2024春アニメ 5月5日視聴分 | アニメ視聴日記

アニメ視聴日記

日々視聴しているアニメについてあれこれ

2024年春アニメのうち、5月4日深夜に録画して5月5日に視聴した作品は以下の6タイトルでした。

 

 

ワンルーム、日当たり普通、天使つき。

第5話を観ました。

今回はとわの出番はあまり無くて、前半パートはつむぎがメインの話で、後半パートはのえるがメインの話でした。しかし、やはりとわが出てこないと全体的に普通な感じの話になってしまい、面白くないわけではないのですが、ちょっとインパクトは足りなかったですね。

まず前半のつむぎパートは、とわとのえるの秘密を知ってしまったつむぎが自分だけ普通で森太郎に対するアピールが弱いように思えて落ち込んでいる描写から始まり、そんなつむぎに母親がドーナツ屋のクーポン券をくれて、つむぎはこれを使って森太郎を誘ってドーナツ屋でお喋りをしようと考えます。出来れば森太郎と2人で行きたいと思って誘おうとしますが、なかなかきっかけが掴めず諦めようとしていたところ、秀一がクーポン券を見つけてドーナツ屋に行きたいと言い出し、森太郎も誘ってくれたので2人きりではないが森太郎とドーナツ屋に行けることになり、更に秀一が部活で行けなくなって森太郎と2人きりで行けるようになり、つむぎは初めて秀一に感謝する。

しかし、その後、下校前に森太郎が図書室で妖怪や天使について調べるとか言って図書室に寄り、付き合いの良いつむぎのことを森太郎は褒めてくれて、とわとのえるのために自分の秘密を告白したつむぎを偉いと言ってくれます。しかし自分の本当の秘密は森太郎を好きなことなのだと、つむぎは図書室で居眠りした森太郎にそっと伝えて、そのまま森太郎の寝顔を1時間眺めていたら、その間に豪雨になってしまい森太郎はドーナツ屋に行くのは止めようと遠慮します。しかしどうしても森太郎とドーナツ屋に行きたいつむぎは傘を差して豪雨の中を突き進み、森太郎も一緒に来てくれる。だが途中で子供が傘を壊して困っているのを見て、つむぎは傘をあげてしまい、森太郎と相合傘でドーナツ屋に行き、幸せな時間を過ごすのでした。

後半パートは、互いにバイトが無い日の放課後、森太郎はのえると一緒に下校して、のえるは初めて友達と下校するので大喜びではしゃいでいて、コンビニで買い食いしたりします。そして昨日の夜からテンションが上がって眠れなかったとか言う。そして森太郎に感謝して、森太郎と一緒に買い食いしたアイスのキャップを大事に記念にとっておいたりします。

その後、ED曲の後はCパートがあり、そこでは森太郎の家にとわのお仲間っぽい幼女天使がやって来て、とわを天界に連れて帰るとか言い出して今回は終わり次回に続きますから、次回は幼女天使のお話になりそうですね。

 

 

怪獣8号

第4話を観ました。

今回は防衛隊員の入隊試験の続きですが、重傷を負ったカフカは気合で対怪獣スーツの能力を少し引き出して何とか失格を免れます。しかしキコルの活躍で怪獣が全部討伐されてしまい試験は終了、カフカはあまり活躍を見せられないまま終わってしまう。しかし突然変な喋るキノコ怪人みたいな奴が現れて倒された怪獣たちを復活強化させて受験者たちは大ピンチとなる。キコルは怪獣に立ち向かうが重傷を負って絶体絶命となりますが、そこにカフカがやって来て怪獣8号に変身して怪獣をワンパンで肉片にして勝利しました。

まぁ大体そういう話で、キコルはカフカが怪獣8号だったということは秘密にしてくれました。カフカとレノは試験に受かるかどうかはまだ分かりません。キノコ怪人はどうやら人間に化けることが出来るみたいで、カフカの勤める怪獣死体処理業者に潜り込んだみたいです。キノコ怪人の目的は不明です。とりあえず全体的にありきたりな内容であり、目新しさというものが無い。まぁありきたりな作品というのはそもそもありきたりなので沢山あります。だからありきたりな作品が全部ダメというわけではないんですが、この作品はありきたりな要素以外に魅力的なところが無いんですよね。キャラの魅力とかも無いし。一番気合を入れて勝負している部分がありきたりでつまらないのでちょっと厳しい。作画が良いから凄いとか能天気に言える性格だったら良かったんですけど、そういう性格でもないし困ったものです。ただ作画で楽しめてないこともないので、まだ見れます。

