2023秋アニメ 12月4日視聴分 | アニメ視聴日記

アニメ視聴日記

日々視聴しているアニメについてあれこれ

2023年秋アニメのうち、12月3日深夜に録画して12月4日に視聴した作品は以下の4タイトルでした。

 

 

アイドルマスター ミリオンライブ!

第9話を観ました。

今回は未来たちチームエイスの5人がデビュー前に同じ事務所の先輩アイドルであるナムコプロオールスターズのバックダンサーを務めるというお話でした。前回はチームフォースとチームフィフスの話で、実質はチームフォースの話であり、今回は冒頭でチームシックスがデビューを果たしたことが触れられ、チームセブンスもデビューイベントが決まって仕上げ中だという様子が描かれていました。次回あたりにセブンスのデビューもちょっと触れるのかもしれませんが、おそらくここからの終盤4話は主人公チームである未来たちのチームエイス中心の物語となっていくのでしょう。

それで今回は未来と静香と翼と紬と歌織のチームエイスの5人が函館に行ってナムコプロオールスターズの6人と接することになり、先輩アイドルからそれぞれがバトンを託されるということになります。ナムコプロオールスターズは第1話で未来たちがライブを見て感動してアイドルになることを決意した時の先輩アイドルたちで、本来はもっとたくさん居るんですけど、あの第1話のライブ以降はチームごとに分かれて全国ツアー中だそうで、それで今回は6人で函館でライブだとのこと。

このナムコプロオールスターズの6人、春香、千早、美希、真、雪歩、伊織というのはおそらくアイドルマスターシリーズのファンの人達にはお馴染みのキャラなんでしょうね。だから最初はファンサービス回なのかなという印象でした。ちなみに私はアイドルマスターシリーズのファンではないので、この6人については1ミリも知りません。だから最初は置いてけぼりになって楽しめないんじゃないかとも思っていました。でもしっかり初見でも感動出来ました。

こういうところが同じソシャゲアニメでも「ウマ娘3期」とは対照的なんだなと思いましたね。「ウマ娘3期」の9話も絶賛する声が溢れていますが、私はキタサンが「お祭りみたいに皆を笑顔にするために走る」という理由がどうしても腑に落ちない。それは「3期」の物語の中でその理由が描かれておらず、史実のキタサンブラックの馬主が北島三郎だからだというマニアックな事情を知らなければ腑に落ちない描き方になっているからです。また「だから私がサトノダヤモンドに勝つ」という脈絡も意味が分からない。それは単に史実の春の天皇賞でキタサンがダイヤに勝ったという史実に寄せているに過ぎない。

このように「ウマ娘3期」の場合は「ファンならば知っていること」を予備知識として持っていないとセリフが意味不明になっている部分が多く、初見ではストーリーを十分には楽しめない。絶賛しているのは「ウマ娘」ファンと、あとは作画と演出しか見ていない層だけです。既に一般アニメファンの多くは離れていると思われ、それゆえ絶賛の声しか無い状態となっている。私も「ウマ娘」ファンというわけではないが、そうした予備知識は持っているので、それを踏まえた上で楽しんではいる。だが、こういうファン向けに偏り過ぎた作りの作品はあまり良いとは思っていない。

それに比べて、この「ミリオンライブ」の第9話は、1ミリも知らない春香たち先輩6人のセリフがいちいち腑に落ちて素晴らしかったです。ファンサービス回かと思わせて、しっかり初見でも楽しめるように作ってくれている。そもそも未来たちエイスの5人だってここまでそんなに十分な描写があったわけではない。「ウマ娘3期」のキタサンやダイヤよりもずっと出番は少なかった。それでもちゃんとキャラに深みがあり、そこに更にポッと出の先輩6人が絡んで、ちゃんと普通に感動出来る話になっているのが凄い。

