2023夏アニメ 8月5日視聴分 | アニメ視聴日記

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日々視聴しているアニメについてあれこれ

2023年夏アニメのうち、8月4日深夜に録画して8月5日に視聴した作品は以下の6タイトルでした。

 

 

聖者無双

第4話を観ました。

今回はルシエルが冒険者ギルドに来て1年経ってブロドの訓練から遂に卒業して独り立ちするまでが色々と駆け足で描かれました。魔物の解体をして凹んでいたところを冒険者ギルドの受付嬢に慰めてもらったり、冒険者ギルドの受付嬢たちに一般常識を教えてもらったり、治癒士ギルドの受付嬢の人が悪徳治癒士の不正を糾弾したら殺されかけて、それをルシエルが救ったり、魔物の出現で冒険者に大量に怪我人が出てルシエルが頑張って命を救ったりと、色々なことがありまして、そうして1年が経ってブロドの訓練期間が終わり、ルシエルはお金を稼ぐために治癒士として外で仕事を請け負うことになりました。そういう門出が描かれて今回は終わり、次回から新展開となるようです。

個々の話は別に悪くはないんですけど、どれも駆け足であっさり終わる話ばかりで、とにかく次の新展開まで話を進めたいんだろうなぁとは思いました。ただ、もしかしたら新展開になった後もこんなハイペースで物語が進んでいくのかもしれません。まぁそうでなかったとしても、この話の続きを見たいかというと微妙ですね。なんか「冰剣」みたいなブッ飛んだギャグを期待してたんですけど、なんか妙に真面目なんですよね。その真面目さのお陰で確かに悪い印象ではないんですけど、面白くないのもまた事実。こんな感じのちょっとイイ感じのあっさり話が続いていくだけならやっぱり退屈であり、続きが観たいとは思えない。やっぱり今回で視聴を切らせていただくことにします。

 

 

七つの魔剣が支配する

第5話を観ました。

今回も結構面白かったです。話の方はまだ佳境でないし散漫な印象はあるんですがキャラが意外とみんな立っていて良いんですよね。特にメイン6人はかなり良い。ミシェーラとガイはまだ掘り下げが浅いがちゃんと役割は果たしており、ちゃんと魅力はある。オリバーとナナオは素晴らしいしカティも魅力的なヒロインであり、ピートもまだ分からないところもあるが性格はよく描かれていて、とにかく全員に感情移入は出来る。この手の異世界設定の作品でここまで多くのキャラにい感情移入できるのはなかなか大したものです。

話の方は前回のガルダ事件の背後に亜人を擁護する立場の人権派による反人権派への攻撃の意思があったのではないかとオリバー達が推理して、そこから真面目な話になるかと思いきや、ガルダとの戦いで首を斬り落としたナナオが一躍人気者になった一方でサポートに徹したオリバーが皆に認められていないことにカティが憤り、それを聞いたミシェーラがオリバーにキスをしてご褒美をあげると言い出し、そこにナナオも割り込んできてオリバーの頬にキスをして、オリバーに対して自分にもご褒美のキスをしてほしいという、なんか急にオリバーがモテモテの展開になりカティが嫉妬しまくることになるというのが笑えた。とりあえずヒロイン3人みんな可愛すぎます。更にオリバーの従姉まで登場してオリバーにキスしますが、オリバー自体にかなり謎があるだけに、この従妹というのも結構気になる存在です。

その後は錬金術の授業のシーンでオリバーの優秀さが教師に認めれますが、アンドリューズがその教師には気を付けた方がいいと忠告してくれる。アンドリューズが前回の事件でオリバー達を認めて親近感を持ってくれたようで何よりです。またアンドリューズのとりなしで入学式の日にカティに悪戯をした犯人が名乗り出てきます。それは同じクラスの反人権派の女生徒で、彼女は謝罪するが、よくよく話を聞いてみると彼女はカティに恥をかかせようとしただけであり、トロールの暴走には関与していないことが判明した。つまりトロールを暴走させた犯人は別に存在するということです。

そんな中、ナナオが入学式の時に例のトロールが脱走を図っていたように見えたと言ったことからオリバーは何かに気付いてトロールのもとに向かうと喋れないはずのトロールが喋るようになっていて、カティがある人物に連れていかれたと伝えてくる。どうやらそのトロールは人権派の過激な実験で言語を喋れるように魔法で脳改造されていて、その実験が苦痛で入学式の日に脱走を図ったようだった。そして先ほどカティが心を通わせたことによって初めてトロールが言葉を喋るようになり、それを見た実験主がカティを拉致していったのだという。

それでオリバーとナナオが急いで地下迷宮に向かうと、その犯人は4年生のミリガン先輩と判明する。カティの良き理解者のように振舞っていたミリガンであったが、その正体は人権派の急進派の魔法使いであり、トロールの脳改造を行った下手人であり、そしてトロールの能力を開花させたカティの能力に興味を示してカティの脳も解剖して調べようとしていたマッドサイエンティストであった。また先日のガルダ事件もミリガンによるものと判明し、オリバーとナナオは捕らわれたカティを助けるために邪眼使いのミリガンと戦うことになる。そういうところで今回は終わり次回に続きます。

 

 

彼女、お借りします(第3期)

第29話を観ました。

今回は遂に映画撮影が始まります。前回のラストでクラファン最終日に遂に予定額の資金が集まり映画作りにゴーサインが出て、今回は大学も夏休みに入っていよいよ千鶴主演の映画撮影が開始し、一気にファイナルカットの撮影を残すのみという局面までが描かれました。割と一気に話が進みますが、映画撮影そのものが割と短期間で済ますものですし、いざ撮影が始まると千鶴はひたすら演技に集中しますし、和也は逆に大したことも出来ずひたすら雑用に走り回りますし、2人の接点自体があまり無い。だから駆け足で描かれたわけなんですが、そんな中でもたまたま2人が一緒になった時の印象的な会話のシーンや、撮影のトラブル時に身体を張って活躍する和也の場面など、見せ場はしっかりありました。そんな感じで前半パートは急テンプで話が進んでいき、後半パートになると次回の山場に向けての導入部分がじっくり描かれて、話が一気に盛り上がって期待感マックスの状態で次回への引きとなりました。

まず冒頭、映画撮影開始を控えて、集まったクラファンの資金に寄せられた支援者たちの期待の重みに潰されそうになっている和也に木部が励ましの言葉をかけてくれます。和也は木部には千鶴の映画撮影の話はしていないので、木部は和也が何にそんなにプレッシャーを感じているのか理解はしていないのですけど、それでもさすがに和也の一番の理解者だけあって良いことを言ってくれます。「とんでもない苦労を放って掴んだ失敗は今後のお前の言葉の重みになる」と言って、失敗しても当たり前、失敗しても恐れることはない、むしろ失敗した方がおトクというような煽りで和也を開き直らせた上で「一生に一度も奇跡が起きなかったヤツなんてこの世にいないんだから、やるだけやってみろよ」と言って、和也に希望と勇気を持たせてくれました。今回は基本的には繋ぎ回なんですけど、それでも脇役にこんな純度の高いセリフを言わせるんですから、やっぱりこの作品の脚本力は際立って高いといえます。

