2024冬アニメ 3月29日視聴分 | アニメ視聴日記

アニメ視聴日記

日々視聴しているアニメについてあれこれ

2024年冬アニメのうち、3月28日深夜に録画して3月29日に視聴した作品は以下の2タイトルでした。

 

 

勇気爆発バーンブレイバーン

最終話、第12話を観ました。

いやもう最後までメチャクチャやってくれた作品でしたね。今回も基本的にはアツい話だったんですけど相変わらず随所でふざけまくりで、まさにやりたい放題でした。決して王道ではなくて評価が難しい作品なんですが、こんなメチャクチャな作品は今後なかなか現れないだろうと思えるので、やはりそこは評価して後世に記憶されるべき稀有な作品と認めるしかない。前回終了の時点でもうSランク1位は確定だろうとは思っていたのですが、今回最終話でここまでメチャクチャなものを見せられては、やはりSSランクに評価するしかないでしょう。

メチャクチャだから凄いと評価してると誤解されると困るので厳密に言いますと、単にメチャクチャやってるのではなく、ここまでメチャクチャなことをやって物語がちゃんと整合性をもって成立してるところがまず凄いのであって、それでもそこまでならまだSランク圏内だったんですが、そこまでしっかりした物語を作っておいて、その上で許容範囲ギリギリまでふざけまくったというところが物凄い英断であって素晴らしいと思えて、これはもうSSランク評価するしかないと思えたのです。同じSSランクでも「進撃の巨人」みたいな圧倒的スケールで選んだという感じではなく、「唯一無二感」が決め手といえます。

内容的には十分に賞賛に値するものではあるが、あんまりそう正当に評価してくれている人は居なくて、まぁそれもこんなにふざけていたら当然、自業自得なんですが、とりあえず凄い内容ではある。しかしふざけまくっているぶん、トータルでは最大級の賛辞を贈られるような作品ではないかもしれない。しかしまさにカルト的な怪作であり、こんな作品ホントに今後は2つと出てこないんじゃないかと思えます。

あと、ロボットアクションの作画が素晴らしいというしかなくて、ここもまさにやりたい放題だったんですが、加えて声優陣の演技が凄かった。こういうところもSSランク評価の要素にはなっています。特に9体のデスドライヴズの声優陣が冗談みたいに豪華すぎた。これも単に「豪華声優を揃えました」という陳腐な手法ならば別に評価なんかしないんですけど、ブレイバーンの鈴村さんも合わせてこれだけ凄いメンツを集めてやりたい放題やらせてるというところが真に贅沢で豪華で、そういうところにシビれましたね。セリフも変なのばっかりだし、それをしっかり全員無茶苦茶オーバーアクトで成立させてるし、まさに怪演の連発で、もう凄かったです。ロボは全員セリフがほとんどツッコミ処しか無くて、笑いが止まらなかったですね。ロボ戦では常に会話が成立してない感じも独特でクセになりました。また、主役の鈴木さんも阿座上さんももちろん良かったですけど、ルル役の会沢さんの金属音ボイスの熱演も素晴らしかった。

さて、まず今回の冒頭は前回のラストの続きで、ブレイバーンがイーラに突然斬られて死んでしまった場面の続きからになりますが、最初に映ったのがイーラではなくて、その前にもう1体残ったデスドライヴズのポーパルチープムの場面がありました。このポーパルチープムはずっと戦わずに何をやっているのかというと、身体から伸びた太い触手のようなものを地中に突き刺して地球のマントルを吸い上げて喰っていました。前回スペルビアが「奴の美食は既に始まっているだろう」と言っていましたが、ポーパルチープムは戦うことよりも喰うことの方が好きみたいですね。そのことをスペルビアも把握していたので、ポーパルチープムから戦いを仕掛けてくることはないだろうと言っていたのです。

しかし、ちょっと不思議な感じです。デスドライヴズというのはなかなか死ねない生命体なので死を望んでいるはずです。スペルビアやクピリダスみたいに戦う個体ならば戦いの中で死ねる可能性は高いんですが、前回のセグニティスやこのポーパルチープムみたいに戦おうとしない個体はデスドライヴズとしてちょっとおかしいのではないかとも思える。いや、戦いの中で死ぬことを望んでいるのなら全部がスペルビアみたいな感じで良いはずであり、当初はスペルビアみたいに好戦的な個体が残り7体登場してくるものだと思っていました。ところがそうではなくて、デスドライヴズは妙に個性的な連中が多い。このあたりがどうも前回あたりから引っかかっていたのですが、それはそもそもデスドライヴズに関する基本的な認識が間違っていたからだということが後で分かりました。

