2024春アニメ 4月11日視聴分 | アニメ視聴日記

アニメ視聴日記

日々視聴しているアニメについてあれこれ

2024年春アニメのうち、4月10日深夜に録画して4月11日に視聴した作品は以下の2タイトルでした。

 

 

怪異と乙女と神隠し

第1話を観ました。

この作品は漫画原作のミステリー作品みたいです。ミステリーといっても通常の犯罪などを描くミステリーではなく「怪異」といわれる超常現象の絡んだミステリーが描かれるみたいですね。ホラーっぽい内容ではあるんですが、現代の怪談というか都市伝説の類が題材となっているようです。OP映像では「きさらぎ駅」が登場していましたから、単なる怪談というより、現実世界に隣り合わせに存在する「異界」について描かれるっぽいですね。

アニメによくある「剣と魔法の世界」の「異世界」ではなくて「異界」です。現実世界と重なり合って存在していると噂されている異次元世界で、現実世界と似ているのですが廃墟や荒野が多くて、まるで文明衰退後の世界のような不気味な世界で、人間のようでいて人間ではない不気味な存在が出現したりします。といっても実際に「異界」が実在しているわけではなく、あくまで都市伝説ですが、アニメ作品のようなフィクションにおいては「異世界」が存在しているのと同様に、作品の設定によってはこのように「異界」も存在しています。

ただ全く架空に作られた「異世界」とは違って「異界」は実際に迷い込んだ人の体験談が残っていたりして、そういう意味では「幽霊を見た」とか「宇宙人を見た」という類のオカルト都市伝説でもあります。その中でも近年において特に有名なのがこの作品のOP映像でも登場している「きさらぎ駅」というものです。2004年に2ちゃんねる掲示板のオカルト体験板に実況として「きさらぎ駅」という「異界」に存在すると思われる謎の駅に迷い込んだ人物の投稿があり、その後この人物は駅から外に出て異界に迷い込んだ後、実況が途絶えて消息を絶ったとされており、それ以降インターネット界隈では「きさらぎ駅」は「異界」の象徴的存在として有名となったのです。

もちろんこんなものはイタズラの投稿であった可能性が高いのですが、これ以降インターネット界隈では定番の都市伝説ネタとなった「きさらぎ駅」は真偽定かでない投稿が相次ぎ、更に関連する他の異界駅や異界の設定などもネット界隈で世界観が構築されていき、それが2020年ぐらいからは映画や小説や漫画などでも題材として採り上げられるようになるに及んで、もはや真偽などはどうでもよくなり、1つの架空設定のジャンルとして定着した感があります。

こういう「異界モノ」を描くアニメ作品としては2021年冬クールに「裏世界ピクニック」という小説が原作の作品があり、ここでも「きさらぎ駅」を題材としたエピソードもあった。この「裏世界ピクニック」は雰囲気はかなり良かったんですがストーリーがあまり纏まりが良くなくてちょっと残念でした。異界で何か理解不能な怖いことが起きて、それで怖がってワーワー騒いでいるうちに逃げ切って解決みたいな単純な展開ばかりで、最後もなんか中途半端に終わってしまいました。

この「怪異と乙女と神隠し」の場合は漫画原作で、しかもビッグコミック系の配信サイトに掲載されている漫画ですから、ストーリーの出来は「裏世界ピクニック」よりは期待出来ると思う。ビッグコミック系の漫画はストーリー性は高いですし、それにあの雑誌特有の気持ち悪さがあって、こういう作風は結構マッチしているので、良い出来の作品になるんじゃないかと思います。今回の話もいきなり脈絡もなく異界に行って化け物に会って逃げるみたいな意味不明で単純な話ではなく、ちゃんと意味があって怪奇現象が起きていて、それがちゃんとキャラの物語にリンクしていました。去年の夏から秋クールにかけて「ダークギャザリング」というホラー作品がやっていましたけど、あれは脈絡なく幽霊が出てきて幼女が物理でぶん殴ってやっつけるみたいな幼稚な展開がキツかった。今回はああいう感じにはならないんじゃないかと期待しています。