そしてクランクイン当日、まず監督をやってくれる映研の部長の田伏さんの軽い挨拶があり、次いで主演の千鶴がソツなく誠意ある挨拶をスタッフ達にして、そして和也がプロデューサーということで挨拶する羽目になる。そして木部の励ましを思い出して「やるだけやってやる」と燃えた和也はやや空回り気味の熱意溢れる挨拶をして一同ちょっと唖然とするが、千鶴が拍手をするとスタッフもキャストも一同が拍手をしてくれて、そして良いムードで撮影開始となります。和也はプロデューサーといってもそこは自主制作映画ですからふんぞり返っているわけもなく、もともと映研の人達には無理を言って手伝ってもらっているのもあり、和也は雑用で何でも手伝うという感じで走り回る。千鶴ももちろんタイトなスケジュールの中、主演の務めを果たし、なんか瑠夏も脇役で出演してるみたいで、出番の無い時は和也の傍にいることも出来るということで大いに撮影を楽しんでいます。

そして撮影初日の夕方になって初日の最終カットは劇中の重要シーンで千鶴単独の長ゼリフの泣き演技の難しいシーンを河原で撮影ということになり、撮影開始というところで、傍の橋にとまったセミが鳴き始めてセリフと被って鳴き声が録音されてしまうので撮影開始できない状況となる。こうなったらセミが鳴き終わるまで待つしかないが、日没が近いのでいつまでも待つことは出来ない。NGが出て撮り直しもあると考えると早く撮り始めないとマズい。もしこのシーンの撮影が明日に回るとなると前後のシーンとの繋がりなどが辻褄が合わなくなり撮影スケジュールに大きな変更も入ってくる。下手したらセミのせいで予定期間内に撮影完了せず映画作りが失敗する可能性すらある。

それを知って和也は脱兎のごとく走り出し、橋の上に行くと欄干を乗り越えて外にぶら下がり、足でセミを追い払おうという無茶な行動に出ます。千鶴のためにも、千鶴の祖母の小百合のためにも、手伝ってくれた瑠夏や墨や八重森のためにも、無理を聞いてくれた映研の皆のためにも、クラファンで支援してくれた人々のためにも、こんなところでセミなんかにこの映画を潰されてたまるかとの思いのこもった和也の奮闘により、セミは逃げていき、その代償に和也は川に落ちてしまい、ずぶ濡れで岸に上がってきますが、そうして和也が作ってくれた時間を無駄にしないためにすぐに撮影開始となり、和也の熱意に胸打たれた千鶴は気合を入れて演じて、難しい泣き演技のシーンを見事な名演で一発で決めるのでした。

これは和也の熱意に応えた千鶴の演技であったのですが、当の和也の方はそんな千鶴の見事な演技を見て眩しく思う。そして改めて千鶴を凄い女優だと思い、きっと千鶴は将来日本中の誰もが知る名女優になるのだろうと思い、そんな千鶴に対して自分はあまりにも相応しくない人間だと思ってしまう。千鶴は将来は大女優になり、それにひきかえ自分は将来は実家のコンビニの店主あたりに落ち着くのだろう。クラファンで資金集めをして一緒に肩を並べて作戦会議したりビラ配りしている時は少し千鶴と距離が縮まった気がしていたが、こうして映画撮影が始まってみると、千鶴は主演女優で自分は雑用係、千鶴が名演技をしている横で自分はバカみたいに川に落ちてずぶ濡れで、あまりにも生まれながらにして住む世界が違いすぎると思い、きっとこの映画撮影が終わったらもう2人の関係もこれっきりなのだろうと和也は思った。

そんなふうに考えると、2日目以降の撮影現場では和也は千鶴と一緒にいるのも申し訳ない気持ちになってきて、千鶴を避けるような態度までとってしまう。千鶴と出会ってからの今までの自分の行動を振り返ってみると、自分の都合で千鶴を振り回してばかりで、もしかしたら自分が千鶴の邪魔をしていたせいで千鶴が女優として成功していなかったのではないかとまで思ってしまう。まぁ実際、和也の行動が千鶴に迷惑をかけたことは多々あるのだが、別にそれが原因で千鶴が女優として売れていなかったわけではない。だがそんな事情はよく知らないので、自分が千鶴と不釣り合いだというマイナス志向に入ってしまった和也は、千鶴の不幸は自分なんかと関わったせいなのだと思い込んでしまう。そして、この映画制作はいくらかその罪滅ぼしになっているはずだと思いつつ、これぐらいでは罪滅ぼしには全然足りないとも思う。

実際は千鶴にとってはこの映画撮影は女優としてのステップとか、祖母の夢を叶えるためとか、そういう意味以上に、夢を諦めかけていた気持ちを再び奮い立たせてもらったという意味でとても重要な転機であり、和也にはとても感謝しているのだが、和也はそんなことは夢にも思わず、千鶴が迷惑がらずに主演を引き受けてくれたことによって、今まで千鶴に迷惑しかかけていなかった自分が初めて千鶴にその罪滅ぼしを出来る機会が来たというぐらいにしか思っていないのです。

そういうふうに完全に認識のズレのある2人がたまたま2人っきりになる機会が訪れる。通り雨で外のシーンの撮影が出来なくなって一旦休憩となり、非常階段の踊り場で休んでいた和也のもとに千鶴がやって来たのです。千鶴は小百合に電話をするために電波の良い外に出てきたのですが、和也は自分なんかと一緒にいたら千鶴がゆっくり休めないだろうと気遣い、その場を去ろうとします。すると千鶴が和也を呼び止め、何だか今日は和也に避けられているようで気になると言う。

それで和也は「さすがに女優とコンビニ店長じゃ気がひける」と呟く。千鶴はいきなり意味の分からないことを言われてどういうことか問い返す。すると和也は千鶴が女優として努力していて才能もあって凄いのに、自分は今まで千鶴の善意に甘えて重荷になってばかりで申し訳なく思っているのだと説明する。それを聞いて千鶴は呆れます。要するに勝手に自分に対してコンプレックスを感じて拗ねているのだと。千鶴は自分が女優を目指して努力しているから偉いなんて思ったことはないし、和也の実家がコンビニで和也が将来その店長になるからといって蔑んだことなど一度も無い。自分が女優になりたいと思っている理由は祖父や祖母の夢を叶えるためだし、和也がコンビニ店長になるのも家族の願いを叶えるため。だからむしろ自分たちは似ているぐらいだと千鶴は思っており、そんなことで和也を蔑んだことはない。千鶴が和也をダメだと思う点はその優柔不断さであったり、だらしなさであったり、和也個人の性格に対して思っている感情なのであり、それもまた数多くの美点によって相殺されるものだと思っている。少なくとも自分は和也が重荷だなどと思ったことはなく、むしろ映画制作の話を持ち掛けてくれたおかげで夢を諦めそうになっていた心を救ってもらったと感謝している。その後も和也の必死な頑張りを見て何度も元気を貰ってきた。だから千鶴は「私はあなたと出会ったことで後悔したことなんて一度も無い」と和也に向けて言いきるのでした。

