2024冬アニメ 2月1日視聴分 | アニメ視聴日記

アニメ視聴日記

日々視聴しているアニメについてあれこれ

2024年冬アニメのうち、1月31日深夜に録画して2月1日に視聴した作品は以下の3タイトルでした。

 

 

外科医エリーゼ

第4話を観ました。

今回はローゼという偽名でテレサ病院で本格的に見習い医者として働き始めたエリーゼがエマージェンシールームみたいな部署に配置されて、気胸の患者の処置をしたり、脾臓を撃たれた患者を救うために脾臓摘出手術をしたりします。この脾臓を撃たれた患者というのが実はテレサ病院に視察に行く予定だったリンデン皇太子に付き従っていた従者の男で、暴漢に撃たれてリンデンがテレサ病院に運んできた。だがリンデンは魔法みたいな力で変装していたので全く別人の外見をしていて、エリーゼは相手がリンデンだとは気付かず、戦場で医療経験のあったリンデンに手術の助手をしてもらった。リンデンはエリーゼがテレサ病院で見習いをしているとは聞いていたが、まさかもう医療現場で働いているとは思っていなかったので驚くが、エリーゼが見事な手術で従者の命を救う姿を見て驚き、エリーゼに惹かれます。

まぁ大体そういう感じの話で、ありがちな展開であんまり面白くはないですが、悪い話じゃないので視聴が不快というわけではない。医療知識が現代とそんなに大差ない世界で、気胸とか脾臓摘出とか、エリーゼの前世の医療知識も周囲の医者たちに普通に受け入れられているので話が早くて良いですが、そのぶん医療ドラマとしての面白味はあまり無い。病理や解剖の知識は現在と大差無いけど技術が未発達な時代という設定ですね。常識自体が違っていて手術しようとしたら投獄されるみたいなヤバい世界というわけではないので医療シーンはそんなにドラマチックにならずサクサク進んでいきます。おそらくそういうのを志向した作品ではなくて、医療は添え物で宮廷劇の方がメインなんでしょうね。

今回、リンデン皇太子が変な魔法みたいなものを使ってましたが、別に魔法を皆が使う世界観というわけでないようなので、リンデンが特殊な存在なのでしょう。そしてリンデンは何か過去のトラウマに関係する身体や精神の不調を抱えているようですから、それとエリーゼが関わっていくというような話になるのではないかと思われる。そのあたりの展開は一応は興味はあるのでもうちょっと様子見はしようと思います。

 

 

魔法少女にあこがれて

第5話を観ました。

今回はエノルミータの新たな悪の女幹部ネロアリスが初登場するエピソードでした。いやまぁそもそもエノルミータって別に戦闘員とかヒラの怪人とかが出てくるわけじゃないので「幹部」というのは語弊があるんですけどね。マジアベーゼもレオパルトもネロアリスも「悪の女幹部っぽい見た目の構成員」というのが正確な表現だとは思います。

そのネロアリスというのが新たにヴェナリータが勧誘してきた9歳の小学生女子の杜乃こりすが変身するんですが、さすがに小学生なので、こりす自身がエロい目に遭ったり、裸にされたり、縛られたり鞭打たれたり電撃責めされたりするような鬼畜な展開にはなりませんでした。まぁうてなもキウイもトレスマジアの3人もみんな14歳で中学生ですから、彼女らがエロいことやりまくってる普段のこの作品の状態が既にほぼアウトなんですけど、もうなんかそのへんの感覚が麻痺してきました。しかしさすがに小学生が堕ちていく展開は鬼畜キモオタの描くロリコン同人誌の世界であり、コンプライアンス的に完全アウトだろうとは思うのですが、それでもこの作品ならやりかねないとも思えた。しかし、さすがに踏みとどまったようです。

というか、この作品はそういう陰湿な世界とは根本的に無縁であって、本気のエロを明るい健全なギャグとして描いており、ストーリー的には意外と緻密で王道なので、こりすのこともちゃんと健全な小学生として描いていました。ただ、だからといって一般的な意味での「健全」とはこの作品の「健全」はかなり意味合いが違う。

ここまでのエピソードを見てきての印象は、この作品は「性の目覚めの不安定さを笑いに転化したコメディ」と思える。この作品に登場するキャラは性的に倒錯した者が多いが、そうした倒錯行為によって他人を傷つけたり支配しようとしているわけではない。何か邪悪な目的の達成のために性行為を利用しているわけではなく、ただ単に性行為に興味を抱いて実行しているだけなのです。もちろんギャグアニメなのでガチの正統派の性行為を描くと笑えないし単にエロいだけになってしまうので、特殊性癖だらけになってしまうのですが、これらの倒錯行為は大人がやると陰湿な印象になってしまうのですが、うてな達のような中学生ならばギャグとして成立するのです。

