2024冬アニメ 3月23日視聴分 | アニメ視聴日記

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日々視聴しているアニメについてあれこれ

2024年冬アニメのうち、3月22日深夜に録画して3月23日に視聴した作品は以下の2タイトルでした。

 

 

葬送のフリーレン

最終話、第28話を観ました。

エピローグ的な静かな内容でしたが、とても綺麗にまとまっていて素晴らしい最終話でした。現在も連載中の作品ですから、正直言ってここまで最終話らしい最終話になるとは予想していなかった。まぁもちろん物語の続きを示唆する要素はしっかりあるので完璧な最終話というわけではないのですが「第一部完」という文字を最後に出しても全く違和感が無いぐらいのしっかりとした満足感がありました。この後半クールの試験編の様々な伏線が綺麗に回収されていくだけでなく、前半クールの第1話の伏線回収などもあって、ホントに見事にこの2クールの物語を締めてくれました。まるで名画のエンディングパートを見たような気持ち良さがあるエピソードでありました。というか「本当に30分?」と言いたくなるほど濃厚な内容でした。

今期分は「一級魔法使い選抜試験が描かれただけ」というストーリー面での若干の弱さは否めず、上位作品も強いので、この最終話の出来だけでそれらを一気に超えていくというわけにはいかないですけど、これだけ期待値を超えてくる最終話を見せられると、ちょっと評価を上げたくなりますね。ただ今期はこの作品と同じタイプの「心地良さ」が売りの作品では「僕ヤバ」や「ゆび恋」あたりが上位にあるんですが、この最終話の瞬間風速でもちょっとこの2作はトータルでは超えていない印象。これでこの2作の最終話がイマイチならばこの作品が上にいく可能性はありますが、あの2作が最後にコケるとも思えないですからね。一時的に「戦国妖狐」の上には行ったかなとは思いますが、あっちもどうせ最後かなり盛り上げてくるでしょうしね。まぁでもとにかくSランクは確定です。

2期の告知が具体的に無かったのはちょっと意外でしたけど、来週に振り返り特番があるみたいなので、もしかしたらそこで2期の告知があるのかもしれません。今回最後に「continue」の文字がありましたから、おそらく続編はあるのだろうとは思います。ただ続編告知が無かったからロスが酷いとか、終わったからロスだとか、あんまりそういう気持ちは無い。それぐらい満足感の高い最終話であったからです。続編無しのオリジナルアニメの最終話ぐらいの気持ち良さがありました。

まず冒頭は最終試験のゼーリエ面接の前回ラストのフェルンの場面をちょっと再度見せてから、次はデンケンの場面です。ゼーリエはデンケンのことを若い頃の血の気と野心を失った燃えカスの老体だと見くびっていて不合格にしようと考えていたようですが、面接に来たデンケンが一瞬だけゼーリエとどう戦おうかと考えたことを見破り、合格とします。ゼーリエの強大な魔力を見ても臆することがない気概がまだデンケンにあるのが気に入ったようです。

続いてユーベルも合格となります。ゼーリエの面接の審査基準は要するに自分の強大な魔力を見て相手がどうリアクションするかというところが最重要なのであり、フリーレンのようにそれだけでは決めかねる場合は「好きな魔法」とかについて質問してみるという感じみたいです。その審査基準ならばユーベルは当然合格となります。ユーベルは相手が何者であれ、常に考えていることは「斬れるか、斬れないか」だけなのであり、おそらくゼーリエを斬ることは出来ないと結論付けたとは思いますが、そんなクソ生意気なことを考える時点でゼーリエは気に入ったのでしょう。