そうしているうちに雨はいつの間にか上がっていて、撮影再開となり、千鶴の言葉に再び勇気を貰った和也は懸命に雑用や撮影の手伝いを頑張り、千鶴も気合を入れて主演の務めを果たし、撮影は順調に進んで、ただ一ヶ所だけ都内近郊ではなく信州の斑尾高原での撮影となる残り1シーンを残すのみにまでこぎつけたのでした。しかしここで緊急事態が発生し、もともと夏休みは別の短編映画を撮影する予定だった映研がその本命の短編映画の撮影態勢に移行してしまったため、最後の1シーンだけは田伏監督以下の映研スタッフ抜きで和也と千鶴だけで撮影するようにと無茶振りされてしまった。下準備はしてもらったし機材の使い方も撮影の段取りも既にだいぶ仕込んでもらってるので確かに和也1人でも最後の1シーンぐらい撮影は不可能ではなかったが、それでも自信は持てない。ましてや千鶴と2人きりで信州まで撮影旅行など、あまりに心の準備が出来ていない。

それで和也は八重森と瑠夏に手伝いを頼むことにした。八重森は快く引き受けてくれて宿の手配などもしてくれるというので和也は安心して千鶴と瑠夏に連絡して了承を貰い、あと一息で撮影も完了だと気合を入れる。そうして斑尾高原に向けて出発する日が来て、上野駅の北陸新幹線ホームで他の3人と待ち合わせていた和也のもとにまず千鶴がやって来るが、どういうわけか八重森と瑠夏が乗車予定の列車の到着時刻が迫ってもやって来ない。

するとそこに八重森から和也のスマホに電話がかかってきて、いきなり八重森は来ないと言ってくる。しかも瑠夏にも手は打って上野に行かないようしてあるから、和也と千鶴の2人で斑尾に行って撮影をするようにと八重森は言う。どうしてそんなことをいきなり言うのかと和也が問いかけると、八重森は和也と千鶴が2人で旅行するのは2人の仲を深めるチャンスだと言う。映画撮影を通して千鶴は和也のことを見直しているはず。ここで2人で旅行して一気に2人の親密度を増せば和也が千鶴をモノにすることが出来るはずだと八重森は言う。

それに対して和也は「水原はそんなこと望んでいない」と反論するが、八重森は千鶴は和也に気があるはずだという持論を繰り返し、更に「女にも性欲はある」と女性ならではの持論も展開して和也を説き伏せようとする。女にも月に1回、性欲の高まる期間がある。今日の千鶴がまさにそういう時期なのかもしれない。もし千鶴が今そういう時期なのだとしたら「そんなことを望んでいる」のかもしれないと八重森は言うのです。いや、和也の言ってるのはそういうことではなくて、あくまで正常な状態の千鶴が自分とそういうことをすることは望んでいないという話であって、そういう特殊な状況の千鶴の話をしているわけではない。だいいち今が千鶴のそういう時期であるかどうかなんて10分の1以下の確率の話でしかなく、八重森にそんなことが分かるはずもなく、適当なことを言っているだけなのですが、和也自身が童貞ゆえにそういう詳しいことも分かっておらず、何となく八重森の勢いに圧されてしまい「千鶴にも性欲の高まる時期はある」という何とも刺激的な説に脳をやられてしまっているところに乗車予定の新幹線がホームに入ってきてしまい、千鶴もどうするのかと和也に迫ってくるので、和也も千鶴も勢いで2人で新幹線に乗ってしまい、列車は上野駅を出発してしまうのでした。

そして2人で新幹線に乗り込んでしまった和也は目の前に立つ千鶴の姿をまじまじと見つめて、電話を切る間際に八重森が言っていた「欲しいものを手に入れるのは力のある者じゃなく、機を逃さなかった者ッス」という言葉を反芻する。もしかして今回の旅行が千鶴にとってそういう性欲の高まる時期であり、自分にとってのチャンスなのではないかと、あらぬ妄想が和也を襲う。実際のところ八重森の言いたい「機」というのは「千鶴がもともと和也のことを好きであり、映画撮影を通して好きな気持ちが最高潮に達している」という意味合いなのであり、「千鶴の性欲」云々という話は和也の背を押すための方便程度の意味合いであったのだが、和也は千鶴が自分のことを好きだという話は一切信用しておらず考慮の外であったため「千鶴の性欲が今まさに高まっているかもしれない」という意味で「機」という言葉を八重森が使っていると解釈してしまい、そのことで頭がいっぱいになってしまい、千鶴のことをムチャクチャ意識してしまう。

そこに千鶴のスマホに八重森からメールがあり、39.5度の体温計の画像が送られてきてインフルエンザによる発熱で撮影に行けないという連絡が入る。それを千鶴に見せられた和也は八重森の嘘に調子を合わせるしかなく、さっきの八重森からの電話でそれを知っていたかのように振舞うが、それがあまりに白々しすぎて千鶴は八重森が嘘をついているのだと気付く。

更にそこに瑠夏から和也に連絡が来て、瑠夏は八重森から自分がインフルで発熱したので撮影旅行は延期になったと連絡を貰ったと言ってくる。それで和也はまさか自分が今千鶴と2人で新幹線に乗っていると正直に言うことも出来ず、適当に誤魔化して電話を切るが、その和也の様子を見ていた千鶴は八重森が瑠夏まで騙して自分と和也を2人きりで旅行に行かせようと画策したのだと悟るのでした。八重森が自分と和也をくっつけようとしていることは千鶴も知っていましたから、まさかこんな思い切ったことを仕掛けてくるとは想定外ではありましたが、こうなってみると八重森が何も考えてこんなことをやったのかは理解出来る。

