2024春アニメ 6月16日視聴分 | アニメ視聴日記

アニメ視聴日記

日々視聴しているアニメについてあれこれ

2024年春アニメのうち、6月15日深夜に録画して6月16日に視聴した作品は以下の3タイトルでした。

なお「ささやくように恋を唄う」の第9話は今週も総集編で放送延期で、6月22日深夜に放送予定です。

 

 

ワンルーム、日当たり普通、天使つき。

第11話を観ました。

今回を含めて残り2話ですが、今回からオカルト研究部の夏合宿編に突入し、今回が前編で次回が後編で、夏合宿編で終わりということになりそうです。ヒロイン全員集合での水着や温泉など「こういうのでいいんだよ」感が満載のエピソードでしたが、河童のメイドさん達のギャグシーンがずっと面白かったのもポイントが高かったですね。

まず冒頭は森太郎たちがオカルト研究部の夏合宿に行くための待ち合わせ場所に行ったら、そこはビルの屋上のヘリポートで、そこからヘリでひすいの家の別荘に行くことになった。ひすいの家は日本を裏から牛耳る河童の一族とかリリーシュカが言っていたが、どうやら財閥だったようです。そのひすいの家の別荘で夏合宿をすることになったわけだが、玄関にはメイド達が出迎えていて、このメイドさん達もみんな河童だそうだ。なんかこのメイドさん達が妙に「尻子玉」を推してくるものだから、森太郎が「尻子玉とは何か?」と質問したら酷いセクハラ発言をしたみたいに扱われてて意味不明で笑えた。

このメイドさん達、河童の本能だからなのか、部屋の中に土俵を設置して、しきりに森太郎たちに相撲を取ろうと誘ってきたり、森太郎のことを女だと思い込んでいたり、ワケが分からんぐらい面白い。どう見ても森太郎は男なんですがメイドさん達は森太郎のことを「家の事情で男子として育てられた女子」だと思い込んでいたらしい。設定がややこしすぎる。なんでそんなふうに思うのかというと、ひすいが男子と接するという想定が無いかららしい。日本一の河童を継がねばいけないひすいは運命の相手の尻子玉を手にするまでは清らかであらねばならないのだそうです。まぁ尻子玉が相変わらず謎なんですが、とにかく男子は本来はひすいに近づいてはいけないのだそうで、それで森太郎は自分はこの別荘に宿泊してもいいのだろうかと悩む。

その後、浜辺で海水浴をすることになり、ヒロイン達の水着姿を堪能します。リリーシュカだけ吸血鬼で日光が苦手なので潜水スーツみたいなのを着てますけど。それで皆でビーチで楽しく遊びます。その後浜辺でバーベキューして、森太郎がひすいを名前呼びすると、ひすいは緊張しますけど嬉しそうにします。それでメイド達もひすいがこんなに嬉しそうにしているのは初めてだと言って、森太郎が男子であることは見逃すことにすると言ってくれて、宿泊を許可してくれますが、もしひすいに何か変なことをしたらタダではおかないとも釘を刺す。

その後、夕方までビーチで遊んだ後、別荘の温泉に入ることになるが、別荘は女性しかいないので男湯が無く、森太郎は夕食後に風呂に入ることになる。その後、ヒロイン達の入浴シーンを堪能させてもらい、皆が夕食を摂って、遊んだりして就寝となりますが、森太郎だけ別室なので1人で寂しい。そうしていると風呂に入り忘れていることに気付いて風呂に入りに行くが、するとひすいも再度入浴していて鉢合わせしてしまう。そこでひすいは森太郎が合宿に来てくれたから皆も来てくれたと言い、嬉しかったと言って感謝してくれる。また、今の共学の学校に進学したのは、男子の居る場に身を置くと新たな世界が開くというお告げがあったからだと言い、でも馴染めなくて困っていたが皆に会えて良かったと言ってくれる。

