2024年夏アニメのうち、8月26日深夜に録画して8月27日に視聴した作品は以下の1タイトルでした。
SHY 東京奪還編
第20話を観ました。
今回はいよいよ曖と昧の天王寺姉妹が激突し、それが驚愕の結末を迎えて昧の目的が何だったのかが判明する。そして、それに先立って黒球の外壁頂上ではスターダストとスティグマが対決し、スティグマは撤退していったが、ここで今回の事件におけるスティグマの目的が何だったのかも判明します。事件の解決はまだまだ先であり、まだ謎も多く残っていますが、敵の目的が判明したのは大きな事態の進展と言っていいでしょう。
まず最初に描かれたのは黒球外壁頂上におけるスターダストとスティグマの対決でした。テレビ局のレポーターの女性に黒い指輪を嵌めて心の闇を暴走させ、その姿を全世界に中継させて世界中の人々をアマラリルクに勧誘したスティグマでしたが、そのためにヒーロー側に居場所を特定される羽目となり、スターダストの急襲を受けたのでした。だがスティグマは「見つけてほしかった」と言っており、最初からヒーローをこの場におびき寄せることも目的だったようです。むしろやって来たのがスターダスト1人であったことを物足りなく思っている様子であり、余裕を感じさせます。
もちろんスターダストもスティグマがわざわざ居場所を特定させてヒーローをおびき寄せようとしたことは分かっている。テレビ局の中継班を襲いカメラを奪いレポーターを攫って全世界にアマラリルクへの勧誘の生放送をするだけならば、瞬間移動の出来るスティグマならばもっと居場所を特定されない場所ででも出来たはずです。それをこんな分かりやすい場所であえて実行したということは、ヒーローをおびき寄せるためであったのは間違いない。問題はその目的が何なのかということです。ヒーローをおびき寄せて倒すことが目的なのか、それともヒーローをこの場所に誘導しておいて他の場所で一般人を攻撃することが目的なのか、それが分からない。
だから、そうしたスティグマの真意を探るためにもスターダスト1人がとりあえずこの場に来てスティグマと接触する必要があったのであり、スティグマの思惑が分かった場合に臨機応変に対処できるように別の場所でセンチュリーが待機している。ただ、スティグマの思惑を探るだけが目的ならば、ここまでスティグマに近づかなくても可能であったし、スティグマの狙いがヒーローである可能性もある以上、未知の敵であるスティグマの前に単身で近づくのはスターダストにとってもリスクではあった。そのリスクをあえてスターダストが冒したのは、レポーターを救出しなければいけないからだった。
ところで、この「SHY」という作品に登場する「ヒーロー」という人たちはどうして人々を助けるのでしょうか。ヒーローを職業としているというわけでもないし、敵であるアマラリルクが登場したのはヒーローが出現した後ですから、何か強大な敵に対抗するために正義感に燃えた人たちが集まったという感じでもない。強さの求道者という感じでもないし、何らかの資質に目覚めた人たちが選ばれてヒーローの務めを果たしているのは間違いないが、その個性はバラバラです。だからちょっと奇妙な印象なのであり、王道のヒーローアニメっぽく見えて、実は王道のヒーローアニメとは一線を画している。
ヒーローの外見がアメコミっぽいのでよくこの作品は「僕のヒーローアカデミア」と比較される。確かに主人公のシャイと「ヒロアカ」の出久は似た成長型タイプに見えるのでこの両作品が似ていると誤解して、その挙句に「ヒロアカ」と比較して物足りないとか酷評する向きもあるが、この両作品は全く世界観が異なります。この作品に登場するヒーロー達は「ヒロアカ」のヒーローのように職業でヒーローをやっていないし高い倫理観も持ち合わせてはいない。また、この作品に登場する悪役のアマラリルクは「ヒロアカ」のヴィランのように犯罪者ではないし世界征服を企む組織でもない。