それも単に初見で楽しい話になっているというだけでなくて、春香たち先輩6人のセリフがいちいち「この子ならこういうこと言うんだろうな」と納得感の高いものになっていたのが凄い。私は春香たちの物語を1ミリも知らないのに、何故かそう思えるのです。それだけでなく、春香たち6人のセリフを聞くと、何故かその知らない6人のこれまでの物語のシーンが思い浮かんでくる。それだけしっかり今回のストーリーが作り込まれているということでもあり、スタッフがそこに既存の春香たちの物語を違和感なく落とし込めているということなのでしょう。「ウマ娘2期」はこれがちゃんと、もっとハイレベルで出来ていた。「名作」というのはそういうことが出来る作品なんだなと思います。それが出来ているか出来ていないかの差が「ミリオンライブ」と「ウマ娘3期」の差だと思います。もちろん「ウマ娘2期」でも脇役では意味不明なキャラはいたし、「ミリオンライブ」も全員がしっかりキャラ描写が出来ているわけではなく、完璧な出来ではない。ただ、メインキャラを使ったキメ回でこうしてしっかり決めてくることが出来るか出来ないかの差は決定的だと思う。

今回のお話としては、プロデューサーと共に函館に行った未来たち5人がライブ会場で春香たち6人と合流して一緒にダンス練習をしたところ、翼以外は全くついていくことが出来ず落ち込みます。そして、そんな未来たちを見てプロデューサーも何も言えなくなってしまいます。そしてその夜、静香はリハーサルで千早が唄っていた曲を浜辺で1人で唄い、自分も千早のようにこんな曲を素敵に唄えたら父にもアイドルとして認めてもらえるのではないかと思って焦ります。すると、そこにたまたま通りかかった千早が静香の唄を聞いて声をかけてきます。それで浜辺で座って話をして、静香が父親に認めてもらわなければいけない事情の話をすると、千早は静香はもうアイドルに必要なものを持っていると言って認めてくれる。それで静香は焦る気持ちが和らいで再び地道な努力をしようという気持ちになる。

一方、落ち込んだ紬と歌織はこれまでの努力が通用しなくてこれからどうすればいいのか分からないと途方に暮れて2人でお茶をしていると、真と雪歩と伊織が通りかかり一緒にお茶をすることになり、紬と歌織が真たちを凄いと言って褒めると、真たちがずいぶん照れて嬉しそうにしているので紬たちは意外に思う。もっと褒められるのに慣れていると思ったからですが、真たちは自分たちだって最初はダメダメで一歩ずつ上手くなってきたから褒められたら素直に嬉しいと言う。そして真たちは紬たちだってすぐに上手く出来るようになると言ってくれたので、紬と歌織は勇気が出て来る。

また、ただ1人だけ先輩たちの練習についていくことが出来て余裕の翼は憧れの先輩である美希にサインを貰おうとしてホテルの部屋に行くが留守で、その後1人でレッスン場で自主練する美希を見つけて声をかける。そこで翼は美希に昼間のダンスを褒めてもらうが、同時に本気でやっていないと指摘され、本気でやっていないと今のままだから、すぐに未来たちに追い抜かれると言われてしまう。

その一方で未来は昼間の練習でダメだったのが気になって眠れず、ステージに行って明日の本番をイメージしようとします。するとそこに春香がやって来て、自分も同じだと言う。春香も本番の前の夜はステージに来て、明日の本番のライブをイメージするのだそうで、そうすると「きっと上手くいく」と前向きな気持ちになれるのだという。それで春香と一緒に未来も明日のライブをイメージして、自分が最初に春香たちのライブを見た時みたいにお客さんがみんな笑顔だと言う。すると春香は未来が自分たちのファンのことを見てくれていたことを喜び、自分はファンをとても大切に想っているのだと言い、明日のライブできっと未来も同じ気持ちになるはずだと言ってくれる。それで未来も前向きな気持ちになり、明日のライブが楽しみになる。

そしてプロデューサーは先輩プロデューサーに自分は落ち込む未来たちに声をかけることが出来なかったと言って愚痴りますが、先輩は「それはお前がそれだけ彼女たちの心に寄り添っているからだ」と慰めてくれて「一緒に成長していけばいい」と言ってくれます。そして「1人でやってるわけじゃない」「彼女たちと一緒に作っていきたい」と言っていたプロデューサーの初心はしっかり一貫していることを認めてくれて、その手段は上手く言葉で表すだけじゃないのだから今のやり方で大丈夫なのだと背を押してくれます。