そんなふうにひすいともお喋り出来て良かったと思って風呂から上がった森太郎であったが、メイド達に捕まってしまい、ひすいと一緒に入浴した罰として延々と相撲を取らされてしまうというオチで今回は終わり、次回の最終話は夏合宿編の後編で今期の締めとなるようです。なお原作は現在も連載中だが、原作ストックはあまり無いみたいなので、2期が作られる可能性は低いと思われ、とりあえず次回の最終話の後に2期の告知は無いでしょうね。

 

 

怪獣8号

第10話を観ました。

今回を含めて残り3話となり、残り話数も少なくなってきました。今回は立川基地襲撃事件のお話の続きで、かなり激アツな展開でしたね。立川基地に翼竜型怪獣の群れを引き連れて襲来した赤い人型怪獣は防衛隊の3番隊の副隊長の保科と戦い、保科の攻撃によって撃破されたかに思えましたが、なんと再生して巨大化して、斬撃が解放戦力の主体の保科は刃が敵の深くにまで届かない状態で敵の再生速度がけた違いに速い状況で劣勢となってしまう。更にそうしているうちにスーツの解放時間の限界となってしまい、余獣の自爆攻撃にも晒されて怪獣に対抗出来なくなってしまいます。

それでも斬撃しか取り柄の無い自分が現代の怪獣防衛隊では時代遅れと蔑まれる中、そんな自分を副官として買ってくれたミナのため、ミナが怪獣を射抜く道を斬り開く繋ぎの役目を担ってほしいと託された、その役目を全うして、自分の存在意義を証明するため、保科は刃を限界を超えて振るい続ける。それでも遂に怪獣に捕まってしまう食われそうになってしまう。そんな保科を救うため、カフカは怪獣8号に変身しようとするのだが、そこにミナが駆けつけて、砲撃で怪獣の腕を射抜く。それでカフカは変身せずに済み、保科は自分は繋ぎ役を全うして勝利を引き寄せたのだと確信する。

だが、さすがに赤い怪獣の再生力は桁違いであり、核を射抜かないことにはさすがのミナでも勝機は掴めない。そこで再び保科は無茶をして、ミナが核を射抜きやすいように赤い怪獣を削りにかかる。そこにキコルま加勢してきて、キコルの解放戦力では赤い怪獣の外殻を斬ることは出来ないが、保科の斬撃で斬った外殻にキコルの斧を打ち込むことで赤い怪獣に大きなダメージを与えることに成功し、動きの止まった赤い怪獣にミナが砲撃を加えて核を露出させ、更に赤い怪獣に更に他の隊員たちも一斉に攻撃を畳みかけて再生の暇を与えないようにして、余獣の邪魔を隊員たちが排除し、保科が更に赤い怪獣を削りまくり、遂にミナが核を射抜いて赤い怪獣を撃破したのでした。

だが代償に保科もミナもほぼ戦えない状態となり、残った隊員たちで余獣を掃討しようということになるが、そこに超巨大余獣爆弾が上空に出現し、核爆弾並みの威力が予想される事態に全くなす術が無くなる。この事態にミナも保科も全滅を覚悟するが、そこにカフカが飛び出していき皆の目の前で怪獣8号に変身する。ミナや保科や他の隊員たちが命を賭けて戦う姿を見たカフカは、そんな中で自分だけが自分の身の安全を優先することなど出来ないと思ったのだ。自分はどうなっても構わないから、仲間を守りたい。自分だって防衛隊の仲間なのだ。だから自分に出来ることをするのだと決意して怪獣8号に変身したカフカは、超大型余獣爆弾を上空に殴り飛ばして、超大型余獣爆弾は遥か上空で爆発して、それでも演習場は大破するが、なんとか隊員たちは全員無事に生き延びる。そして演習場で佇むカフカは怪獣8号の姿のままミナ達に拘束されてしまうのだった。今回はこういう場面で終わり、遂にカフカの正体がバレてしまったところでラスト2話に突入していくことになります。