今回はまず冒頭が謎めいた場面から始まり、なんか暗いムードの部屋で黒髪の少女が二段ベッドで目覚めて、まるで公衆トイレの手洗いみたいな場所で歯磨きしてから制服に着替えて出かけていくのですが、その居住空間みたいな場所からドアを出た場所というのが駅の地下構内で、少女は階段を上がって駅の地上出入り口みたいな場所から地上の世界に出かけていく。しかし、その少女が出かけていった外の世界というのは「!」マークのハザード標識がたくさん立っていて、しかもこの標識が三角形ではなくて菱形で、どうも非現実的な世界のように見える。

この後、OP曲が流れてOP映像が流れるのだが、その中で菱形のハザード標識が乱立している場所にある駅の地下に降りる出入り口が今度は外側から見たカットが挿入される。その出入り口の柱には冒頭の場面と同じように植物の蔦が絡まっているので同じ場所だということが分かるのだが、このOP映像の方の外側から見た駅の入り口の看板には「きさらぎ」と書いてあり、冒頭に登場した少女は「きさらぎ駅」に住んでいるということが分かる。「きさらぎ駅」は異界に存在する駅だから、あの駅の外のハザード標識の乱立する奇妙な場所は「異界」だと思われる。少女は「きさらぎ駅」に住んでいて、「きさらぎ駅」からまるで学校に向けて登校でもするかのように「異界」に向けて出かけていったということになり、どうやら少女は「異界」の住人のようだと推測できます。ただ「きさらぎ駅」は現実世界から異界への入り口のような場所なので、少女は単に「異界」に住んでいる「異界」の住人というわけではなく、もうちょっと境界人的な存在なのかもしれません。つまり現実世界の方にもやって来る可能性はあるということです。

今回はこの少女はこの冒頭の場面以外には登場しないのでこれ以上は詳細は分かりませんが、注目すべき点はこの少女は「きさらぎ駅」で若い男と同居しており、どうも兄妹であるように見える。この兄と思われる男は少女が出かけていく場面で後ろ姿で一言喋って登場するだけなので顔は分からないのだが、声と風貌から、この兄と思われる男はOP後の本編のストーリーの中で登場する主人公の緒川菫子の書店員の同僚である化野蓮と同一人物と思われる。今回は「きさらぎ駅」に関する話ではなく、菫子が巻き込まれた別の怪異に関するお話なのだが、その解決のために奔走した化野は実は「きさらぎ駅」に住んでいる「異界」に関係のある謎の人物だということになるのです。但し今回は化野の正体に迫るような展開にはならず、菫子の巻き込まれた怪異の話がメインで描かれるので、化野の正体の解明については次回以降に持ち越しとなります。

それで今回は菫子が巻き込まれた怪異の話です。菫子は28歳の書店の店員だが、15歳の時に中学の文芸部で書いた小説が新人賞を受賞して書籍化もされて作家デビューをしたという経歴の持ち主です。その時は脚光を浴びたようですが、その後は書籍化された作品は無いようで、現状は小説家志望の書店員という感じです。その書店も閑古鳥が鳴いていて暇を持て余しており、同僚の若い書店員の化野蓮によくからかわれている。化野は「作家、緒川菫子のファン」だと自称しているが、いつも年増の菫子の年齢をイジったりしてばかりで敬意の欠片も無い。そもそも、まだ20歳にもなっていなさそうな化野が13年前に一冊の本を出版しただけの菫子のファンなどとも思えず、菫子はどうせ化野が自分をまたからかっているだけだろうと思っています。ただ、この化野という男は書店の店長の言うには菫子以外の人間とはマトモに会話をしないのだそうで、菫子を慕っていること自体はウソではないようです。

しかし菫子の方は、せっかく化野がファンだと言ってくれて最近の執筆状況について質問してきてくれてもいるのだが、執筆活動は芳しくないようです。どうもアイディアがなかなか出てこないようです。それでネットで「きさらぎ駅」に関する情報を漁ったりしているようです。どうやら菫子はもともとオカルトが好きみたいです。ただ明らかに偽物臭い「きさらぎ駅」の情報を信じたりしているあたりを見ると、好奇心が強いだけであり、あまり専門的な知識などは無く、ただ小説のネタ探しに利用しようとしているだけみたいですね。