どうして大人がやると犯罪でしかない行為が中学生ならばギャグになるのかというと、性の目覚めの時期というのは性知識が未熟なので、ついついアブノーマルというか、突拍子もないような性欲の発現の仕方をしてしまうことが往々にしてあり、人は皆、そういう黒歴史のような時期を経て徐々にノーマルな性に馴染んでいくものなのです。中学生ぐらいの性の目覚めの頃は、自分の性衝動が「異常」なのかということもよく判別出来ない状態で突っ走ってしまったりするもので、それはあまり罪深いことではない。一方で成人して世間的に何が正常で何が異常なのか分かった状態で、それでも自分の異常性癖を隠そうともせず他人に押し付けるロリコン同人誌で描かれているような多くの行為は決してギャグとしては笑えず陰湿な印象しか与えない。個人の性癖の良し悪しを決めつける気は無いし、性癖を変えるように要求する気も無いが、自分の異常を嫌がる他人や分別の付かない子供に押し付けるのはダメです。まぁ私は別に「ダメです」と偉そうなことを言いたいわけではなく「ギャグとして笑えない」ということを言いたいだけです。ただ、そういう道を踏み外した行為も、まだ性知識が乏しい子供がやった場合はギャグとして成立する。この作品はそういうタイプのギャグ作品なのだと思います。

うてながサディズムに覚醒して突っ走ってしまっているのも性知識の未熟さゆえであり、キウイが承認欲求が行き過ぎて殺意や恋愛感情に突っ走っているのも、小夜がマゾに目覚めてしまったり、はるかが人前で平気で全裸になってしまったり、薫子がバトルジャンキーだったりするのも、性に関わるものだけには限っていませんが、とにかく未熟さゆえに衝動に流されやすいからだといえます。そもそもこの作品がパロディ元としている「魔法少女シリーズ」というジャンル自体が、もともと大人と子供の境目のような不安定な時期の少女に不思議な力が宿るというのが基本設定ですから、それをエッチな形でパロディにしたらこういう作品になったといえます。

だから、うてなのSM行為などもやってることは不健全なんですが、これは彼女の成長の過程の健全な姿なのです。そして同様に今回登場したこりすも健全な小学生として描かれていますが、その「健全」とはそういう意味の「健全」であり、こりすもまた性の目覚めの時期の不安定さゆえに倒錯しており、それこそが彼女の成長過程における健全な姿なのです。9歳という年齢で性の目覚めというのがあるのだろうかと思われるかもしれないが、身体が子供のままであったり性知識が全く無い状態でも、早熟な人は小学生ぐらいで性欲は目覚めます。そして、そういう極端に未熟な性欲というのは、身体が伴っておらず知識も皆無なために、中学生ぐらいの性の目覚めの場合よりも、更におかしな方向に逸脱しがちです。

こりすの場合は、その未熟な性欲は内向的な性格ゆえか人間ではなく人形に対して向けられてしまっているようです。そうした人間以外の存在に向けての異常な性衝動というものは、多くの人が子供の頃に少しは経験したことがあるのではないかと思います。それは普通は一過性の些細なものですが、こりすの場合はたまたまそれが大きく育った状態なのでしょう。そして、それは非常に倒錯した性衝動ゆえにネロアリスとして変身した際には非常に強力な能力として発現するのです。それが「現実世界で人形を操ったり、ドールハウスに閉じ込めた相手をお人形さんごっこのように操る能力」なのですが、そうして閉じ込めた相手に互いにエロいことをさせたり、裸にして弄んだりしていることから、それは単なる超能力ではなく、そこに倒錯した性衝動が含まれていることは間違いない。ただ、それはあくまで小学生の早熟すぎる性の目覚めゆえの暴走であり、ちゃんとした性欲の形すら成していないのでエロとギャグが混然一体となった不思議な世界として表現されており、また小学生なのですぐに疲れて寝てしまい能力も解除されてしまうこともあって、ちゃんとギャグとして笑えるものとなっています。

そんなこりすの登場エピソードが前半パートで描かれ、後半パートはうてながこりすをちゃんと年下の小学生として親切に接してあげて心の交流をしていくイイ話が描かれました。まぁこの作品の場合はやっぱりうてなとトレスマジアのエッチなバトルが最大の売りですから、その成分があまり無かったという意味では今回は決してこの作品の本来の持ち味が十分に出た話とはいえず一種の日常回でありましたけど、こういう日常回がとてもイイ話に描かれているのがこの作品の魅力を多彩なものとしているのだと思えました。まぁ十分にエロい場面もありましたし、感動的で素晴らしいエピソードであったと思います。

まず冒頭、路地でヴェナリータと出会うこりすが描かれ、OPの後、ヴェナリータからナハトベースに来るようにと連絡が来たうてなとキウイがナハトベースに行くと、ヴェナリータはこりすに抱かれて登場して、うてなとキウイにこりすを新しい仲間として紹介します。ただ、こりすがどう見ても小学生ぐらいの女子だったので、うてなはいつも自分たちがヴェナリータにやらされていることやエロいコスチュームのことを思い、いくらなんでも小学生にそんなことをさせてはいけないと思い、どうせヴェナリータが自分の時みたいに騙して勧誘したのだろうと思い、ヴェナリータにこりすを仲間にするのを止めさせようとします。