ただ、それは結局は八重森の勘違いに過ぎないのだと千鶴は思う。八重森は自分と和也が両想いだと思い込んでこんなことを仕掛けてきているが、千鶴の目から見て和也はやっぱり自分のことを好きでもなんでもない。先日も和也本人が言っていたように、ただ自分の女優になりたいという夢に迷惑をかけたと思い込んで、その罪滅ぼしのために頑張ってくれているだけなのであって、恋愛感情などではないのだと千鶴は解釈していた。だからこの斑尾旅行だってあくまで映画の最後の1シーンをただ淡々と撮影するためだけのものであり、八重森が期待するようなものは何も無い。それは4人旅行が2人旅行になっても同じだと思い、千鶴はとりあえず冷静になって和也にラストシーンの撮影は大丈夫なのかと念を押し、それは大丈夫だと聞くとこのまま斑尾に行く方針を受け入れる。

そうしてとりあえずお手洗いに行った千鶴の後ろ姿を見送って、和也はとりあえず千鶴がこの予期せぬ事態に怒っていないことに安堵しつつ、あまりに千鶴が冷静な様子であるのを見て、千鶴が自分と2人きりの旅行ということに何も動揺もしていないことに少し落胆する。それだけ自分は異性として意識されていないということだし、ましてや八重森が言うようにちょうど今の時期が千鶴の性欲が増している時期だなどということは少なくともあり得ないのだろうと思いガッカリします。ただ、よくよく考えればもともとそういう趣旨の旅行なのではなく、大事な映画の最後の1シーンの撮影のための旅行だったのだということを思い出し、八重森の変な言葉のせいでおかしくなってしまっていた自分の心を戒めるのでした。

ただ、一方で千鶴の方は、お手洗いに行って落ち着いて考えてみると、和也はたとえ自分に対してその気が無かったとしても、千鶴自身は和也に対して特別な想いはあることを思い出し、やはり4人旅行と2人旅行では全然意味合いが違うと実感して、困惑してしまっていました。和也はあくまで大事な映画の最後の1シーンを撮るために真面目にこの旅行に臨んでいるのだから、自分もそれに応えなければならない。変に男女関係を意識するような不真面目な態度を取るわけにはいかない。瑠夏にも申し訳ないし映研の皆やクラファンで応援してくれた皆にも申し訳ない。でも2人で旅行となるとどうしても意識してしまう。本当に困ったことをしてくれたものだと八重森を恨めしく思う千鶴でありました。

それでもなんとかお手洗いで気を取り直して平静を装い、千鶴は駅弁を買って席に戻り、和也と一緒に食べる。和也の方はすっかり映画のプロデューサーとしての責任感を取り戻しており、映画も残り1シーンになったことについて「自分は大口叩いて水原を焚きつけたけど大した力も無くて失敗して、でも皆の力に支えられてここまで来れた」としみじみと述べる。千鶴はそんな和也の言葉を聞いて、大した力も無くて挫折しそうになっていたのは自分の方だと思う。でもそんな自分を支えてくれたのは和也だった。それはきっと和也が皆に支えらえるだけの人徳のある人間だからなのだろうと思えた。いや、自分の夢を支えてくれる和也だからこそ、和也の夢を皆が支えたいと思うのだろう。自分にはそんなふうに他人を惹きつけられるような力は無く、和也だけがそんな自分を認めてくれた。だからそんな和也の期待に応えるために自分はもっと頑張って他の人も惹きつけられるような演技をしたい。そう思ってここまでの映画撮影は乗り切ってこれたのだ。最後の1シーンまでその想いを持続して良い演技をしようと改めて心に誓う千鶴であったが、こうして改めて和也と2人だけでの撮影となると、これまでのシーンとは違ってどうしても和也のことを意識してしまう。

そういうわけで新幹線の降車駅である飯山駅に降り立った時点で、ずっと2人で並んで座っていたせいで千鶴はかなり和也のことを意識してしまっていた。それで千鶴は和也に対して妙にギクシャクした対応をしてしまい、それを見た和也はもしかして八重森が言っていた「女にも月に1回、性欲の高まる期間」なのではないかと勘違いしてしまうというところで次回に続きます。さて次回どういドタバタのすれ違いラブコメが展開されるか楽しみに待ちたいと思います。

 

 

スプリガン

第5話を観ました。

今回は「帰らずの森」の章の前編でした。もともと45分エピソードを2話に分けて構成している作品なので、前編はどうしても後編の導入部分になってしまうのでそんなに盛り上がらないのですが、導入部分としてはしっかり面白かったと思います。まず新キャラの染井芳乃と暁巌がしっかりキャラが立っていて面白かった。また、帰らずの森の不気味さがしっかり描かれていて、伝奇的な伏線も配置されていて、アクションも良かったし、謎が多く残ったのも良かった。そして、前章の「ノアの方舟」の章から話がしっかり繋がっているのも良かったですね。

今回は優はインド北部の山奥にある「帰らずの森」という場所に派遣されています。ここに「神酒」というものがあるという噂があり、それを手に入れるためにアーカム本部からの指令でS級エージェントである優が派遣されたのです。だがアーカム日本支部所長で優の上司である山本は「帰らずの森」には深入りせず「神酒」など見つからなかったと嘘の報告をしてさっさと帰ってくるようにと優に内密に指示をする。

理由の第一は「帰らずの森」が非常に危険な場所だからです。既にアーカムは3つの部隊を「神酒」探索のために「帰らずの森」に派遣しているが、全員消息不明となっているのだという。だからそんな場所に貴重なS級エージェントである優を投入して失うようなことは避けたいのです。そして理由の第二は、そもそも「神酒」を探索する任務そのものに山本があまり意義を見出せないからです。

アーカムという民間組織は、超古代人からのメッセージに賛同して、超古代文明の遺産が他の国家や組織に悪用されることがないように管理し封印することを使命としている。例えば第1話の冒頭で描かれたように、メギドフレイムという危険なオーパーツを米軍が手に入れたという情報を得て、そこに優が乗り込んでメギドフレイムを奪取して封印したというようなケースは、まさにアーカムの本来の業務といえる。また第1話から第2話にかけての「炎蛇」の章で描かれたように、たまたま超古代の遺跡が発見されてアーカムがそれを管理下に置いてアメリカやロシアの介入から防衛しながら、遺跡の危険度を判定するため調査をしていたというようなケースもアーカムの重要な業務の1つといえます。

ただ第3話から第4話において描かれた「ノアの方舟」の章では、アーカムはトルコ政府の依頼を受けて自ら方舟の探索を行っており、その結果ノアの方舟を発見した。その結果、アメリカが介入してきて戦闘になってしまったのだが、そもそもアーカムが方舟を発掘しなければ戦闘は起こらなかった。他の国や組織が方舟を手に入れてしまう前にいち早くアーカムが確保しなければいけないという考え方も理解は出来るが、発見された方舟を襲撃して奪おうとしてきたアメリカも同じようなことを言っており、アメリカから見ればアーカムもまた遺産を悪用しようとする組織に見えるのでしょう。積極的に遺産を発掘して手に入れようとしている以上、そう勘繰られても仕方ない。実際、前回のお話でノアの方舟はアーカムの手によってではなく、アーカムにノアを悪用させまいとする米軍のマクドガルの手によって自身もろとも封印された。マクドガルから見ればアメリカと並んでアーカムもまた愚かしい偽善者であり信用すべき相手ではなかったのです。