それは話の流れに沿って後述するとして、ここではまずブレイバーンにいきなり斬りつけて殺してしまったイーラです。このイーラについても前回はちょっと気になる描写がありました。スペルビアがイーラについて説明した際にルルが「イーラ」と呟いて、特にイーラに対してだけは深刻な反応を示していたことです。この理由が今回明かされました。

どうやらルルが未来からやってくる前の世界線で見たこのハワイ島での最終決戦時にブレイバーンと相打ちになった相手がイーラだったようです。前の世界線での最終決戦時に残っていたデスドライヴズはやはりセグニティスとポーパルチープムとイーラの3体で、そのうちセグニティスとポーパルチープムはそもそも戦闘特化型ではないのでおそらくブレイバーンが割と簡単に倒せたのでしょう。そうして残ったイーラとの戦いでブレイバーンはイーラと相打ちになり、それでデスドライヴズを全滅させて世界を救うことは出来たが、ブレイバーンも死んでしまったようです。

ルルはその歴史を変えてブレイバーンとイサミを救うために過去に戻ってきたのだから、具体的にやることは最終決戦時のイーラとの戦いでブレイバーンが相打ちにならずにイーラに勝利出来るようにすることであり、スペルビアが助太刀すればそれは可能だと計算していたようです。だから、まずセグニティスを倒してからポーパルチープムを倒して、最後にブレイバーンとスペルビアのコンビでイーラと戦えばいいと考えていたみたいです。

ところが、まだポーパルチープムを倒していない段階でいきなりイーラが襲ってきてブレイバーンを殺してしまった。これはもともとの歴史とは違う展開であり、しかも結果は相打ちですらなく、ブレイバーンが死んでイーラの方は生き残っているという最悪の状況です。これではルルがわざわざ過去に戻って歴史を変えようとしてきた甲斐が全く無い。逆に最悪な方向に歴史が改悪されてしまっています。

どうしてこんなことになったのかというと、既に決まっていた歴史が変わった原因は、ルルによる歴史改変が原因と考えるしかない。セグニティスを倒したところまでは、倒したのがブレイバーンであったのがスペルビアに変わったぐらいはさほど大きな歴史改変にはなっていなかったはずです。おそらくマズかったのは、セグニティス戦の後でスペルビアとルルの要望でブレイバーンとスペルビアの一騎打ちをド派手にやってしまったことでしょう。あれがどうもイーラを怒らせてしまったようです。イーラはブレイバーンが自分と戦うために来たと思って戦いを挑んでくるのを待っていたのでしょう。だが自分をそっちのけでスペルビアと派手に戦い出したので腹が立ったというところなのでしょう。

とにかくイーラというデスドライヴズは衝動的な怒りに身を任せる傾向が強いらしいので、そういうちょっとしたきっかけでキレてしまい、スペルビアとの戦いが終わって一息ついていたブレイバーンが油断していたところに衝動的に斬りかかり、それがちょうど不意打ちの形で決まってしまいブレイバーンは重傷を負ってあえなく絶命してしまったのでした。しかもイーラというのは怒れば怒るほど強くなるデスドライヴズみたいであり、不用意にイーラを怒らせてしまったせいで、慌ててイーラを倒そうとして斬りかかったスペルビアもイーラに押されまくり、もはやこれまでと観念してルルだけを脱出させた後でイーラに突っ込んでいき斬り殺されてしまった。

こうして最悪な結果となり歴史改変は大失敗に終わり、世界にはもう味方となる金属生命体のブレイバーンもスペルビアも存在していない一方で、デスドライヴズはイーラとポーパルチープムの2体も残ったままで人類は蹂躙されるのを待つだけ、いや、ポーパルチープムは地球そのものを食べ始めていますから、人類滅亡どころか地球滅亡は時間の問題です。これなら歴史改変前の未来の方がよほどマシだった。死んだのはブレイバーンとイサミだけであり、世界は平和だったからです。ルルが過去に戻って歴史を変えたせいで人類も地球も滅んでしまう。これほど最悪な歴史改悪も他に無いというぐらいの最悪っぷりです。そうしてルルは絶望します。

ではブレイバーンが死んでしまった後、生き残っていたイサミの方はどんな様子だったのかというと、イサミも絶望していました。イサミはここで死んでしまったブレイバーンに向かって自分はもともとヒーローなどではなかったと告白しています。こうしたイサミの心境についてはここまでのエピソードでも何回も強調はされていますが、イサミは子供の頃から自分がヒーローになるというイメージは持ったことがない、それぐらいヒーローへの憧れも無いし、ヒーローになる資質も無かった人間だったと言っています。だからブレイバーンに乗ることも嫌だったということも前回の話でもイサミは打ち明けています。そんなイサミが、そんな自分でもヒーローになれるかもしれないと思えたのは、真のヒーローの資質を持つスミスやブレイバーンと一緒に戦うならば自分もヒーローになれる、勇者になれると思えたからでした。だからイサミはブレイバーンと一緒にヒーローになりたいと前回も力強く宣言していた。