そうした日々の中、ある日、菫子が化野と一緒に書店のカウンターにいたところ、店長がやって来て「逆万引き」の本だと言って菫子に一冊の古書を渡す。「逆万引き」というのは読んだ字のごとしで、本棚から勝手に本を抜き取っていく「万引き」の「逆」であり、本棚に勝手に本を置いていく行為みたいです。知らない本がいつの間にか本棚に入っているというわけです。本がひとりでに出現した可能性もあるが、まぁ普通はそんなふうには考えず、誰かが勝手に本を置いていった一種の迷惑行為と考えるでしょう。店長もそう思ったようで、書店の本棚で見慣れない本を見つけたはいいものの不要となったその逆万引き本を菫子に押し付けた形になります。口実はちょうどその翌日が菫子の28歳の誕生日だったので、一足早い誕生日プレゼントということになる。菫子も店長が始末に困って変なモノを押し付けてきたことは分かっていますが、それでも誕生日プレゼントだと言われてしまうと拒否もしづらくて、そのまま受け取りカバンに入れます。

そうしてアパートの1人暮らしの自室に戻り、菫子は風呂に入ったりテレビを見ながら飯を食ったり酒を呑んだりして無為な時間を過ごしているうちに深夜12時となり日付が変わり菫子は28歳の誕生日を迎えた。そして、自分も遂に28歳になってしまったと感慨にふけり、新人賞を受賞した15歳の頃のことを想い返す。15歳の頃は確かに色んなアイディアがどんどん浮かんできて何でも書けた。だから菫子は自分のことを天才だと思っていた。世間も自分のことを天才だと持ち上げてくれたので、まだ子供だった菫子は本当に自分が天才だと思い込んだのです。

だが、その後はアイディアにダメ出しされることが多くなり、なかなか出版までこぎつけることが出来ないまま20歳を越えると出版にこぎつけられそうなアイディアも湧いてこなくなってきた。そうして菫子は「どうやら自分は天才ではなかったらしい」ということにようやく気付いた。ならば、あの15歳の時の栄光は一体何だったのかと考えると、あれは中学生にしては良い出来だったから世間が面白がって持ち上げただけだったのだと菫子は思った。あの時に書いたものも今にして思えば大した内容ではない。「中学生が初めて書いたにしては良い出来だった」というだけで、それで世間が面白がって持ち上げたのを真に受けて自分が天才だと勘違いして小説家を志望してしまい、それでこうしてみっともなく28歳になってもマトモに就職したり結婚もせず社会不適合者のような生活を送って出版のアテもない小説を書いている。いや、そもそもアイディアが浮かんでこないので最近は全く書けてすらいない。

しかし、それは15歳の時の勘違いが全ての原因であったのかというと、それは違うということは菫子にも分かっている。20歳を越えた段階で自分にもともと才能が無かったことなど気付いていた。そこで人生をやり直すことは十分に出来たはずなのです。だが菫子は就職も結婚もせず小説家を志望し続けた。それは、たとえ才能が無いことが分かっていても、書いたところで売れないことも出版にすら至らないことは分かっていても、それでも菫子は小説を書くこと自体が大好きだったからです。それは15歳の時から何も変わらなかった。だから菫子は小説を書くことを止めなかったし、社会不適合者のような生活を送っていても小説を書くことさえ出来ていればそれで幸せを感じていた。

ところが、最近はもうアイディア自体が湧いてこなくなってきて小説を書くことが出来なくなっている。このクソのような生活も「それでも小説を書けている」と思うことで耐えることは出来ていたのだが、小説が書けなくなってくると、こんなことをしていていいのだろうかと焦燥感が募ってくる。いや、そもそも小説を書けないこと自体が菫子にとって自分の人生そのものが無意味なことに思えるほどの苦痛でした。

