2024冬アニメ 3月28日視聴分 | アニメ視聴日記

アニメ視聴日記

日々視聴しているアニメについてあれこれ

2024年冬アニメのうち、3月27日深夜に録画して3月28日に視聴した作品は以下の3タイトルでした。

 

 

外科医エリーゼ

最終話、第12話を観ました。

今回はエリーゼが貴族派の刺客に襲われて絶体絶命という状況だった前回ラストからの続きで、ミハイル王子が刺客を撃退してエリーゼを救ってくれました。貴族派はミハイルを担ぐ派閥なんですが、ミハイルはこんな手荒なことは望んでおらず、エリーゼ襲撃自体が貴族派内の過激派が勝手にやったことでした。

その後、エリーゼは病院に行って皇帝の容態を診ますけど、ショック状態から脱することが出来ずこのままでは死を待つばかりとなる。そこでエリーゼはもしかしたら肺塞栓症かもしれないと気付く。皇帝は授与式の間ずっと座りっぱなしだったからエコノミークラス症候群で血栓が出来て、それが肺静脈に詰まって肺塞栓症を引き起こしてショック状態となったのではないかということです。この考え方ならば、肺や心臓そのものの治療のための投薬などしても効果が無いことが辻褄が合う。治療のためには開胸手術をして血栓を取り除くしかない。しかし、この異世界のこの時代の技術では肺塞栓症であるという正確な診断が出来ないし、塞栓の正確な位置も特定できない。だから皇帝の現在の状態での開胸手術は難しい判断となり、医者の独断では決められない。それでエリーゼはリンデン皇太子を呼んで判断を仰ぎ、リンデンはエリーゼに手術を任せると言ってくれる。

そうして手術が始まるが、血栓が見つからず苦戦するが、ようやく血栓を発見して取り除くことが出来た。そしてその近くにリンパ種を発見したエリーゼは血栓が出来た原因がエコノミークラス症候群ではなく、リンパ種の合併症であったことに気が付き、リンパ種を切除したことによって皇帝の体調不良も改善していくだろうと安堵します。

そうやって手術を終えて成功したことを告げるとリンデンは涙を流して喜び、エリーゼはその場に立ち会うことは出来なかったが父である皇帝をずっと気にかけていたミハイルのことも想い、リンデンとミハイルの兄弟がいつか仲良く出来るよう願う。そして手術が終わった朝はもう医師資格試験の当日であり、エリーゼは徹夜で試験会場に行くことになり、リンデンが馬車で送ってくれた。そして試験会場に着き別れ際、リンデンは「自分達の道は違えてしまったが、いずれまた交わることを願っている」とエリーゼに想いを告げ、「またイチゴケーキを食べに行こう」と自分がロンであることを告白します。

そしてエリーゼは試験の難問をクリアして医師資格を取得して、医者として本格的に仕事を始め、皇帝はエリーゼがどんな難関でも突破していくのに舌を巻いて、もう賭けは自分の負けだと認めようとしますが、エリーゼは「まだ自分は医者になっただけであり、皇后の仕事よりも価値があるということは示せていません」と言い、賭けは継続したいと申し出る。こうしてエリーゼは医者としての仕事に励み、余暇にはリンデンともたまに会ってケーキを食べたりして暮らしているという描写で最終話は終幕となります。原作の物語はまだまだこの後も続きはあるようですが、とりあえずアニメとしては綺麗にまとめて終わったと思われ、2期の告知などはありませんでした。

 

 

魔法少女にあこがれて

最終話、第13話を観ました。

今回は水着回でした。普通の作品では水着回はエロいご褒美回なんですが、この作品の場合は水着回よりもエロい回ばかりなので特にご褒美感は無いですが、それでも水着回と聞くとワクワクしてしまう。そして、やっぱりこの作品ですから単なる水着回じゃなくて触手拘束のエロい場面でちゃんとエロ方面でも満足させてくれて、アズールの新型フォームの戦闘のカッコ良さもしっかり魅せてくれて、その外面的なカッコ良さとのギャップが激しいドMっぷりのますますのエスカレートに大笑いさせてもらいました。他にも普通にビーチエピソードとしてギャグ満載で楽しかったが、ここらへんはもうここまでのエピソードで積み上げたキャラの魅力やそれぞれのキャラの関係性によってもう何をやっても面白いという無敵の領域に入っているからでもあるでしょう。「お互いに正体を知らない」ということで生まれる会話劇の面白味もこの作品の特徴ですが、それもしっかりうてなと小夜の会話で見せてくれましたし、その他にも全キャラの魅力がまんべんなく楽しめて、まさに最終話らしい素晴らしいエピソードで締めてくれました。

物語的には原作漫画もまだまだ続いていますし、別に大してキリの良い終わり方でも何でもなかったですけど、ギャグアニメなので別にそのへんはあんまり気にならない。これからもまたバカやっていくという感じの終わり方で十分であり、全キャラが出て来て大騒ぎして終わるのが一番なのであり、そういうギャグアニメの最終話の理想形のようなものをしっかりやってくれました。それでもそれなりに最終話らしく、うてながどうして魔法少女が好きなのかを再確認したり、1人で魔法少女を好きだという想いを抱いていただけだったうてなに1クールの物語を通して仲間が増えたという描き方も良かった。アズールの成長(?)もしっかり描いて締められたのも良かったと思います。感動はしませんでしたけど、もともと感動する作品じゃないし、納得の最終話であったと思います。2期の告知は無かったですけど、この作品の場合は「人気があるから2期やるんじゃないか」と思っただけであり、別に2期が無いなら無いで支障は無い作品ですから、これで綺麗に締まるならそれでもいいです。もちろん2期があったら嬉しいですし絶対に観ますけどね。