そういうところをもって、この作品のヒーローも悪役も個性が弱いと言う人がいるが、それはまぁ確かに「ヒロアカ」と比べればそうだと思います。そもそもそういう正義と悪のバチバチの少年漫画風のバトルを描こうとしている作品じゃないのですから、「ヒロアカ」みたいな作品を求めている人が物足りなく思うのは仕方がない。ただ、この作品が描こうとしているものは「ヒロアカ」とは全く違うのですからそれは見当違いな批判でしかない。「ヒロアカ」みたいな少年漫画風の正統派ヒーローアニメしか受け入れられないという人はこの作品を見ても仕方ないのだと思います。
この作品の物語世界の大前提として「ヒーローの出現によって戦争が無くなった世界」というのがある。戦争が無くなったというのは、戦争の主体である世界各国の軍隊が解体された世界ということになる。しかし軍隊という抑止力が無くなると各国の治安が悪化するので、軍隊の代わりをヒーローが務めるのです。別に国家が解体されて世界連邦政府が樹立されたというほどの巨大な社会変革が成し遂げられた世界観ではなく、世界中に国家は存在しており、それぞれの国の軍隊の代わりにそれぞれの国に1人ずつ超人的なパワーを持つヒーローが存在していて各国の治安を守っているのです。そうしてそのヒーロー同士が敵対して戦争が起きないようにヒーロー連合のようなユニオンが存在していて、全ヒーローがそこに所属してユニロードのもとに一致団結することによって世界平和を保っているのです。
つまり、この作品に登場する「ヒーロー」という人たちは、特別な資質を見出されて世界中の軍隊の代役をするために集められた人たちであり、自分の職業としてヒーローをやっているわけでもなければ、特に正義感や倫理観の高さからヒーローを目指したというわけでもないのです。実際問題として、そのような形の「ヒーロー」という立ち位置で彼らが生活し活動していくことが出来るのかと考えると、あまりリアリティのある設定とは言えないと思います。そこをもって作品をダメだと言うのは容易いでしょうけど、そもそもヒーローアニメにリアリティを求めるのは間違いというもので、何らかのテーマを描くためのシンボリックな存在と解釈して作品を楽しむのが知的営みというものでしょう。
結局のところ、この作品における「ヒーロー」というのは「抑止力」の擬人化なのだと思います。軍隊やこの作品のヒーローのような「抑止力」が治安を守って国民の安全を保障してくれるから国民は自分たちで武力を保有して戦おうとはせず、戦いをその「抑止力」に一任してくれるのです。だから「抑止力」であるヒーロー同士が仲良くしている限り戦争は起きない。これが「ヒーローの出現によって戦争が無くなった世界」なのです。理論上は世界各国の軍隊同士が仲良くすることによっても世界平和は実現出来たはずですが、現実世界同様にそれが出来なかったので、こういうヒーローによる抑止力で世界平和を管理するというシステムが作られたのがこの作品の世界観と考えればいいでしょう。
そうしたヒーローを「大嫌い」だと言って現れた敵であるアマラリルクというのは、つまりそうしたヒーローという「抑止力」を否定して世界中の人々が自由に戦い合う世界を望んでいるのです。このアマラリルクという敵もそういう意味でリアリティに欠けた抽象的な存在として描かれており、自らの利益のために動いているのではない。各自には子供じみた「夢」というものはあるが、組織としての目的は明確ではなく、総帥であるスティグマの言動を見る限りでは彼の望んでいるものは世界を支配することやと富を得ることではなく単なる「無秩序」や「混沌」のように見える。そして、それが人間にとっての幸せな在り方だと思っているように見える。