そうして未来はぐっすり寝た後、ライブが楽しみで早朝に起きてレッスン場で自主練をする。するとそこに静香もやって来て、更に美希に「本気でやってない」と指摘されても「本気でやる」というのがどういうことなのか分からず悶々としていた翼がやって来て、そこに更に紬と歌織もやって来て、5人で早朝の自主練習をすることになった。そして、その5人の様子を見てプロデューサーは朝食を用意して差し入れに来てくれる。そして本番のライブは大成功で、終了後は翼も美希に「本気出してた」と認めてもらえるが、まだ本気がづいうものかは分からず悩みます。一方、静香は千早に次のリサイタルで一緒に歌ってほしいとオファーを受けて驚く。そういう所で今回は終わり、残りは3話ですが次回は静香のお話みたいですね。その後はラスト2話で、エイスのデビューを描いて、それからやはりシアターのお披露目公演で全員ライブで締める感じでしょうかね。

 

 

MFゴースト

第10話を観ました。

今回はMFGの第1戦が終わって第2戦の前にカナタのハチロクをチューンナップする話でした。エンジンを弄ってパワーを上げるのではなくて足回りを弄って速く走れるようにするという方法となりました。このあたりはちょっとマニアックで私にはよく分かりませんでしたけど、とりあえずカナタが嬉しそうで何よりです。

あとはカナタと恋の日常ラブコメが描かれていて、まぁほとんど恋の一方的なラブコメなんですけど、エンジェルをやってることを告白しようとしたけど緒方に邪魔されて告白出来なかったりします。しかし緒方も恋が7番ちゃんだって気付かないんですね。カナタだけが鈍いのかと思ってたんですけど、案外分からないものなんでしょうね。それからカナタがウエィターのバイトを始めたりして相変わらずイケメンでした。相葉は相変わらずバカで、望は勝手にカナタと結婚する計画を立ててたりして、そして最後に意味ありげに4番の男が登場しました。まぁだいたいそういう感じで、やっぱりレースが無いと散漫な印象ではあるんですが、それなりには観れるんですよね。残り2話ですが一体どういう所で終わるのかよく分からないながらも、それなりには楽しませて終わってくれそうです。

 

 

君のことが大大大大大好きな100人の彼女

第9話を観ました。

今回は前半パートは6人でフラワーパークにデートに出かけてブーケトスイベントに参加するというドタバタギャグ話であり、後半パートは打って変わって突然のシリアス展開となり、羽香里が母親によって恋太郎と引き離されてしまいます。

まず前半パートですが、ブーケトスイベントでブーケをゲットした女性はウェディングドレス姿で恋人と模擬結婚式の記念写真を撮らせてもらえるとのことで、羽香里はここのフラワーパークのブーケトスイベントで勝って恋人と結婚写真を撮るのが子供の頃からの憧れだったようで、そのためにこのフラワーパークでのデートを提案したようです。

そうして恋太郎たちは皆でブーケトスイベントに参加するが、ゴリラ連合というレディースの暴走族が集団で参加しており、優勝するのは容易ではない雲行きになってくる。そこで羽香里は6人でブ^ケを奪い合っている場合ではないと言い、6人で協力してブーケをゲットして、その後で女子5人でくじ引きで恋太郎と一緒に結婚写真を撮る権利者を決めようと提案し、皆もそれを了承します。そして静は危険なので応援係に回ってもらい、楠莉は打消し薬を飲んで大人の身体に戻って参加する。更に恋太郎は自分たちのチーム名を「恋太郎ファミリー」と決めて大きなタオルにマジックで「恋太郎ファミリー」と書いて静に掲げて応援してもらうことにした。

それでさすがに「他の参加者への暴力は禁止」というルールのもとブーケトスイベント開始となり、ブーケを投げるのは元砲丸無げ選手だという教頭先生。そして教頭先生が遥か遠くに投げたブーケ目掛けて多数の参加者が走る中、ゴリラ連合は仲間同士の乱闘に偽装して他の参加者たちを吹っ飛ばして排除していくという汚いやり方。そこで唐音がゴリラ連合のメンバーから特攻服を奪ってそれを着て即席のゴリラ連合構成員となり乱闘に加わってゴリラ連合を食い止める。