だがヴェナリータは自分はこりすを騙して勧誘したわけではないと言う。路地で出会った時、こりすの方からヴェナリータに近づいてきて手を伸ばしてきたので、その様子を見てヴェナリータはこりすに「悪の組織に興味があるか?」と聞いてみたところ、こりすが頷いたので仲間にしたのだという。うてなを勧誘した時はヴェナリータはうてなのサディストとしての資質を感じて勧誘しており、エロい自撮りをしてチヤホヤされようとしていたキウイを勧誘した時も「闇の波動」のようなものを感じてやってきました。そういうことから考えて、どうやらヴェナリータは少女の歪んだ性衝動のようなものを悪の組織の仲間になる資質として感知するようです。それと同じものをこりすにも感じたのだとすると、この出会いの場面ではこりすは特に異常なことをしているわけではないので分かりにくいですけど、そもそも路地で出会った喋る怪しげなぬいぐるみのようなヴェナリータに近づいて手を伸ばして掴んでいる時点でちょっと行動は異常なのであり、よほどぬいぐるみや人形が好きということなのでしょう。そしてヴェナリータはそのこりすの人形好きな様子から歪んだ性衝動を感じとって、それでエノルミータに勧誘したようです。

そういうわけで、こりすはずっとヴェナリータを抱きしめていたのですが、うてなはこりすがよほどヴェナリータを気に入ったのかと思った。一方でキウイはとにかく自分より可愛さをアピールする者に対して敵意を向ける性格なので、こりすがヴェナリータを抱きしめる姿で可愛さアピールをしていると勘違いしてオラオラ口調で威嚇する。ホントに大人げなくて笑えます。しかしこりすは動じない様子で無反応を貫く。更にうてなが優しく話しかけてもやはり無反応で、どうやらかなり内向的な性格みたいで、他人と喋ることもあまりしないようです。他人とあまり喋らず、ひたすら人形を抱きしめて1人で過ごすタイプの子みたいです。うてなはこんな大人しそうな子がトレスマジアと戦ったり出来るのだろうかと疑問に思いますが、ヴェナリータはさっそくこりすの力をお披露目したいと言い出し、こりすも頷いて了承する。

うてなは危ないから止めた方がいいと言いますが、こりすは無言ではあったが乗り気な様子で、ヴェナリータはこりすを変身させてしまう。変身したこりすの姿はネロアリスという名で、不思議の国のアリスみたいな可愛らしい衣裳でした。マジアベーゼやレオパルトみたいに露出が多いタイプではなくて身体の線が全面的に隠れていて作者の良心を感じます。この可愛らしい姿を見たうてなは大喜びで、そのうてなの態度に嫉妬したキウイもうてなにレオパルトの衣装も可愛いと言われるとご満悦の様子なのは可愛かったです。

そうしてネロアリスの初陣の場面となりますが、ネロアリスはぬいぐるみを遠隔操作で動かしてトレスマジアの3人をおびき寄せて、路地の中に開いた扉の中に誘導すると扉を閉じて3人を閉じ込めます。この場面、あからさまに怪しいぬいぐるみに警戒するようにと言うサルファの指示を無視して突っ走ってしまい簡単に罠に嵌るマゼンタが相変わらずアホの子で面白い。そしてマゼンタを追いかけてきたアズールとサルファも一緒に閉じ込められてしまうが、そこは何だか洋風のオシャレな部屋のような感じの場所だった。そして、そこに巨大なぬいぐるみや玩具の人形のようなものが現れて3人を襲ってきた。

3人も反撃しますが、人形たちには3人の攻撃は効果が無く、3人は逃げ回ることになり、物陰に隠れて人形たちの追撃をとりあえず逃れることが出来た。だが、そうして物陰に潜んでいると、マゼンタが急にタキシードみたいな衣装になってキザな男みたいにキャラが変わってアズールにキスを迫ってくる。更にサルファも子供服みたいな衣装になっていて子供口調で食事をせがんでくる。いずれも普段の2人の素の性格とは全く異なる性格であり、そもそも認識自体を書き換えられてしまって、まるで子供のママゴト遊びの父親役や子供役をやらされているようです。そうなるとアズールは母親役というところでしょうか。

それだけならば、まだ健全なお人形さんごっこといえますが、ここから更に変な方向にお人形さんごっこはエスカレートしていき、子供役のサルファは母親役のアズールに母乳をねだってきて、アズールの胸にしゃぶりつく。それを見て父親役のマゼンタもダンディに笑って「では私も」とか言ってアズールに覆いかぶさってきてキスし始める。そうして、されるがままになっていると、1人だけ正気を保っていたアズールもいつしか意識が改変されてきて、自分はママなのだとか思い込み始めて、舞台が転換して、3人は全裸で露天風呂のような場所で横たわって身体の洗いっこみたいなことをしていた。しかし、結局いつもアズールは攻められる役回りなんですね。ホントに根っからのマゾみたいです。

こうしてトレスマジアの3人はエロエロの快楽地獄に堕とされてしまったわけですが、これはネロアリスの能力によるものでした。ネロアリスの能力は「玩具を自在に操る能力」であり、その一環としてドールハウスを作って、それを結界としてその中に相手を閉じ込めて認識操作して人形遊びのように自在に操ることも出来たのです。トレスマジアの3人は路地に開いた扉に入ったと認識操作で思い込まされていたが、実際は路地の途中でネロアリスが作ったドールハウスに閉じ込められたのであり、路地に置いてネロアリスが見下ろすドールハウスの異空間の中でネロアリスの思うがままに動かされていたのでした。それが他の玩具と一緒にドタバタをやったり、家族ごっこみたいなお芝居だったりするのは普通の子供らしい遊びといえましたが、人形を使ったエッチな妄想遊びが入ってくるあたりが「人形を性愛の対象とする」というこりすの未熟ゆえに歪んだ性衝動を表しているといえます。ただ、そうした歪んだ性衝動こそが悪の女幹部ネロアリスとしてのパワーの源泉となっているのだといえるでしょう。