だからこうして28歳になった菫子は15歳の頃の自分に戻りたいと思った。15歳の頃の自分も今の自分と同じように本当は才能なんて無くて、15歳にしては背伸びした内容をそれなりの形に仕上げる器用さがあっただけであり、あんなものを今になって書いたところでボツになるのは分かっている。あれは15歳の処女作だから世間がゲタを履かせてくれただけであり、あんな程度の才能が戻ってきたとしても小説を出版出来るはずがないことは菫子も理解はしている。ただ、それでも15歳の頃の自分はアイディアはいくらでも湧いてきて、いくらでも小説を書くことは出来た。たとえつまらない内容であったとしても、とにかくいくらでも小説を書くことは出来たのです。今の菫子にとってはそれだけで十分でした。つまらなくてもいいから小説を書きたい。だからアイディアが次から次に湧いてきていた15歳の頃に戻りたい。そんなことを菫子が強く願った時、カバンが横に倒れて、そこから昼間店長に貰った例の逆万引きの古書が転がり出てきた。

菫子がその本を手に取って開いてみると、そこには古い書体で古文のようなものが書かれていて、日本語のようだが一部変な字も混じっていて上手く読めなかった。まぁそもそもこんな古い書体を読めること自体が、菫子が文学的素養があるからであり、それゆえ菫子はそれがどうやら万葉仮名みたいなものだということも理解出来てきて、だいぶ読めるようになってきた。ただ、文章に混じって祭祀に使うような道具の図説みたいなものもあり、文章も専門的な内容みたいで、何だかよく分からなかった。そんな中で菫子のような文学好きには馴染みのあるものが目についた。それはどうやら和歌だと思われる文字列であり、見てみると、どうやら菫子にも見覚えがある、万葉集に収録されている和歌のようであった。

「天なるや 日月のごとく 吾が思へる 君が日に異に 老ゆらく惜しも」と、菫子はその和歌を音読してみた。それは「空にある太陽や月のごとく、私が想う貴方が日に日に年老いてゆくのは惜しいことです」と口語訳できる、万葉集に収録されていた若返りを願った歌だったということを菫子は思い出し、昔の人も自分と同じようなことを考えていたのだなと可笑しく思った。昔から多くの人が老いていく自分や親しい人のことで焦り、若返りを願ってきた。人間とはそういうものだ。だが誰一人そんな願いを叶えた者はおらず、それでも人間は自分の定められた運命の中で老いていく平凡な自分や相手に納得して、それでも好きなことを愉しんで生きてきたのだ。そう思うと菫子は「15歳の頃に戻りたい」などと願った自分がバカみたいだと思えてきて、せっかく誕生日を迎えたのだから前向きに自分を祝ってやろうと思い直し、深夜のコンビニにケーキを買いに出かけた。

ところがコンビニに入ると、菫子の身体が見る見る小さくなっていき、子供の頃の身体に戻ってしまい服がブカブカになってしまった。菫子は鏡にそんな自分の姿を映して見て驚愕し、そのまま慌ててコンビニを飛び出していく。そして、そのまま菫子は消息不明となってしまった。いや実際は子供に戻ってしまった身体のままアパートに戻って部屋で過ごしたり外に出たりしていたのだが、仕事先の書店に無断欠勤して連絡にも返信もしなかったので消息不明扱いになってしまったのです。

菫子自身は別に隠れているつもりも行方を眩ましたつもりもなかった。身体が子供の頃に戻ってしまった影響なのか、自分が書店で働いていること自体を忘れてしまっていたようです。だから店長や化野のことも忘れており、彼らからの連絡にも返信をしなかったのです。そして、そんなことはどうでもよくなるぐらい菫子は忙しかった。15歳の頃よりも更に遡って子供の身体に戻った結果なのか、小説のアイディアが山のように浮かんできて、それをプロットにまとめて小説の執筆準備に取り掛かるのに大忙しだったのです。それで部屋でプロットをまとめたり、外に出て調べものをしたりと多忙な日々を送っているうちに1週間が経ち、菫子は突然に子供になってしまったという異常事態は理解しつつも、とにかくこれで小説を書くことが出来るという喜びの方が大きく、このまま子供のままでいた方がいいと考えるようになっていた。しかし、菫子の身体は明らかに変調をきたしていて、頭痛がしたり耳から血を流したりしていた。そして遂には調べものをしてアパートに戻ろうとしたところ、アパートの場所が思い出せなくなってしまった。そうして途方に暮れているところに化野が現れたのです。