つまり、この作品は「抑止力」を肯定して「平和」を目指す者たちと、「抑止力」を否定して「戦争」や「無秩序」を目指す者たちとの相克を描いており、「戦争と平和」が作品テーマなのだと思います。そして必ずしもヒーロー側が絶対正義とは描かれておらず、アマラリルクが絶対悪とも描かれていない。だから両者が馴れ合う場面などもあり、それがヒーローアニメとして物足りないと思う人もいるようですが、私はこの作品はヒーローアニメではなく社会的なテーマを扱った作品として見ているので全く問題はありません。
アマラリルクが抑止力によって維持される世界平和に不満を抱いて混沌を望んでいるのは間違いないのですが、そこにどうして「人の心の闇の側面を解放する」という手法にこだわるのか、どうして彼らは「子供」であることにこだわるのか、そのあたりの謎はまだ原作漫画の方でも解明されていませんので不明です。だから、この作品は単なる社会的なテーマを扱った作品ではなく、スピリチュアルな要素や童話のようなファンタジー要素やホラー要素やコメディ要素も含めた複雑な構成の作品ではあり、まだ全貌は明らかにはなっていない。ただそれでもこの作品が「抑止力」や「戦争と平和」を扱った作品であることは間違いなく、そう考えると今回のスティグマやスターダストの行動の意味も分かりやすくなる。
まずスターダストがリスクを冒してもスティグマの前に1人でやってくるしかなかったのは、全世界に生中継されている状況でレポーターを見捨てるという選択肢が無かったからです。もし見捨てれば生中継を見ている全世界の人々の間で「ヒーローが自分たちの安全を守ってくれている」という「抑止力」の神話が崩壊してしまう。だからスターダストは助けに来るしかなかったのです。
ここで重要なのはスターダストは特別に清らかな心の持ち主ではなく、あくまで抑止力維持のための義務感でレポーターを助けようとしているということです。だからレポーター個人に対しての優しさには欠けている。この作品世界のヒーローにそうした傾向が強いことをスティグマは熟知しています。スターダストが以前に黒い指輪を嵌められた親友の指を切断して侵食を防いだということも知っています。だからスティグマはスターダストがレポーターを助けるのを邪魔せず、それをカメラで撮影して全世界に生中継することを選ぶ。その目的はスターダストがまたレポーターの指を切断する様子を全世界に向けて晒して「ヒーローは一般人に対して冷酷だ」という悪印象を与えて「抑止力」への信頼を損なわせるためです。
だがユニオンはシャイが黒い指輪を嵌められた惟子を救った際に手に入れた黒い指輪の解析を進めており、嵌められてすぐであれば容易に外せることをスターダストも把握していたので、今回は指を切断することなく指輪を抜き取ってレポーターを救うことが出来た。しかしスティグマがわざわざこの場所にヒーローを誘い出したのはそれだけが目的ではなかったようで、まだまだ余裕の態度で今度は手下のクァバラという幽霊みたいな姿のアマラリルクにスターダストと戦うよう命じます。
このクァバラはやたらスターダストにビビっていて、なんとも弱そうな奴だったのですが、あらゆる攻撃が当たらないスターダストにクァバラの攻撃は全く通じず簡単に倒されてしまう。ただスターダストはあまりにクァバラが弱いので殺すことなく気絶させただけで、その後スティグマに相対した際にも「黒球を消せば気絶させるだけで済ませてやる」と言う。ずいぶん余裕の態度に見えますが、もちろんスターダストも本音ではそんな簡単にスティグマに勝てると慢心しているわけではない。だが、とにかく今はスティグマを倒すことよりも黒球を消して中の人々を救うことの方が優先されるので、スティグマと交渉して黒球を消すことが出来れば最善といえます。そういう意味ではスターダストの対応は適切ではありますが、クァバラを殺そうとしなかったことも含めて、以前のスターダストのような冷酷さが無くなっている印象です。