ドールハウスの結界内に取り込まれてしまうとネロアリスに逆らうことは出来なくなるという非常に強力な能力なのですが、ネロアリスにも弱点はあり、本体のこりすがまだ子供なので変身して能力を使い続けているとすぐに疲れてしまい眠くなってきて変身解除してしまうのです。そうなると結界も解除されて捕らわれていた相手も自由になる。そういうわけで今回もこりすが寝てしまい変身は解除され、トレスマジアの3人は正気に戻って結界を脱出し、どうやら結界内での記憶は残るようで、さんざん恥ずかしい目に遭わされたことで激怒しますが、変身が解けたこりすからはエノルミータの反応は感知出来ないし、仮に変身後のネロアリスと対峙していたとしても認識阻害の魔法で守られていますから変身解除後のこりすをネロアリスとは認識出来ないのでそれ以上の追撃は出来ません。今回はうてなもキウイも変身していませんでしたから、結局トレスマジアの3人は敵を見つけることは出来ず帰っていきました。そして眠ってしまったこりすはうてな達が送って帰っていったのでした。

後半パートはこりすとうてな達との交流が描かれたお話で、まずこりすの回想シーンで6歳の誕生日に母親にアンティークな人形をプレゼントされた想い出が描かれますが、現在から3年前のこの出来事がこりすが人形好きになるきっかけだったようです。ラストシーンで明らかになりますが、この人形は祖母からの贈り物だったようで、こりすの玩具は多くが祖母から貰ったものみたいですね。

そして現在に場面は戻り、放課後に公園でヒマを持て余していたうてなとキウイは下校途中のこりすに偶然出会い、キウイはこりすの家に遊びに行こうとか言い出す。うてなは先日の初対面の時もずっと無口で無表情だったこりすが何を考えているのか分からず対応に困っていたので、今回もいきなりキウイが強引なことを言ってこりすが嫌がっているのではないかと心配する。しかし、こりすは相変わらず無言で無表情であったが、あっさりと頷いたので、案外嫌がっていないようだった。どうも先日の初変身の後に疲れて眠ってしまった自分をおんぶして家まで送ってくれたうてな達に好感を抱いたようです。

そうしてこりすの家に着くと家族は留守みたいでした。どうやら親は仕事で家を留守にしがちで、こりすは家で1人で玩具で遊ぶことが多いようです。それであまり他人と接する機会が無いので無口で無表情なのですね。だが一見は心が無いように見えるこりすですけど、決して冷たい心の持ち主ではない。こりすの部屋に通されると、そこには多数の玩具が転がっており、その中には古い玩具もあれば新しい玩具もあり、こりすが新しい玩具を買ってもらっても古い玩具を捨てることなく使い続けていることが分かりました。それはこりすが全ての玩具に深い愛情を抱いているからだということがうてなには分かりました。

古い玩具はボロボロになっているものもあり、普通は捨てそうなものですが、それでもこりすは愛着をもって使い続けているようでした。キウイがその古いぬいぐるみでこりすと遊ぼうとしたら腕が取れてしまい、キウイは焦って謝りますが、こりすはそんなことも慣れっこになっているようで全く怒ることもなくテープで腕を補修してくっつけて治しました。ところが、ケースの中に入ったアンティークの人形をキウイが取り出すと、初めてこりすはちょっと怒ったような態度でそれを取り戻した。そのアンティークの人形も古くて壊れているようだったが、その人形だけはそれ以上壊れるのを避けるためにケースに入れて別に置いていたようだった。その様子を見て、うてなはそのアンティークの人形がこりすにとって一番大事な人形なのだと気付く。

それでうてなはその人形を自分に補修させてほしいと申し出て、こりすはしばらく考え込んだ後、うてなに人形を預けてくれた。そうして自宅にその人形を持ち帰ってきて改めて見てみると、かなり破損個所が多かったが、うてなはこりすが自分を信頼して一番大事な人形を預けてくれたのだからと思い懸命に補修作業に励み、徹夜で補修を完了します。しかし、その無理が祟ってうてなは風邪を引いてしまいます。それでも補修の終わった人形を届けにこりすの家に行き、こりすに人形を渡すと、こりすは喜んでいる様子だった。それで安堵してうてなは帰ろうとするが、フラフラして倒れてしまう。

それを見てこりすはネロアリスに変身して、能力を使って病院のドールハウスを出して、そこにうてなを閉じ込める。そこにこりすは自分自身も入り込み、大人の女医に姿を変えてうてなを治療しようとする。人形を治してくれたお返しに、こりすはうてなの風邪を自分の能力を使って治そうと考えたのです。うてなの方も認識操作されて自分が風邪をひいて普通に病院に来た患者だと思い込んでこりすが変身した女医に身を任せて診療を受けるのですが、やはりそこはこりすの歪んだ性衝動が反映されているので、なんだかエロいお医者さんごっこみたいになっていく。うてなは服を脱いでオッパイに聴診器を当てられて喘ぎ声を上げて、身体に塗り薬を塗られて気持ちよくなり、変な注射を打たれたりするが、それらは全部単なるイメージプレイであり、実際はネロアリスの能力によって風邪を治したようで、結界から出たらうてなの風邪は治っていた。