だが、それはあくまで「ブレイバーンと一緒に」です。スミスも死んでしまい、ブレイバーンも死んでしまった今となってはイサミはもう自分なんかがヒーローになれるという自信は持てない。それですっかり闘志を失ってしまっていたところにスペルビアまで死んでしまい、イサミは完全に絶望してしまった。ここからのイサミの壊れっぷりが傑作で、いきなり大笑いして「こりゃもうダメだ」と溜息をつき、白旗をいきなり掲げて「降参します」と言い出し、イーラが応じようとしないと見るや「戦時捕虜です!人道的な扱いを求めます!」とものすごいヘタレっぷりを見せる。

イーラの方はまだ怒りが収まらない様子で、イサミとルルをミンチにしないと気が収まらないと言う。それに対してイサミはもう自分には何も出来ない、勇者でもなんでもない、ブレイバーンがいないと何も出来ない自分が勇者になろうなどと勘違いだった、もう二度とヒーローになろうなんて思いませんと言って必死で頭を下げて命乞いする。なんとも情けない姿であり、最終話で主人公がここまでカッコ悪いロボットバトル作品は見たことがない。

それでも赦そうとはしないイーラの攻撃を受けて必死で逃げ回ったイサミは「死にたくない!」と叫んでブレイバーンのコクピットに逃げ込む。その情けない姿にさすがに呆れたイーラは、まずルルの方を殺そうとします。一方でブレイバーンのコクピットに立てこもったイサミが絶望していると、突然周囲が謎の空間になっていて、そこにイサミの前に死んだはずのブレイバーンが現れて、それがスミスの姿に変わる。それでイサミは自分がもう死んでしまって、あの世でブレイバーンやスミスと会っているのだと思い、いきなりスミスに「勝手にさっさと死にやがって!」とか怒りのパンチをお見舞いしたりする。そして自分も誰も救えず死んでしまったと嘆くが、スミスは「まだ終わってない」「勇気爆発だ」とか励ましてくる。それで更にイサミがキレて「もう俺もお前も死んでんだよ」とやさぐれる。

しかしスミスはイサミに「君はまだ生きている」と諭す。そしてスミスとブレイバーンが重なり合い、共にイサミに向かって「君ならその先に行けるはずだ」「勇気爆発のその先に新たな世界が生まれる」「そこに行きついた君は無敵だ」と言って去っていく。そして去り際にスミスは「一緒に戦えなくてゴメン」「これでも結構頑張ったんだぜ」と言い、それを引き継ぐようにブレイバーンが「だから君に私自身を託す」と告げる。そしてブレイバーンはイサミに「君ならやれる」「何故なら君も既にヒーローだからだ!」と言い、そこでイサミはハッと意識を取り戻す。するとそこは元のコクピットだった。しかしイサミはさっきのスミスとブレイバーンとの会話が夢などではなく、自分の意識が確かに一瞬の間にスミスとブレイバーンの魂に会って最後の別れを交わしたのだと気付いた。

そしてイサミは先程のやりとりによって、スミスがブレイバーンになって自分と一緒に戦っていたのだということを悟った。一体どういうメカニズムや経緯で死んだはずのスミスがブレイバーンになって過去に戻って自分の前に現れたのかは分からないが、その奇跡というのは、要するにスミスという人間の魂がブレイバーンという金属生命体の身体と融合したものだということはさっきの話を聞いて何となくイサミにも分かった。それがつまりスミス(ブレイバーン)の言うところの「勇気爆発」だということも分かった。スミスの勇気が何らかの爆発的な現象を引き起こしてスミスとブレイバーンの融合を成し遂げたということなのだろう。普通では考えられない話だが、金属生命体の特殊性によるものなのだろうと思われた。

問題は、スミス(ブレイバーン)が自分にも同じことをやれと言っているらしきことだとイサミは思った。ブレイバーンの身体を託されるということはそういうことなのだろう。しかも全く同じことではなく「その先」に行くようにと言っているのだ。「その先」がどういうものなのか、それについてはスミスが、イサミがまだ生きているから「その先」に行けるはずだと言ったことがヒントになる。スミスがブレイバーンと融合したのはスミスが死んだ後、少なくとも肉体を失った後だった。だからまだ生きているイサミがブレイバーンと融合するのはまた少し違う現象だということになる。スミスがブレイバーンになった状態というのはコクピットにイサミが乗らなければ弱体化した状態だった。そしてイサミが搭乗した場合でも一緒に技の名前を叫んだり、何度も特訓を重ねなければ強大な力は出せなかった。しかし搭乗者であるイサミ自身がブレイバーンと融合した状態であるならば、ブレイバーンはこれまでにない強さを発揮するはずだ。それが「勇気爆発のその先に新たな世界が生まれる」「そこに行きついた君は無敵だ」という言葉の意味なのだろう。