 

 

夜のクラゲは泳げない

第11話を観ました。

今回を含めて残り2話、色々と描き切れていない部分が多そうに見えて、それでいて残り話数が足りていないように見えて、それなのに新たにキウイの身バレ問題なんてぶっこんできて大丈夫なのかとか思ってたんですが、様々な問題をこの1話で綺麗に解決して最終話に繋げてくれましたね。キウイの問題はむしろそのための触媒として上手く機能させるためにぶっこんできたわけです。その一方で不要な要素は今回のエピソードで整理をつけてスッキリしました。脚本力の高さを改めて感じさせてくれるエピソードでありました。更に加えて今回はこの作品のコンセプトが明確になってくる内容でもあり、私個人的には頭の中で綺麗にタイトル回収がされていったような気がして気持ちよかったです。いや、そのコンセプト自体はそんなに気持ち良いものではなくて、ちょっとチクリと刺さる痛い内容なんですけど。

「夜のクラゲは泳げない」というタイトルの「クラゲ」について、第1話で「自分の力では泳げない」「でも光を受ければ輝くことが出来る」という意味合いでまひるが自分自身の暗喩として使っていたので、何となくそういう「何者かになれない普通の人たち」を象徴しているのかなと思っていました。それは確かに1つの正解の解釈だとは思うんですが、今回、まひるが自分のことを「他人の見てないところで愚痴ってるだけだった」「でも今はそこから脱することが出来た」と言っているのを見て、更にそこから脱することが出来ずに匿名で愚痴ったり他人を腐したりしてるだけみたいな連中の描写があって、「クラゲ」にはそういう意味合いもあったのだなと納得させられました。つまり「顔が無くて無定形でフワフワと流されて、時に他人を無差別に刺したりしているだけの匿名の空虚な存在」の暗喩という側面です。

言うなればネット社会の現代人はみんな「クラゲ」なのだといえる。そういう基本的なコンセプトがあった上で、それでもそういう空虚な存在から脱することも出来るというテーマがこの作品にはあり、それが第1話で示された「でも光を受ければ輝くことが出来る」ということなのだと思う。その解答は今回のエピソードではまだ明確な形では示されていない。それはおそらく次回の最終話に解答が与えられるのだと思う。この作品はそういう解答をあまり濁すことはなく、平易な文脈でかなり明確な形で伝えてくれる作品なので、次回きっとハッキリ分かると思う。

ただ今回のエピソードでも、その触りは示されていたように思う。それは「自分らしさとは何なのか」ということです。言い換えると「自分が好きになれる自分とはどういう自分なのか」ということですね。今回のエピソードのテーマを一言で表すとそういうことになるでしょう。「自分が好きになれる自分とはどういう自分なのか」に気付くことで現代人はクラゲでありながら輝くクラゲにもなることが出来る。そして、それに気付く方法は何なのかについてが次回の最終話で描かれるのではないかと思う。今回、花音が「どういう人間のために」歌詞を書いたのか、「どういう人間のために」歌おうと思ったのかの答えがボカされて終わったので、そこが次回描かれるのであり、おそらくそれが現代人がただ漂うだけのクラゲを脱して輝いて生きるためのヒントに繋がるのだと思います。

まず今回の冒頭はキウイが自室でいつものようにVTuber「竜ケ崎ノクス」としてゲーム実況配信をしている場面から始まりますが、ここでコメント欄に「渡瀬キウイ」という文字を見つけて動揺したキウイはゲームでミスをしてしまい、嫌な気分になって配信を切り上げます。そして「渡瀬」や「キウイ」をNGワードに指定する。JELEEが話題になることによってキウイの身バレがしてしまい、どうやら小学校の時の旧友の中で面白がって揶揄してくる者たちがいるみたいです。前回のCパートでキウイに「ノクスって何?」とからかうようなメッセージを送ってきた「真弓」というのもそういう輩の1人のようです。