そしてゴリラ連合が旗を使って起こした上昇気流でブーケを飛ばしてゴリラ連合側に落とそうとしたところ、その上昇気流に静が巻き上げられていて、静が上空でブーケをゲットし、そのまま落下するが、羽香里と凪乃と楠莉の巨乳がクッションとなって跳ね返り、そこを恋太郎が静をスライディングキャッチして恋太郎ファミリーの優勝となる。

そうして5人のヒロインでくじ引きとなるが、言い出しっぺの羽香里は実はくじに細工をしていて自分が当たりを引けるようにしていたが、凪乃が効率重視でみんなで一斉に引こうと言い出して計画は失敗しそうになる。しかしたまたま当たりを引いたのは羽香里であり、羽香里は大喜び。だが楠莉が自分が恋太郎と写真を撮りたかったと駄々をこねて、それを見て羽香里は楠莉に権利を譲ると言い出す。

羽香里は自分が恋太郎と写真を撮るよりも他の彼女と恋太郎が写真を撮る方が良い思い出になるのだと考えたようです。皆は羽根香里の意外な行動に驚きますが、楠莉は「恋太郎のことも羽香里のことも好きだから2人で撮ってくれると嬉しい」と言って権利を羽香里に返す。それで羽香里は皆で一緒に撮ろうと言い出して、恋太郎と羽香里の結婚写真の両脇に他の4人も並ぶ家族写真みたいになります。そして写真撮影の後、羽香里はこの写真を撮るのが子供の頃からの憧れだったと言い恋太郎に感謝の言葉を伝えた上で、別れを切り出す。

その後、羽香里は突然姿を消してしまい、ここから後半のシリアスパートに突入し、羽香里の家に行ってみた恋太郎は凄い豪邸でビックリし、羽香里が二階の部屋の窓辺にいるのを発見して大声で呼びかけるが警備員に追われてしまう。すると家の電話から羽香里が恋太郎のスマホに電話してきて、母親に恋太郎と五股交際していることがバレてしまい、母親が自分と恋太郎を引き離すために自分は引っ越しさせられて転校させられるのだと言い、お別れするしかないということを伝える。そして恋太郎は警備員に排除されてしまい、羽香里は母親にどうしても恋太郎と別れないというのなら恋太郎に危害を加えると脅されて、それだけは止めてほしいと言い、恋太郎を諦めます。

恋太郎は絶望して諦めそうになりますが羽香里の笑顔を取り戻すために精一杯のことをやらねばならないと思い直し、羽香里を連れ去って駆け落ちする決意をする。そして、そうして逃げている間、他の4人の彼女たちをほったらかしにしてしまうことを申し訳なく思い、いつか必ず帰ってくるから待っていてほしいと言って4人に頭を下げる。だが4人は待てないと言い、自分たちも一緒に逃げると言い出す。4人とも恋太郎と同じぐらい羽香里が大切だからでした。そういうわけで5人で羽香里を奪いに行くことになり、今回はここで終わり次回に続きます。

この作品は何話で終わるのかまだ公式告知はありませんが、もし13話までやるとしたら大晦日の深夜放送となりますから、その可能性は低いだろうと思われ、ならば全12話で残り3話という可能性が高そうですが、もしかしたらキリが良いところということで全11話で残り2話という可能性もあるかもしれません。とにかく次回は大混戦ドタバタギャグ展開になりそうですね。

 

 

オーバーテイク!

第10話を観ました。

今回は物語の舞台は再びレース場に戻ってきます。この作品はここからが正念場でしょうね。前回は文句無しの神回でしたが、それでも今期Sランクのトップ争いの相手の「ティアムーン」も「16bit」もかなりボルテージを上げてきていますし、基本的にこの2作品の方が内容が濃厚なんですよね。この作品がダメだったんじゃなくて、あの2作品が凄かった。あの2作品に勝つためには、この作品のアドバンテージはストーリーの質の高さですから、愚直に最後まで綺麗に物語を繋いでいくしかないです。前回は確かに文句のつけようのない神回だったんですが、あれは特別編のようなものだと私は思っています。東日本大震災を題材にしてあれほど完璧なエピソードを作れば、そりゃあ批判なんて出来るわけがない。今期一番の神回に推してもいいぐらいです。でも、あれはあくまでこの作品の本筋の話じゃない。前回出した結論を、この作品の本筋であるレースの物語の中に綺麗に落とし込んで完結させてこそ、この作品の大逆転の目があるというものです。逆にそれが上手く出来なければ「カノジョも彼女」も猛追してきていますから油断は出来なくなってきます。「ミギとダリ」と「Helck」はまだちょっと分からないですね。現状はまだこの作品にとっての脅威ではないと思います。