まず今回は海水浴場の海の家のロッカールームでの着替えシーンから始まります。やっぱりビーチエピソードで一番エロいのは着替えシーンですね。ここをしっかりした作画で描いてくれるのは嬉しい。大して作画が良いわけじゃない作品ですが、こういう肝心のところはしっかり描いてくれるのは素晴らしいです。しかし、うてなの紐みたいな水着には大爆笑した。なんかキウイに無理強いされて着ていたみたいですが、もう「着ている」ってレベルじゃないですね。あんなのビーチで着てたら完全に痴女扱いでしょう。まぁ結局うてなは持参してきていた地味で無難なワンピース水着を着ることにしたようで良かったです。

いつも変身後はこりすを除いて全員が痴女みたいな格好してるので、水着の方がむしろ健全に見えますが、それでも水着特有の健康的なエロスが良いです。ただ、うてなのワンピース水着は意図的にダサく描かれてる感はあります。ちなみに、こりすの囚人みたいな水着も地味にツボでした。なんか昭和初期みたいな水着でしたね。

うてな達は日頃の慰労ということでヴェナリータに海水浴場の利用券みたいなのを貰ったようで、近場のごく普通の海水浴場にうてな、キウイ、こりす、真珠、ネモの5人、エノルミータ女幹部5人衆で遊びに来ています。そして、同じ海水浴場にグラビアの撮影か何かで来ていて仕事が終わって個人的にくつろぐトレスマジアの3人、はるか、小夜、薫子も来ていました。

この両グループがたまたま同じ海水浴場で出会うのですが、お互い変身時は認識阻害の魔法で素顔は分からないようになっているので、互いに相手の正体は分かっていません。普段は変身して全員顔を合わせているんですが、変身を解いた状態ではうてなとキウイとはるかと小夜と薫子の5人は単なるクラスメイトであり、はるかと小夜と薫子から見てこりすと真珠とネモはうてな達の単なる友達ということになります。ちなみにはるかはもともとこりすとは遊び友達です。

この8人が出会って、互いに敵同士だということは知らないまま、はるか達とうてな達が同じクラスだという誼で一緒にビーチで遊ぶことになります。キウイと薫子は変身後だけでなく変身前の日常でも仲が悪いので、すぐに低レベルの口喧嘩を始めて遠泳競争などをやり始めます。こりすが砂遊びをしていると、子供と遊ぶのが大好きなはるかも一緒になって遊び始めます。真珠とネモは海に入って浮き輪で浮かんで遊びますが、真珠はカナヅチなのに浮き輪を忘れてきたらしく、ネモの浮き輪に必死にしがみついている。そうしていると、そこにキウイと薫子の遠泳競争がやって来て、それに巻き込まれて真珠とネモは沈没して真珠は溺れてしまいます。

そんな感じで皆が遊んでいて、ビーチパラソルの下にはうてなが1人で残っていて、そこに小夜がやってきます。そして2人で並んで自分の身体に日焼け止めクリームを塗り始めるのだが、小夜はうてなのことが気になっていた。先日、アズールに変身して街の補修工事をやっている時にうてなが手伝ってくれたのだが、その時にうてなに何だかエッチなマッサージをされたことが気になっているのです。

もちろん、その時に小夜はアズールに変身していたので、うてなは小夜にエッチなことをしたわけではない。あくまでうてなはマジアアズールにエッチなことをしたのです。しかし、小夜はどうして内気なクラスメイトのうてながいきなり魔法少女であるアズールにエッチなことをしたのか理由が分からなかった。さっき浜辺で会った時から、また小夜は「うてなは一体どういうつもりなのだろうか」とそのことが気になってきた。それにもう1つ、そのエッチなマッサージをしてきた時のうてなの指使いが、あのエノルミータのマジアベーゼが自分達にエッチなことをしてくる時の指使いに似ているように感じたことも気になっていた。もしかしたら、うてなはマジアベーゼと何か繋がりがあって、何か邪悪な意図でマジアアズールに接触してきたのかもしれないとも思えたが、魔法少女が好きだと言っていたうてながそんなことをするとも思えない。そうして小夜は悶々として、うてなに直接確かめてみようと思ってこうして横に座ってみたのだが、今は変身前の小夜の姿なのでどう話を切り出していいのか分からない。

すると、うてなの持ってきているバッグがトレスマジアの限定グッズであることに気付き、小夜はそれを切り口にしてトレスマジアの話題を振ってみようと考えた。そうしてそのバッグのことを指摘してトレスマジアのことが好きなのかとうてなに質問してみた。すると、うてなはバッグのことを褒められたと思ったのか、雑誌の応募券でしか応募出来ないので当たるまで何冊も雑誌を買ったとかいう話をし始める。そのグッズがそういう応募方式であったことは小夜も知っていたので、話を戻そうとして小夜がそれは知っていると言うと、うてなはそんなコアなファンしか知らないような情報を知っているという小夜がよほどトレスマジアに詳しいのだと思い、自分と同じトレスマジアの熱烈なファンだと思い込んでしまう。