そういった出来事があったと聞いたキウイが今度は自分がうてなと一緒に結界内で赤ちゃんプレイをしたいと思いついてこりすにそれを頼んだところ、こりすはキウイを監獄のドールハウスに閉じ込めて投獄してしまったというオチとなりました。やっぱり犯罪者扱いなわけですね。そして最後はこりすの親が帰宅してきて、また祖母に人形を買ってもらおうかという話をすると、こりすはそれを断る。それで母親はこりすが最近楽しそうにしているので、人形遊びをしなくてもいいと思えるような新しい友達でも出来たのかと思い、こりすにそのことを問うと、こりすは嬉しそうに頷く。どうやら、うてなもキウイもこりすにとって人形たち以上に大切な友達だと認められたようで、こりすも初めて人間の友達が出来たようでホントに良かった。

 

 

戦国妖狐 世直し姉弟編

第4話を観ました。

今回はたまと迅火と真介と灼岩の4人の新たな生活が始まり、断怪衆からの刺客が4人の前に現れるというお話でした。前回までの序章のような話が終わり新展開の開始というエピソードでありましたが、まだたまや迅火の過去で明らかになっていない部分もあり、断怪衆の刺客というのもどうも一筋縄ではいかないような連中ばかりのようで、話は割と入り組んでいきそうですね。その一方で少年漫画的に割り切った描写も多いので、あんまり今風のアニメ作品のノリじゃないという印象です。ただ個人的にはこういうのは結構好きなので問題は無いです。バズらせ目的で作ったような作品ばっかり見ていてもつまらないですからね、こういう硬派で説教臭くて手強い作品は結構好きですね。

まず冒頭は、4人がもともと迅火が師匠の黒月斎と共に暮らしていた庵に落ち着いたところが描かれます。これから4人でここを拠点にして生活して、世直し稼業をやっていくつもりのようですね。迅火の回想によれば、もともと黒月斎と迅火の2人で暮らしていた時期があり、その後に迅火の1人暮らしの時期があり、その後で迅火とたまの2人暮らしの時期を経て、そうして真介と灼岩を加えた4人暮らしとなったようです。つまり、たまがやって来たのは黒月斎が亡くなった後ということになる。このあたりのたまと迅火の出会いの話に関してはまだ謎であり、いずれまた描かれるのだろう。

ともかく4人が庵で落ち着いていると、そこに闇がやってくる。小さな無害そうな闇で、真介や灼岩は驚きますが、たまや迅火は普通に対応しており、日常的にこの庵にやってくる闇らしい。もともとたまは闇であるし、前回の迅火の回想でも子供の頃から迅火は闇と一緒に行動していたようですから、この黒月斎の庵には頻繁に闇が出入りして友好的に交流していたようだ。現在はたまという闇が庵に居て、悪行を行う闇を懲らしめる世直し行脚をしているのだから闇の情報収集のためにこうして善良な闇が出入りしているのはよく分かるのだが、まだたまが居なかった迅火の子供の頃に黒月斎の周辺に闇が寄りついていたのはどういう理由によってだったのかは現時点ではよく分からない。またそのへんも描かれるのでしょう。

さて、この庵にやってきた闇は、悪行を行う闇の情報をたまと迅火に持ってきた。それは「生贄を要求するクセに村を守らない闇」についての情報で、これを聞いてたまは世直しのためにその闇を懲らしめると決定して、迅火と2人で出かけていく。ちなみに真介と灼岩は今回はお留守番です。

しかし、この「生贄を要求するクセに村を守らない闇」という言葉から「闇」というものの実態がよく分かる。こういう類の闇が懲らしめるべきけしからん相手だと見なされるということは、言い換えれば闇というものは本来は村を守るべき存在であるということだ。つまり本来は人間の味方のはずなのです。ただ、無償で人間を助けてくれるほど純粋なる善というわけでもない。生贄という見返りを要求するのです。いや全ての闇が生贄を要求するとは限らないし、逆にそもそも人間を守る気など無い闇もいることだろう。おそらく、たまの考えとしては、生贄など要求せずに村を守るのが理想的な闇の在り方なのであろう。ただ、ここでたまは闇が生贄を要求すること自体は一応は許容している。但し、生贄を取ったからには村を守る義務は果たすべきだと考えている。その義務を果たさない闇は悪であるというのがたまの認識です。

こういう「闇」の在り方というのは外国人には分かりにくいかもしれないが、日本人的な宗教観ではとっつきやすい。これは例えば日本神話に出てくるヤマタノオロチのような異形の神の姿に近い。また、昔話などではよく山の神や海の神などに生贄を捧げて村を守ってもらったりしている。これらは要するに自然神信仰であり、大自然というものは人間に恩恵ももたらしてくれる一方で、災厄をもたらすこともあり、善や悪が混然一体となった存在なのです。だから生贄を捧げてご機嫌をとって善を行ってくれるよう願ったりしなければならない。