次はラントですが、分身体を面接に行かせたラントに対してゼーリエは即座に分身体だと見破って「ふざけるなよ」と半ギレします。一級魔法使い試験を舐めるなというゼーリエに対して、ラントは本体を現わす。本人不参加で失格とされては困ると思ったからです。しかしゼーリエが「ふざけるな」と言っているのは分身体を面接に行かせたことに対してではなく、そもそもラントが今回の試験期間を通して一度も会場に来ていないということに対してだった。つまり、ラント本体もまた実は分身体だったのであり、真の本体は遠く離れた田舎の実家でくつろいでお茶を飲んでいた。そのことまでゼーリエにピタリと言い当てられたラントは驚きます。二次試験の時はユーベルでも騙されたんですけど、さすがにゼーリエを騙すことは出来なかったようです。だがゼーリエは自分を騙そうと考えていた時点で、自分を舐め切っていたクソ度胸を買ってラントを合格にします。

続いて受験者の中で屈指の武闘派のヴィアベルです。結局のところゼーリエが合格にしたい魔法使いというのは「戦える魔法使い」といえますから、ヴィアベルなんかは一番気に入りそうなタイプです。当然ながら血の気の多いヴィアベルはデンケンのようにゼーリエと戦う方法を考えるのだろうと思われましたが、意外にもゼーリエを見て瞬時に勝てない相手だと悟ったようです。それはゼーリエも気付きましたが、他の者のように恐怖を感じて戦うことを諦めたのとも違うこともゼーリエは気付いた。それで確認してみると、ヴィアベルは「勝てない勝負をするバカは二級魔法使いにもなれない」と答える。

つまり「勝てないから戦わない」ということであり、それは確かに常に戦場に身を置いている者として合理的な判断といえる。そういう意味ではヴィアベルはしっかり強大な力に向き合った時に冷静さを保つ立派に戦える戦士といえる。ただ、強大な敵と相対した時に戦わないのでは所詮は二級魔法使い止まりとも考えられる。一級魔法使いとしては足りないのではないかと思って判断に迷ったゼーリエは「好きな魔法を言え」とヴィアベルに質問する。

するとヴィアベルは「魔法は殺しの道具だから好きも嫌いも無い」と答え、それを聞いてゼーリエはヴィアベルを合格とした。つまり、それが「好きな魔法を言え」という質問に対する正解の答えだったのです。好きな魔法を答えた時点で不合格になるという一種の謎かけであったのです。ゼーリエの考え方では魔法は殺しの道具なのだから、まず殺しに使えないような魔法が好きだと答える者は論外であり、殺しに使える魔法を好きだと答えるようなサイコパスもダメということです。道具はあくまで道具なのであり、道具に振り回されるような者はダメなのでしょう。

ユーベルがこの質問をされていたらおそらくアウトだったんでしょうけど、ゼーリエの審査基準はあくまで「自分の魔力を見た時のリアクション」が第一であり、「好きな魔法を答えないこと」が第二だったのでユーベルはラッキーだったといえます。言い換えれば一級魔法使いはこの結果ユーベルという問題児を抱えることになってしまったんでしょうけど、ゼーリエとて完璧ではないのであって、これぐらいは仕方ないといえます。なおフリーレンの場合は最初から合格する気が無かったので平然と「花畑を出す魔法」なんていう一番ダメな答えをしていましたが、ゼーリエの質問意図は案外分かっていたのではないかと思う。

そして最後はメトーデですが、彼女についてはまだ作中で詳しくは触れられていないのでよく分かっていないところが多いのですが、面接に来てゼーリエと会った際のリアクションがどうも他の者と違う感じで、ゼーリエの強大な魔力を見て怯えている様子でもないが、デンケンやヴィアベルのように戦うか否か考えたようにも見えない。フェルンのように魔力の揺らぎを見つけたという感じでもない。一体何を考えているのかよく分からず、ゼーリエが何を考えたのか問うと、メトーデは恥ずかしそうに「小さくて可愛いなと」と正直に答える。ゼーリエはメトーデがアホなのかと思ったが、そのクソ度胸が気に入って合格としました。なんかこの辺になってくるとゼーリエもテキトーな感じになってきてますね。

こうして最終試験は終わり、合格者はフェルン、デンケン、ユーベル、ラント、ヴィアベル、メトーデの6人となりました。翌日、フェルンとシュタルクは街でお菓子を買おうとしているとデンケンとラオフェンにバッタリ出会って、デンケンにお菓子を奢ってもらうことになった。その席でデンケンは自分の身の上話をします。

