッシェは呆れて笑い、センセーに「世界樹の精の加護」があるようにと言って乾杯する。

そういえば冒頭でアネットも「世界樹が旅人に加護を与える」とか言っていましたが、センセーがそれで気になって「世界樹の精」とは何なのかと質問すると、エッシェはこの村に伝わる言い伝えだと言って教えてくれました。それは「世界樹の精が舞い降りた時、弱き者や病める者の願いは叶い、救いを得る」というものでした。それでエッシェはセンセーもその言い伝えにあやかって救いを願ってみればいいと勧めてくれるのだが、センセーは「救いを求めているのは君の方だろう」と言い返す。その理由としてセンセーは昨晩のエッシェの踊りは繊細で美しい一方で、憂いが満ちていたと指摘する。つまりエッシェは何か大きな苦悩や心配事を抱えているのではないかとセンセーは見破ったのです。

すると、その時、酒場にカジノのオーナーである転移者の一団が入ってくる。それでセンセーとエッシェの会話は中断し、エッシェは転移者たちの接客をすることになるが、このカジノのオーナー集団の転移者たちは完全にタチの悪いヤクザのような連中で、転移者相手の商売だけでは飽き足らず、この村の残り半分のエリアに追いやった亜人たちをギャンブル中毒にしたり世界樹の葉っぱの煙の中毒にして金を毟り取ろうとか非道な企みをし始める。

すると、それを聞いたエッシェがそれでは約束が違うと言ってヤクザ転移者に食い下がり出す。どうやらエッシェはヤクザたちに高い見かじめ料を払う代わりに「カジノで遊ぶのは転移者だけ限定で、村人には手は出さない」と約束させていたようです。ところがヤクザ転移者たちはその約束を平然と反故にしようとする。それでエッシェは必死に抗議して食い下がるのですが、ヤクザたちはエッシェを突き飛ばしてしまう。そんなエッシェの姿を見てセンセーは彼女の真実を知った。彼女は村人たちが誤解するような魔女などではなく、村人たちを守るためにたった1人で恐ろしい転移者たちに立ち向かってくれていたのだ。それでセンセーはエッシェの肩を抱き「君は魔女ではなく天女だ」と言う。

そうしていると外で大きな音がしたので転移者たちもエッシェもセンセーも酒場の外に出てみると、ヤマダとアネット達がカジノを破壊していた。そしてヤマダは転移者たちとエッシェに対して「村人たちの平和な暮らしを乱した罰を受けてもらう」と宣告する。それを聞いてセンセーは呆れて「君のように大きな声で立派なことを言う人間が僕は大の苦手だ」とヤマダに言い放つ。だがヤマダはセンセーが戯言を言っているに過ぎないと相手にせず「私が正しい行いを見せてやろう」と言い捨てて、ヤクザ転移者たちに「正義の裁き」を執行し、転移者たちは村から逃げ出して去っていく。

こうして村に平和が戻り、村人たちはヤマダを勇者と称えてヤマダも有頂天となる。一方でヤマダはエッシェが「村を救ってくれてありがとう」と言ったのでエッシェが改心したと見なして赦したのだが、村人たちはエッシェに石を投げて糾弾しようとする。ヤマダは慌てて村人たちを止めようとするが村人たちは聞く耳を持たず、ヤマダは一体どういうことかと困惑します。すると、そこでセンセーがエッシェの前に進み出てきてエッシェを庇うように村人たちに相対して「それがこの村を守るためにたった1人で戦い抜いた者への仕打ちかね?」と問いかける。

そしてセンセーはこれまでずっと村人たちが悪しき転移者たちを恐れて何も出来なかった時、たった1人で悪漢どもを宥めて村人に危害が及ばないように身を挺して戦ってきたのだと説明し、彼女がいなければとっくにこの村は悪漢どもに蹂躙されていたはずだと指摘し「この村の救世主がいるとすれば、それはエッシェ君だ」と言い放つ。そして「恥を知るべきなのは、そんな彼女に石を投げる君たちの方だ」とも言う。だが村人たちはセンセーの話を信じようとはせずエッシェを糾弾し続け、センセーのことも糾弾しようとする。それでエッシェはセンセーに「もういい」と言って制止し、村人たちに申し訳なさそうに「迷惑かけてごめん」と頭を下げて立ち去っていく。それで村人たちは「悪しき魔女は去った!」と自分たちの正義が執行されたことを喜び歓声を上げるのでした。

そうした様子を唖然として見ていたヤマダに向かってセンセーは「正義と悪の彼岸など実に曖昧なものだ」「だが多くの者はそれを分かりやすく分けたがり、自らを正義だと信じて疑わない」「そんな者たちの大声の前では真に誰かを想う繊細で美しい気持など搔き消されてしまう」と指摘する。エッシェの行いは確かに完全な正義とは言い切れないものだった。悪人と手を組んでいたのは事実だからだ。だが彼女がそうした悪を行ったのは村人の安全を図るための苦肉の策であり、その目的は善なるものだった。しかし「正義」と「悪」を分かりやすく分けて「正義の執行」のみにこだわるような者にはそうした清濁併せ呑むような彼女の行為の真の意義は理解出来ず、真に大切なものを壊してしまう危険があるのだ。だからセンセーはヤマダに「君のように大きな声で立派なことを言う人間が僕は大の苦手だ」と言ったのです。