この作品における「闇」という存在も「闇」という悪い意味を持つ漢字を当てていながら、それを「かたわら」と読むことによって人間の身近に居て守ってくれる善なる味方というイメージも持っています。つまり人間の身近に存在していて善にも悪にもなり得る存在が「闇(かたわら)」なのだといえます。これは一種の自然神のようなもの、日本神話で言う国津神、八百万の神々のような存在といえます。遠く天に住まう絶対神のような存在ではないので、絶対善ではない。だから生贄を要求するような闇が居ても仕方ないとは言えるのだが、生贄を受け取った以上は見返りとして善行を為して村を守らねばならない。その約束を守らない闇は悪として断罪せねばならないというのがたまの考え方なのでしょう。

なお、これは善良な闇からの情報提供であって、実際にこの不義理な闇によって生贄を要求されている村人たちから救済を求められて行動を開始したわけではない。つまり闇の世界にも自浄作用が機能しているのです。闇の社会にも善なる世界の実現を目指して試行錯誤する者たちがいて、そういう者たちがたまや迅火と繋がっている。逆に実際に被害を受けている人間の村の方はそういう悪しき現状を受け入れてしまっているようで、特に外部に対して救済を求めていなかったようだ。

たまと迅火が村に着いて、その問題の闇「グラグラ様」のもとに案内するようにと言うと、村人たちは迷惑そうにします。そして、たま達に「どうせ金目当てだろう」「この村にはそんな金は無い」と言う。つまり、人間の世界でも無償で闇を懲らしめてくれる人はそう居ないということです。法外な金を要求する者が多いのでしょう。そして村にはそんな大金は無いので現状を受け入れるしかないと諦めている。そして村の中でも立場の弱い者が生贄の役目を押し付けられていき、村の実力者たちは自分たちは安全圏に居ることが出来る。つまり、人間の世界にも悪ははびこっており、欲とエゴを剥き出しにした人間たちは弱者に負担を押し付けて平然としているのです。

だが、そんな村人たちに向かって、たまは「金など要らん」と言い、グラグラ様を懲らしめて悪行を止めさせる代償として「困っている見知らぬものに見返り無く親切にすると約束しろ」と要求する。更に「そして親切を受けた者にも同じように他の者に親切にするようにと言え」とも要求する。たまはこうすれば人間の世界は善に満ちるようになると考えているようです。どうやら、これがたまの考える「世直し」であるらしい。つまり、闇の世界からの情報提供で悪い闇を懲らしめて闇の世界の自浄作用を支援しながら、それによって恩恵を受ける人間たちには報酬を受け取らない代わりにこうやって善行のサイクルを作るよう諭していく。そうやって闇の世界も人間の世界も同時に善に満ちた世界に変えていこうというのがたまのプランのようです。

たまは前回、闇にも善なる者もいれば悪なる者もいるように、人間にも善なる者も悪なる者もいるのだと言っていた。だからたまは人間の善性に期待して、善なる者を増やしていきたいと思っているようだ。ただ、迅火にはそれはあまりに人間の善性に期待しすぎているように見える。迅火は闇が自然神のような存在であり崇敬されるべき存在だと見なしている。確かに悪を為す闇も存在するが、人間は善なる闇でも一緒くたにして狩ったりする。そういう人間の闇狩りの醜さを子供の頃から見てきた迅火は人間は醜い存在だと思っていて、たまのような人間の善性に期待する方法では世直しなど千年かかると言う。だが、たまは「千年後に良き世になっていれば大成功だ」と言う。まぁ長命の妖狐であるたまの時間感覚ならではの考え方といえます。

しかし、たま達をグラグラ様の棲む池に案内する役目を命じられた村の少年は千年後に良き世になっても何も救われないと思ったようで、たまに対して腹を立てます。この少年の母親が昨日グラグラ様の生贄にされて食われたのだそうで、少年はどうして昨日来なかったのかとたま達に悪態をつき「お前らなんか食われてしまえ」とまで言う。

それを聞いて迅火はこれが人間の身勝手さだと思い呆れる。せっかく無償で村を助けてやろうとしている相手に向かって、自分が救われないからといって悪態をつくとは、本当に人間は自分のことしか考えられない身勝手で愚かな生き物だと迅火は思う。そして、人間のこんな醜さを見ればたまも世直しなど諦めるだろうと迅火は期待するが、たまは少年に対して「他人の救い手に万能を求めるな!」と叱り飛ばし「万能の不在を努力せず憎み、救われぬことで他を妬むヒマがあるなら自らが万能の救い手たるを目指せ!」と説教する。つまり、闇の世界にも自浄作用、自己努力が必要であるように、人間の世界の世直しもまた自浄作用や自己努力でしか成し遂げられないというのがたまの考え方なのです。たまが出来るのは人々は善行のサイクルを作り上げるきっかけを与えることのみであり、実際に世を正していくためには人間自身の努力が必要なのです。他者は助けてはくれないのであり、他力本願ではそれは達成できないのです。

そうして池に着いて、たま達はグラグラ様と対峙して問答する。グラグラ様が「生贄を求めるのは村を滅ぼさない代償」と言うので、たまは「それでは代償の均衡が取れていない」と言い返す。生贄を取るのは村を守るためだったはずであり、グラグラ様自身が村を滅ぼさないだけでは、要するに何もしないに等しく、恐怖で脅して生贄をタダで喰らっているようなものです。それでは生贄になった者も浮かばれない。だがグラグラ様はたまと問答する気は無いようで全員食ってやると言い出す。