デンケンがまだ若い魔法使いだった頃に結婚した妻は没落貴族の娘で病弱であった。それでデンケンは妻の病気の治療のために金や権力を欲して魔法を使って出世しようと必死になったが、ゼーリエが大陸魔法協会を設立して一級魔法使いに特権を与えるという制度が出来たのはデンケンの妻が病気で亡くなってしまった直後だった。もしもう少し早く一級魔法使いの制度が出来ていれば、それで妻を救うことが出来たのにとデンケンは虚しさを覚え、もはや意味の無くなった一級魔法使い試験は受けなかった。そして既に権力闘争の世界に身を置き、ズッポリ嵌って抜けられなくなっていたデンケンはそれ以降はずっと家族も居ないままひたすら魔法を政争の道具として孤独に生きてきた。それでも北方で妻の墓参りだけは続けてきたのだが魔族の活動が活発化して北方に行くには一級魔法使いの同伴が必要となり、仕方なく一級魔法使いの試験を受けに来たらフリーレンに会い、フリーレンのおかげでデンケンは一級魔法使いとなり妻の墓参りに再び行けるようになった。それでデンケンは、自分がもともと一番最初は勇者一行の魔法使いフリーレンの「楽しい魔法」に憧れて魔法使いになったのだということを思い出したのです。結果的にそれとは真逆の魔法使い人生を歩むことになってしまったが、人生の終わり近くになってそのことを思い出すことが出来て良かったとデンケンは思ったのだという。

一方、フリーレンは街でヴィアベルと出会っていた。荷物を落として困っている老婆を見て、ちょうど魔法書で手が塞がっていたフリーレンが躊躇している間にヴィアベルが老婆を助けてしまい、フリーレンはヴィアベルに説教される羽目となったのです。やっぱりエルフは人間より判断が遅い。それでフリーレンはヴィアベルに「ヒンメルの仲間なら」助けるはずなのに意外だとか嫌味を言われてしまい、ヴィアベルのことを極悪人だと思っていたので老婆を助けたのは意外だと思ったと嫌味を返す。そして、フェルンが「犬とか蹴っ飛ばしてそうな奴」と言っていたということをヴィアベルに伝える。フェルンも殺されそうになったからといって酷いこと言いますね。

それに対してヴィアベルはあれは脅しだと言う。実際ヴィアベルは今回誰も殺さないで済むように気を使った戦い方をしていました。ユーベルに対してすら殺すことを躊躇していた。ヴィアベルの言うには、自分が確かに酷いことも平気でするが、それは故郷の村を守る場合に限ってのことだったと言う。そのせいで悪評が広まり、そこらの犬を蹴って歩いているようなゴロツキと誤解されているが、実際のヴィアベルは必要も無く人を殺すような人間ではない。それどころか、自分と関係の無い相手でも困っている場合は出来るだけ助けるようにしているのだという。さっき老婆を助けたのも、気まぐれでたまたま助けたのではなく、ヴィアベルが日常的にやっている行為なのです。どうしてそんなことをするのかと問うフリーレンに対して、ヴァイアベルは自分の生い立ちから話し始める。

ヴィアベルの故郷の村は北方の果ての田舎で、勇者ヒンメル一行の魔王討伐の旅の数々の伝説の舞台に近い。ところがリアルタイムでその伝説を目撃したはずの村の老人たちの語るヒンメル一行の実像は下らないものばかりだった。輝かしい英雄譚などではなく、こんなどうでもいい村に寄り道して下らなくて意味の無い人助けの雑用をやってもらったという想い出話ばかり。子供の頃のヴィアベルはそういう想い出話を聞いて心底つまらないと思っていた。