そして、今回はマクドガルだけではなくアーカム内部でも山本がアーカム本部のやり方に危うさを感じているのです。「神酒」というのは「ソーマ」と読むのだが、インド神々の飲み物で不老不死の薬だと言われている。それが「帰らずの森」にあるという噂を根拠に様々な国や組織が「神酒」を手に入れるために武装した探索隊を「帰らずの森」に送り込んでいるのだが、アーカムもそれらと同じように探索隊を送り込んでいるというのが山本には納得いかないようです。本当に存在するのかどうかも分からない「神酒」をわざわざ見つける必要など無いと山本は思っている。見つからないのならそれが封印されているのと同じ状態なのだから放っておけばいい。他の国や組織の動きに目を光らせておき、もし「神酒」を誰かが見つけたら、その段階で対処すればいいのです。アーカム自らがわざわざ寝た子を起こすように「神酒」を発見して方舟の時のように戦闘を誘発する必要など無い。ましてやそんな無意味なことのために危険な「帰らずの森」に貴重な戦闘部隊を何回も投入して消息不明にしてしまっているのは、現場を指揮する山本から見れば全く不毛なことだと思える。そこに更に優までも投入するというのだから一体本部は何を考えているのかと正気を疑いたくもなる。そこまでしてどうして「神酒」などが欲しいというのか。そこまで積極的に「神酒」を欲しがるのでは「神酒」を悪用しようとしている他の国や組織と変わらないではないか。本来のアーカムの趣旨から逸脱しているのではないかと山本は危惧しているのです。

そのように山本にキツく無理はしないようにと釘を刺された優ではあったが、もともと未知の神秘に魅せられている身として「神酒」自体には興味はあり、他の国や組織に先を越されでもしたら奪還に動かねばならないのは優たちスプリガンであるし、出来れば「神酒」を見つけたいとは思っている。だが山本の言うように「帰らずの森」が危険な場所であることも承知しているので万全の準備で臨まねばならないということも分かっている。

その優が今回の任務で真っすぐ「帰らずの森」に向かわず、その近くにあるとある未発見の神殿遺跡に立ち寄っている。それはおそらく「帰らずの森」を安全に突破するためか、あるいは「神酒」の在り処を調べるためか、何らかのヒントがその神殿遺跡にあるということなのでしょう。ただ優が此処で何を発見したのかは今回詳細には描かれない。そこは英雄王の王妃を祀った神殿のようだが、おそらくその遺跡で最重要の遺物と思われる「ご神体の王妃像」については優は全く興味を示してはいなかった。それとは別に英雄王と王妃が2人並んでいる像を見た時は優は興味を示していた。後で優がこの英雄王と王妃の伝説について語っている場面もあるので、優がこの英雄王の伝説について下調べをしてから「帰らずの森」へのアタックを敢行しているのは間違いない。その上で英雄王の王妃の神殿遺跡に立ち寄っているのだから、そこに何かがあったのは間違いない。また、この神殿の壁に彫った壁画などを見ると、神や精霊のようなものが描かれていたが、それらに悉く木の枝のようなものが絡みついているという奇妙な遺跡でありました。

ただ、それ以上のことは今回は詳しくは描かれず、代わりにその神殿遺跡にたまたまご神体の王妃像を盗みにやってきた遺跡荒らしの染井芳乃という女が乱入してきて遺跡のトラップが発動してしまい、優が芳乃と一緒に逃げ回る羽目となる場面が描かれました。優は任務の際に何度か芳乃と遭遇して迷惑をかけられている腐れ縁のようで、芳乃と出会ったことを非常に迷惑そうにしており、何とか遺跡から脱出した後、これから自分は「帰らずの森」に行くからと言って芳乃を追い払おうとします。しかし芳乃の方はアーカムのS級エージェントの優が来ているということには「帰らずの森」にはよほど価値のあるお宝があるのだろうと解釈して、くっついてくる。

芳乃はどうやら遺跡で盗んだ遺物を転売して金を稼いでいるみたいで、何ともタチの悪い人間のようです。だから金目当てで優にくっついて「帰らずの森」に行こうとしているわけで、普通はこんな迷惑な人間は追い払うべきであり、ましてや華奢な美少女という感じの芳乃に「帰らずの森」のような危険な場への同行を優が許可するはずがないと思いきや、優は割とすんなり芳乃の同行を許可しており、芳乃が見かけによらずかなり腕が立つということが分かります。まぁあまり大事な存在とも思っていないということでもあるのでしょうけど、少なくとも足手まといになることはないという認識であることは間違いない。

そうして優と芳乃の2人が「帰らずの森」を進んでいくと、途中で急に方向感覚が狂い外部との通信が途絶えて、そこに兵士たちが襲ってくる。優がアーマードマッスルスーツで叩きのめしますが兵士たちは全くダメージを受けていないかのように立ち上がってくる。それで優が拳銃で急所を撃つのだが兵士たちは倒れることなく向かってくる。まるでゾンビみたいです。そこで芳乃がマシンガンで撃ってひるませたところで手榴弾で吹っ飛ばすと、ようやく地面に転がった兵士たちの動きは止まりました。

それでこそ兵士たちの死体の装備を調べてみると、それは「トライデント」という非公式組織のものだということが分かった。「トライデント」というのは日米欧の兵器産業が集まって作った武器商人の組織で、まぁつまり「死の商人」です。そのトライデントが持つ行動部隊、つまり配下の傭兵集団というところでしょう。トライデントも最近は超古代の遺産に目をつけていて、その技術を悪用して軍事転用して高く売りさばくことを目論んでいるのだと優は言います。つまりトライデントも「神酒」を狙ってこの森に行動部隊を送り込んでいたのです。

ただ、単にその連中が襲ってきたというだけでは説明がつかないこともある。銃で急所を撃たれても身体が動いていたのは異常でした。何らかの技術で肉体強化していた可能性もあるが、どうにも不気味な様子で、まるで意思の無いゾンビのように見えた。そのことについて考えた優はある可能性に思い至るが、とりあえずまだ確信は持てず、そのことは芳乃には話さずに先を進むことにする。

そうして更に進んでいくと、トライデントのベースキャンプの思われる場所に着いた。それで内部に侵入していくと、そこはもぬけの殻で、数日前までは人が居たようですが今は誰もいない。ただ少し離れた場所に兵士の死体が多数転がって放置されており、何か異常事態が起きたのは間違いないようです。その兵士たちが銃で撃たれたような形跡も無く死んでいるのを見て、優はやはりこの森にまつわる伝説に関係があるのではないかと思い、その伝説の話を芳乃に説明します。