このようにたまは最初は一応はグラグラ様と問答して納得させて行いを改めさせようと努めていました。それは闇が本来は敬われるべき存在だということは認めて一定の敬意を払っているからです。だが相手が問答を拒否して暴力に訴えようというのなら話は別です。たまは「謝罪して悪行を改めねば殺す」と伝え戦闘開始となる。グラグラ様はたま達を舐めて攻撃してきたのだが、迅火が精霊転化して、たまを攻撃したことで激怒してグラグラ様を殺すと宣言すると、途端に怯えて、腹の中から道案内の少年の母親を取り出して人質とします。

これを見て迅火は困ったことになったと思った。迅火自身は人間がどうなろうと知ったことではないので人質など無視してグラグラ様を倒してたまを襲った報いを与えてやればいいと思っている。だが、たまが人質を助けるようにと言ってくる可能性があると思い、いっそたまが余計なことを言う前に一気にカタをつけようと迅火は考える。だが、一緒にいた少年が突然グラグラ様に土下座して自分を代わりに人質にしてほしいと泣いて懇願したので迅火は面食らう。少年は自分が人質になるから母親を助けてほしいと言っているのです。さっき少年がたまに悪態をついたのを見て「人間は自分さえ良ければいい身勝手な生き物」と思っていた迅火は少年の意外な一面を見て混乱する。人間は他者のために自分を犠牲にするような善なる心を持っているはずがないという迅火の先入観は揺らいだ。そんな迅火の心の揺らぎを見透かしたように、たまは「どうするかお前が決めろ」と迅火に言う。

そう言われて迅火は人質など無視してすぐに攻撃しようとするが、母親を救おうと必死な少年の姿が気になって身体が動かない。そうやって迅火が躊躇していると、そこに突然現れた侍がグラグラ様を切り刻んで倒してしまい、母親を救出する。だがこの侍は実は迅火を殺すために送り込まれた断怪衆の刺客であり、迅火が母親を殺すのを躊躇していたのを見て、今度はこの侍が少年と母親を人質にとって迅火に勝負を迫る。迅火が勝負を避ければ母子を殺すというのだ。迅火は人間の母子のために勝負するなど論外だと考えるのだが、それでもどうしても母子を見捨てられず、結局は勝負に応じることにした。

侍は「雷堂斬蔵」という名で「闇喰い人」と自称した。闇喰い人というのは文字通り、闇を喰う人間なのだそうです。闇の肉を好んで喰らう人間も存在しているのだそうで、斬蔵は断怪衆から倒すよう指示された闇を斬って、その肉をそうした闇喰い人たちに売ることを生業にしているようで、斬蔵本人も闇喰い人だそうです。それを聞いて迅火は激怒します。闇とは崇敬されるべき存在であり、人間ごときが闇を喰うなど言語道断だと怒って決闘は始まり、迅火は霊力を使って怒涛の攻撃を仕掛けるが、斬蔵は魔剣と称する奇妙な刀で強大な霊力を駆使して、迅火と互角の勝負を繰り広げる。

そうしてお互い疲弊したところで、斬蔵は魔剣では迅火に勝つことは出来ないと悟り、腰に挿していたもう1本の刀を抜く。それは霊力は全く無い普通の刀であり、斬蔵は普通に人間の剣術で迅火に挑む。迅火は人間の剣術ごときで精霊転化した自分に勝てるはずがないと舐めてかかりますが、斬蔵はかなりの剣豪であったようで、迅火は斬蔵の剣術に圧倒されて敗北してしまう。だが斬蔵は寸止めで刀を止めて迅火を殺さなかった。どうして殺さないのかと迅火が問うと斬蔵は「喰うため以外の殺生はいけないことだ」とか言う。そもそも刺客なのだからそんな理由で迅火を殺さないのはおかしな話であり、斬蔵には何か事情があるみたいで、これについては今回は謎が残ったのですが、それはさておき「喰うため以外の殺生はいけないこと」というのも、それはそれで斬蔵の1つの信念であるようです。

迅火は斬蔵が闇を喰っていることを非難したが、斬蔵にとっては闇は食い物なのであり、闇を殺すことは「喰うための殺生」なのであり仕方ないことなのです。斬蔵にとっては「喰うために闇を殺すこと」は「喰うため以外の目的で人や闇を殺すこと」よりはまだ許容されることなのだといえる。そうした斬蔵の考え方の背景には「人間も闇も価値は同じ」という考え方がある。一方で迅火は「人間は闇よりも価値が無い」という差別意識がある。だから迅火は斬蔵の人間の剣術を舐めてかかり敗北したのです。しかし、そうして敗北した挙句に命拾いしたことによって、迅火のそうした人間に対する差別意識のメッキが剥がれることとなった。迅火は後拾いして安堵してしまっていたのです。