それで、うてなが「小夜さんもトレスマジアが好きなんですか?」と目を輝かせて聞いてくるので、小夜も「そうね、私も、好きなの」と調子を合わせるしかなかった。好きでないと答えるような話の流れではなかったし、好きでないのならレアなグッズの情報について詳しいことと辻褄が合わなくなってしまう。もちろん小夜はうてなのようにファン目線でトレスマジアのことを「好き」というわけではない。自分自身のことだからです。だから、うてなにウソをついているという罪悪感は少しあったが、自分自身やはるかや薫子のことを好きなのは間違いないので、別にウソというわけでもないはずだと小夜は自分に言い聞かせた。

しかし、うてなは小夜がトレスマジアのことを「好き」だと答えたので、完全に自分と同類のトレスマジアオタクだと思ってしまったみたいで、誰が推しなのかとグイグイ質問してくる。そして自分は箱推しだとか、トレスマジア3人のそれぞれの魅力についてアツく語りだす。それを聞いて小夜は、あまりにもうてなが自分たちのことを熱烈に褒めちぎるものだから照れてしまい、ちょっといたたまれなくなってしまう。ただ今の自分はあくまでクラスメイトの小夜であってアズール本人ではないので「もういいからやめて」と言うことも出来ず、ただただ照れながらうてなの話を聞くしかなかった。

すると、うてなは小夜がちょっと困っているのを感じ取って、きっと自分があまりにもオタク特有の早口トークでまくしたてすぎて小夜をドン引きさせてしまったのだと反省した。小夜がちょっと愛想でトレスマジアファンの自分に調子を合わせてくれただけなのに、自分は調子に乗ってオタクトークに巻き込んでしまい小夜に申し訳ないことをしたと思い、うてなは小夜に謝ります。ただ、小夜は別にドン引きしていたわけではなく、ただ単に褒められ過ぎて恥ずかしかっただけなので「引いてないから大丈夫」とフォローを入れた。

しかし小夜も「自分のことを褒められて恥ずかしくなっただけ」とは言えないので、やはりうてなは小夜に迷惑をかけたと思って、トレスマジアの話題を終わらせて黙ってしまう。ただ、ここまでの話で、うてながトレスマジアの熱烈なファンであることは小夜にも分かった。しかし、それならどうしてアズールに対してあんなエッチなことをしたのだろうかと小夜は困惑した。それで小夜はうてなに「どうしてトレスマジアを好きになったの?」と質問してみる。それに対して、うてなは少し考えて、自分の素直な感情で「悪に立ち向かう決して折れない姿がとても素敵で」と答える。

この言葉を聞いて、小夜はうてなが悪の組織と繋がりがあるなどというのは全くの勘違いであったと思った。「悪に立ち向かい決して折れないトレスマジアを好きだ」と言ううてなが、トレスマジアを折れさせようとする悪に加担するはずがないと小夜は思ったのです。しかし実際は、うてなは「悪に立ち向かい決して折れないトレスマジア」を堪能するために「トレスマジアを折れさせようとする悪」を演じる少女なのです。だが小夜はクラスメイトがこんな歪んだ性癖のド変態だとは気付くことはないし、マジアベーゼがこんな歪んだ愛情で自分達を攻撃してきているとも気付くこともない。

そうして小夜はうてなへの疑惑を解消して、マジアベーゼと指使いが似ていたのも単なる偶然だろうと思った。その後は皆で楽しく海遊びをしていたが、売店に買い出しに来ていたうてなが他の酔っぱらいの客に絡まれそうになったところ、キウイがキレてレオパルトに変身して酔っぱらいを追い払ってしまい、大騒ぎになってしまう。それでこりすと真珠とネモはまたキウイが騒動を起こしたのだと察してガッカリしますが、一方ではるかと小夜と薫子はこりす達にはトイレに行くとウソをついてその場を離れてからトレスマジアに変身して騒ぎの起きている売店に向かう。

そうしてトレスマジアがやって来たのに気付いたうてなは慌ててキウイに煙幕を張ってもらい、煙幕に紛れてマジアベーゼに変身し、更にそれぞれ変身してやって来たネロアリス、ロコムジカ、ルベルブルーメも集まり、エノルミータ5人衆の揃い踏みとなり、トレスマジア3人と対峙するというアツい展開となります。といっても、たまたま慰労で遊びに来ていたのにレオパルトが変身してしまったのでこんな羽目になっただけであり、エノルミータ側には特に何か目的があるわけでもない。トレスマジア側はエノルミータが何かこの海水浴場で悪事を企んでいるのだろうと思い込んで警戒していますが、ベーゼ達は別に何もする気は無い。ただ、そんなことを言ったら、普段だって特に何か悪事を働くという気は無くて、単に悪役ムーブをかましてトレスマジアと戦闘をして、エッチなことをしてトレスマジアを辱めて、それでも折れないトレスマジアを堪能して推しの成分を摂取したら適当なところで撤退していくというのがベーゼ達の通常業務でした。だから今回もそういうふうにするだけのこと。