そのスターダストの言葉に対してスティグマは「この黒球は僕には消せない」と答えた。スターダストは当然スティグマが断ってくることは予想していたので、痛めつけて黒球を消すよう強制するしかないと思い、すぐさまスティグマに殴りかかります。これをスティグマは避けることは出来たはずなのにマトモに喰らい吹っ飛びます。ところがそこにスターダストの背後に現れたクァバラの攻撃でスターダストは身体を貫かれてしまい、スティグマは「人の心に一番早く伝わるのは恐怖さ」と言う。そして「君のお蔭でみんなにより多くの恐怖が伝わるよ」と笑う。
まず、どうしてどんな攻撃も当たらないはずのスターダストがクァバラの攻撃を食らってしまったのかですが、実はクァバラは背後をとった相手に憑りつくことが出来るのであり、そうなると相手と一体化して意のままに操ることが出来るのだそうです。だからスターダストに攻撃を当てることも可能になったわけです。また、クァバラを攻撃するとそのダメージはスターダストにも返ってくてしまう。スティグマはあえて最初にクァバラをスターダストに差し向けて敗北させて、スターダストが本命の自分の方を攻撃し始めたらクァバラがスターダストの背後から憑りつくという作戦を立てたのでしょう。
ただスティグマはスターダストの攻撃をマトモに喰らう必要は無かったし、これら一連の戦いを全てカメラを通して全世界に生中継もしていたわけだから、単にスターダストを倒すことだけが目的だったわけではない。ここでスティグマが「人の心に一番早く伝わるのは恐怖さ」「君のお蔭でみんなにより多くの恐怖が伝わるよ」と言っていることから、この一連の戦いを通じて全世界の人々に「恐怖」を伝えることがスティグマの真の狙いであったことが分かる。つまり、最初にスターダストの圧倒的な強さを見せておいてから無惨に逆転されて敗北する姿を見せることによって世界の人々に絶望と恐怖を強く与えようとしたのです。
スティグマはスターダストに向かって勝ち誇ったように「強いヒーローが倒れれば弱い心に希望は消える」「撒かれた恐怖の種が芽吹いて、弱い心が僕を恐れて救いを求める」と言う。つまり世界の平和というのはヒーローの抑止力という「強さ」によって維持されているのであり、その「強さ」が失墜してしまえば「弱い心」を持った世界の人々は恐怖に怯えて自分自身に「強さ」を求めるようになる。そして人々はスティグマの提示した救済「みんなでアマラリルクになって強くなろう」という道に飛びつくに違いないというのです。スティグマが中継カメラを奪って分かりやすい場所でヒーローを迎え撃ったのは、このようにしてヒーローの「強さ」を失墜させて世界中の人々に恐怖を与えてアマラリルク化を促そうとすることが真の目的だったのです。
だがスターダストは「強さねぇ」と鼻で笑うと、以前にシャイと戦った時にシャイの「弱さ」が自分の不動の強い心をかき乱したという例を挙げ、「人の弱さが生み出す力を甘く見ない方がいい」と言い、自分にダメージが返ってくる恐怖を乗り越えてクァバラを叩きのめす。ただクァバラが死なない程度に手加減したので、クァバラはスターダストから離れただけで死にはせず、スターダストもボロボロにはなったが無事だった。
スターダストは人間の「弱い心」が生み出すものは必ずしも「恐怖」だけではなく、シャイがそうであったように「弱い心」からは「強さに抗う勇気」も生まれるのだということを示し、決して世界の人々も恐怖に怯えて心の闇の力に縋ろうとするとは限らないのだということをスティグマに、そして全世界の人々に示したのです。そして、スターダストがそう断言できる根拠は、まさにシャイがそうであったように「弱さ」からは「他者への優しさ」が生み出されるからでした。「強さ」だけに頼っていた以前のスターダストならばクァバラが死なないように手加減するのは難しかったが、今のスターダストならば手加減が出来るのでクァバラを安全に引き剥がすことが出来たのです。