だがヴィアベルが子供の頃に勇者ヒンメルが死んで安心したのか魔族の残党たちが村を襲ってくるようになり、ヴィアベルは本に書かれた伝説ではない現実の戦いというものを知った。そして、勇者ヒンメル一行の「全く無関係の人々のための下らなくて意味の無い人助け」によってこそ自分の生まれた村が守られてきて、自分がこの世に生まれてくることが出来たのだということを思い知った。だからヴィアベルは、ヒンメルが亡くなったこの時代に誰かがヒンメルの代わりにならなければいけないと思い、自分がそうなろうと思ったのだ。そうして魔法使いとなったヴィアベルは、今でも古のヒンメル一行に倣って、見知らぬ困った人を助ける下らない行為を続けているのです。

そんなヴィアベルですから、あのヒンメル一行の一員だったフリーレンが人助けを躊躇したというのは意外だったのです。そして「出会いは大切にしろよ」と説教を垂れ「今生の別れってのは死別だけじゃない」と言う。生きているからといってまた会えるとは限らない。二度と会えない相手がほとんどなのだから「あの時助けておけばよかった」と後悔することのないようにすべきだとフリーレンに説教したヴィアベルですが、それは彼がずっと幼馴染の女性を助けることが出来ないまま会えなくなってしまったことを後悔しているからでした。しかし、よくよく考えれば説教の相手は不老長寿のエルフであったということを思い出して、ヴィアベルはちょっと恥ずかしくなる。それこそ生き別れて二度と会えなくなった後悔など、自分の何百倍、何千倍も経験しているはずだからです。「いや、百も承知か」と呟いてヴィアベルは去っていった。そんなヴィアベルの後ろ姿を見送って、フリーレンはヒンメルの想いがこうして今もしっかり世の中に残り、受け継がれているのだと知って嬉しくなる。

その日の夜、一級魔法使い試験の合格者に特権の授与が行われる式典が開かれて、フェルンも出席するのでフリーレンもシュタルクも付き添いで行きましたが、フリーレンはゼーリエのお達しで向こう千年間は大陸魔法協会に出入り禁止になったとのことで、会場に入れてもらえませんでした。フリーレンがそこまでのことをしたとは思えないのだが、ゼーリエが大人げ無さ過ぎて爆笑モノです。

それで仕方なくフリーレンとシュタルクが会場の外で待っていると、そこに一級魔法使い筆頭でゼーリエの弟子のレルネンがやって来て、フリーレンに勝負を挑んできました。レルネンはフリーレンの魔力制限の魔力の揺らぎを見破っており、そのことに気付いたフリーレンは「とんでもない手練れだ」と舌を巻く。しかしレルネンはそんな自分を「時代遅れの魔法使い」だと卑下する。それはどういう意味合いかというと、戦うことしか能の無い自分は今の平和な時代では無用の長物という意味です。こんな自分では今の時代に名を残す功績を上げることは出来ず、このまま自分が老いて死んでいけば自分の名は残らず、師匠であるゼーリエの名も残らない。しかし自分が死んでもゼーリエは生き続けて、名も知られなくなったゼーリエは孤独になってしまう。それが弟子である自分は辛いのだとレルネンは言います。

前回、ゼーリエはレルネンのことを「臆病な坊やのままだ」と批判したが、レルネンは別に臆病なのではない。勇者ヒンメルによって魔王が倒されて平和になった今の時代に魔法使い同士の武闘などはそぐわないと思って若い頃から30年間ずっと自重していただけなのです。もう少し早く生まれていたなら魔王軍との戦いに加わっていたはずです。だが、このまま老いて死んでいけば師匠のゼーリエを孤独なまま永遠の生において苦しめることになる。だから、まだ戦える今のうちに名を残すような功績を上げねばいけないと思っていた。そこにフリーレンが現れたので、たとえ「勇者一行の魔法使いを殺した」という悪名であったとしても、それで師匠ゼーリエの名が人々に記憶されるのであれば本望だと思って、こうしてフリーレンに決闘を挑んできたのです。