 

 

烏は主を選ばない

第5話を観ました。

今回は若宮が賭場で負けまくってしまい借金のカタに雪哉が女郎屋に下働きとして売られてしまい、それは実は長束派の密会がそこで行われることを察知した若宮が雪哉にそれを探らせるための計略だった。ただ雪哉はそういう計略であることは知らされないまま本気で自分は女郎屋に売られたと思っていたのだが、それでも自主的に密会が行われることを察知してこっそりそれを盗み見ていた。

長束派の密会では前回描かれた若宮暗殺未遂事件の首謀者が粛清されたが、事件は闇に葬られたことが分かり、長束の直接の関与が無かったことも分かった。それで若宮もこの件をこれ以上探っても仕方ないと判断する。その後、若宮のもとに桜花宮で行われている登殿に早く来るよう催促があり若宮は嫌がります。その桜花宮ではあせびが若宮が自分の初恋の相手だったことを思い出します。一方で若宮のもとには長束の側近である敦房がやってきたというところで今回は終わり次回に続きます。相変わらずよく分からない話なんですが、分からなさの原因の多くは若宮が色々と本音を言ってくれないせいで、その若宮と雪哉のとぼけた遣り取りが割と好きだったりするので一応視聴継続してます。しかしいつまでもつかは分からない。原作の評価は高いんですけどね、アニメ作品としてどこまで付き合えるかとなると別問題です。

 

 

夜のクラゲは泳げない

第5話を観ました。

今回はこの作品のテーマが描かれたエピソードだったと言えるでしょう。第1話で「クラゲは自力では泳げないけど、外から光を溜め込んだら自分でも輝けるようになる」というクラゲの習性が示されて、まひるがそんなクラゲを自分になぞらえて、自分も花音という輝く存在の傍にいたら輝けるようになるんじゃないかと考えたところから「JELEE」というチームが始まり、この物語が始まりました。そして第3話までに4人の仲間が集まり、第4話でJELEEの4人が力を合わせて作り上げたMVが初めて一般視聴者の間でバズって第4話ラストで遂にJELEEの4人は輝くことが出来た。つまり第1話でまひるが夢想したことが今回の第5話では実現したわけで、そこで転機が訪れて、紆余曲折を経て「クラゲは自力では泳げないけど、外から光を溜め込んだら自分でも輝けるようになる」という言葉の持つ真の意味にまひる達が気付き、JELEEが新たな目標を持つに至る、そういう内容が描かれたエピソードであったと思います。

まず冒頭は、前回ラストで配信開始したJELEEの新曲「月の温度」のMVの再生回数が1日で異常に伸びてバズっていて、一体どうしたのかと思って見てみると「呪いの曲」などと言われて拡散されていた。その理由は、MVのラスト近くに「タスケテ」という変な声が薄く入っていたからであった。この声の主は花音の姉の美音であり、花音の家でボーカルの録音をした時に隣の部屋で酔っぱらって寝ていた美音の寝言が収録されてしまっていたようです。それを間違えて完パケの音声に入れてしまったのは作業していた誰かのミスであり、別に美音が悪いわけではない。しかし徹夜作業で最後の方は全員頭が呆けていて、そんなミスが起きてしまったのも仕方ないといえば仕方ない。

しかし、とにかくそのおかげで怪我の功名のようにMVがバズった結果、MVが多くの人の目に触れたのは収穫であった。MV自体は良い出来であったし、楽曲も良いし花音の歌も良いのだから、最初は「呪いの曲」だという噂を面白がってMVを覗いた人の中にも普通に良い曲だと評価してくれる人も少なくなかった。そうなるとJELEEのこれまでに上げていた曲の再生数も連動して伸びてきて、JELEEのXの閲覧数も伸びてきてフォロワーも千人を突破した。4人ともその結果を喜び、まひるもJELEEのXにイラストレーター「海月ヨル」としてJELEEちゃんのイラストを添えて活動再開を宣伝したりしました。