そうしたスターダストの対処を見てスティグマは「君は以前よりも弱くなったね」と指摘する。それに対してスターダストは「思い出したのさ」と答え、何を思い出したのかというと「世界で一番優しい男になりたかったということ」だとスターダストは言う。それはかつてスターダストが黒い指輪を嵌められた指を切断した幼馴染の親友に子供の頃に言われた「君は世界で一番優しい」という言葉をシャイとの戦いの際に思い出したということを言っているのです。あのシャイとの戦いを通してスターダストは自分がもともとは親友が褒めてくれたような優しい男になりたかったのだということを思い出し、以前のようにただ「強さ」に頼って戦うだけのヒーローではなくなっていたのです。そうしてスターダストはスティグマに必殺技を繰り出して撃破します。
このようなスターダストであったからこそ今回のスティグマの企みは阻止出来たのだといえます。スティグマはヒーローの持つ力は「強さ」だけだと見くびって「強さ」さえ失墜させれば人々の「弱い心」は闇の力を求めると考えたのですが、ヒーローにはシャイのように「弱さ」ゆえの力や他者への優しさもあり、それは他の人々も同じなのであり、だから決してスティグマの思惑通りにはいかないといえます。世界の平和は抑止力という「強さ」のみによって維持されているわけではない。「弱さ」ゆえに維持されている側面もあるのだということが描かれているように思えます。
ただ、それがこの作品の最終的な結論などではない。スティグマがスターダストの攻撃を食らったのはクァバラを庇ったからであり、アマラリルクにはアマラリルクの理というものがある。スティグマは「僕は夢見る者だよ」と言うと、黒球の殻が破れた時に膨大な量の恐怖が世界中に流れ出し、人々の心に撒かれた恐怖の種を芽吹かせて世界中の人々をアマラリルクと化すると予告する。そして「僕の心と1つになって、争うことも比べることもない、皆が同じで平等で自由な素晴らしい世界の第一歩となり、みんな永久に夢の中で生きるのさ」と言う。そしてスティグマは「子供のままでいられる世界が良い」と言い、もう用事は済んだと言って空間の裂け目の中に消えていく。
結局スティグマの主張の大半は意味不明のままではありますが、どうやら今回スティグマが黒球外部に現れてスターダストに仕掛けたことはちょっとした悪戯のようなものであり、スティグマの人類アマラリルク化計画の本命はスターダストを倒すことによってではなく黒球内部に溜め込まれた恐怖を世界中に拡散することによって成し遂げられるものであったようです。黒球内部に溜め込まれた恐怖とは、要するに東京都心部の膨大な人間がウツロの心に触れたことによって心が死んだ状態となっていることを指すのでしょう。それは何百万人もの人間の分の絶望と恐怖と虚無といえるでしょう。これが黒球が無くなることによって全世界に拡散して世界中の人々の心に恐怖を伝播させていきアマラリルクに救いを求めさせるというのがスティグマの計画の本命であったようです。
ただスティグマは、自分では黒球の殻は破れないのだとも言った。破れるのは黒球の内部からだけだそうです。しかも最後にスティグマは「ヒーローが自らの手でこの殻を破るのを」と言って消えていったので、黒球を生み出したウツロではなく、黒球を内部から消滅させられるのはヒーローだけみたいです。あるいはヒーローの手でウツロを倒すことで黒球が消えるのかもしれない。ロシアでの戦いの時も黒い壁に囲まれたアマラリルクの内部でスピリッツとシャイがツィベタを倒したことによって黒い壁が消えましたから、それと同じなのかもしれません。