だがフリーレンは少しレンネルの攻撃魔法を受けた後、決闘など無意味だと言う。何故なら、決闘などしなくてももうレルネンの望みは叶えられていたからです。どういうことかというと、レルネンの本当の望みは自分やゼーリエの功績を世の中に残すことではなく、別のことだということにフリーレンは気付いていたのです。それは、最終試験の面接が終わって退席する前にフリーレンとゼーリエが交わした会話の際にフリーレンが気付いていたことでした。

面接場所の温室から退席する前にフリーレンは、その温室内に咲いている花が魔法で出したものだと気付いた。それはフランメの好きだった「花畑を出す魔法」だった。ゼーリエが「下らない」と言っていた魔法です。その魔法をどうして使っているのかと問いかけるフリーレンに、ゼーリエは「フランメは不肖の弟子だったが、何故か性格や好きな魔法は鮮明に思い出せる」と言い、それは他の弟子も皆同じなのだと言う。そして「何故か私は弟子をとって後悔したことはない、たとえ歴史に名を残せずとも」と言う。

ゼーリエはさっきヴィアベルの面接の時に「好きな魔法を持たないこと」を正解とした。またフランメやフリーレンやレルネンに対しては「弟子をとったことを後悔している」などと言っていた。しかし、それらは全て表向きの建前であって、本音は全く真逆であったようです。そんなふうに自分の本当の気持ちを弟子に素直に伝えることが出来ない人なのだとフリーレンは思い、その気持ちは分かるような気がした。ゼーリエもエルフであり、人間の弟子たちは自分よりも早く死んでいく。愛情を伝えて心が深くつながれば、相手が先に死んで残される自分の方が辛くなる。ゼーリエが「人間の弟子なんてとるんじゃなかった」といつも悔やんでいるのは、弟子に先立たれる悲しみゆえだったのです。だから、ゼーリエはその悲しみを少しでも減らそうとして、弟子についつい冷たく接してしまう。そして、それによって弟子も傷ついていく。

レルネンもきっとそうなのだろうとフリーレンは思った。ゼーリエに冷たい言葉を浴びせられて悲しくなり、このまま自分が何も功績を上げられずに老いて死ねば、永遠に生き続けるゼーリエはきっと不肖の弟子の自分のことなど忘れてしまうだろう。それが悲しくて、レルネンはフリーレンを討ち取って、その功績でゼーリエに記憶してもらいたいと思っている。きっとそういうことなのだろうと理解したフリーレンは「ゼーリエはちゃんと覚えているよ」とレルネンに伝える。弟子に先立たれた悲しみを減らそうとして必死で弟子に冷たい態度をとっては、そんな自分を悔いている、そんな人が亡くなった弟子のことを、たとえ何の功績も無かったとしても、失敗作であったり不肖の弟子であったとしても忘れられるわけがないのです。そうしてレルネンは師匠の真意を知り、師匠の不器用な生き方と、そんな師匠に覚えてもらいたい一心でバカなことした自分もまた不器用であると知り自嘲して矛を収めるのでした。

そうして翌朝、フリーレン一行は魔法都市オイサーストを出発します。ちなみにフェルンが一級魔法使いの特権としてゼーリエから新たに貰った魔法は「服の汚れを綺麗に落とす魔法」でした。あの例のフリーレンが求めてやまなかった神話の時代の伝説の超下らない魔法です。こんなものを欲しがるフェルンにさすがのゼーリエも「マジかお前」と呆れ果てていたようで、それを聞いてフリーレンは「いい気味だ」と言い、フェルンを「それでこそ私の弟子だ」と褒める。やっぱり出入り禁止にされたことをちょっと根に持ってるみたいですね。

そうしてオイサーストを出て行くフリーレン一行を橋の途中でカンネとラヴィーネが待ち伏せていて、別れの挨拶を交わします。その別れの時のフリーレンの態度がやけにあっさりしていたので、フェルンとシュタルクは、ザインやクラフトとの時もそうであったが、フリーレンはいつも別れの時にあっさりしていると指摘する。それは実はフリーレンはヒンメルに倣っていたことでした。ヒンメルは「旅を続けている以上、別れた人ともまた巡り合うことがある。だから涙の別れなんかしたら、また会った時に恥ずかしい」と言って、いつも人との別れの時はあっさりしていた。