そうして4人はこの勢いでさっそく次の新曲を作ろうということになり、花音が次のMVはJELEEちゃんをクラゲと一緒に泳がせたいと言い出す。しかし、そうなるとこれまで以上に多くのイラストのパターンが必要となり、まひるの作業の負担が増える。だが、それでもまひるはそのMVをやってみたいと言い、次のMVはその花音の案が採用となった。まひるは学校の友達と遊ぶ時間を削ってイラストに没頭していく。

以前のまひるであれば学校の友達との付き合いはもっと大切にしていた。そうやって他人と同じように合わせて生きることが平凡な自分には必要なことだと思っていたからです。でも花音と出会いJELEEをやるようになって自分は変わったのだと思えた。他人の目を気にして他人に合わせて生きることだけに汲々としていた頃の自分とは違い、今の自分は自分の好きなことをやって輝けるようになったのだと思えた。特に「月の温度」のMVがバズって以降、JELEEの世間での認知度が上がってXにも称賛コメントが多数寄せられるようになって以降はまひるは強くそう思うようになった。このまま世間に称賛されていけば、いずれは自分も世間で一流のイラストレーターだと認知されているような才能ある投稿者と肩を並べるような存在になれるかもしれない。JELEEの活動はそのためのチャンスなのであり、自分が輝くためには今が頑張りどころなのだとまひるは思った。

ところが「月の温度」の再生数が更に増えていくと、MVにつけられたコメントの中に「イラストだけしょぼい」というようなコメントが散見されるようになってきて、そういうコメントに賛同する人も一定数いた。そういうコメントを見ていると、まひるはもしかして自分だけ4人の中で劣っているのではないかと思うようになってきた。考えてみれば花音は元アイドルのセンターであり、めいはコンクールにも出るようなピアニストであり、キウイは有名Vtuberであり、みんなそれぞれ特別な存在であった。しかし自分だけはイラストが趣味の普通の女子高生であり、JELEE以外で何の活動実績も無い、特別な才能など持ち合わせていない平凡な人間だった。だから出来上がったMVの中で自分のイラストだけが見劣りしてしまうのだとまひるは思った。

更に「月の温度」のMVを見たネット上で活動する有名イラストレーターの「くろっぷ」氏という人がMVに触発されたといって自分で描いたJELEEちゃんのイラストを投稿したりしていて、二次創作というやつだが、プロのイラストレーターさんが描いているのだと思われ、明らかにまひるの描いたJELEEちゃんよりも魅力的であった。多忙だと思われる「くろっぷ」氏がわざわざ労力を割いてこんな二次創作を投稿しているというのは、「くろっぷ」氏本人としてはJELEEちゃんの創造者であるヨル氏(まひる)への最大限のリスペクトなのであり全く悪意は無いのだが、あまりにも画力に差があるために、まひるから見るとJELEEちゃんを奪われたようで面白くなかった。

だが、こんな絵の上手い人にまで自分たちのMVが影響を与えたのだということを素直に喜ぶ花音たちの姿を見ていると、まひるはコンプレックスに塗れた自分がみっともなく思えた。そして、花音たちがこんな才能のある人の善意の行動を素直に受け入れて喜べるのは花音たちがこの「くろっぷ」氏と同じように才能があって本当に輝いている人間だからなのだとも思った。それに比べて自分が「くろっぷ」氏の善意を捻じ曲げて捉えて嫉妬してしまっているのは、自分が特別な才能の無い人間であり、本当の意味で輝いている人間ではないからなのだろうと思った。その結果、まひるは「月の温度」のMVがバズって「自分も輝けるようになったんじゃないか」と思ったのは完全な勘違いであったのだと思い知ったのでした。

そんなモヤモヤした想いを抱えながら、まひるは喜ぶ花音たちに調子を合わせて自分の心の醜さやみっともない思い上がりを勘付かれないように振舞っていたのだが、花音はまひるの様子がおかしいと感じ取って、キウイにまひるの家の場所を聞いて、いきなりまひるの家に押しかけてきて「何かあったんじゃないか」としつこく聞いてくる。まひるはしらばっくれますが、花音がまひるが自分をJELEEのリーダーだと言ってくれて嬉しかったのだと言い、だからリーダーらしくまひるに頼られたいのだと懇願する花音の言葉を聞き、まひるは自分の正直な気持ちを伝える。