ただ、ロシアの時とは違って今回は黒球内部に何百万人分もの恐怖が溜め込まれている状態であり、シャイ達が黒球を消滅させることでそれが世界中に撒き散らされるという罠がスティグマによって仕掛けられているのです。そのことを知ったスターダストはそのことを一刻も早くシャイ達に報せなければいけないと思うが、外部から無線でシャイ達に連絡する手段は無いので黒球内部に入ってシャイ達に直接会って伝えるしかない。だが再び黒球外部にスティグマが現われる危険もあるので待機班の人数を減らすのもリスクが高い。そうしていると、そこに突然に朱鷺丸が現われてスターダストに「自分に任せてほしい」と言ってくる。今まで朱鷺丸がどこで何をしていたのか謎ですが、とりあえず黒球外部の場面は今回はここで終わり、あとは黒球内部の塔の上でのシャイと曖がウツロである昧と戦っている場面が描かれます。
つまり昧はスティグマの人類アマラリルク化計画の一環として黒球内部に何百万人もの人間を閉じ込めて虚無化させる役目を担当していたということになるが、その計画の遂行に際してずっと「虚しい」と言い続けており、あまりこの計画自体に興味は無い様子で、スティグマに対してもあまり忠誠心は無い様子でした。そして、そんな昧が曖と戦うことだけには異様に執着を示していたので、おそらく昧の真の目的は曖と戦うことだったと思われる。それも前回も言っていたように昧が望んでいるのは「本気の殺し合い」です。つまり、昧は曖と「本気の殺し合い」をするために、あえてスティグマの計画に加担して何百万人もの人間を殺すような大悪事に手を染めているのだと思われる。昧は曖と本気の殺し合いをするためにスティグマの計画を利用し、スティグマは昧の能力を利用して黒球内部に恐怖を溜め込み自分の計画に利用するというようにお互いの利害が一致しているのです。
昧はそこまで酷いことをすれば、正義感の強い曖はきっと自分を殺してでも計画を阻止しようとしてくると読んでいるようです。言い換えれば、そこまでの悪事に手を染めなければ、妹想いの優しい曖は昧を本気で殺そうなどと思わないのです。つまり昧は曖が自分を殺さなければいけないと思うように仕向けるためにこんな酷いことをやっているのです。それだけ昧にとっては「曖と殺し合いをすること」は重要なことであるようです。ただ、どうしてそれが重要なのかはサッパリ分からない。
シャイは昧の目的が曖との殺し合いだということは察しています。というか、昧が戦いながらずっとそう言い続けているのでシャイはそれを素直に受け取っているだけなのですが、その理由はよく分からず戸惑います。一方で幼い頃からの心優しい妹である昧をよく知っている曖の方は、そうした「殺し合いをしたい」という昧の言葉を素直に受け入れることは出来ず、昧が本気で言っていないと決めつけたままです。
それで昧の方は曖を本気にさせようと熾烈な攻撃を繰り出して曖とシャイを圧倒して追い込みますが、曖は昧が「人を殺したことはない」と指摘し、本当は昧は心優しい昧のままなのだから、自分が叩きのめして正気に戻してやると豪語します。だが昧は「未だに私や忍びが清らかなものと信じている曖姉が羨ましい」と嘆息し、自分は正義の名のもとに何人もの人間を薄汚く殺してきたのだと告白する。そして「だからその綺麗な手で私を殺して」と頼んでくる。ここで昧は涙まで浮かべており、単に曖を怒らせるために出鱈目を言っているわけではないのだと思われる。
おそらくこれは忍びの里の暗部にかかわる話なのでしょう。実際に昧は正義の名のもとに殺人を重ねてきたのであり、本気で曖に殺されたがっていると思われる。昧が曖との殺し合いを望んでいる理由は「単に真剣勝負がしたいから」というようなものではなく、明確に「曖の手によって殺されたいから」だということがここで分かる。しかし単に罪悪感で死にたいというのなら自殺すれば済む話なのであり、わざわざ曖に斬られたがっている理由は不明です。