そういうわけで、この作品は残り3話が正念場となりますが、そのクライマックスの導入である今回はなかなか良い感じだったと思います。前回のテーマが今回のテーマに綺麗に繋がったと思う。まず今回の冒頭は前回のダイジェストが流れます。悠が正三さんの病室で「孝哉は見捨てたりしていない!ずっと背負っていた」と言う場面、孝哉が正三さんに「これからもいっぱい撮れ」と言われてスマホの写真を見て号泣する場面、そして正三さんの葬儀の後、孝哉が「お待たせ」と言うのに対して悠が「全然待ってないよ」と応える場面です。そしてその後今回の場面が始まり、小牧モータースにやって来た悠が「ベルソリーゾの誘いを断って小牧モータースでレースに出て表彰台を目指す」ということを告げる場面となります。

太や錮太郎はプロを目指すならベルソリーゾで走った方が勝ち星も稼げて良いはずだと悠に言いますが、悠はそれはよく分かっていると言いつつ「俺の目的はプロになることじゃない」と言います。いずれはプロを目指すだろうけど、その前にやらなければけないことがあるのだと悠は言う。それは「自分の力で表彰台に上がってそこからの景色を見たい。父さんに見せてもらった景色を自分の力で見たい」ということでした。

これは以前にも悠が言っていた、彼がレーサーを志した最初の理由でした。そして、それにずっと拘って悠は走ってきた。それはどうしてなのかというと、悠は子供の頃に自分が表彰台からの景色をもう一度見たいという期待から父親にプレッシャーをかけすぎて、それが父親の事故死の原因になったと思っていたからです。それは悠が自分自身にかけてしまった「呪い」でありました。その「呪い」を解除するために悠は「父親の力で表彰台に登ろうとした弱い自分」から訣別して「自分1人の力で表彰台に登ることが出来る強い自分」にならなければいけないと思った。だから悠はレーサーを志したのだが、それは、その目標を達成するまでずっと「呪い」に縛られ続けることを意味していた。

それゆえ悠は「自分1人の力で勝つこと」に強く拘り、他人の助けを拒絶する傾向もあった。孝哉が悠に出会ったのはそういう頃です。この時、孝哉は東日本大震災から12年間、人物写真を撮れなくなっていたのだが、悠の写真を何故か撮ることが出来た。孝哉が人物写真を撮れなくなっていた理由は12年前のももちゃんの写真を撮った時に気付かされた「一瞬しか切り取ることしか出来ない写真で他人の人生を撮ることの恐ろしさ」という「呪い」によるものでしたが、悠の写真を撮ることが出来た理由はその「呪い」の内容はあまり関係なく、おそらく「自分と同じように呪いに囚われ、呪いに向き合っている人間」を無意識に悠に感じて、そうした親近感や安心感のようなもので自然にシャッターを押せたのでしょう。

それで孝哉は悠が自分が前向きになれるきっかけになるのではないかと考え、悠を応援したいと思うようになり小牧モータースに関わるようになりスポンサー探しまでするようになった。そんな孝哉の前向きな様子は心の奥には「呪い」を抱えたままの表面的な明るさや積極性であったのだが、悠はそんな孝哉の明るさに影響されるようになり、父親に死によって自分自身にかけた「呪い」に縛られずにただ純粋に速く走ろう、ただ純粋に勝つために走ろうと思うようになった。そうすると、孝哉が見つけてきてくれたスポンサーの支援のお陰もあってか、悠の成績は好転してきた。