そういうわけで今回は、キウイが食料用に調達していたタコをベーゼが鞭で魔物に変えて、タコの触手のような足でトレスマジア達を拘束して、まるでエロい春画のような触手プレイを愉しむという、最終話らしい派手にエッチな展開となります。ただ、何故かエノルミータの他のメンバーも一緒にタコに捕まってエロいことをされてしまっていて、どうも無生物や植物と違って、意思を持つ動物というのは魔物にしてもコントロールするのは難しいみたいです。そういうわけでカオスな状況になります。マゼンタはいつもながら良いやられっぷりですが、いつもは強気なサルファもタコが苦手なのだそうで無抵抗に触手にいたぶられてしまい、なんかもう上の口も下の口も侵されてるヤバい絵面になってしまいます。

ところが、いつもならこういう触手拘束プレイに一番悦んで屈してしまうはずのアズールが今日はなんかカッコよくタコを凍らせてマゼンタとサルファを救出する。そして弱り切ったマゼンタとサルファを休ませておいて、1人で敵に立ち向かう。その敵であるエノルミータ側もタコの魔物の巻き添えを食って他の4人が弱ってしまったので、マジアベーゼ1人で戦うことになり、マジアベーゼとマジアアズールの一騎打ちという状況となる。

この2人の一騎打ちというと、あの例の三角木馬でアズールが闇落ちしそうになってベーゼにガチ説教された悪夢を思い出しますが、ベーゼは前回の街の補修工事の現場でうてなの姿でアズールと話をした際に「もうアズールは決して折れない」と確信していたので、今回の戦いではアズールは決して闇落ちなどしないと確信しており、安心して自分も全力で戦ってアズールを虐めることが出来ると期待していた。

そしてアズールは新型フォームである「マジアアズール 薄氷巫女」という天女のようなフォームに変身する。この変身バンクがなんかすごくエロいし、包帯で拘束されてたりしてちょっとヤバい。そして変身後の姿がとても美しくてカッコいい。まさにベーゼにとってど真ん中ストライクな魔法少女といえる。ベーゼは大喜びでテンションが上がってきて、とりあえず未知の新フォームの実力を確かめるために小手調べの攻撃を繰り出す。すると、アズールは天女の羽衣のようなものでその攻撃を受け流して絡めとる。それで攻撃は無効化されたかと思いきや、何故かアズールはそうして絡めとった攻撃をワザと自分に向けて発射して自らダメージを受けてみせた。

その異様な行動にベーゼは戸惑うが、アズールはその攻撃を喰らってちょっとボロつきながら「愛ね」と涼し気な顔で言う。「酷く歪で危ういけれど、これは確かに愛!」とアズールは噛みしめるように言う。つまり、アズールはベーゼが自分に向けてくる攻撃の本質は「愛」であると見なしているのです。それを聞いてベーゼは自分の真意がアズールによって理解されたのだと感じた。自分の真意は魔法少女を倒すことではなく、魔法少女をより輝かせるために、あえて試練を与えて、どんな試練にも決して屈しない魔法少女の真価を発揮させることにある。だが、それは決して魔法少女に理解されることはないのだろうと諦めていた。自分は魔法少女によってずっと単なる卑しい悪と蔑まれ続けるだけだろうと思っており、魔法少女の役に立てるのならそれでいいのだと思っていた。

だがアズールはそんな自分の行為を「愛」だと理解してくれた。そしてアズールは「以前の私はその受け止め方を知らなかったが、もう以前のように折れることは無いから安心してほしい」と言い「私は一切を呑み込みましょう!」とも言ってくれた。それを聞いてベーゼは、アズールが自分の魔法少女への秘めた愛も、愛ゆえにこそ虐めてしまいたくなる特殊な性癖も、全てを理解した上でその与える試練を全て受け入れて決して折れることなく期待に応えてみせると頼もしく言ってくれているように思えた。それで自分の全てが赦されて、自分の全てが報われたような気持ちになり涙が溢れてきそうになる。そして、その歓喜が頂点に達してベーゼは最強フォームに変身を遂げ、アズールと激闘を繰り広げる。

だが、実はベーゼは完全に勘違いをしている。アズールがベーゼの攻撃をワザと受けて、それを「愛」だと言ったのは、ベーゼの真意が「魔法少女への愛」だと解釈しているからではない。そもそもアズールはベーゼ達が自分達を攻撃してくるのはあくまで世界征服を狙う悪事の一環だと思っており、魔法少女への愛ゆえに攻撃してきているとか、魔法少女を虐めたいサディズム的な性癖によるものだとは認識していない。それでもその攻撃を「愛」だと見なしたのは、ただ単にそれがアズールの主観では「愛」だと感じられるからに過ぎない。ベーゼの側にアズールへの愛があるなどとはアズールは一切思っていないが、それでもそれによって与えられる痛みや苦しみはアズールにとっては間違いなく「愛」なのである。つまり、とっても気持ちイイのです。

要するにアズールのドM的な性癖は一切治ってはいないのです。痛みや苦しみを与えられると気持ちよくなって絶頂してしまいそうになる。その快楽はまさにアズールにとって「愛」なのです。そしてアズールがここで言っているように、以前のアズールはその痛みや苦しみという「愛」に屈してしまうことで、更にその「愛」を与えてもらうことが出来ると思っていた。しかし三角木馬責めに屈して更なる「愛」をおねだりした時にマジアベーゼに「魔法少女としての矜持を持ちなさい」と説教されて拒否され、アズールは自分は魔法少女としてどうあるべきなのか、そしてこの快楽にどう向き合うべきなのか、分からなくなってしまった。それで山籠もりして特訓した際、一緒に山籠もりに付き合ってくれたマゼンタやサルファが自分に与えてくる痛みや苦しみをも快楽と感じてしまいつつ、マゼンタ達は決して自分に屈することを求めていないのだと気付き、痛みや苦しみを快楽として全て受け入れて呑み込むことこそが「魔法少女の矜持」なのだと気付くことが出来た。