だが、それが本当に自分に出来るのだろうかとイサミは思った。スミスはもともとヒーローにずっと憧れていてヒーローの資質を持っていた人間だったからそんなことが出来たのだろう。しかし自分はそんな人間ではないとイサミは一瞬思った。だがスミス(ブレイバーン)は自分がそんな人間だと知っていながら、それでも「君ならやれる」と言ってくれた。「何故なら君も既にヒーローだからだ!」と言ってくれた。つまりスミスは自分もイサミも同じように「ヒーロー」なのだと認めてくれていた。それはつまり子供の頃からヒーローに憧れていたとか、言動がヒーロー的だというようなことは重要ではないということです。では何なのかと考えると、既にスミスがしつこいぐらいに繰り返している「勇気爆発」がその答えなのだろうと思えた。単純明快な話なのです。「勇気」を持つ者が「勇者」なのであり「ヒーロー」なのです。「勇者」に特別な資質など必要無い。ただ「勇気」のある者は誰でもが「勇者」となり「ヒーロー」となれるのです。イサミももともと世界を救うためにデスドライヴズと戦うことが怖かった。死ぬことが怖かった。もともとイサミは勇気なんか無い臆病者で、さっきもイーラにみっともなく命乞いしていたぐらいです。でも自分もヒーローになりたいと思ってブレイバーンに乗ったことによって「勇気」が生まれた。それは確かにブレイバーンやスミスと一緒でなければ生まれなかった「勇気」かもしれないが、それでも「勇気」は「勇気」なのであり、「勇気」を持てたイサミは「勇者」なのです。その「勇気」をスミス(ブレイバーン)は認めてくれて、死の恐怖を乗り越えて生まれたイサミの「勇気」を愛してくれた。そうして愛と勇気で自分とブレイバーンは繋がっていたのだ。ならば、スミスとブレイバーンがあの自分の「勇気」を認めてくれて「君ならやれる」と言ってくれた以上、自分は「愛と勇気」でブレイバーンと融合することだって出来るはずだとイサミは確信した。

そうしてイサミはブレイバーンの身体と「勇気融合合身」した。つまりブレイバーンの身体がコクピットに座るイサミ自身の身体となったのです。そして、それによってやはり予想した通り、ブレイバーンの金属生命体のボディがこれまでにない未知の力に目覚めて、そのパワーによってイーラから受けた傷も修復してしまい、更にパワーアップして全身が金色に光輝いた「バーンブレイブビッグバーン」に超変身したのでした。同時に、この超生命体の出現に刺激を受けたのか地球そのものが活性化して地殻の活動が活発化してポーパルチープムの身体の中に膨大な量の地殻が一気に流れ込みポーパルチープムは大爆発して消滅した。そして憤怒が頂点に達したイーラは「ルル」を摂取してバーンブレイブビッグバーンと戦うが、バーンブレイブビッグバーンとなったイサミはそのような方法で生命体同士が繋がることを否定し、ルルとスペルビア、自分とブレイバーンのように「愛と勇気」で熱く繋がらなければいけないのだと言い放ち、イーラを両断して倒す。

こうしてデスドライヴズは全滅させて戦いは終わったかと思ったところ、ここで全く予想外な展開となる。大気圏外に残っていたデスドライヴズの母艦がハワイ島に降ってきて、そこから9体目の巨大なデスドライヴズが出現したのです。母艦はクーヌスが破壊したのかと思っていたのですが、確かにクーヌスは母艦の施設は全て破壊したが、母艦の芯の部分だけは残っていたのです。その芯の部分が降ってきて、どうやらそこに9体目のデスドライヴズが隠れていたように見える。

しかし、その出現したデスドライヴズはルルが全く知らない個体だった。ルルは前の世界線で最終決戦を一度見ており、イーラとブレイバーンが相打ちになって戦いは終わったはずであり、こんな9体目のデスドライヴズなどは出現しなかったはずであるし、このようなデスドライヴズは全く見覚えが無かった。ところがどうもこのデスドライヴズはもともと母艦の芯に隠れていたのではなく、先ほど新たに生まれたらしい。このデスドライヴズは自分のことを「ヴェルム・ヴィータ」と名乗り、「8つの望みを叶え生まれ出でた、まことの命」と自己紹介したのです。