そんな中、悠は孝哉が東日本大震災の時に撮った写真による何らかの「呪い」に縛られて人物写真が撮れなくなっていたのだという事実を知り、自分と似ていると感じた。そして孝哉が自分の写真だけは1回撮れたということも知り、自分が孝哉のおかげで「呪い」から救われたこともあり、自分が孝哉の「呪い」を解くきっかけになりたいと考え、父の墓参に行った際に、自分が父親の死に起因する「呪い」を解くためにレーサーを目指していたことを打ち明けた上で、今はその「呪い」から自由になり純粋に速く走りたいと思うようになれたのだと言い、孝哉にもそうなってほしいと伝え「自分が表彰台に上がる時は孝哉に写真を撮ってほしい」という約束を交わしました。

その後、マラソン大会の後で孝哉は再び悠の写真を撮ることが出来たのですが、これはおそらく前回のラストで孝哉がスマホで自分が撮っていたももちゃんの笑顔の写真を見て救われた時と似たような心境によるものだったのでしょう。つまり「呪い」に向き合い続けた先にあるものが地獄ばかりではなく救いもあるのだという発見です。孝哉は父の墓参時の悠の告白によって、悠がずっと「呪い」と向き合ってレースをしていたことをハッキリ知った。その上でマラソン大会の後、悠が小牧モータース社長の太に賞品を贈るためにマラソンを走ったのだと知り、レース後に抱き合う悠と太の姿を見て、悠が「呪い」と向き合って戦い続けるのをずっと支えてきた太が悠の「呪い」の中での救いになっていたのだと知って、孝哉は安心したのだと思います。それで、マラソン大会の後、孝哉は人物写真を撮れるようになったのです。

だが、それは「呪いの中にも救いはある」という安心感であり、「呪い」そのものが無くなったわけではない。普通の差しさわりのない人物写真が撮れるようになっただけであり、孝哉の心の中にはずっと「一瞬しか切り取ることしか出来ない写真で他人の人生を撮ることの恐ろしさ」という「呪い」は存在していた。悠は自分が「呪い」から自由になって速く走れるようになったのと同じように、孝哉にも「呪い」から自由になって気楽に人物写真を撮れるようになってほしいと思っていたのだが、孝哉の考えは違ったようです。孝哉は「呪い」を忘れられなかった。いや、というよりも「呪い」を忘れてはいけないと思っており、「呪い」にはずっと向き合っていかねばいけないと思っていたのです。

「最高の一瞬を切り取る」というのが正しい写真の撮り方だといえます。しかし「一瞬を切り取ることしか出来ない写真には人生の全てを映すことは出来ない」というのは写真という物の持つ限界であり「呪い」だといえるが、同時にそれが写真の真理でもあります。つまり「正しい写真の撮り方をしているだけでは人生を撮るには足りない」のです。写真の限界という「呪い」に向き合い苦しみ続ける中でしか撮れない写真、撮れない人生がある。「正しいことをしているだけでは足りない」「正しいことをしているだけでは後悔することになる」のです。まさに12年前の孝哉のように。

だから孝哉は雨の鈴鹿のレースの時に「純粋に勝つための走り」を選んだ悠に反対し、悠とぶつかった。「勝つために走る」というのはレーサーとして正しいことです。だから悠は正しいことをやろうとした。しかし孝哉は「正しいことをしているだけでは後悔することになる」と言って反対した。レースも写真と同じで「正しいことをしているだけでは足りない」のでしょう。正しい走り方だけでは人生を預けるには足りないのでしょう。レースも写真も同じで、人生全てをカバーし切れるものではないのです。だから正しいやり方だけでは足りない。実際、雨の鈴鹿のレースでは悠と同じ「正しい走り方」をしたベルソリーゾの春永は事故を起こして後悔することになった。

この雨の鈴鹿の経験から、悠は孝哉がまだ「呪い」を抱えていることを知り、自分が孝哉に対して無神経であったことに気付き反省した。一方で孝哉はクラッシュした春永を撮ろうとして、必死の春永の視線を覗き込んでしまい「一瞬を切り取る写真で他人の人生を撮る覚悟」を問われてしまい再び人物写真が撮れなくなった。「呪い」そのものは変わらずに孝哉の心の中にはあったのであり、この時は春永の視線の厳しさによって、悠と太の絆によって与えられていた安心感が打ち消されてしまったということなのでしょう。