それはこの地では有名な英雄王とその王妃の伝説の中の一節で、領地を追われた英雄王が王妃と共にこの森に逃れていた時に、英雄王の居ない隙に森に住む魔族によって王妃が攫われてしまったのだという。後でそれを知った英雄王は、王妃が攫われた時に自分にそれを報せなかった森の精霊たちに怒って、この森の全てが呪われるようにと願ったという。

そうしていると兵士たちの死体から木の枝のようなものが生えてきて、それらが見る見るうちに兵士たちの身体を突き破って巨木のようになって襲ってきたので手榴弾で撃退して逃げ出す。そうして森を駆けていくと、トライデントの兵士が1人で何者かと交戦しているのを発見し、捕らえて事情を聞くと「化け物と戦っている」と言う。そうするとすぐにその兵士も生きたまま身体から木の枝が生えてきて弾け飛び、そこから煙状の化け物のようなものが現れて襲ってくる。この化け物は銃で撃ってもすり抜けてしまい全く効果が無く、優がアーマードマッスルスーツの掌から発する精神波「サイコブロー」を喰らわせると消し飛んだ。

これで優も確信した。この兵士はさっき倒した悪霊のようなものに襲われて身体を乗っ取られていたところだったのだ。おそらくさっきベースキャンプに転がっていた兵士たちの死体も、同じように悪霊に殺されて身体に寄生されていたのでしょう。乗っ取られた死体からはさっきみたいに悪霊そのものが飛び出てくることもあれば、木の枝が伸びてきて巨木のようになったり、あるいは最初に襲ってきたトライデントの兵士たちのように内部の悪霊に操られてゾンビのように動き回ることもあったり、様々なようです。ただ木の枝が出てきたり巨木になったりという現象を考えると、やはり悪霊の由来はさっき優が説明した伝説と関係があるみたいですね。

つまり英雄王がこの森の精霊たちを恨んで「この森の全てが呪われるように」と願った結果、森の精霊が全て呪われて悪霊化して、森全体が悪霊に寄生されるようになったのでしょう。だからこの森の木々や大地は全てが悪霊そのものなのであり、この森に入った者は全員が悪霊に襲われて寄生されることになるのでしょう。そして寄生された者の多くは森の木々に姿を変えたりするようですが、中にはゾンビ兵士のようになって他の兵士を襲ったりする者もあるようです。そして悪霊本体からの攻撃には物理攻撃は無効でありサイコブローのような精神波攻撃のみが有効であり、木の枝やゾンビ兵士のような悪霊に寄生された物体による攻撃には精神波だけではなく物理攻撃は有効ではあるが、もともと死んでいる相手ですから急所を撃ち抜く程度の攻撃では意味が無く、身体機能を停止させるぐらいの大きな衝撃を与える必要があるようです。まぁそれさえも一時しのぎであって再び動き出す可能性は高いわけだが。

こういう厄介な状況となってしまったわけだが、ここで優はずっと自分達を隠れて監視していた者に声をかけて姿を現すよう促す。それに応えて姿を現したのはトライデントの行動部隊の隊長の暁巌という男だった。暁は部下が全員悪霊にやられて1人生き残っており手詰まり状態なので森を脱出するまで手を組もうと優たちに持ち掛けてくる。だが優が拒否したことから優と暁がバトルを開始し、ここで優は暁の攻撃の威力が人間離れしていることや、優のアーマードマッスルスーツの攻撃にも耐える持久力を持っていることに驚く。

そうしていると、そこにゾンビ兵士たちが襲ってきて優たちは応戦することになる。優は芳乃に大型銃を渡し、自身はサイコブローでゾンビ兵士たちを倒していき、芳乃も大型銃でゾンビ兵士たちを撃って行動不能に陥らせていくが、ゾンビ兵士たちの数が多くてキリが無い。芳乃の銃も弾切れとなり追い詰められるが、暁がパンチや蹴りの徒手技でどんどんゾンビ兵士たちの身体を破壊して倒していき、なんとか優たちは危機を脱することが出来た。

どうやら暁の攻撃の威力はアーマードマッスルスーツを着た優よりも上みたいです。それで優はさっきから推測していたとおり、暁の着ているスーツも自分と同じタイプのものだと確信した。つまりオリハルコン製の戦闘スーツです。「ノアの方舟」の章でも米軍の機械化小隊のファットマンとリトルボーイがアーマードマッスルスーツに似たオリハルコン製のスーツを着ていたが、おそらく米軍にオリハルオンを供給したのが最近アーカムの真似をして超古代遺産に手を出し始めた「死の商人」のトライデントだったのだと優は合点がいった。

暁の言葉によると、そうしてオリハルコンを供給した米軍からの戦闘データをフィードバックしてトライデントでも新型のオリハルコンスーツを独自に作ったのだそうで、それが暁の着ているものだという。更にそこには米軍のデータだけでなく、アーカムのデータもフィードバックされているというのだから驚きです。それはつまりアーカム内部にトライデントと通じた者がいるということを意味する。やはりアーカム内部はどうもキナくさい。ちなみに暁のスーツは優のスーツと全く同じというわけではなく、殺傷兵器としての能力をより特化して高めているみたいで、機械式でスピードよりもパワー重視、サイコブローのような機能は無く、ひたすら殴って蹴って相手をぶっ壊す威力とどんな攻撃にも耐える耐久力に特化しているようです。だからゾンビ兵士たちをあっという間に破壊するように倒すことが出来たのでしょう。

そういうわけで危機を脱して、芳乃は暁と手を組むと言い出し、優も仕方なくそれに付き合うことになり、こうして奇妙なトリオで「帰らずの森」の脱出を目指しつつ、腹の内では「神酒」を出し抜いて手に入れようとし合うということになる。こうなっては仕方ないので優も芳乃に「神酒」が存在するかもしれないことを明かしますが、案の定、芳乃は「神酒」を横取りして売り飛ばそうと考えているようですし、優は芳乃がどうせ悪巧みをしているのだろうと分かっているので信用はしていない。

また優は暁がずっと自分たちを監視しながら仲間であるトライデントの兵士たちを見殺しにしていたことから信用出来ない相手だと見なしているが、暁はアーカムだって兵士たちに犠牲を強いて「帰らずの森」に行かせている点ではトライデントと同じだと見なしており、怪物と化した部下たちを自ら殺して弔ってやった自分に比べて、仲間のアーカム兵士のゾンビを殺すことを躊躇していた優を二流だと見下しているようです。そんなお互いに不信感を持った3人組の道中が始まったところで今回は終わり、次回の後編に話は続きます。

 

 