そしてOP曲の後、場面は変わって花音とまひるのバイト先のカラオケバーとなります。前回は花音とまひるがバイトを休止してしまい、代わりにめいとキウイがバイトしたがすぐにクビになっていましたが、今回は花音がバイトに復帰しており、めいが客として来ています。前回一旦自宅に引きこもってしまっていた花音でしたが、めいの必死の呼びかけと放送事故ともいえる必死の絶叫配信ライブ歌唱に応えてJELEEに復帰すると同時に、バイトにも復帰してくれたようです。

そのめいの放送事故パフォーマンスですが、ネット上で結構バズったようです。めいはトンデモない黒歴史に恐怖して動画を消そうとしますが、花音はコメント欄には好意的な声が溢れているということを教えて、動画はそのまま残そうということになる。そして花音はこの自分を救ってくれた曲をやっぱり完成させようと言う。この曲はもともと大晦日に公開する予定だったJELEEの新曲であったが、花音とまひるがJELEEの活動から離れたことで未完成のままになっていた曲です。曲も歌詞も出来ているがボーカルの録音までに花音が引きこもってしまったので未完成だったのであり、こうして花音が復帰した以上、ボーカルの録音は出来る。ただ、まひるが居ないのでイラストが用意できず、そうなるとキウイもMVの作成は出来ない。つまりまひるの復帰を待ってのMV制作開始となるので、どっちにしても大晦日の配信は無理です。ならば別に急いでボーカルを録音しなくてもいいんですが、それでも花音はやりたいと言う。

まひるがJELEEの活動を休止しているのはサボっているわけではなく、前に進むためなのだと花音は言う。だから、まひるが前に進もうとしている今、自分たちも立ち止まらず前に進もうとしておきたいのだというのです。そうした花音の気持ちにめいもキウイも賛同します。ただ、めいは花音に「もう歌えるんですか?」と問いかける。今回の騒動で自分にとっての歌う理由がちっぽけなものだったと気付いたということは花音自身が言っていたことでした。花音は母親の雪音のために歌っていたのであり、もはやそれは無意味なことであり、しかもそのためにJELEEを利用していた。その事実は消えないし変えられない。そんな自分が歌うことを花音自身は「それでも歌いたい」という理由で赦すことにしたようだが、それでも以前と同じように唄えるのかどうかは分からない。単に歌うだけなら出来るだろうけど、JELEEの曲として配信する以上は、花音が趣味で歌うのとはワケが違う。JELEEとして以前と同じ歌唱でなければ意味は無いのだ。それが出来るのかと言うめいの問いかけに、花音は「どうかな」と迷うが、しかし拳を握り「それ込みで挑戦でしょ!」と闘志を見せる。

一方、早川雪音の事務所にイラストの試作を見せに行ったまひるは、雪音に「私が感じた海月ヨルの絵の魅力が無くなっている」とダメ出しされてしまう。困惑するまひるは、更に雪音に「この絵のどんなところが好きなの?」と質問されて、まひるは此処が上手く描けたとか技術的な出来栄えの話しか出来なかった。それを聞いて雪音は「あなたは自分の絵のことが好きじゃないのね」とガッカリしたように言う。それを聞いてまひるは何も言い返せなかった。確かにまひるは今の自分の絵を好きではない。自分の絵を褒めてくれた花音の言葉を素直に喜べなかったのは向上心の現れなのだと自分では思っていたが、本当はそうじゃない。自分自身が自分の今の絵が嫌いだから、自分の絵を褒める花音の言葉を鬱陶しく感じてしまったのだ。悪いのは花音ではなく自分だったのだ。

確かに「自分の絵をもっと好きになりたい」というのがまひるがこの仕事を引き受けた理由だった。この仕事をやることでもっと絵が上手くなって多くの人に認めてもらえれば、自分も自分の絵をもっと好きになれるんじゃないかと思っていた。だが、それは言い換えれば自分が自分の絵を嫌っているということであり、自分自身でも認めていないような絵を依頼人に見せるというのはとても失礼なことなのだと、雪音のガッカリした様子を見て、まひるは初めて思い知った。