そしてアズールは痛みや苦しみを快楽として全て受け入れて呑み込むことによってこそ、戦いの中で途中で屈してしまうよりもより多くの快楽を得られることに気付いた。そして敵に屈服して快楽という名の愛を求めることは魔法少女として恥ずべきことであり、敵から与えられた快楽という名の愛は、何倍にもしてお返しすることこそが魔法少女としての本来あるべき姿勢なのだという境地に至り、その戦い方に対応した新しいフォーム「薄氷巫女」を生み出したのです。そうして、アズールはベーゼだけでなく加勢してきた他の4人も合わせたエノルミータの全員攻撃をマトモに受けて、その痛みを快楽に変えて、その快楽パワーで生み出した巨大なエネルギー波を5人にお返して喰らわせて、遥か遠くに吹っ飛ばして勝利したのでした。

内心ではアズールは痛みや苦しみを感じることによって快楽に溺れて緩み切ったエロ顔になってしまっているのだが、魔法少女の矜持でそれを覆い隠して平気そうな顔をして更なる快楽を求め続ける。表面上の氷のような無表情のクールビューティーを貫き通すという意味合いでの「薄氷巫女」なのです。要するにドM道を究めまくった境地といえますが、サルファなどはもっと普通に熱血な特訓の成果を期待していただけに、アズールがこんな変態度に磨きをかけたような境地に至ってしまったことに不満タラタラです。「自分の弱さを受け入れる」ということをサルファはアズールに期待していたが、それは「自分の弱さを受け入れることでそれを克服しろ」という意味合いで期待していたのであり、こんなふうに「自分のマゾ性を認めて強さに変えてしまうこと」を求めていたわけではないのです。サルファはベーゼが変態だということも理解しているので、アズールとベーゼの激闘も一皮むけば変態同士の乳繰り合いに過ぎないと分かっており、ガチのバトルマニアであるサルファから見ればこんなものは邪道であって、見ていられないものであるようです。

ベーゼの方はそもそもアズールがマゾヒストだとは思っていないので、単にアズールが「どんな苦しみにも屈しない魔法少女としての強さに目覚めた」と思い込んでおり、更には自分の歪みををも受け入れてくれる度量を持っていることに感動しており、そんなふうに強く美しくなったアズールを今度こそ辱めて更なる試練を与えて成長を促そうと闘志を燃やして彼方に飛んでいく。一方でアズールの方はベーゼが魔法少女愛が歪んだサディストだという本質を理解していないので、悪の権化であるベーゼが自分を好敵手と認めて叱咤してくれた言葉がきっかけで魔法少女の本質(?)に気付くことが出来たことに複雑な心境を抱きつつ、少しベーゼに感謝して好敵手と認める心境になって、彼方に飛んでいくベーゼ達を見送る。

実際はアズールは苦しみを求めて戦う変態マゾヒストであり、ベーゼは相手を苦しめることで快楽を感じる変態サディストなのであり、ある意味では相性抜群で両想いの2人なのですが、お互いに相手が自分好みの変態だということは知らない。お互いに相手は真剣に戦っているのだと思い込んでおり、自分が変態であることは隠して戦おうとしている。そういう意味では両片想いな変態関係といえるでしょう。

そうしたお互いの気持ちがスレ違う勘違いコメディでありながらも妙にアツいライバル関係が発展して戦いは終わり、夕方になるといつの間にかビーチに戻ってきたうてな達5人とはるか達3人の合わせて8人で花火大会をするという場面となります。そうして楽しく夏の一日が終わっていき、花火をしながらうてなは、以前は1人で魔法少女を応援していただけの自分に、マジアベーゼをやるようになってから仲間が増えて以前よりも楽しくなったと感じた。そして、はるかや小夜たちとも仲良くなって、これからもっと楽しいことが増えるような予感がしてくるのでした。そして、それを遠くの防波堤から見守るヴェナリータも「楽しみにしているよ」と呟く。そういえばヴェナリータの目的の謎については結局は解明されなかったので、やはり2期をやって、このあたりは描いてほしいものですね。そうして最後はまた日常に戻り、エノルミータトトレスマジアの抗争の場面が描かれて「さあ、始めましょうか」というベーゼの嫌らしく笑う顔で最終話は終幕となります。やはり最後までムチャクチャ面白かったので2期はやってほしいですね。2期を待望してますのでよろしくお願いします。

 

 

戦国妖狐 世直し姉弟編

第12話を観ました。

この作品は連続3クール作品なのかと思っていたんですが、分割3クールみたいですね。だから次回の第13話で一旦最終話ということになります。この第1話から第13話までの今期の第1クールは「世直し姉弟編」だけで終わるようです。第2クールと第3クールで描かれる「千魔混沌編」がいつの放送になるのかは現状は不明です。そんなに遠くないだろうと思いますので、近く発表はあるでしょう。もしかしたら次回の最終話の後で第2クールの告知があるかもしれません。