AIの遺電子

第5話を観ました。

今回は2人のヒューマノイドの症例が描かれ、苦しみを抱えた患者の記憶や性格を操作することで状況を改善するという治療が施されるのですが、1人目のケースも2人目のケースも患者は救われたように見える。しかし2人目のケースでは治療によって患者のかけがえのない才能が失われたことが示唆されており、個性というものは本来は苦しみを伴うものだという真理が描かれているのだと思われます。それは人間においても同様なのであり、この作品における「ヒューマノイド」という存在は「人間」をよりデフォルメして分かりやすく描くための記号的な存在なのだと思われるので、今回はヒューマノイドの症例を通して「人間の個性」というものを描いたエピソードなのだと思います。2つの症例ともにヒューマノイドの症例ではありますが、人間においても同様の症例は現実に広く存在しているものであり、なかなか考えさせられるエピソードでありました。

まずOP曲の前のアバンではユウタという小学生男子のヒューマノイドが登場して、すぐに頭がカッとなってクラスメイトと喧嘩をしてしまう問題児であるという様子が描かれます。ユウタはその自分の短気な性格のせいで周囲や親にも迷惑をかけてしまっており、自分でもどうしてそうなってしまうのか分からず持て余しており、これは個性なのか、それともバグなのかと思い悩む。人間ならば精神病なのかと悩むところですが、彼の場合はヒューマノイドですからAIのバグなのではないかと悩むわけです。そして、それは人間の精神病よりは治療のハードルはより低いということも示唆しています。

ただ、OP曲の後は一旦このユウタの話から離れて、別の患者のお話になります。それは松村という妻子持ちのヒューマノイドの男の患者の話なのですが、その話の冒頭に須堂の病院で看護師ヒューマノイドのリサが玄関先の花に水をあげている場面が象徴的に挿入されます。ここで須堂が毎日水やりをしているのは大変だろうと思い「給水機を買おうか」と言うのですが、リサは「水をあげてるのではなく、愛情を注いでるんです」と言って断る。これを聞いて須堂は良いことを言うとリサに感心します。つまり、生き物が健全に育つためには成分としての水や栄養素だけではなく、心のこもった愛情が必要だということです。そうした考え方はヒューマノイド専門医とはいえ医療者として須堂にとっても大事な考え方だといえます。いや、本来的には水や栄養素が無くとも生きていけるヒューマノイドを診る医者である須堂だからこそ、心のこもった愛情としての「水」というものを重視しなければいけないのだといえるでしょう。

そのことを心に留め置いたまま、松村の話が動き出すのを見ることになります。まず松村が自宅で就寝中におかしな夢を見る場面から始まります。妻や幼い娘と一緒に牧場でのどかな時間を過ごしていて、あまりの幸せな暮らしがまるで嘘のようだと思った途端に突然に妻や娘の姿が消えて一人ぼっちになったことに驚き目覚めてしまう。実は松村はこういう奇妙な夢を頻繁に見ては目覚めてしまう日々が続いていて不眠症になってしまっている。それで妻の勧めで須堂の病院にやってくる。

須堂が松村のAIの検査前に松村の妻に彼の不眠症の原因に心当たりが無いかと話を伺ったところ、妻は松村が今は穏やかな良い人なのだが過去は色々と生活に問題を抱えていたらしいと言う。そして現在もよく分からない口座に毎月かなりの金額を振り込み続けており、松村本人は「昔世話になったおじさんの運営している慈善団体への寄付」だと説明しているのですが、妻は金額もかなりの額であることから夫が何か過去に因縁のある悪い相手に脅されていて、それを自分たち家族には隠しているのではないかと心配している。だから松村の不眠症の原因も、そうしたトラブルの不安からくるものなのかもしれないと妻は須堂に言います。

ところが須堂が松村のAIを調べてみた結果、松村のAIは記憶が6年前に書き換えられていることが判明した。過去の記憶が消えているわけではないので本人も違和感は感じていないのであろうが、データ上は明らかに全面的に記憶が書き換えられた形跡がある。外部からの介入で記憶が書き換えられており、これは法的に違反行為にあたる。6年前というと松村が現在の妻と結婚する以前なので、妻や娘は当然このことは知らないのだろう。ただ、松村本人もAIを調べられると分かっていながらこの記憶の書き換えについて須堂に申告しなかったということは、松村本人も6年前に記憶を書き換えたこと自体を忘れているようだ。つまり記憶を書き換えた医者が、その記憶書き換えの記憶自体を消したことになる。それはつまり術後のアフターケアをしていないということであり、医者として非常に問題のある行為だと須堂は眉をひそめた。

おそらく不眠症はこの記憶の書き換えの副作用なのだろうけど、書き換えられる前の記憶のデータが残っていない以上、記憶の書き換えの経緯も事情も分からないので手の打ちようがない。妻子も松村本人も記憶の書き換えのことを知らないのだから、記憶の書き換えの話を伝えても混乱させるだけで特に手掛かりも得られないであろうし、須堂は松村夫婦には記憶の書き換えのことはとりあえず伝えないことにした。その上で不眠症の原因を特定しないといけないわけで、非常に難題でした。この記憶の書き換えをした医者がちゃんとアフターケアをしていればこんなことになっていないだろうと須堂は腹を立てますが、そこで松村の妻が話していた「昔世話になったおじさん」という話を思い出し、須堂は何かを思い出して1人で出かけていく。

須堂が向かった先は「瀬戸グローバルライフプランニング」というヒューマノイド専用のメンタルヘルスクリニックで、そこを経営している瀬戸という男は須堂と同じくヒューマノイド専門の医師で、須堂の旧友でした。須堂はこの瀬戸が昔書いていた論文でヒューマノイドの記憶の書き換えの臨床実験に関するものがあったことを覚えていた。もちろん法的には違法な処置ですから、あくまで実験だけであり、実際に施術されているとは思っていなかった。だが、その論文の中で瀬戸が被検体の過去の記憶の書き換えに辻褄を合わせるために「昔世話になったおじさん」というキーワードを使用していたことを思い出した須堂は、松村の記憶を書き換えた医者が瀬戸だということに気付いたのです。

まさか瀬戸が違法な医療に手を出していたとはと須堂は驚いたが、須堂自身も裏では違法な医療行為を行っているので似たようなものです。ただ須堂はたとえ違法な医療でもちゃんとアフターケアは欠かさない。おそらく松村が毎月「昔世話になったおじさんの慈善団体」と思い込んで振り込んでいる金は瀬戸の裏口座に振り込まれている6年前の違法な記憶の書き換え処置への謝礼金なのでしょう。まぁ違法な医療ですから法外な高額になっているのは分かるが、それにしても法外な金額を貰いながらアフターケアをしていないのはけしからん。そのおかげで生じた副作用でこちらは迷惑しているのだと憤慨した須堂は、瀬戸から6年前の記憶書き換え時のデータを貰うためにやって来たわけです。すると瀬戸はあっさり違法な医療をしていることを認めて、6年前の松村の記憶書き換えに至った経緯を須堂に説明し始めます。