ただ、まひるが自分の今の絵を嫌っていたのだとしても、少なくとも雪音は以前のまひるの絵には魅力を感じていたのです。厳密に言えば1ヶ月ぐらい前のハロウィン配信ライブの頃のまひるの絵には雪音が魅力を感じるものがあった。そして、雪音がここで「この絵のどんなところが好きなの?」と確認しようとしているところを見ると、1ヶ月前のまひるの絵をまひる自身は好きだったはずなのです。それが1ヶ月ほどの間にどうしてまひるは自分の絵を嫌いになってしまったのでしょうか。そこにはやはり花音との喧嘩が関係しているのか、あるいはその原因となった「雪音から仕事を打診されてから生じたまひるの内面の変化」が関係していると考えるしかない。

なお、この場面で判明したことであるが、雪音は別に何か企みがあってまひるに仕事を依頼したわけではなく、本心からまひるの絵に魅力を感じて、サンフラワードールズのバーチャルライブイベントをただ成功させるために動いているようです。そして、おそらく「現実見ろバカ」のアカウントにも雪音は関与していないと見ていいでしょう。もし雪音が「現実見ろバカ」に関わっていたのだとしたら、その秘密を知る花音と関係のあるまひるに悪巧みではなくて純粋に仕事の依頼で接触するとは思えないからです。つまり、雪音は確かに花音に対しては冷淡な母親ではあったが、決して悪人ではないみたいです。仕事熱心のあまり子供に対する愛情が乏しかった、あるいは愛情表現の仕方を知らなかった人というだけなのでしょう。

そうなると、やはり「現実見ろバカ」のアカウントはメロが1人でやっていたということになる。そして、そのことは雪音も知らないのでしょう。それを知っているのは花音だけであり、花音はそのことをJELEEの仲間にも言っていないし、雪音にも言っていないし、自分以外の誰にも言っていないようです。これはちょっと不思議な話で、花音がどうしてそこまでメロを庇うのか謎です。もともと仲が悪かったはずです。しかし前回もメロが花音のことを嫌いつつも妙に理解している描写もあり、どうも花音とメロの関係はそう単純なものではなさそうです。

まひるは雪音の事務所からの帰り、そのメロと2人でタクシーを乗り合わせることになった。ここでメロはまひるが3年前の暴行事件の真相を知りたがっているのだろうと警戒して、自分は何も喋らないと予防線を張る。ここもちょっと違和感がある描写で、メロは「花音が暴行事件の真相を友人であるまひるに喋っているのではないか」とは一切考えていないのです。まるで「花音は真相を絶対に秘密にしているはず」という確信があるようです。何か妙に花音とメロは通じ合っているんですよね。

ただ、まひるは別に自分は3年前の事件の真相には興味は無いと言い、今の花音のことを知っていればそれでいいのだと言う。すると、その言葉に反応したのか、それともそうではなくもともと言いたかったことなのかは分からないが、メロはまひるに「見ろバカについてどう思うか?」と質問してくる。ここはそんなに深い意味があってまひるに質問しているのではなく、おそらくメロはまひるが興味本位で他人の事情に首を突っ込むような人間ではない信用できる人間だと判断した上で、自分の過去の行いが他人から見て客観的にどう見えているのか聞いてみたかっただけだと思います。今までメロはこんなふうに客観的な意見を求めることが出来ないほど周囲に信用出来る人間がいなかったのであろうし、同時にメロのやってしまった行為はそれだけ罪が重いのだといえます。