化野は書店の店長に頼まれて菫子のアパートに様子を見に行き、ドアの鍵を開けっぱなしで菫子が外出していたので部屋の中に入り、例の古書を見つけて、それが菫子の失踪の原因だと気付いたのでした。この時、化野は古書を開く前にそれが菫子の失踪に関わっていると気付いており、それは菫子の部屋の中に、その古書のある位置に突然に菱形のハザード標識が出現したからみたいです。そのハザード標識は化野の目にだけ見えるのか、それとも本当に出現しているのか分からないが、このハザード標識は子供化した菫子の前に化野が現れた際にも出現しており、更にOP映像で「きさらぎ駅」近辺の異界にも出現しているので、異界に関係して出現するのでしょう。つまり化野やこの古書は異界と関係があるのだと思われます。

それゆえ、化野は標識の下にある古書が菫子の失踪に関係していると理解し、更に古書を開いて中を見て、どうやら「若返り」が菫子の失踪の原因だということにも気付いたようです。そうして古書を手にしてアパートの部屋を出て近辺を探してみたところ、途方に暮れている菫子を発見したということになります。菫子は化野の姿を見ても最初は誰だか分からなかったが、化野が菫子が若返っていることを指摘すると驚き、それがきっかけになったのか化野のことを思い出した。だが、そうすると菫子は自分が子供の姿に変わっているのを見て化野が驚いていないことの方を不審に思う。

だが、それは当然のことであり、化野はこの古書を使って菫子が若返っていることは予想が出来ていたのです。化野の説明によれば、この古書の正体は「声に出して読んではいけない呪いの本」であり「呪書」というものだそうです。この古書に書かれた文字を声を出して読むと、その書かれた内容に応じた呪いが発動して怪異を引き起こすみたいです。この本の中に祭祀に使う道具の図説のようなものがありましたが、あれは呪いに使う呪具のようなものの図説だったのでしょうね。これだけ分厚い本ですから様々な文章に対応した様々な呪いが発動するようになっているのでしょうけど、その中で菫子が若返りの呪いを発動させたのだと化野が気付くことが出来たのは、菫子が部屋のテーブルの上に小説のプロットとして若返りについて記していたからというヒントもあったからでしょうけど、おそらくは化野自身の何らかの能力で呪書の反応を探って、いったいどの呪いが発動したのか割り出すことが出来たからなのだと思われます。

菫子自身は自分がどうして急に子供になったのか理由は全く分かっていませんでしたが、化野は1週間前の夜に菫子が声に出して読んだ和歌のページを開いて指さし、その和歌が若返りの呪いを発動させたのだと説明する。化野の説明によれば、万葉集には多くの「詠み人知らず」つまり作者不詳の和歌が収録されているが、その中には人間ではない何者かが詠んだ歌が紛れ込んでいるのだという。それらは呪いが込められた和歌であり、それを音読することで呪いが発動する危険があるのだという。菫子が声に出して読んだ和歌は万葉集の13巻に収録されている雑歌の1つで、貴人の若返りを願った女性の歌とされているが、作者は不詳であり、この女性が人間ではない何者かであったのか、あるいは人間ではない何者かが詠んだ歌を人間の女性の詠んだ歌として収録したのか詳細は不明だが、若返りの呪いを発動させる力があるのだそうです。