その後、スポンサーの撤退によって窮状に陥った小牧モータースから一旦抜けて、悠は笑生の誘いを受けてベルソリーゾで走るようになり、笑生から「ミスしない走り」「勝つための走り」が正しい走り方だと教えられる。そうして正しい走りで勝ち続けてプロのレーサーになるという道が悠に開けてきた。だが悠は何故かそれがしっくりこない。そんな中、鈴鹿レース以降姿を消していた孝哉が岩手の大船渡に居ると分かり、悠は今までの非礼を謝りたいというのと、そこに孝哉が人物写真を撮れなくなった本当の理由があるのだろうと思い、大船渡に向かって孝哉に会ったというのが前回のエピソードでした。

そうして前回、悠は孝哉がずっとももちゃんを助けることが出来ずに写真を撮ってしまったことの後悔に苦しんできたこと、そして「一瞬しか切り取ることしか出来ない写真で他人の人生を撮ることの恐ろしさ」という「呪い」とずっと向き合ってきたということを知った。だから悠は正三さんの病室で親族たちに対して「孝哉は見捨てたりしていない!ずっと背負っていた」と言ったのです。では、その場面と同じく今回の冒頭で前回のダイジェストシーンとして流れた、悠が孝哉に「全然待ってないよ」と応えた場面の意味は何なのかというと、あれは悠の心の変化を表しているのでしょう。

孝哉が「お待たせ」と言ったのは、やっと自分に付き合わせる用事から解放して悠を御殿場に帰してあげることが出来るという意味で言っており、それは悠が本来すべきことはレーサーとして「勝つために走ること」なのであり、自分の用事に付き合うのは悠の本来すべきことではないという意味合いでの発言といえます。だが、それに対して悠が「全然待ってない」と応えているということは、悠にとっては「勝つために走ること」「正しい走り方」よりも孝哉の用事に付き合うことの方が重要だったのだという意味合いなのです。それはつまり悠が「正しい生き方」よりも孝哉のような「呪い」に向き合う生き方の方に共感を抱いたということを意味する。

そして、それがその後の悠がベルソリーゾよりも小牧モータースを選んだシーンに繋がってくる。悠はベルソリーゾで走った方が速く走れるし勝つことも出来るということは分かっている。それが「レーサーとして正しい」ということも分かっている。その上であえて悠は「正しい道」を捨てて、今は「自分の力で表彰台に上がってそこからの景色を見たい。父さんに見せてもらった景色を自分の力で見たい」のだと言う。これは一旦は「呪い」から自由になって「正しい道」を歩き出していたのを修正して、再び「呪い」に縛られる生き方に戻ると言っているのです。

それは、孝哉がずっと自分の犯したミスや写真の持つ「呪い」と向き合って生きてきたのを見て、悠が自分もそうありたいと思ったからでしょう。自分の「呪い」を無かったことにして忘れ去って、純粋に速くなろうとしたり、純粋に勝利だけを求めるやり方は少なくとも今の自分のすべきことではないと思ったのでしょう。まずは自分の力で表彰台に登るという誓いを果たして「呪い」を乗り越えるまでは「呪い」に縛られながら藻掻こうと悠は思ったのです。それが自分や他人の人生に真摯に向き合って走るということだと悠には思えたのでしょう。

もちろん、それは「正しい道」ではない。だから、それは「正しい走り」を追求するチームであるベルソリーゾでやるべきことではない。この自分個人の「呪い」に拘るレースは、その自分の「呪い」にずっと付き合ってくれてきた小牧モータースでやるべきだと悠は考え、だから小牧モータースに復帰したのです。そして「正しいことを正しくやっただけじゃダメな時もある。孝哉と一緒に居て色々考えたんだ、本当に大事なのは何かってこと」と悠は言う。少なくとも今の時点の悠にとって必要なのは「正しいことをすること」ではない。「正しいこと」だけでは拾いきれないものが悠の人生には溢れている。それを拾うためには孝哉のように「呪い」に向き合う必要があるのです。