そういうわけで次回が最終話となりますが、物語は第2クール以降に続いていくことになります。第1クールの「世直し姉弟編」は迅火とたまが主役の物語であり、第2クール以降の「千魔混沌編」は主役とメインヒロインが変わるので、「世直し姉弟編」の最終話で一旦話は区切りはつくとは思いますが、物語全体として見ると「世直し姉弟編」は「千魔混沌編」の序章のようなものであり、物語が佳境に入っていく本番は第2クール以降だと思われます。ただ「世直し姉弟編」のラストはそれはそれでクライマックス展開で盛り上がってきており、見応えはあるものとなっている。無常観に満ちた作劇が特徴の作品であり、ビターな終わり方をするエピソードが多めですから、次回の第一部最終話のラストもスカッとしたものになるかどうか分からないが、このところの最終決戦の勢いと渋さだけでもかなり高く評価は出来そうです。まぁ作家性が強めの古典的な少年漫画の作法で描かれている作品ですから、現在の「萌えアニメとラブコメしか見ない」みたいなアニメ視聴者層には文脈が理解しにくい作品でしょうし、キャッチーな要素も無いですから人気は出ないでしょうけど、こういうのもやっぱり評価はしないといけないですよね。

今回に関しては次回のラストバトルに向けて一気に盛り上がっていく展開が描かれており、迅火と道錬の戦いの決着、真介と烈深の戦いの決着が描かれた後、泰山が動き出して山の神が出現し、山の神によって泰山が倒された後に、野禅が精霊転化して迅火にラストバトルを挑んでくるというところまでが描かれました。そうした戦いが描かれると同時に、「強さ」を追い求める者の行く末について考えさせるような描写が多めでありました。

まず烈深と戦う真介の場面が描かれるが、烈深も真介も相手に対する憎しみを剥き出しにして戦っている。烈深というキャラは霊力によって武器と合体したサイボーグのような霊力改造人間だが、登場した当初は任務第一の冷徹なキャラという印象で、任務遂行のためには手段を選ばない卑劣な奴ではあったが、任務以外のことに執着するようなキャラではなかった。機械と融合して遂には再改造でロボットみたいになってしまったその身体に象徴されているように、強さと代償に人間性を喪失してしまったようなキャラでした。そんな烈深がかごもりの村で真介に殴られて以降は真介を目の仇にして執着している。野禅は烈深のことは研究をし尽くした後の処分対象としか見なしておらず既に全く興味を持っておらず、今回こうして真介と戦っているのも野禅からの命令によってではなく全く独断行動で真介を狙っているだけのようです。

一方で真介の方ももともとは強さを求めつつも根は心優しい人間であったが、灼岩を烈深によって殺されて以降は烈深や野禅に対する復讐心に囚われており、憎しみを剥き出しにして烈深と戦っている。つまり、真介と烈深は似た者同士、合わせ鏡のような存在ということになるが、全く同じではない。現時点の状況が似ているだけであり、ある意味では真逆の存在ともいえる。烈深はもともと完全に人間性を喪失した状態にあり、真介を憎むことでむしろ少し人間性を取り戻しつつある。逆に真介は烈深への憎悪で人間性を喪失しつつあり、このまま突き進めば烈深と同じように完全に人間性を喪失した状態に堕ちていくでしょう。そうした真逆に向かう2人が同じ位置で交錯しているのが現在の状態なのであり、2人の間には妙な親近感が生じて、お互いに「竹吉」「バリー」と本名で呼び合い、互いにそうして人間としての本来の名前で呼び合うことで半ば失った人間性を繋ぎ止めようとしているかのようです。

そしてもう1つ注目すべき点は、真介の持つ魔剣「荒吹」です。荒吹は真介に対して烈深との戦いの最中にやたらと「血を吸わせろ」と言ってくる。しかし、これは本当に荒吹の意思なのだろうか。荒吹のもともとの所有者は雷堂斬蔵だったが、斬蔵は荒吹と会話などしていなかった。斬蔵は荒吹を単に魔剣という道具として使っていただけです。真介が使い始めてから荒吹は喋り始めたことになる。斬蔵の方が真介よりも霊力は強いのだから、もしもともと荒吹が喋れたのなら斬蔵は気付いたはずだからです。そして、真介が使い始めた当初も荒吹は喋っていなかった。荒吹が喋り始めたのは真介が火岩に助言されて「荒吹に人格があるという仮定」で会話するようにして以降です。だから最初はあくまで真介の脳内の妄想の会話に過ぎなかったのだが、真介の言うには「そのうち本当に荒吹が喋り始めた」のだそうです。真介は確かに幽霊を見ることも出来るので霊力があり、だから本当に荒吹が喋っているのが聴こえているのかとも思えた。だが、真介よりも霊力の強いたまも迅火も荒吹の声は聞いていない。

だから、やはり荒吹の声というのはあくまで真介の脳内妄想の産物なのであり、真介の心の反映なのだといえます。つまり「血を吸わせろ」というのは、あくまで烈深に復讐したいという真介の想いが反映した声なのだと思われます。しかし真介は烈深を斬る機会がありながらも烈深を殴ったりして、あくまで烈深を斬りたい荒吹と口論もしている。これはやはり真介の心の中に灼岩が認めた真介の本当の強さである「優しさと弱さ」、つまり人間性が存在していて、烈深への憎しみに囚われる心との間で葛藤が存在しているのだということが分かる。