しかし曖は昧の話を信じようとはせず、心優しい昧が人殺しなどするはずはなく、こんな話を自分に対してすること自体が有り得ないことだと言い、目の前にいる昧を偽者だと決めつけて殺そうとする。昧が単に「曖の手によって死にたい」と願っているだけならばこの刃を食らって死ねば済む話なのですが、ここで昧はこの攻撃を避けて、わざわざ本物の昧でなければ使えない投げ技で曖を制してみせて自分が本物の昧だとアピールしている。このことから、昧が望んでいることは「自分が曖によって殺されること」ではなく、あくまで曖が相手が実の妹だと分かった上で「曖が昧を殺すこと」であることだということが分かる。つまり曖を「妹殺し」にすることが昧の真の狙いなのです。しかし、どっちにしても昧は死ぬわけですから、そんなことどっちでもいいんじゃないかとも思えます。
とにかく、これで相手が偽者ではなく本物の昧だということを認めた曖は、その昧が何人も人を殺してきたということに衝撃を受けて涙を流し、自分は昧の優しさにずっと憧れてきたのだと打ち明ける。そして、あくまで自分の憧れていた頃の昧は嘘ではなかったのだと信じて、今の昧は誰かによって変えられてしまったのだと嘆く。だが昧はずっと自分は自分のままだと言う。そして、自分が正義だと思い込んできたものは「誰かの独りよがり」に過ぎなかったのであり、自分はただの心を持たない人形であったのだと言う。これはつまり、忍びの里で曖と一緒に過ごしていた頃から昧は「何者かの独善を正義だと思い込まされて利用されていた人形」に過ぎなかったという意味であり、やはり忍びの里には暗部がありそうです。
ただ、ここで昧は1つ気になることを言っており、そうした自分の「何者かの独善を正義だと思い込まされて利用されていた人形」に過ぎなかったという真実に昧が気付いたのは「あの人に会って知った」からだと言う。ここで「あの人」とはスティグマであるようにも思えるが、どうも昧のスティグマに対する態度を見ると、昧がスティグマのことを「あの人」と呼ぶのはちょっと違和感がある。そもそもスティグマは「人」と呼べる存在なのかも怪しい。あえて「あの人」と表現されていることからもスティグマ以外の未知のキャラであるように思える。ここで挿入される回想シーンで昧が自分が殺したのであろう死体の山を前にしている時に出会った相手が「あの人」であるようだと推察される。
昧が師匠でもある父親に「忍びの里は滅ぶべき」と進言するようになったのは、おそらく「あの人」というのに出会って自分や忍びの里の犯した罪を自覚して以降のことだと思われる。それはだいぶ前のことであり、そんな頃からスティグマが暗躍していたのかどうかは不明です。ただ1年前に昧が忍びの里を出奔した時点では昧は黒い指輪を嵌めており、その時点ではスティグマと接触していたのは間違いない。ならば「あの人」がスティグマであるという考えも成り立つのだが、結局のところハッキリとしたことは分からない。
ただ、ここで昧は急にシャイに突っかかりだし、「私の苦しみの一片も理解していないのに救えると言うのか?」と問いかけ、それに対してシャイが「それがヒーローの存在理由です」と答えると、昧は鼻で笑い「その考えのままならこの先、地獄を見る」と忠告して斬りかかってくる。これは単に攻撃するという意思の表示だったとも見えるが、そうではなくてシャイの将来の問題について忠告したようにも見える。言葉の意味を素直に受け取れば、昧はシャイが誰でも彼でも救えると思っているところが気に食わないようです。そして、これは前回のエピソードでのシャイと昧の奇妙な遣り取りとも繋がってくるとも思われる。前回は同じようにシャイが「街の人々も貴方も救う」と言った時に昧は「何処かで聞いたことがある」と言いシャイの顔を見て「そういうことか」と言っている。おそらくシャイに似た顔の誰かに過去に同じようなことを言われたのだと思われ、今回も同じようなことを言うシャイに対して「地獄を見ることになる」と予告しているところをみると、その過去に出会った誰かも同じように地獄を見たのかもしれない。そして、このシャイに対する突然の突っかかりが昧が過去に出会った「あの人」の話からの流れで始まっているところを見ると、昧に自分の真実を気付かせてくれた「あの人」というのは、過去に昧が出会ったと思われる「シャイに顔の似た誰か」と同一人物なのではないかとも思えてくる。