勝てるために出来ることをするのが正しいプロの在り方だということは分かっているけど、プロじゃない今だからこそやっておきたいことがあるのだと悠は言う。それが小牧モータースで表彰台に上がることだという悠の言葉を承けて、太も錮太郎もそれを喜ん受け入れ、小牧モータースは再始動したのでした。一方で孝哉の方は正三さんの言葉とももちゃんの笑顔の写真のおかげで再び安心感を取り戻して人物写真を撮れそうな気分になっており、最初に撮るのは悠が表彰台に立つ写真と心に決めて、ひとまず人物写真の仕事は入れないでおきます。ただ、もちろん生涯「呪い」とは付き合う覚悟の孝哉ですから、常に人物写真を撮る時は覚悟を問われており恐怖心はある。まだ本当に撮れるかどうかは分かりません。

一方、ベルソリーゾでは悠にセカンドドライバーを断られたことで、春永の復帰を待ちながら徳丸にファーストドライバーを任せるという態勢になったようで、結果的に春永がチームから切られずに済むことになったが、徳丸はファーストドライバーのプレッシャーに苦しんでいた。今までは後ろを走っていたから先頭を追い抜こうと思って攻める気持ちで走ることが出来たが、先頭を走ると敵は後ろにしかおらず、後ろの敵は自分がミスするのを待っている。そのプレッシャーの中、ずっとミスしない走りを続けるのはキツい。春永はずっとそういうプレッシャーの中で走っていたのです。

だが、その春永も結局はミスをして入院中です。しかし春永は医師の処方を受けて病室で地道にリハビリに励んでいる。そして「前に進むには乗り越えないといけない」と、リハビリに付き添ってくれている亜梨子に言い「どんなことであっても」と添える。これは亜梨子に教えられたことだと春永は言いますから、ニキ・ラウダが大事故の後で復帰を信じて地道なリハビリに励んだことを指しており、「どんなことであっても」とは「ミスを乗り越えて前に進む」ということを言っているのです。それは孝哉が12年前のミスや呪いを受け入れて生きていこうとしている姿勢と同じといえます。そして春永はF1を見据えた持久力トレーニングもこの段階で始めており、彼にとっての「前に進む」というのはF1参戦まで視野に入れている。彼がそうした視野を持つことが出来たのは、あの鈴鹿のミスによる事故の挫折と、そこから立ち直らせてくれた亜梨子の言葉によるものであった。

そうして迎えた次のレース、悠は練習走行では調子が良かったが予選は不運が重なり決勝は14番手でスタートとなる。一方でベルソリーゾでは徳丸はセカンドドライバーの結谷に先に行かせて後ろに付く作戦でプレッシャーから逃げますが、結谷が遅くて後ろが詰まってしまい、その挙句に先頭のプレッシャーで結谷がミスしてコースアウトし、結局は徳丸が先頭で後続車のプレッシャーを受け続けてしまうことになる。その苦痛に耐え続ける徳丸の様子を病室で観戦しながら、春永はそれを耐え抜くためには「それでも先頭を走りたいと思って攻める気持ち」なのだと徳丸にエールを贈ります。

一方、スタートで先行車が失敗した隙に一気に順位を上げて走り出した悠は、その後のコーナーで縁石に乗り上げながら果敢に攻めて順位をどんどん上げていく。これは「ミスをしない走り=正しい走り」ではない。「正しい走り」ではなく自らに科した「呪い」に真正面から向き合った果敢な攻めの走りなのであり、これを観戦した春永は「ミスしないギリギリの走り」と評する。そうして遂に悠は2位にまで上がり、先頭の徳丸に猛烈なプレッシャーをかけ、今日こそは表彰台を狙えると思わせたが、そこまでの果敢すぎる攻めでタイヤがヘタってしまい調子を落としてズルズル後退して4位で終わってしまい惜しくも表彰台を逃し、辛うじて徳丸が価値を拾って優勝した。そういうところで今回は終わり次回に続きます。これで残りは2話となり、いよいよクライマックスです。今回は惜しくも表彰台を逃しましたが、今の悠の走りならば決勝のスタート位置が良ければ表彰台は狙えると思うのですが、やはりタイヤ問題は解決しないといけないかもしれませんね。