これを聞いて、ルルはどういうことなのか悟った。「8つの望み」というのはおそらく8体のデスドライヴズの望みということであり、デスドライヴズの望みは「死ぬこと」だから、8体のデスドライヴズが死んだことで8つの望みが叶い、その結果ヴェルム・ヴィータが生まれたということになる。だがルルがもともと生きていた世界線での最終決戦ではスペルビアは死ななかった。スペルビアはその後もずっと生き続けていた。だから前の世界線ではデスドライヴズは7体しか死んでおらず、7つの望みしか叶わなかったのでヴェルム・ヴィータは生まれなかったのだ。しかし今回の歴史ではスペルビアもイーラに殺されて死んでいるので8つの望みが叶ってしまいヴェルム・ヴィータが生まれてしまったのだ。だからルルにとってヴェルム・ヴィータは未知の存在なのであり、未知の存在だからこそルルは強烈な不安を感じた。

しかしイサミはヴェルム・ヴィータが出現するなり話も聞かずにいきなりビームを撃ったりしたくせに、とりあえず話を聞いてみようとか言いだして、ヴェルム・ヴィータと向き合って話を聞いてみることにした。するとヴェルム・ヴィータは「私は全ての望み、本当の死を経験し理解した者です」と言う。ヴェルム・ヴィータの話によると、強欲・悲観・虚栄・淫蕩・貪食・怠惰・高慢・憤怒という8つの望みが叶い、8つの死を経験したことによって、長い年月理解することが出来なかった「死」というものを理解して答えを導き出すことが出来たのだという。つまり「死」の意味を知ることが出来た結果新たに生まれた者が「まことの命」ということであり、ヴェルム・ヴィータこそがその「まことの命」だということになる。

なお、「強欲」の望みを叶えた上での死んだ者がクピリダスであり、「悲観」の望みを叶えた上での死んだ者がペシミズムであり、「虚栄」の望みを叶えた上での死んだ者がヴァニタスであり、「淫蕩」の望みを叶えた上での死んだ者がクーヌスであり、「貪食」の望みを叶えた上での死んだ者がポーパルチープムであり、「怠惰」の望みを叶えた上での死んだ者がセグニティスであり、「高慢」の望みを叶えた上での死んだ者がスペルビアであり、「憤怒」の望みを叶えた上での死んだ者がイーラということになります。これら8体のデスドライヴズの死によってデスドライヴズは「死」の意味を理解して「まことの命」であるヴェルム・ヴィータを生み出したということになります。これは一体どういうことを意味するのか考察します。

おそらくデスドライヴズの万能性を考えると、デスドライヴズというのは究極生命体に近づいた存在なのだと思います。ただ、あまりに完璧に近い生命体であるゆえに基本的に不死であり、それゆえに「死」というものを理解出来ないという点が唯一の欠陥だと彼らは考えたようです。そこで彼らは「死の意味」を理解することによって自分たちは真の究極生命体になれると考えたのでしょう。そのデスドライヴズの目指した「真の究極生命体」こそが「まことの命」ということになる。

それで、どうして「死の意味」を理解するために強欲・悲観・虚栄・淫蕩・貪食・怠惰・高慢・憤怒という8つの望みを叶える必要があるという論理になるのかがちょっと分かりにくいのですが、この強欲・悲観・虚栄・淫蕩・貪食・怠惰・高慢・憤怒という8つの概念は、古代キリスト教の概念で言うところのいわゆる「七つの大罪」にあたります。「七つの大罪」はもともと8つあり、8つのうち「高慢」は他の7つの罪の根源と解釈されて別格として扱われるようになり、それで「七つの大罪」という概念になったのであり、実際は8つの大罪であり、正式には「8つの死に至る罪」と言います。この8つの罪を犯せば死に至るという意味になりますが、要するにこれは「煩悩」のようなものであり、この世の苦しみの源のようなものです。こうした煩悩を抱くことが苦しみを生むのであり、そうした現世の苦しみの最たるものが「死」ですから、こうした8つの煩悩・悪徳を究めてしまえば死に至ると考えることが出来る。これは人間が考えた概念であり、人間は「死」を恐れる存在であるから、「死」や苦しみを避けるために当然ながらこれら8つの悪徳を遠ざけようとした。しかし仮にデスドライヴズのような「不死」ゆえに「死」を経験して理解しようとする存在がこうした概念を生み出した場合、デスドライヴズの場合は「死」を経験するためにこれら8つの悪徳を突き詰めようとしたと考えることが出来る。この作品の設定はそういう考え方のもとに成り立っているのです。

だからデスドライヴズはこれら強欲・悲観・虚栄・淫蕩・貪食・怠惰・高慢・憤怒という「死に至る8つの悪徳」を分担して究めることで死のうとした。これらの悪徳が「死に至る罪」である以上、これらを究めれば死ねる道理になる。だからデスドライヴズ達はそれぞれが悪徳を究めた末に死がやってくると信じていた。実際はセグティニスのように怠惰の罪でダラダラしていてもなかなか死ねないし、ポーパルチープムのように貪食の罪で喰いまくっているだけでもなかなか死ねないのであり、彼らの望みが8つ全部まとめて叶うことなど普通はありえないことだった。だから長い年月、彼らの望みは叶わず「死」の意味も理解することは出来ず「まことの命」も生まれてこなかったのです。しかしブレイバーンの活躍でそれが実現してしまったのです。