このメロの質問に対してまひるは「顔を隠して他人を傷つけるのは酷いこと」と言いつつ、でもそれは「クソデカな愚痴」のようなものであり、昔の自分が学校で言いたいことが言えずに他の場所で愚痴っていたのと同じようなものだと言う。そして、自分は誰かに出会ってそういう状態から抜け出せたけど、それは運が良かっただけなので、そういう状態に陥っている他人を否定するのはズルい気がするのだとまひるは言う。もちろん、まひるをそういう愚痴ばかり言っている状態から救い出してくれたのは花音であり、ここでメロに対してそういう話をすることで、まひるは花音に出会ったおかげで自分が変われたのだということを改めて実感できた。一方、メロはまひるの話を聞いて、こんな自分でもそんな相手と巡り合えば救われることはあるのだろうかと考えつつ「ののかの周りには変な奴しかいないんだね」と言い、きっとめいもまひるも花音に出会って変われたのだろうと思う。そして、どうして自分は変われなかったのだろうかと思ったりする。

ここでまひるが自分の過去のことを「顔を隠して愚痴ばかり言っていた」と言っており、それが「顔を隠して他人を傷つけること」と同じようなものだと言い、そんなまひるが花音と出会う前の第1話冒頭で自分を「自分の力では泳げないクラゲ」になぞらえていたことも合わせて考えると、結局のところ、この作品における「クラゲ」とは「匿名で愚痴ったり他人を攻撃したりするネット社会の現代人」の暗喩であったということが分かる。そして、そんな顔が無くてただ漂って他者を攻撃するだけのクラゲ達がいかにして救われるのかがこの作品のテーマなのだということも分かってくる。

さて一方、花音の方は新曲のボーカルを録音しますが、やはり以前のようには歌えなくなっていて行き詰ってしまう。そんな花音に向かってめいは自分が昔ピアノの先生に「ただ音符を追っているだけで何を伝えたいのか見えてこない」と指摘され、ただ親に命じられるままピアノを弾いている自分はダメなのだと思い行き詰っていたのだと打ち明ける。だが、そんな自分が花音に出会ったことよって「自分の曲を花音に届けたい」と思うようになり、それからピアノをちゃんと弾けるようになったのだという。そういう自分の経験を踏まえて、めいは花音にまず新曲の歌詞を全部書き替えるよう提案する。今の花音が誰にこの歌を届けたいのか、そこから考え直して、今の花音が歌いたいことを歌詞にするようにとめいは言う。

そうして花音が新曲の歌詞を全部書き換え始めた頃、まひるは雪音から見放されてしまい、自分の指示通りの絵を描くようにと言い渡されてしまう。それはもはやまひるの絵ではなく、まひるが描く意味すら無かったが、まひるに絵の仕事を依頼するという前提で通っている企画なので、形だけでもまひるが描くということになる。まひる自身の絵がもう少ししっかりしていればそんなみっともないことにならずに済んだのですが、まひるの絵が以前のような輝きを失っていて、その上まひる自身が自分の絵を好きではないと知って、雪音は完全に失望してしまったようです。

そのような屈辱的な状態に陥って、まひるは怒りが沸き上がってくる。その怒りが「自分の絵」を否定されたことに対する怒りなのではあないかと思ったまひるは、自分が「自分の絵」を好きなのか好きではないのかよく分からなくなる。確かに今回の仕事で描いた絵のことをまひるは別に好きではなかった。ならば自分の好きな本当の「自分の絵」というのが別にあるのだろうかと考えたまひるは渋谷のクラゲの壁画を見に行き、これが自分の好きな「自分の絵」なのだろうかとか考えるが、結局のところよく分からなかった。

そうしてモヤモヤした気持ちのまま、それでもクライアントの指示には従うしかないと思い、まひるは雪音の指示通りの絵を描き始めるのだが、そこにキウイから連絡があり、花音が新曲を作り直しているという話を聞く。そして花音が「まひるが前に進んでいるのだから自分たちも進もう」と言っていたのだと聞き、まひるはやはり自分がここで挫けてはいけないのだと思い直し、「自分の絵」の原点を探そうと決意する。それでまひるはキウイに自宅の絵画教室にクラゲの壁画の元になった絵があるはずなので探してほしいと頼む。