一方で、迅火と道錬の戦いの方であるが、こちらは道錬の最大奥義が炸裂して迅火は絶体絶命の窮地に陥り、意識も朦朧としてしまう。だが、意識朦朧とした結果、迅火は左腕に生えてきた霊気の腕を自分の頭の中に突っ込むという突拍子も無い行動に出て意識を覚醒させようとする。そして、そのついでに自分の霊力を弄って、新たに7本目の尻尾を生み出す。それは風の尻尾といえるもので、驚異の突進力を生み出して道錬を驚かせる。しかし、それでも対応してくる道錬を倒すために、迅火は最大奥義の五行魂を繰り出して、それを素早い道錬に命中させるために雷の尻尾と風の尻尾で道錬の逃げ道を塞ぐという作戦に出る。だが道錬も一気に前方に突っ込んできて迅火を仕留めようとして、互いにスピード勝負となりますが、その刹那、謎の人影が2人の間を一瞬横切り、2人は虚を突かれて一瞬動きが止まる。だが既に迅火の五行魂は発射されていたので、足を止めた道錬は五行魂の直撃を受けて敗北した。

しかし、迅火と道錬以外の者には謎の人影の姿は見えていなかったようで、迅火は不思議に思います。一方、たまは迅火が頭に霊気の腕を突っ込んで7本目の尻尾を生み出したのを見て、迅火が危うい領域に入っていこうとしているのではないかと危惧します。そうした中、吹き飛んだかと思われた道錬が五行魂の爆発に耐えて姿を現して敗北を認め、迅火に「楽しかったか?」と問うが迅火は楽しくない、苦しいだけだと答える。そして道錬は力尽きて倒れて、迅火は勝利して野禅を探すために先に進みますが、そうして道錬が敗北したことを知った野禅は泰山を戦闘形態にして繰り出して、たま達も含めて全てを灰燼に帰してイチからまた研究をやり直そうと考える。

その頃、真介と烈深の戦いはまだ続いていたが、烈深との戦いの途中で荒吹の言動がこれまでと違ったものになってくる。真介が烈深の攻撃を荒吹の飛行能力を使って回避し続けているうちに、荒吹は飛ぶことが楽しくなってきたようで「戦うよりも空を飛びたい」とワガママを言い出して真介を困らせる。そして烈深の攻撃で天井に大穴が開いて空が見えると、荒吹は真介を連れて勝手に外に飛び出して大空を飛び回り、それをジェット噴射で追いかけてきた烈深と空中戦を繰り広げることになる。

荒吹はもはや「血を吸いたい」などとは言わなくなり、空を飛ぶことをひたすら楽しんでおり、荒吹にとって烈深と戦う理由は「空を飛ぶ楽しさ」に気付かせてくれた真介に感謝して真介を「我が主」と認めて、その主である真介の戦いを手助けしてやりたいという気持ちでしかないようです。こうなってくると、これはもう真介の脳内妄想ではなく、荒吹に個別の人格が生じたと見るしかない。つまり荒吹は刀を器として魂が宿った「闇」になったのです。実際、後で烈深との戦いが終わった後、迅火は荒吹を見て「霊力が上がっている」と気付き「刀を器とした闇」と認めています。

おそらく魔剣であった荒吹にはもともと闇となる下地はあったのでしょう。ただ斬蔵や代々の雷堂家の当主は霊力が強かったので、あくまで荒吹を道具として使いこなすために荒吹の霊格を無視して押さえつけて使いこなしていたのでしょう。つまり氷岩によって抑え込まれて殺された蒼岩のような状態だったといえる。だが真介は斬蔵などに比べて霊力が弱いので荒吹に対する抑圧が弱く、荒吹の魂が目覚めやすい状態にはあったのでしょう。

そして真介が仮想対話で荒吹に魂を吹き込んだともいえる。「ふこう」という闇のエピソードの際に、人間の想いが闇を生み出したという実例が描かれたように、人間の想いが闇を作るのです。妖精眼に覚醒した迅火も「人間も闇も本質は同じ」と気付いたように、魂が人間という器に入れば人間となり、人間以外の動物や物体に入れば闇となるのです。仮想対話をすることで真介の魂が荒吹に宿ったのだと考えられる。ただ「ふこう」があくまで「ふこう」という人格であって「ふこう」を生み出した村人の人格でなかったように、荒吹に宿った人格も真介の魂が起源ではあったが真介の人格そのものではない。それでも真介の魂の影響を受けており、その魂の本質は真介の魂の本質と同じで、「自由」を愛する優しい人格だったのだと思われます。一見すると復讐心に囚われた真介の想いの影響を受けて「血を吸わせろ」などと言っていたように見えるが、「血を吸わせろ」というのはあくまで真介の脳内妄想の言葉でしかなく、荒吹に生じた本当の人格は真介のもっと本質に近い優しい心の方の影響を強く受けていたのだと考えるべきでしょう。

そして直接的なきっかけになったのは、山の神の修行の際に大岩を越えていく際に真介が荒吹を使って空を飛んだことだったのでしょう。あの時、山の神の分身体は「霊力は発想力」だとか言って真介を褒めたが、あれは真介の能力の覚醒を示唆したものではなく、むしろ荒吹の闇としての覚醒を示唆したものだったのでしょう。