しかし、そもそもデスドライヴズは「死」も「苦しみ」も知らない存在であるゆえにもともとそうした煩悩や悪徳というものも持ち合わせていなかった。煩悩や悪徳が死や苦しみを生むものである以上、死や苦しみの無い世界に煩悩や悪徳は生じないからです。だからデスドライヴズは8つの悪徳を突き詰めるために別のエネルギー源を必要とした。それが煩悩や悪徳を知るゆえに死や苦しみを恐れる存在である有機生命体の「死にたくない」「生きたい」というリビドー、生命エネルギーだった。だからデスドライヴズは有機生命体「ルル」を死なせることによってその生命エネルギーを摂取して、それによって8つの悪徳のエネルギー源としてきたのです。

そうして8体のデスドライヴズが8つの悪徳を究めて死を得た経験を経て、遂に「死の意味」を理解した究極生命体「まことの命」であるヴェルム・ヴィータが誕生した。だが、もともとこれら8つの悪徳には意味など無く、8つの悪徳を究めた死に意味など無い。それゆえヴェルム・ヴィータは「死」は無意味であると結論づけて「死にたくない」という結論を出したのです。だが「死にたくない」という欲望こそ最大の煩悩であり悪徳といえます。「死」を恐れるからこそ人は「8つの死に至る罪」という概念まで生み出して、それを必死に避けようとしたぐらいだからです。つまりヴェルム・ヴィータは「死」を無意味なものだと恐れて避けたいと思えたことによって、より人間的になったといえる。確かに「死」というものを理解出来なかったデスドライヴズよりは一歩前進はしているのです。

ただデスドライヴズはそうした煩悩や悪徳を満たすために「ルル」という有機生命体の「死」を必要としてきた。それゆえヴェルム・ヴィータも自分の「死にたくない」という最大の望みを叶えるためには、最大数の有機生命体の「死」が必要であると考えてしまう。そうしてヴェルム・ヴィータは「死にたくない」という究極の煩悩を抱いてしまった結果、大量の有機生命体の「死」を本能的に欲してしまい、地球人類90億人全ての抹殺を宣言し、その先駆けとしてイサミとルルを殺すと宣言する。これによってイサミはもはや話し合いの余地は無いと判断し、ヴェルム・ヴィータを敵だと宣言し戦闘開始となる。いよいよ地球人類の命運を賭けたデスドライヴズとの真の最終決戦の開始です。

こうして見ると、要するにヴェルム・ヴィータは「自分が生きていくために多数の弱い生命体の命を奪う存在」こそが究極生命体の正しい在り方だと結論づけたのです。これはまさに人間の本質の暗喩といえます。地球上における「究極生命体」である人類が犯している原罪そのものです。それゆえ、こんなものは平凡な人類レベルなのであり「究極生命体」でも何でもない。確かに身体は究極生命体に近いのかもしれないが、その精神性は平凡な人類レベルにようやく達した程度です。一方でイサミは本当の意味で「まことの命」である真の究極生命体「バーンブレイブビッグバーン」に進化しているので、ヴェルム・ヴィータなどには負けない。ではどうしてイサミは本当の意味での「まことの命」になれたのかというと、ヴェルム・ヴィータには理解出来なかった「死の意味」をイサミは理解できたからです。

「死」というものが存在する意味は、「死」を恐れる心を生み出して、その「死を恐れる心」を克服して戦う「勇気」を生み出すためにある。つまり、「死」はヴェルム・ヴィータが誤解したように無意味なものなどではなく、「死」は「勇気」を生み出すという意味を有しているのです。それを理解することによってこそデスドライヴズは究極生命体に進化することが出来るのです。ただ「死」を知らないデスドライヴズにはそれがどうしても理解出来ないから、「死の恐怖」を克服して「勇気」に覚醒した有機生命体と融合することによってのみデスドライヴズは真の究極生命体に進化することが出来るのです。

そうして「勇者」であるスミスと金属生命体が融合して生まれたのがブレイバーンであり、そのブレイバーンと更に「勇気」を持つ「勇者」であるイサミが「勇気融合合身」したバーンブレイブビッグバーンこそが真の「まことの命」であり真の究極生命体なのです。だから偽物の究極生命体であるヴェルム・ヴィータに徐々にダメージを与えていく。自身を真の究極生命体だと思い込んでいるヴェルム・ヴィータがやたら余裕こきながらどんどん削られていくのは見ていて面白い。