これまで迅火は自分が人間であることをひたすら呪って、人間などやめて闇になりたいと言ってきた。だがこうして死にかけて命を拾った結果、迅火は人間として命を長らえて安堵していた。そんな迅火の自己矛盾を嘲笑うように斬蔵は「良かったな、命があって」と言う。迅火の人間蔑視など薄っぺらい偽物だと嘲笑っているわけであるが、そこには「人間も捨てたものじゃないぞ」という想いもこもっているようにも見える。迅火を殺さなかったことも含めて、斬蔵はどうにも完全な悪人というわけではなさそうなのです。結局は少年と母親のことも殺さなかったわけで、グラグラ様から母親を助けてくれたわけだし。

そして少年と母親は去って行く斬蔵に礼を言った後、迅火にも礼を言った。迅火が斬蔵との決闘に応じてくれたお陰で少年と母親は死なずに済んだからです。その決闘で迅火は破れて死にかけたわけですから、少年と母親から見れば迅火が命懸けで自分たちを助けてくれたように見える。だが迅火には自分はその感謝の言葉を受け取る資格は無いと思えた。そもそも自分は最初は母親を見捨てようとしていたし、斬蔵との決闘に応じたのだって勝てると思ったからに過ぎない。それなのに無様に人間などに負けただけの話だと迅火は自嘲するが、たまはそれでも少年と母親を見捨てなかった迅火の心の中には確かに人間に価値を認めようとする変化が生じつつあると思った。

そうして一旦、真介と灼岩の待つ庵に戻ったたまと迅火であったが、迅火は1人で近くの川辺に座って斬蔵との戦いを思い出していた。そこに灼岩が食事を食べるようにと呼びに来て、2人は少し会話します。そこで灼岩が昨日の決闘で迅火が命拾いしたことについて「生きてて良かった」「生きてさえいれば良いことがあります」と言うので、迅火はちょっと意地悪に「あなたは生きていて良いことがあったんですか?」と灼岩に問いかける。灼岩は人間として生きていれば良いことがあるように言うが、迅火の考え方では人間の世などは悪いことばかりで、生きていても良いことがあるとは到底思えない。実際、灼岩こそが人の世の悪の被害を最も激しくその身に受けて絶望しているはずではないかと迅火は思ったのです。

だが灼岩は「たま様や迅火様や真介様に会えました」と笑顔で応える。それを聞いて迅火は考え込む。実際のところ、自分たちに会えたことで灼岩に良いことなどまだ何も起きてはいないはずです。だが、それでも灼岩は「生きていて良かった」「生きていっれば良いことがある」と言う。それは自分たちに会った結果、灼岩が「化け物として生きるのではなく人間の弱さに向き合って生きていこう」と考え直すことが出来たことを指しているのだろう。そういう生き方をすることできっと良い人生を送ることが出来ると灼岩は考えるようになった。それが「人というものだ」とたまは言っていた。

そうしたことを考えていたところに、突然その場に断怪衆の使いがやって来て、再び斬蔵と決闘するようにと言ってくる。断怪衆は斬蔵が迅火を殺さなかったことで斬蔵を非難し再び戦い今度こそ殺すよう命じていた。どうやら斬蔵は妹を人質に取られているようで逆らえないようです。そして迅火に対しても「もし斬蔵との決闘に応じなければ大和家を潰す」と脅迫してくる。大和家というのはどうやら迅火の生家らしいのだが今回の内容ではまだ詳細は不明です。ただ迅火は大和家には特に思い入れは無い様子です。それでも斬蔵に負けたままではいられないと思った迅火は斬蔵との再戦に応じて、2人は再び激突します。

ここで迅火はどうすれば斬蔵に勝てるだろうかと思い悩み、斬蔵の人間の剣術に打ち勝つために剣術勝負に打って出るが完全に劣勢となってしまい絶体絶命となる。そうして今度こそ命を奪われる寸前となり、迅火は死にたくないと思った。灼岩のように、闇になるのではなく人間として生き永らえたいと思った。その迅火の必死な想いが導き出した危機を脱出しての大逆転の方法は自分の持てる最高の力を必死に相手にぶつけることであり、それは皮肉なことに人間の力ではなく闇由来の霊力の力であった。迅火は人間として生きるために闇の力で戦う道を選んだのです。そうして迅火は必死で繰り出した霊力の技を決死の覚悟で相打ち上等で自分と斬蔵目掛けて打ち込み、2人は相打ちで倒れたが、斬蔵の体力が尽きて迅火の勝利となった。

迅火は勝ち誇り「どうだ人間!私の勝ちだ!」と歓喜するが、そこには人間蔑視だけではなく、人間である斬蔵を対等な勝負の相手として認める想いも確かに存在していた。迅火は自分を殺すようにと言う斬蔵の命は奪わず、斬蔵に向かって「良かったですね、命があって」と先だっての決闘の際の意趣返しをして去っていったのでした。そんな迅火をたまも真介も灼岩も温かく迎え、たまは迅火に真介も灼岩も迅火の無事を願っていたと伝え「人間の友も悪くなかろう?」と言うのでした。

今回はここまでで次回に続きますが、次回はどうやら斬蔵の妹が次の刺客としてやって来るようです。人質にされているのかと思っていた斬蔵の妹は「人の身を捨てた戦鬼になった」とか言われていて「四獣将」というものになっているらしい。おそらく霊力改造強化人間なのでしょう。そういうわけで次回も楽しみですね。