フリーレンが第1話で魔王討伐後にヒンメル達と別れた時もあっさりしていたのはヒンメルの考え方に倣っていたからであり、旅を続けている限りまたきっと会えると思っていたからなのです。いや、そうは言っても「僕たちに涙の別れなんて似合わない」と言っていたヒンメルの言葉に反して第1話でヒンメルと涙の別れをしてしまったフリーレンでしたが、結局またヒンメルの魂と恥ずかしくないあっさりとした再会をするために旅を始めた。こうして別れた人達と再び巡り合うためにフリーレンはずっと旅を続けているのだといえます。フリーレンにはヴィアベルが言っていたような「生き別れ」という概念は無い。旅を続けている限りはきっとまた会えると信じて、そうしてまたフリーレンは旅を再開したのでした。こうしてフリーレンが旅立つところで最終話は終わりを迎えますが、またこうした彼女の旅の途中で視聴者も再びフリーレン達と巡り合えることを祈って、第2期を首を長くして待ちたいと思います。

 

 

治癒魔法の間違った使い方

第12話を観ました。

今回を含めて残り2話で、次回は最終話なんですが、今回は次回が最終話とは思えないぐらい新展開の連続で、これはもしかして2期があるのかもしれませんね。まずウサトが前回の魔王軍との戦いでの活躍でカズキやスズネと一緒に王様とバルコニーで民衆の皆さんに称えられたりしたんですが、その後でまた改めて王宮に呼び出されて、先日の戦いでウサトが捕えた黒騎士が会いたいと言っているのだという。

黒騎士は魔王軍にあまり忠誠心は無いようで、はぐれ魔族的な存在のようです。それで尋問して魔王軍の情報を聞き出そうとしているようだが、ウサトに会わせてくれたら情報を話すと言っているようです。黒騎士は自分を打ちのめした相手の顔を見てみたかっただけみたいですが、ウサトは黒騎士が重傷を負っていることに気付いて治癒します。黒騎士は治癒されたのは初めてのようで、その心地良さに涙を流して喜ぶ。

その後、ウサトはローズに戦場での回避の動きの特訓を受けて、それがあまりに理不尽な訓練なので、王宮に遊びに来て牢屋の中の黒騎士に愚痴ったり、カズキの訓練を見学してカズキとセリア姫が仲良く訓練してるのに自分だけローズに虐待されて理不尽だと悔しがったりします。スズネはウサトと黒騎士がフラグが立ったとか根も葉もないことを言いふらしているようです。

黒騎士は何だかウサトのことが気になっているようですが、牢屋にローズが王命でやってきて、黒騎士の性根を叩き直して「魔人間」ならぬ「真魔人」にすると言って黒騎士をシバキまくる。そして魔力を封じてボコボコにして救命団の下っ端にして鍛えると言ってコキ使い始めます。それを見てウサトはご愁傷様と思うしかない。

そしてウサトとカズキとスズネを各国に使者として送り、魔王軍との戦いのための同盟を呼びかけることになり、ウサトは旅立ちに備えます。そうした日々の中、街に出た時にウサトはたまたまスズネと出会い、ウザ絡みされていたところ、例のキツネの獣人の女の子を見つけて捕まえる。そして例の夢の話を聞こうとするのだが、獣人少女は「待っていた」「対価を払ってもらう」と言い「私のお母さんを助けて」と意外なことを言い出す。そういうところで今回は終わり、次回は最終話なんですが、黒騎士が仲間になったり、他国に旅をすることが決まったり、獣人少女に頼み事をされたり、どう考えても次回で終わるとは思えない内容です。原作通りの展開なんでしょうけど、今期で終わるのなら前回の内容で終えておいて、こういうのは描かないのが普通でしょうから、これは2期があるんじゃないかなと思ってしまいますね。