MVがバズって称賛コメントが集まって、それで自分も輝けたのかと思っていたけど、それは勘違いで、4人の中で自分だけ普通で、自分なんかはJELEEの役に立てていないのではないか、自分がJELEEのイラスト担当である必要は無いんじゃないか考えていたのだと打ち明けるまひるであったが、そんなまひるに花音は「そんなことない」と言う。

花音はまひるに向かって、自分がまひるの絵を大好きなのだからまひるは特別なのだと言う。まひるの絵を見たから自分はJELEEを始めたのであり、それでめいやキウイとも出会って一緒にやっている。だからJELEEはまひるの絵が無かったら始まっていないのだ。だからまひるは特別なのだと花音は言う。そして「私はヨルの絵を信じてる。だからヨルも自分を信じて」と言います。それでまひるは「分かった」と答えて、花音はそれでまひるの悩みは解消したと安心して帰っていきます。

しかし、まひるの悩みは全く解消されていなかった。花音がまひるのことを「特別」だと言ってくれているのは、結局は花音が盲目的にまひるの絵を好きだからに過ぎないのであって、まひる自身は花音ほど盲目的に自分の絵を「特別」だと認めることは出来ない。どう見ても「くろっぷ」氏の絵の方が上手だし魅力的に見える。まひるが花音に求めていた言葉は「ヨルの絵が好き」という言葉ではなく、「ヨルの絵の方がくろっぷ氏の絵よりも良い」という言葉と、それを納得させてくれるだけの根拠だった。だから花音が抽象的かつ盲目的に「ヨルの絵が好き」「ヨルは特別」と言ってくれたところでまひるの劣等感は解消されないし、くろっぷ氏への嫉妬は終わらない。そして、そんな自分はやっぱり特別でも何でもないつまらない人間だと思ってしまう。

それで、キウイの発案でJELEE初めての生配信をやってみた時に、くろっぷ氏もコメントを寄せてくれて、他のファン達が皆くろっぷ氏のイラストを称賛して「いつかくろっぷ氏のイラストでMV作ろう」なんて勝手なことを言い出した時、まひるは嫌な気持ちになった。こんなコメントはくろっぷ氏にも迷惑だし全く無責任なコメントでしかなくて、気にする必要も無いのだが、それでも劣等感に囚われたまひるはどうしても嫌な気分になってしまう。そして、そうしたコメントに対して花音が「JELEEのイラストはヨルって決まってるのでダメで~す」と回答していたのに対してもまひるは嘘っぽいと感じてしまう。

それでその帰りに2人で電車に乗っている時に、まひるは花音に「どうして私の絵じゃないとダメって言ったの?」と質問し、花音が「私はヨルの絵が好きだから」と答えたのには満足せず、更に重ねて「あの人と私の絵、どっちの方が上手いと思ってんの?」と問い詰めてしまう。花音は呆気にとられた様子になり、まひるはハッとして、自分がみっともなく嫉妬してバカなことを言ってしまったと恥じ入り「ごめん!なんでもない!」と誤魔化して新宿で花音を降ろすと電車の中で座り込み自分が情けなくて泣き出したくなってしまう。

ところが花音は新宿で一旦電車を降りた後、思い直してすぐに電車に飛び乗り、まひるをそのまま水族館に遊びに行こうと誘います。そして水族館でクラゲの水槽を見て、そのキラキラ輝く様子を見てまひるは喜びます。花音はまひるがくろっぷ氏に嫉妬して落ち込んでいたことを知ったが、その悩みを解消してあげられるような気の利いた言葉をかけてあげることは出来ず、その代わりにせめてまひるの喜ぶことをしてあげて気分転換をさせてあげようとしたのでした。そして割と簡単に機嫌が直ったまひるを見て安堵しながら、花音はまひるも意外に面倒臭いところがあるのだなと実感します。そして渋谷には水族館が無いという話題から、まひるが渋谷に水族館を作ってほしいと冗談でねだってきたのを承けて、花音はJELEEのフォロワーが10万人集まったら渋谷にクラゲの水族館を作ると約束します。