あの時、風を起こして大空を自由に飛ぶ心地良さを初めて知った荒吹は、人殺しの道具としてではなく「空を飛ぶ闇」として覚醒したのです。ただ、あの時は一度限りであったので、まだ真介の憎しみの心による支配を受けた状態で「血を吸わせろ」などと言い続けていたのだが、烈深との戦いで真介が荒吹に飛行能力を使わせまくった結果、荒吹は「空を飛ぶ闇」として完全覚醒してしまい、真介の憎しみの心による支配をはねのけてしまったのだといえます。

そうして自由を愛する優しい心を持った闇として覚醒した荒吹は真介に大空を見せて「果ても終いも無い、人も闇も無い、因縁も憎しみも無い、これが自由だ」と告げて「力も弱さも拘りも、この空の前に無意味!ここでお前の執着を断ち切れ!」と諭す。それを聞いて真介は、憎しみを晴らすために戦うのではなく、執着から脱して自由になるための戦いこそが自分が真に求めていたものだと気付き、同時にそれが灼岩が認めてくれた自分の強さだったのだと気付く。

そして真介は空中で烈深の機械の身体を両断して共に地上に落ち、そこから先は駆けつけたたまや迅火たちの前で真介と烈深の2人は互いに拳で殴り合う肉弾戦に移行するが、烈深の身体が急にバラバラに崩壊して烈深は息絶えます。もともと改造手術で烈深の元の肉体は残っておらず、その残骸を霊力を込めた呪符でつなぎ合わせていただけであり、その呪符の霊力が失われたので身体がバラバラになって死んだようです。霊力が尽きた理由は、単に力尽きたからなのか、あるいはもともと人間性の喪失と引き換えに得た霊力であったのが、人間性の回復によって霊力が失われた結果なのか、詳細は分からない。ただ最期に烈深が「ママ」と母を呼んで死んだことから、最期の瞬間に彼が人間性を取り戻したことは間違いないと思う。

ただ、真介はそうした烈深の無惨な死に様を見て、力だけを追い求めて人間性を喪失した者の末路を見た気がして、自分も同じようになろうとしていたのだと思えてきて慟哭する。そして烈深とは一体何者だったのかと問うたまに向かって「こいつはバリーだ。何者でもない」と答えて、烈深が最後に人間性を取り戻して死ねたことを認めてやるのでした。そして、自分と烈深が憎悪に呑まれて化け物になろうとしていた時に荒吹だけが空を見て己を見つけて「自分」になろうとしていた、その言葉に自分が救われたのだと感謝したのでした。

こうして烈深を倒して灼岩の仇を討つことが出来た真介であったが、もうこれで戦いを降りてもいいと言うたまに対して真介は霊力改造人間を作った元凶である野禅を倒すまでは戦いを続けると言う。今となっては烈深もまた灼岩と同じ被害者だということも分かるからです。力だけを追い求めて人間性を無視した研究をした野禅を倒さねば灼岩も烈深も浮かばれないと真介は思った。道錬も烈深も倒されて総本山が壊滅しようとしている中、断怪衆の僧たちも「力のみを追い求めた結果の報いを受けて、ただ一介の僧として人を苦しめる障りを討つという初心に戻って再出発しなければいけない」という想いも生まれつつあった。そのためにも野禅の排除は必要であった。

だが同時に、野禅を倒すことで霊力改造人間の資料が手に入って迅火が闇になるということに関しては真介は心に引っかかるものがあった。先ほどの烈深との戦いの際に闇となった荒吹の言葉によって人間性を取り戻すことが出来た真介は「人間と闇は魂は同一のものだ」ということに気付いていたからです。それならば迅火が闇になることに意味など無いと思えた。それで迅火にそのことを指摘すると、迅火は妖精眼でそのことはとっくに承知しているので、人間と闇は本質は同じだということは知っていると答えます。そして、その上でそれでも闇になるという意思は変えない迅火に対してたまも異議を唱える。たまは先程迅火が頭に霊気の手を突っ込んで7本目の尻尾を生やしたことを気にしており、迅火があくまで力を求めて闇になろうとしているのではないかと危惧している。そして、力だけを求めた者は先程の烈深のような悲惨な最期を迎えることになると警告する。

これは多少誤解があるところで、迅火が闇になることにこだわる理由はたまと共に同じ時を生きたいからであり、たまを愛しているからなのだが、しかし実際に迅火が自分の霊力を弄って強引に尻尾の数を増やしたりしている危険な兆候があるのも事実です。力を追い求めた結果は人間性の喪失なのであり、そうして得た力も更に大きな力によって潰されるだけなのであり空しいものです。山の神は迅火たちを強くすることは目指さず、迅火たちに「弱者が強者に勝つ道」を見つけられるようにしようとした。これが人間性を保つ最善の方法であるように思える。今の迅火はその道を踏み外しかけているように見えるが、ただ、山の神が迅火に霊気の腕を与えたりして、それを助長しているフシもある。

とにかく、そうして迅火とたまが揉めていると、野禅とくずのはが泰山を繰り出してきて攻撃してくるので、りんずが魂寄せで山の神を召喚し、山そのものの姿で現れた山の神は泰山を一発で倒して、動けなくなった泰山の中から精霊転化した野禅がくずのはと共に登場し、それを討つため迅火も精霊転化してたまと一緒に野禅に向かっていき、真介とりんずもそれに続きます。こうしていよいよラストバトル開始というところで今回は終わり次回の最終話に続きます。