キウイの親は画家で、自宅で絵画教室をやっており、まひるは子供の頃はキウイと一緒にその絵画教室に通っていて、そこで描いたクラゲの絵が渋谷の壁画に採用されたのです。だからキウイの家の絵画教室にその時の元絵があるはずだと考えたのですが、どうやら自宅ではなく大宮にある倉庫にあるみたいです。それでキウイも一緒に大宮の倉庫に行ってくれることになったが、まひるは自分がJELEEのメンバーだと身バレしてしまってから小学校時代の友人などからよく連絡が来るようになったが、その中にはキウイのことについて何か言ってくる者もいたので、自分と同じく身バレしてしまったキウイのもとにも小学校時代の友人から連絡が来ていて、不登校のキウイはそれを嫌がっているのではないかと心配していた。大宮に行けば小学校時代の友人に会うかもしれないので、まひるは大宮には自分1人で行くと言うが、キウイは気を使われるのが嫌で平気だと言ってまひると2人で大宮に行くことにした。だが実際はキウイは真弓たちの嫌がらせのメールなどが来ていて大宮でそいつらと会ったらどうしようかとビクビクしていた。

そうして、まひるとキウイの2人は大宮の倉庫に行き、そこでクラゲ壁画の元絵を見つける。それは今のまひるから見れば下手くそな絵だった。でもキウイは「良い絵だ」と言ってくれて、まひるもそうだと思う。倉庫には同じ頃にキウイが描いた絵もあったが、当時のまひるの絵よりも断然上手だった。しかし、キウイは自分は何でも最初は上手にこなしてヒーローになるけど、その後は地道にやる奴や夢中になれる奴に追い抜かされるのだとこぼす。小学校の時に絵画教室でそうした敗北感をキウイに与えた人間こそがまひるだったのであり、だからキウイはまひるを自分よりも大した人間だと思って認めている。

そうして倉庫を出た2人であったが、まだまひるは壁画の元絵を見ただけでは自分の絵を自分が好きなのかどうかがよく分からない。それで、同じ頃に自分が描いたゲームセンターとキウイを題材にした絵を見て何か感じるところがあったので、倉庫の近所にあるそのゲームセンターに寄ることにする。だがキウイが実は小学校時代の友人たちから身バレして嫌がらせを受けていたことを知り、そのゲームセンターは小学校時代の友人たちの溜まり場だったのでキウイは行かない方がいいのではないかと気遣う。だがキウイはあくまで自分のことを「最強のヒーロー」だと言って元気づけてくれるまひるの気持ちに応えたいと思い、無理をしてゲームセンターに一緒に行く。

しかし、ゲームセンターで真弓たちに鉢合わせしてしまう。真弓たちはキウイが中学で不登校になってから、まひる同様にキウイが見栄を張って嘘ばかりついていた相手ですから、今になって騙されていたことを怒っていて、生徒会長をやっていたとか言って不登校だったキウイをバカにする。キウイはその場から逃げようとするが、まひるがキウイは今でもカッコいいのだと言って真弓たちに反論するのを見て、戻ってきて真弓たちと対峙する。

真弓たちはキウイが「竜ケ崎ノクス」なんていう男キャラでVTuberをやっていることを「変なこと」だと言い、そんな変なことやらずに普通に生きるようにと言ってからかう。それに対してキウイは、自分はありのままの自分を受け入れない世界が嫌いだが、それ以上にそんな世界に負けて不登校になってしまった自分が一番嫌いなのだと言う。それでどうしても自分のことを好きになれず、それでも自分を再び好きになりたいから、本当の自分とは全然違う「自分が好きになれる自分」を新しく作ったのだと言う。それが「竜ケ崎ノクス」なのであり、その「自分が作った大好きな自分」のことを誰にも否定はさせないと、キウイは啖呵を切る。