しかし、和歌を声に出して歌うと怪現象が起きて若返るなどバカげていると菫子は言い返す。それに対して化野はそもそも菫子自身がバカみたいな身体になっているのだからそろそろ信じるべきだと指摘し、これは「月読の変若水」という、ちゃんと由緒のあるもの由来なのだと説明する。「月読の変若水」というのは日本に古来から伝わる月の不死信仰に関わる若返りの霊薬であり、世界各地に似たような霊薬の伝説があり、そうしたバリエーションの1つです。ただ今回は菫子はこの「月読の変若水」を飲んで若返ったわけではないし、そもそもそんな霊薬が実在するというわけではない。ここで重要なのは、古来から日本にはそうした「月読の変若水」と関わる若返りへの信仰が存在したということであり、この和歌はそうした「月読の変若水」への信仰に基づいて詠まれた歌なのです。

実はこの「天なるや 日月のごとく 吾が思へる 君が日に異に 老ゆらく惜しも」という和歌は反歌であり、この反歌が添えられた1セットになっている長歌が存在する。その長歌は「天橋も 長くもがな 高山も 高くもがな 月読の 持てる変若水 い取り来て 君に奉りて 変若しめむはも」であり、ここには「月読の変若水」で相手を若返らせたいという想いがハッキリ詠まれている。万葉集の詠み人知らずの雑歌としてこのような「月読の変若水」への信仰が詠まれた歌が収録されているということがここでは重要となります。

そもそも、どうしてこのような詠み人も不明な和歌が万葉集には多数収録されているのでしょうか。それは要するにこれらの和歌が非常に当時の人々にとって普段から馴染みの深いものだったからなのでしょう。そうでなければ万葉集の編者がこんな誰が詠んだか分からないような和歌を知っているはずがない。それはつまり当時の人々が日常的に和歌を口ずさんでいたということを意味しており、そうした和歌の中でもこうして万葉集に収録されている詠み人知らずの雑歌はかなり生活に密着した馴染みの深いものだったのでしょう。それはおそらく信仰に関わるものだったと思われる。そうでないものもあったであろうが、少なくともこの和歌に関してはそうなのでしょう。多くの人が「月読の変若水」の若返り現象への信仰心を抱いていたからこそ、このような和歌が万葉集に残っているのです。

ただ、今回菫子が読んだのは万葉集ではなくて「呪書」という書物であり、おそらく様々な呪いを集めて記述している禁断の書物と思われる。そうした数多くの呪いの中の1つとして「月読の変若水」の和歌を使った若返りの呪いが収録されていたわけだが、この「月読の変若水」の和歌を使った若返りの呪いは、おそらく古代における「月読の変若水」の若返りを信仰した集団によって編み出された呪いなのでしょう。その呪いの歌が万葉集にも収録されていたわけだが、それは万葉集の編者の気まぐれでそうなっただけのことであり、本来はその信仰集団で使用されていた呪術のための和歌だったのでしょう。そして、それが後に「呪書」にも有名な呪いの1つとして収録されて、その「呪書」がたまたま菫子の手に渡り、菫子が呪いを発動させてしまってこのような若返り現象が起きてしまったのです。

和歌を声に出して詠むことで呪いが発動するというのが菫子には信じられないことであるようだが、まぁ実際にそれによって呪いが発動するのかどうかはともかくとして、少なくともこの和歌が作られた時代においてはそれは現実的な考え方でした。昔は相手の本名を呼ぶことはなく、別の名前で呼ぶのが当たり前でしたが、それは相手の名前を呼ぶと相手の魂を支配出来るという考え方が一般的だったからです。そういう言霊信仰が古代の日本では常識的に存在しており、言葉にはあらゆるものを動かす不思議な力があると信じられていた。和歌だってお経だって、黙読するのではなく音読するのが前提となっており、音読してこそお経にご利益があったり和歌に込められた恋の願いや長寿の願いが叶ったりするものだと考えられていた。だから呪いの和歌を声に出して詠みあげることで呪いが発動するという考え方は、少なくともこの呪いを作った当事者にとっては当たり前の考え方であったといえます。だから、この呪いは和歌を音読することで発動するものとなっているのであり、そういう呪いである以上、その作法に則って菫子が声に出して詠んでしまったことで呪いが発動したとしても、あくまでフィクションという前提の上でなら、文脈的には全くおかしなことではないのです。