てゆーか、なんか最初は超越者を気取った喋り方だったヴェルム・ヴィータがバーンブレイブビッグバーンにボコボコにされていくうちにどんどんメッキが剥がれて「うわー!」とか普通に叫んでたり、しまいには「ムキー!!」って感じになってブチ切れていくのが超笑える。いや、最初に超越者口調からのいきなりの「死ねー!!」の絶叫で一気に持っていかれた。声優の釘宮さんも最高でした。

更にここにアライドタスクフォースの仲間たちがようやく追いついてきて続々と参戦してくるのが爽快です。まさに最終話のラストバトルという感じで全員集合でこれでもかというカットインの嵐で盛り上がります。なんかメカニックのミユや軍医さん達まで戦闘に参加してるしもうメチャクチャだが勢いでもうどうでもよくなってくる。ただ、彼らはヴェルム・ヴィータから見れば虫けら程度の脅威でしかないので、ヴェルム・ヴィータはビームを発射してアライドタスクフォースを一掃しようとする。しかし、それをスペルビアが復活して阻止する。ただ従来のスペルビアにこのビームは阻止出来ないはずであり、この復活したスペルビアもまたバーンブレイブビッグバーン同様に真の究極生命体に進化したスペルビアなのです。これはルルがスペルビアの遺された身体の意思の導きによってスペルビアと「勇気融合合身」した真スペルビアなのです。

ここはムチャクチャにアツい場面であり、ここでルルが唐突に「未来から皆を助けるために来た」と告白して、それをイサミが「そうなのか!」と普通に嬉しそうに受け止めて「じゃあ君は今日から未来戦士ルルだ」とかワケの分からんことを言ったりするんですが、そういう変なところも全部アツさと勢いで感動出来てしまえる。とか思ったら、なんと「ホビージャパン」という雑誌で「勇気爆発バーンブレイバーン 未来戦士ルル」という漫画の連載が始まるのだそうで、なんとタダの販促だったというオチでした。全くふざけまくりです。

そうしてルルの勇気も爆発して燃え上がり、アライドタスクフォースの仲間たちの勇気も爆発して燃え上がる。圧倒的強者であるヴェルム・ヴィータに対して死にやすい有機生命体の身で立ち向かっていくアライドタスクフォースの全員がそもそも「勇気」ある者達であり「勇者」であり「ヒーロー」なのです。だから彼らの「勇気」もまたイサミやルルの「勇気」と同じく金属生命体と「愛と勇気」で繋がって融合していくことは可能なのであり、ここで戦う全員の「勇気」が燃え上がり、バーンブレイブビッグバーンに勇気融合していく。そうしてイサミは金色に輝いて勇気融合済みのバーンドラゴンを召喚して更にバーンブレイブビッグバーンと合体して、更になんと巨大化してヴェルム・ヴィータと同等の大きさとなる。

そうしてバーンブレイブビッグバーンはヴェルム・ヴィータを圧倒し、ヴェルム・ヴィータがコケシみたいに放り投げられる場面には爆笑してしまった。そして追い詰められたヴェルム・ヴィータはブチギレて自分が乗ってきた母艦の芯部を巨大な剣に変えて、「みんな死ねー!!」と絶叫して地球を串刺しにして破壊しようとします。これに対してイサミはルルに「勇気融合」をするようにと言い、ルルはスペルビアの身体を巨大な剣に変形させ、この剣を手にしたバーンブレイブビッグバーンは「行こう、友よ」と静かに呟くと、地球に向かって突っ込んでくるヴェルム・ヴィータの巨大な剣に向かって突っ込んでいき、「勇気一刀流秘奥義!勇気爆発バーンブレイブビッグバーンアルティメットファイナルゴッドユニバースブレイク!」というやたら長ったらしい技名を全員で叫び、このバカバカしさもここまで来たら全部アツく思えてきて、そしてイサミとルルは巨大剣を斬り裂き破壊していき、遂にはヴェルム・ヴィータを真っ二つに斬って倒したのでした。

ヴェルム・ヴィータは確かに究極のデスドライヴズではあったが、弱き者を自分を生かすための犠牲としか考えないデスドライヴズでは、弱き者こそが弱さを克服して勇者になれるのだと認めて共に戦おうとして金属生命体が有機生命体の全ての勇者と融合した真の究極生命体であるバーンブレイブビッグバーンには到底勝つことは出来なかったのです。勇気を持つ者が「勇者」であり「ヒーロー」であり、何でも出来るのだという単純明快な世界観がここに示されており、「勇気」こそが究極の強さの源なのだということが説得力をもって描かれているといえます。