世の中には確かにごく稀に自分の力で泳ぐことが出来て1人でも輝くことが出来る孤高の天才といえる人間は存在するのでしょう。しかし、まひるは決してそんな天才ではないし特別な存在ではない。自力で泳げないし自力で輝くことも出来ないクラゲです。そして、それは花音もめいもキウイも同じであることはここまでのエピソードで描かれてきました。みんな一度は自分はもうダメだと思って立ち止まり輝けなくなった時に自分が「光」だと思える存在を持つことでようやく輝くことが出来たのです。おそらく「くろっぷ氏」だって同じなのだと思います。みんなクラゲなのです。

そんなクラゲ達「特別ではない人間」が誰だか分からないXの無責任な称賛コメントなんかで輝けるようになどなれるはずがない。だから、まひるが称賛コメントで自分が輝けたと思ったのは勘違いだったと気付いたのは正解です。ならばXの称賛コメントなどに何の価値も無いのかというと、それは違います。匿名で無責任な称賛コメントには相手を輝かせる力は確かに無いけれども、それはそのコメント主たち自身が輝きたいという意思の表れなのです。花音たちと同じように自分にとっての「光」だと思える好きなものを見つけて、それにコメントを寄せて傍に近づくことによって自分も輝けるのではないかと期待しているクラゲ達なのです。

そして、そのクラゲ達は気まぐれで面倒臭い性格をしていて、「光」だと感じられる素晴らしいものに触れた時に、自分にはそれが出来ないという劣等感から嫉妬してしまい汚い言葉を浴びせてしまったりもする。まひるがくろっぷ氏に嫉妬してモヤモヤしてしまったのもそういう例であるし、まひるのイラストに「しょぼい」とか「素人みたい」という言葉を浴びせた人たちも同じです。まぁ実際にまひるのイラストはくろっぷ氏のイラストに比べればしょぼいし素人臭いのだが、そんなことをあえてコメントしてくる人は大体はまひるよりは描けない人ですし、そもそも行動自体を起こせていない人です。でも、まひるも含めて、そんなみっともない人達は無価値ではなく、ちゃんと「輝きたい」という気持ちは持っているのです。

花音は、配信イベントで心無いコメントをする人達を見て、まひるがくろっぷ氏に嫉妬する姿を見て、みんな自分の「光」を見つけて輝きたいと思っているのだと気付いたのです。そしてJELEEがそんな人たちの「光」になれるのだと感じた。いや、そういう人たちの「光」になって、そういう人たちを輝かせることの出来る存在でありたいと願った。だから「フォロワーが10万人集まったら渋谷にクラゲの水族館を作る」と約束したのです。それはつまり、JELEEのフォロワーが10万人集まれば、渋谷にJELEEを自分の「光」だと感じることで自分も輝くことが出来るようになったクラゲ達が10万人集まるのと同じだという意味なのです。ここで花音の中でJELEEの活動目標は単に自分達がクラゲとなって輝くことなのではなく、自分達が10万人のクラゲ達を輝かせることの出来る「光」になろうというものに進化したのでした。

ただ、それはあくまで花音の話であり、JELEE全体の話です。まひるの悩みはまだ解消されていない。花音が水族館でまひるを慰めたのは一時的な精神的安定に過ぎないし、結局は花音はまひるが「自分の絵はくろっぷ氏の絵よりも良い」と安心出来るような気の利いた言葉はかけることは出来ていない。いや現実にくろっぷ氏の方がまひるより良い絵を描いているのですから、そこで現実に反した嘘を言ってまひるを慰めても意味は無い。

そもそも花音がまひるの絵が好きな理由というのは、劣等感に負けずに輝きたいという意思をそこに感じたからであり、それは確かにアイドルを挫折してしまった花音が再起するにあたって必要な「光」であったのでしょうけれど、そのことを言っても現在のまひるの劣等感の解消には役には立たない。逆に「自分はむしろ下手なままの方がいいのだ」なんて変な形での納得に繋がりかねず、そんな形での精神的安定を得てもずっと劣等感は心の底でくすぶり続けて何度も再燃するだけでしょう。