但し、呪いというのはどうやらそんな単純にホイホイ発動するというものではないようで、「呪術廻戦」などでも「縛り」という概念が強調されていたと思いますが、強力な呪いを発動させるためには発動条件に強い限定性を持たせる必要があるようです。そういうわけで、この呪いもただ単に和歌を音読すれば発動するというものではないらしい。別に幾つもの発動条件が重ならないと呪いは発動しないのだそうです。化野はそれについても詳細に知っていた。

そもそもどうして化野がこんなにこの呪書に書かれている呪いについて詳しく知っているのかというと、おそらく菫子の部屋で呪書の中のこの呪いについて書かれた部分を一通り読んだからなのでしょうけど、それをスラスラ読めるという時点で化野はやはり普通の人間ではない。アバンやOP映像などからもおそらく彼は異界に関わる人間なのでしょう。化野が「万葉集の詠み人不詳の歌には人間ではない者が詠んだ歌が紛れている」と言った「人間ではない者」というのは要するに異界の者のことを指すのだと思われる。人知を超えた呪いを作ることが出来る者もおそらく異界の者なのであり、この和歌も「月読の変若水」の信仰集団が呪いを作る際に異界の協力を得て和歌を詠んでもらった可能性が高い。そうなると、そのような呪いを多数集めて書かれているこの「呪書」というものも異界で作られたものである可能性が高い。異界から何らかの原因で流出した「呪書」が菫子と化野の働く書店にたまたま紛れ込んだのでしょう。

その経緯についてはまだ詳細は不明だが、とにかく化野が把握していたこの呪いの発動条件は、まず「深夜0時近辺に」「月明かりの下で」「28歳以上の人間が」和歌を声に出して詠むということであった。これらは全て、確かにあの時の菫子は条件を満たしていた。しかし化野はまだもう1つ条件があるという。それは「歌を詠む者が生娘であること」だと化野は言う。つまり処女でなければ呪いは発動しないのです。これによって菫子は28歳にもなって処女であることがバレてしまい、ムチャクチャ恥を掻くことになってしまったのでした。つまりこれまで恋人の1人もいなかったということです。

だが恥ずかしがっている場合ではなく、この若返りの呪いは身体に非常に負担をかけるものであり、大人の身体を無理矢理に子供の身体に押し込めているので身体に大きなダメージを与える。それで菫子は記憶障害を起こしたり頭痛を起こしたり出血したりしていたのです。そして遂には目からも血が噴き出してきて、いよいよこのままでは死んでしまうだろうと言われて、菫子は化野の指示に従って呪いの解除をすることになった。

それはまず月明かりを浴びられる場所に移動し、そこで子供になる時に詠んだ反歌が添えられていた長歌の方を声に出して詠めばいいとのことだった。それを実践すると菫子は元の大人の身体に戻ることが出来た。そうして命の危機を脱することが出来た菫子であったが、呪書を始末しておくので渡してほしいと化野に言われると、菫子は呪書を持ったまま逃げ出してしまう。つまり長期間子供のままでいたら命が危ないということであり、こうして大人の身体に戻る方法も分かった以上、ほどほどに子供化して小説のアイディアを書き溜めてから安全な段階で大人の姿にも戻るということを繰り返せばいいのではないかと菫子は考えたのです。しかし化野は呪書は危険なものだからそんなふうに安易に使ってはいけないと言って、呪書を取り上げようと追いかけてくる。それを振り切って逃げる菫子であったが、どういうわけか化野は何度も菫子の前に先回りして現れる。この時、化野と共に例のハザード標識も出現しているので異界の何らかの力を行使しているのでしょう。だが菫子もさっそく覚えてしまった長歌と反歌を使いこなして身体を大きくしたり小さくしたりして化野を幻惑して振り切って逃げ続ける。