そうして最終決戦が終わり、地上に降りてきたバーンブレイブビッグバーンから光の玉に包まれてイサミとルルが放出され、ブレイバーンとスペルビアは光の粒子となって消えていき、イサミとルルは別れを悲しみ涙にくれるのだが、なんとブレイバーンが消えた跡からスミスが出現したのでした。これはおそらくイサミが生身の身体でブレイバーンと素粒子レベルで融合したことによって、ブレイバーンは消えていく際に人間の身体を再合成して残すことが出来て、それがスミスの魂の器となり、スミスが生身の身体を得て生き返ることが出来たということなのでしょう。こうしてスミスが突然復活してイサミは驚き、ルルは喜んで抱き着く。そして仲間たちも集まってきて大団円となります。

最後はブレイバーンの声で「人々は私をヒーローと呼ぶがそれは違う」「この壮絶な戦いに参加した誰もが皆ヒーローだった」「勇気を持って戦い続ける限り、君たちの心の中に私は居続ける」「燃やすんだ!勇気を!」「それが!それこそが!勇気爆発!」と来て、仲間たちに囲まれてイサミがスミスと固く握手を交わして「勇気爆発バーンブレイバーン」というタイトルロゴがドーン!と出て、OP曲が流れて、OP映像が何故かカラオケバージョンで流れて、そうして激アツな勢いで物語は終幕を迎えます。いやぁ素晴らしかったです。まさに「令和の怪物」と言っていい唯一無二の怪作にして快作、そして神作品でした。とりあえず今年の春クール以降の残り3クールでこの作品を超える作品が出てくるのかどうか注目ですね。

 

 

メタリックルージュ

第12話を観ました。

ようやく全13話だと確定して、今回を含めて残り2話ということが確定しました。そういうわけで次回が最終話ということで、いよいよ物語も大詰めに近づいてきました。今回はまず冒頭では人形使いの助手のオペラが簒奪者ユナイドのエージェントであることが判明し、人形使いは人間だと前回明かされましたから、もしかしたらオペラと人形使いは実は違う思惑で動いているのかもしれないですね。

そしてルジュとナオミの前に現れたジーンはやはりジャロンが擬態した偽物であり、そのことにはルジュトナオミもすぐに気付きます。というか、ジャロンも最初からちゃんと演じる気が無い感じで、シルヴィアのナオミ暗殺命令を最初から遂行する気は無かった模様。おそらくジャロンはシルヴィアを裏切っているようです。ジャロンの思惑は不明ですが、ジャロンが示したハートの7のカードを見てナオミは何かを感じ取った模様。

グラウフォンとエデンの戦いはエデンの勝利に終わり、グラウフォンはエデンに「シルヴィアを止めてくれ」と言って機能停止します。一方ジーンもシルヴィアを救うために手を貸してほしいとアルコスに頼み、アルコスはジーンと手を組み、新しいより良き道を探し始めます。そしてジーンとアルコスはエデンと合流し、エデンに協力を呼びかけるが、ここでエデンがジーンの父親であることが明かされます。そこにアッシュがやって来て人形使いの正体を見たと告げる。その人形使いは洗脳したシアンを前にして、これらの出来事全てが「人形による即興劇」であるかのように嘯いており、どうも全員が人形使いの書いたシナリオに踊らされているような感じです。その人形使いはシアンに「幕を下ろす役割」を与えます。

一方ジャロンの案内でジーンのもとに向かったルジュとナオミはシルヴィアの待つ場所に案内されてしまい、シルヴィアと対峙することになるが、シルヴィアはまずジャロンを始末する。そしてシルヴィアはルジュに自分のネアン解放計画に協力するよう求めるが、それはルジュがイドを差し出して犠牲となることで完遂する計画だった。当然ルジュはシルヴィアの誘いを断り、ルジュとシルヴィアの戦いが始まります。だがルジュはシルヴィアに敗北してイドも奪われてしまう。

すると、それを見たナオミは倒れて機能停止を待つだけとなったルジュを見捨てて何処かに駆け出していってしまう。ナオミは実はルジュが失敗した場合は黒色反応炉を暴走させてブラックホールでプラントごと全てを消し去ってコードイブの解読を阻止するようにと来訪者から指令を受けていたのです。それを警備兵に阻まれそうになった時、まだ生きていたジャロンが助けてくれて、後はナオミ自身の判断にゆだねた。ジャロンはナオミの意図を察していたことや、ナオミを「ファースト」と呼んだことから、どうやら過去には来訪者と関係があったようです。

そしてナオミは来訪者の命令を遂行せず、ルジュのもとに戻って自分のイドを取り出してルジュに与えて、ルジュを動けるようにしてシルヴィアの計画を阻止させようとする。そうしてコードイブの解析を始めようとしたシルヴィアのもとに追いついたルジュは再びシルヴィアと対峙するが、そこにアッシュとアルコスがやってくる。そして人形使いが現れて、アッシュが人形使いの正体がロイ・ユングハルトだと告げ、人形使いが仮面を外して死んだはずのロイが現れたところで今回は終わり次回の最終話に続きます。