結局、無責任な匿名の第三者からであろうとも、身近な大切な人からであろうとも、どちらにしても他人の言葉などで本人の劣等感を解消することなど出来ない。そんな便利で手軽な言葉など存在しないのです。劣等感を解消するのは本人のひたむきな努力しかない。輝くためには自分自身の努力を重ねるしかないのです。では「クラゲが外から光を溜め込んだら自分でも輝けるようになる」という言葉、「輝く存在の傍にいることで自分も輝けるようになる」という言葉は嘘だったのかというと、そうではない。自分にとっての「光」といえる存在を傍に持つことによって人間は最大限の努力をして輝くことが出来るようになるのです。そのことを描くのが今回のエピソードの主題といえます。

まひるは花音と水族館に行った後も結局はまた、くろっぷ氏のイラストと自分のイラストを比べて劣等感に苦しむことになります。そして猛烈に悔しくなる。それはくろっぷ氏に負けたことが悔しいのではない。あれほど愚直に自分の絵を好きだと言ってくれた花音が家に来た時に言ってくれた言葉「私はヨルの絵を信じてる。だからヨルも自分を信じて」を思い出して、自分がその花音の気持ちを裏切ってしまっていることが猛烈に情なく悔しかったのだ。

まひるにとって花音は自分の「光」といえる大切な存在でした。その花音が自分の絵を信じてくれている。しかし自分は自分の絵をどうしても信じることが出来ない。下手だからです。自分の絵が下手なせいで、自分は自分の絵を信じてくれている花音と同じ想いを共有することが出来ずにいる。自分の一番大切な光といえる相手と同じ気持ちを持つことが出来ない。そのことがまひるには耐えられなかった。解決法はただ1つ、絵が上手くなることでした。自分が自分の絵を信じることが出来るぐらいに絵が上手くなれば、自分は花音と同じぐらいに自分の絵を信じることが出来る。その時初めて自分は花音と想いを共有することが出来るのだ。それでまひるは「私だけ置いてけぼりになりたくない!自分の絵を好きだって思いたい!」と想い、必死にイラストを練習し続けて、クラゲの壁画に向き合い昔マジックで消した名前の下に「海月ヨル」と書いて改めて絵に向き合う決意を示した上で、イチから絵画の基礎を見直し、JELEEちゃんのイラストの欠点を修正して改良していき、新しいイラストを完成させた。

そうして出来上がった新しいイラストを花音に送信したところ、花音は「凄いよ!私、凄く良い歌詞が書けそう!」と連絡してきてくれた。それを聞いて、まひるはようやく自分も輝くことが出来て、花音と同じ気持ちになれたように思えて涙がこみ上げてきて「ありがとう、花音ちゃん」と応える。そして、あのハロウィンの夜に「花音と一緒にいれば自分も輝けるんじゃないだろうか」と思ったことの本当の意味はこういうことだったのだと悟ったのでした。自分にとっての光のような大切な相手が自分を信じてくれるのと同じくらい自分を信じられるように人間は努力をするのであり、その努力がその人を輝かせるのです。だから、人は自分が輝くために自分にとっての「光」を見つけなければならないのです。

そうして完成したJELEEの新曲「渋谷アクアリウム」のMVは元旦の年越し直後に配信開始され、今度こそ「呪いの曲」というような変な話題性ではなくMVの魅力そのものでバズった。こうして正真正銘、自分達の力だけで動画を初めてヒットさせた満足感を抱いて、そのままJELEEの4人は初詣に出かけ、花音は神様に手を合わせて「私は今までがむしゃらに1人で走ってきました。でも今は大好きなイラストと大好きな曲と大好きなMVに乗せて歌を届けることが出来ています」と報告し、「だから私にはもう願い事はありません!」と言い切る。