そうしたセンセーの真意を理解したヤマダは、自分が安易に「正義の執行」をしてしまったために村人たちが誤った「正義の執行」にこだわりエッシェを追放してしまったのかと思い、自分が間違っていたのかとセンセーに問いかける。だがセンセーは「さあね」と答える。ヤマダのやった「正義の執行」自体は決して間違っていたわけではない。悪しき転移者たちを追い払ったヤマダの行為は間違ってはいない。それにヤマダはエッシェを赦す分別もあった。間違っているのはエッシェを理解しようとしなかった村人たちの方であり、それはもともと村人たちがエッシェに対して抱いていた排斥感情に起因しているのでありヤマダのせいではないのかもしれない。だがヤマダの行為が村人たちの暴走を助長したのかもしれない。そのあたりはセンセーにもよく分からなかった。ただ1つ確かなこととして、センセーは「この村は自ら守り神を手離した」と言い残し、村を去っていき、アネット達もそれを追いかけていった。

1人残されたヤマダは果たして自分は間違っていたのだろうかと自問自答するが、そこに村長が近づいてきて、これから自分たち村人だ世界樹の葉から作る麻薬の販売で金儲けをしていきたいのだと言ってくるのを聞いて仰天する。そして村長がヤマダに今後はこの村の用心棒になってもらい、商売の邪魔をする者に「正義の執行」をしてほしいのだと頼んできたことで、ヤマダは自分が完全に間違っていたのだと思い知った。自分の安易な「正義の執行」によって村人たちを「正義なのだから自分たちは何をやってもいいのだ」と勘違いさせて、恩人であるエッシェの追放や麻薬販売などの「悪行」に走らせてしまったのだと気付いたヤマダは「正義と悪の彼岸など実に曖昧なものだ」というセンセーの言葉はまさに自分にこそ当てはまっていたのだと思い知り、ガックリ崩れ落ちて「私は何てことを」と後悔する。

だが村から旅立ったセンセーもまたエッシェを救うことが出来なかったことを後悔していた。彼女が何かを憂えていたことは分かっていた。そして、それは村の危機を憂えていたのだが、村は救われ、その村に彼女は追放されてしまった。それは結局彼女の憂いが解消されたことになるのか、ならないのか、センセーには分からなかった。何にしても彼女にとっては理不尽な結末だったのだとは思う。それでセンセーはやはり悔いが残っていたのだが、それにしても彼女の諦めが妙に良かったようにも思えた。

そうしていると突然に世界樹が枯れてしまい、センセー達は驚くが、村人たちももっと仰天して、全てを失い絶望します。まさにセンセーの指摘したように「守り神を手離した」報いを受けたかのようだった。それでさすがにセンセーも唖然としていると、センセーの目の前にいきなりエッシェが現われる。だがその姿は少し違っていて、エッシェの酒場で見せてもらった村の言い伝えの絵巻物に描かれた「世界樹の精」の姿にそっくりだった。

そのエッシェはセンセーに「私の心に寄り添ってくれてありがとう」と言うと「どうかセンセーの人生にひと時の安らぎがあらんことを」と言って手を差し出す。するとエッシェの手から光が粒のようなものがセンセーの方に飛んできて、その後エッシェ自身が光球となりセンセーの周囲を飛び回った後、彼方へと消えていった。それは一瞬の白日夢のようであり、次の瞬間センセーが我に返ると元の風景の中に居て、エッシェの姿は無かった。だがセンセーの懐の中にあったカルモチンの瓶には何故か錠剤がいっぱいに入っており、そこには先ほどのエッシェの手から飛んできた光の粒の輝きが少し残っていた。

それでセンセーは「世界樹の精が舞い降りた時、弱き者や病める者の願いは叶い、救いを得る」という村の言い伝えを思い出し、エッシェこそが「世界樹の精」だったのだと気付く。世界樹の葉には鎮静作用があり、それはおそらくカルモチンと同じ成分だったのだろう。だからエッシェが「病める者」であるセンセーに「安らぎ」を与えるために授けてくれた光の粒がカルモチンに姿を変えたのです。それは本来は弱き者や病める者を癒して救う「薬」なのですが、使い方を誤れば洞窟内の中毒患者たちや、自殺用の道具として使ったセンセーの例のように「毒」にもなってしまう。

世界樹は「薬」でもあり「毒」でもある。だから、その精霊であったエッシェもまた「正義」でもあり「悪」でもあったのだ。そしてエッシェの真の憂いとは、そうした自分の持つ「正義」と「悪」の二面性が人には正しく理解されないということに対する憂いであったのでしょう。そうした憂いを常に抱えていたエッシェだからこそ、村人たちの断罪に対してもそれが自分の宿命なのだと簡単に受け入れて去っていき、そして世界樹はこの世界での役割を終えて枯れていったのでしょう。そして彼女はその最期の瞬間、最後にただ1人だけ自分のそうした憂いに寄り添ってくれたセンセーに「救い」を与えて去っていったのでしょう。そう考えることでセンセーは「自分も少しは彼女を救うことが出来たのだろうか」と思えて少し気が楽になった。

だがエッシェがセンセーに与えた「救い」はそれだけではない。エッシェが本当にセンセーに与えたかった「救い」というのは、センセーの心がいつの間にか囚われていた「自分にとっての救いは自殺だけだ」という呪縛からの解放でした。そのためにエッシェは世界樹の成分から作られたカルモチンを新たにセンセーに「病める人への安らぎ」として与えたのです。センセーにとって永らくカルモチンは「自殺のための道具」あるいは「中毒を引き起こすもの」でしかなかった。だがもともとは不眠症を癒すための「薬」として手にしたものだったのです。センセー自身がいつの間にか「薬」と「毒」の表裏一体性というものを忘れてしまっていた。だがそれを今回エッシェとの出会いと別れの中で思い出すことが出来て、センセーは人生に「安らぎ」が存在するのだという真理を噛みしめるように、瓶から取り出したカルモチンの錠剤を1つ齧って「フフフ」と笑う。そういうところで今回は終わり次回に続きます。