だが、そんなことを繰り返しているうちにやはり再び菫子の身体に負担が溜まってきて、菫子は子供の姿でまた目から血を流してフラフラになってしまい化野に追いつかれますが、化野の方も能力の使い過ぎなのか、それとももともと体力不足なのか、フラフラになっています。それで化野に向かって菫子は「自分には才能なんて無い」と告白して「それでも小説を書きたいんだ」と心情を吐き出し、そのためにはこの呪書が必要なんだと言って血の涙を流す。そして子供の姿ならばつまらない小説であっても皆が持ち上げて自分の小説を読んでくれるのだとも言う。小説を書くこと、書いた小説を読んでもらうこと、自分の人生にはにはもうそれしかない。それが無くなってしまえば、社会性も無く恋人すら1人も居たこともない28歳にもなって男性経験も無い惨めな女が残るだけ。それならばいっそ呪いで死んだ方がマシだと菫子は思った。

だが化野は才能が無いと打ち明けられてもなお「大丈夫、書けますよ」と菫子を励ます。そして「勇気はもともと貴方の中にある」と言う。才能が無いと自覚していながら、それでも諦めずに小説を書き続ける人生を選び、全てを捨ててきた勇気が菫子には確かにある。自堕落に社会性の無い人間になっただけなんてことはない。そんな勇気のある人なんて滅多にいないのです。才能なんか無くたって、その勇気で挑めば、いつかきっと新刊を出すことだって出来る。だから自分は「作家、緒川菫子のファン」として新刊を待っている、新刊を読ませてほしいと頼み、化野は菫子にエールを送るのでした。

そこまで言われては菫子としても化野の想いに応えるしかなく、長歌を声を出して詠み大人の姿に戻り、呪書を化野に渡すと力尽きて倒れたのでした。こうして一件落着となりましたが、その後ラストシーンでは化野がそうして菫子から回収した呪書を持ってきさらぎ駅の「きっぷうりば」という看板のある窓口に行き、中にいる職員のような何者かに呪書を差し出す。すると職員は「やみ」という駅に行く切乗車券1枚と交換だと言う。ちなみに「やみ」というのは「きさらぎ駅」の都市伝説では「きさらぎ駅」の隣にある駅の名前です。だが、化野はそれを聞くと「今回はやめておきます」と言って呪書を渡さずに引き上げてしまう。やみ駅行きの乗車券1枚では不服だったということなのか、化野の真意は今回の描写だけではよく分からない。そもそも「やみ」駅に行くことに何の意味があるのかも分からない。とにかくこうして呪書は化野の手元に残ることになったのだが、この窓口の中に縛り首のロープのようなものがぶら下がっていたことと、職員が化野のことを「神隠し」と呼んだことが印象に残りました。このように最後は色々と謎めいた描写でしたが、次回以降また楽しみにしたいと思います。

 

 

出来損ないと呼ばれた元英雄は、実家から追放されたので好き勝手に生きることにした

第2話を観ました。

今回はアレン達がエルフの鍛冶師であるノエルのもとを訪ねて、前回の竜との戦いで折れてしまった剣の代わりの新しい剣を作ってもらうことになりますが、アレンを追放した父公爵がどういうわけかリーズ姫だけでなくノエルの命も狙っており、出来上がった聖剣の試し斬りのために森に魔物討伐にノエルと共に行った時にアレンは父が送り込んだ刺客と遭遇することになります。ただ刺客たちはアレンの正体を知らないようで様子見して尾行する。その間にアレンとノエルはノエルの師匠の仇の強力な魔物と遭遇し、戦いが始まろうかというところで今回は終わり次回に続きます。

ストーリーは陳腐ではあるんですが、安易にハーレム展開にならず、登場キャラたちの人間味も割と感じられて、そんなに嫌いではないです。決して高評価は出来ないですけど嫌いにもなれない。それにアレンの父や弟たちが何を企んでいるのかも気にはなります。ただ、とにかく作画が酷すぎる。私は作画はあんまり気にしないタイプなんですが、それでも限度というものがある。どんなイイ場面でもキャラの顔や体のパーツのデッサンが「どういうことやねん」とツッコミを入れてしまうほどにおかしいので笑えてしまい話に入っていけない。これは厳しいですね。