そしてまひるはデッサンの教室に通うことにしたと皆に報告する。それを聞いてキウイは「描く理由を取り戻したんだな」と喜んでくれる。それを聞いて、まひるはそうなのかもしれないと思った。今の自分にとって絵を描き続ける理由は、自分を信じてくれる大切な人達と同じくらい自分を信じられるような絵を描けるようになるためなのだ。だから、まひるの初詣での神様への願い事は「絵が上手くなりたい」「自分の絵に自信が持てるようになりたい」であった。そのことを聞いて花音も、自分の想いがまひるに通じたのだと思い嬉しそうにする。そんな花音にまひるは「だから、これからもよろしくね」と言い、一緒に雪遊びをした後、まひるは花音の歌を好きだと伝え、花音のことも好きだと伝える。そして「私にもう一度、絵を描かせてくれてありがとう」と感謝の気持ちを伝えるまひるに花音は思わず頬にキスをしたのでした。

最後にちょっと唐突な百合描写となりましたが、まぁこれでいいのだと思います。結局は人が輝くために頑張る原動力というのは理屈ではなくて、自分にとって光にも等しい愛する相手と想いを同じくしたいという欲求なのですから、それはストレートに愛なのです。だから変に理屈っぽく締めるより、愛を描いて締めるのが正解なんだと思います。恋愛そのものを描くのではなく、人が輝く原動力を描くだけですから、そこはもう異性愛でも同性愛でも別にどっちでもいいのだと思います。

 

 

THE NEW GATE

第4話を観ました。

今回はシンの協力でラシアの浄化スキル習得が完了しますが、そこに巨大な魔物が現れて、シンはラシア達を逃がして全力で戦い魔物を倒してシュニーとも再会を果たす。そしてシュニーに事情を説明するという話でしたが、結局この世界の謎は不明のままでした。この後も冒険の旅は続いていくようですが、ちょっとこういうゲーム世界で主人公がチートで無双する系の話はもう飽きたので今回で視聴は打ち切らせてもらいます。

 

 

ささやくように恋を唄う

第4話を観ました。

今回は依がひまりの気を引くために軽音楽部のバンドに参加すると言い出し、ひまりとの間で「ひまりが依を好きになったら付き合う」という約束となっていることを依りから聞いた亜季はひまりが依をキープしているみたいだと思い複雑な心境になりますが、それでも依のバンド参加を歓迎します。

ひまりはどうして急にバンドに参加したのかと依に質問し、依はひまりに好きになってもらうためだと正直に答える。気持ち悪がられるかもしれないと思った依であったが、ひまりは依のそういうところが素敵だと言ってくれる。だが本当はひまりはそういうところが「好き」だと言いそうになって、自分の「好き」と依の「好き」は違うから安易に「好き」と言うのはズルいと思い「素敵」と言い換えていた。

そうしてバンドの練習を始めてみて、依は皆と合わせて演奏することを楽しいと思えるようになった。そんな依の変化を亜季たちバンドの皆も喜んでくれて来月の軽音部ライブに向けて頑張ろうということになる。そして亜季は軽音部ライブで依の作っている途中の新曲をやりたいから完成させてほしいと依頼します。一方でひまりは依がバンドの練習で放課後会えない日が増えてヒマなので週2回ぐらいの活動の部活に入ろうと思い、料理研究部に入ります。

料理研究部は部長の里宮百々花以外は幽霊部員で実質は百々花とひまりの2人きりであり、ひまりは依にお菓子を作って食べてもらいたいと思って入部したのだが、ひまりが部長と女2人きりの料理研究部に入ったと聞いた依は嫉妬して嫌な気持ちになってしまい、そんな自分をダサいと思って落ち込む。そして、ひまりに告白してから、ひまりとの間が微妙に距離が出来たように感じて自信が無くなってしまい、それでひまりが他の女を選ぶんじゃないかと不安になってしまうのだと亜季に打ち明けて、それで亜季は依りを慰めて励ましてくれます。

ひまりの方はバナナのパウンドケーキを試作してみて、依に食べてもらう前に友達の未希に試食してもらおうと思い未希の家に行きますが、そこで未希の姉の亜季に出くわして、亜季はひまりの依への接し方に思うところがあったので、ひまりに自分は依を好きだと打ち明け、自分が依を貰ってもいいかと問いかける。今回はそういうところで終わり次回に続きますが、新登場キャラの百々花も実はバンドをやっている女友達がいるみたいで、音楽方面でも依と絡んでくるのかもしれないですね。