結局、真弓たちは呆れて去っていっただけで、相変わらずキウイをバカにし続けるのだろうけど、まひるはキウイの啖呵をカッコ良かったと言い、ダサかっただけだとキウイは自嘲するが、そういうダサくてカッコ悪いけどハッタリを通してしまうところがキウイのカッコ良さだというまひるの言葉にキウイは救われた気がして、それ以降は気が楽になった。同じ頃、花音の歌詞が完成し、まひるは雪音の仕事の絵を描き続けた。

結局、クラゲ壁画の元絵を見ても、ゲームセンターの絵を見ても、まひるは自分が自分の絵を好きなのかどうかは分からなかった。でも、キウイの「自分が嫌いだから、自分が好きになれる自分を作った」「その自分が好きになれる自分を誇りに思っている」という言葉はまひるの心に響いた。もともと自分は、ただ流されて愚痴を言うだけの正体不明な自分のことが好きではなかった。人目を気にして、普通に生きないと怖いと思って、自分の描いた絵を誇ることも出来なかった情けない自分のことも好きではなかった。そんな自分の描く絵のことも好きではなかった。

でも、そんなふうに自分が嫌いな自分だからこそ、自分が好きになれる自分の絵を新しく描きたいと思ったのです。花音と出会った時から、そう思えるようになった。それは花音がそういう自分を肯定してくれたからだった。そうしてまひるはJELEEで絵を描き続けた。そこには、自分が自分の絵を好きかどうかとか、他人が自分の絵を評価してくれるかどうかとか、他人が評価してくれるから自分を好きになれるとか、そういうことはどうでも良かった。自分が嫌いだからこそ、自分は自分の好きになれる絵を求め続けることが出来る。それが自分が絵を描き続けられる理由であり、自分が輝くための唯一の道だった。そして、そんな自分をずっと肯定してくれたのが花音だった。それは、花音もまた同じように自分が嫌いで、だからこそ自分が好きになれる自分になろうとして藻掻いているからなのだ。

しかし、まひるは雪音の仕事の依頼が来た時、自分の絵を他人に認めさせたいと思い、他人に認められたら自分の絵を好きになれるかもしれないと思ってしまった。その結果、自分が好きになれる絵をただ純粋に求めるという気持ちが失われてしまったのだ。そういう中途半端な気持ちで描いた絵を見た時、その絵の何処か好きなのか何も思い浮かばなかったのは当然だった。最初からいつものように純粋に、自分の好きになりたい絵を描いていれば、いくらでも好きな気持ちを言葉にすることは出来たであろう。それは独りよがりな言葉であったであろうけど、きっと雪音の心に響いたはずだ。

そういうふうに反省したまひるは、雪音の指示を無視して、ただ純粋に自分の好きになれる絵を描き上げて、雪音の事務所に持っていき「これが私が好きな私の絵です!」と言って提出した。雪音はそれを見て、クライアントの指示を勝手に無視する上に礼儀も知らないまひるの態度に呆れたと言いつつも、それでも「これは確かに、私が好きな貴方の絵よ」と笑顔で応え、その絵は採用となり、これでまひるの仕事は終わった。

そのはずだったのだが、まひるは突然、大晦日のサンフラワードールズのライブにJELEEも出演させることがこの絵を使わせる条件だとか強気なことを言い出す。雪音は驚きますが、これはまひるには考えがあってのことだった。自分の提出した「私が好きな私の絵」を認めてくれた雪音を見て、まひるは本当は雪音は今の花音の生き方を認めているのではないかと思ったのです。少なくとも、花音が今も仕上げようとしているJELEEの新曲、自分をとことん嫌いになってどん底に沈んだ花音が再び立ち上がって「自分の好きになれる自分」を模索して作っている曲を聴けば、きっと雪音ならそれを理解してくれるのではないかと思えたのです。そういうまひるの驚きの交渉開始の場面で今回は終わり、次回の最終話に続きます。