それについては謎のままだが、とにかく昧がシャイに斬りかかって、それを曖が阻止し、今度は曖に斬りかかった昧の刀をシャイが蹴り返し、再びシャイに斬りかかった昧に曖が返し技を食らわせたのだが、それは昧には通用せず、昧はシャイの右肩を刺し貫いてしまう。そして昧は「あんた方は弱い」と言い「中途半端に心を持つから躊躇いが生まれる」「自分の手を汚そうとしない甘えた考え」だと断じる。そんな昧に対して曖は「自分たちは心の使い方を誤らぬよう教わってきたはず」と言い、涙ながらに昧に向かって「昔の優しい心を取り戻せ」と訴える。
それに対して昧は「私は心などとっくの昔に捨てた」と言うのだが、そこにシャイが口を挟み、昧が曖と喋りながらずっと涙を浮かべていることを指摘して、昧は心を捨ててなどいないと言い返す。それを聞いて昧は少し怯んでシャイの肩に刺した刀を抜き取るが、曖の方は昧に斬られた父が昧を裏切り者と見なして追手を放ち、それを自分も受け入れるよう言われたことを思い出し、やはり昧を殺すしかないのかと絶望して俯き、そこに昧が斬りかかってきたのでシャイが曖を庇って昧に斬られてしまう。それで曖がシャイを庇って昧に戦いを止めようと言い、一緒に里に戻ろうと懇願するのだが、昧は里からの追手を自分が全て返り討ちにしたと伝え、里に帰る気は無いということを示す。仮に昧が里に帰るなどと言っても里は昧を受け入れるはずはないということは曖も分かった上で、それでも昧と家族に戻りたい一心の曖でありましたが、昧に「自分にはもう家族はいない」と言われてしまい、そこで遂に決意を固めて立ち上がり「これ以上、世に仇なすというのなら、忍びとしてうちがあんたを終わらせる!」と言って立ち向かう。それを「その言葉をずっと待っていた」と笑って迎え撃つ昧と曖が斬り結び、遂に曖の刀が昧の身体を刺し貫いて勝負は決した。
だが、この「曖が妹殺しとなる」という形こそが昧が待ち望んでいた結末なのであり、その理由がここで明らかとなる。昧は自分の身体を刺し貫いた神剣・無垢を握った曖の手をとると「ありがとう、やっと汚れてくれた」と不気味に笑う。すると無垢から黒い靄のようなものが噴き出してきて曖と昧を包み込んできて、昧は「刃に乗った曖姉の感情が私に入ってくる」と歓喜の声を発する。すると「姿形を同じくし、同じ世界に同じ思い出。曖昧やった私らの境は今消え去り、1つに」という昧の謎の言葉と共に黒い靄は強烈な光を発し、その光が晴れると、そこには曖と昧が1つになった狐の耳や尻尾のようなものを生やした奇怪な姿の女性が無垢と虚無の2本の神刀を持って立っており、唖然として見上げるシャイの前でこの曖と昧の合体した女性は「ようやく、あの時の夢が叶ったなぁ」と不気味に笑う。
ここでのセリフの多くは意味不明だが、曖が昧を刺した刀が神刀・無垢であり、その無垢から発した何らかの力がこの現象を引き起こしたことから考えると、正義の刀である無垢の持ち主である曖が妹殺しの罪で汚れたことによって無垢に変化が起こり、それがこの現象を起こしたのだと思われる。そこには「無垢と虚無は二振りで一つ」ということが関係していると思われ、この2本の神刀はもともと1本の刀だったのかもしれない。それが無垢が汚れたことによって元通りの1本の刀に戻る条件が整い、それに伴ってそれぞれの神刀の所有者である曖と昧も一体化したのかもしれない。まぁ詳細は次回に説明があるのであろうが、とにかく昧が曖と本気の殺し合いをして曖に斬られて死ぬことにこだわっていた真の理由は、このようにして曖と一体化するためであったという真の目的はここで明らかとなったのであり、このまま今回は終わり次回に続きます。