6年前、松村はアルコール依存に起因する自堕落な生活で破滅寸前で、たまりかねて瀬戸のクリニックに来て違法な医療でアルコール依存を治してほしいと言ってきたようです。だが瀬戸は、たとえアルコール依存を治しても松村の根本的な人間性を変えなければまた別の依存症に陥るだけだと指摘し、過去の記憶の書き換えによって性格そのものを変えてしまおうと提案した。過去そのものは変えられないので、過去の出来事に対処した際の松村の感情を記憶を書き換えていくのです。例えば過去に誰かと喧嘩してしまったという過去の事件そのものは相手もいるわけですから変えられないけれども、実際はただ怒っていただけだった松村が「本当はその時深く反省していた」というように感情の記憶を書き換えてしまう。松村のAIを睡眠状態で過去の記憶を追体験していくモードに調整して、まぁ人間でいうと過去の記憶に戻る催眠状態みたいなものですが、そういう状態となった松村と問答をしながら、そういう過去の感情の記憶を数多くの分岐点となった出来事のたびに修正していく。それを繰り返すことで現時点の松村の人間性そのものを全く別物に変えてしまうというのが6年前に瀬戸が松村に施した治療でした。

ただ、子供の頃から自堕落な性格だった松村は、自分1人ではそんな他人に対して寛容になったり自省的になったりしたという記憶になかなか納得がいかない。それに現実に起こった出来事との整合性もなかなか取れない。そこで瀬戸は「昔世話になったおじさん」という架空の第三者を作り上げて、その人物が親身になって松村に助言をして導いてくれたのだという架空のストーリーを上手く挿入することで記憶の書き換えを可能としたのです。そして、そうした瀬戸の独自の手法は過去に臨床実験の論文を書いた頃から確立されていたものであり、おそらく瀬戸は松村以前にも何件も同様の違法医療の症例は積み重ねてきたのでしょう。そしておそらく現在もそれは続けている。

ただ問題は患者の性格が元に戻ってしまわないように、記憶の書き換え前のデータはAIには残さず、患者にデータを渡すこともなく、記憶の書き換えをしたこと自体を患者本人にも忘れさせてしまわなければいけないということで、どうしてもアフターケアが出来なくなり今回の松村のケースのように副作用が生じた場合に対処が出来ないという点でした。だから瀬戸は6年前のデータを須堂に渡して、須堂に松村の副作用への対処を任せると言います。須堂としてもこの治療の特殊性ゆえに瀬戸が松村の記憶書き換えの記憶自体を消してアフターケアを放棄するしかなかった事情は理解出来たので、それ以上は瀬戸を責める気にはなれなかったが、瀬戸の話を聞いて、そもそもどうして松村に副作用が生じたのかの原因には察しがつき、やはりこのような記憶の書き換え行為自体には問題があると思った。

前々回、須堂は「心」というものは「脳やAIに存在するとは限らない」という見解を示していた。そうなると、いくらAI内の過去の記憶を全て書き換えたとしても、松村の心は残っている可能性はある。その松村の心が記憶を書き換えた後の現在の自分を「嘘の自分」だと認識して「本当の自分は今のような暮らしをしている自分ではない」というメッセージを松村のAIに送った結果、松村は幸せに暮らす現在の自分を「まるで嘘みたい」と感じた途端に孤独になるという悪夢を見るようになったのだろうと須堂は推測した。つまり嘘の記憶を植え付けることは心の負担になるのだと須堂は思い、やはりこれは危険な行為だと思った。

それで須堂が帰る時、玄関まで見送りに来た瀬戸が趣味で育てているという玄関の鉢植えにあったサボテンをお裾分けしてくれた際に、瀬戸がサボテンのことを「葉挿しで増えて生命力も強くて簡単だが水が無ければ枯れる」と説明して「弱り切ってるやつは諦めるしかない」と言うのを聞いて、須堂はちょっとカチンときた。

「葉挿し」というのはサボテンが根や茎の無い葉だけでも土の上に置いていけば新しい芽を出すというという栽培法だが、つまり簡単に新しいものを作れるのだということでヒューマノイドの記憶や人格とイメージが重なる。そのサボテンの葉挿しをヒューマノイドの人格改変を専門とする闇医者の瀬戸が趣味としていることから、須堂は瀬戸がサボテンの話をしながらヒューマノイドの人格改変について得々と語っているように思えて不快感を覚えたのです。

つまり、ヒューマノイドの人格なんてものはサボテンみたいに簡単に新しいものを作れる。だから元のダメな人格なんて簡単に捨ててしまって新しい人格に乗り換えて、そこに嘘の記憶という名の「水」を注いでやればいいのだ。そんなふうに瀬戸が嘯いているように感じた須堂は、その嘘のせいで松村の心は傷ついて副作用を起こしているのだと思い腹が立った。そしてリサが花に水をやる時に「水ではなく愛情を注いでいる」と言っていたことを思い出し、松村の心に愛情ではなく嘘を注いだ瀬戸の行為は人の道に反していると思えた。

だが、そうした須堂の非難に対して瀬戸は平然と「あの患者には嘘が特効薬で根本治療だ」と言い、須堂に対して「お前ももっと嘘に寛容になれ」と諭す。そして瀬戸は須堂も違法治療をする闇医者の裏の顔を持っていることは知っているのだと指摘し、瀬戸は須堂もまた真っ当な手段だけでは人やヒューマノイドの心を救うことは出来ないことは分かっているはずだと鋭く指摘するのでした。

この瀬戸の言葉は確かにある種の真理です。松村に限らず多くのヒューマノイドも人間も「嘘」によって心が救われている。松村の場合は瀬戸によって「嘘の記憶」を埋め込まれたのだが、現実世界でも多くの人は自分自身によって「嘘の記憶」を作り出している。例えば誰かのことを憎んでいたのに感謝していると記憶の改竄をして折り合いをつけたり、脳内彼女を作って満足したり、例えばスポーツ選手やアイドルなどを心の支えにして生きたりするのは松村が「昔世話になったおじさん」を心の中に飼っているのと変わりない行為です。これらの行為は要するに「自分に嘘をつく」という行為であり、そうした嘘を続けることによって確かに心に負担がかかって悪夢を見たり不眠症になったりすることもあるが、そんなことは誰にでも起こるちょっとした副作用なのであり、根本治療などせず対症療法で対処すればいい。そんなデメリットよりも遥かに比べ物にならないぐらい大きなメリットをそうした「嘘」は人の心にもたらしてくれているのです。

瀬戸は「医療に絶対の正解は無い」と言う。医療においては、そもそも薬はもともと毒だったのと同様、善と悪は明確には分けられない。だから嘘は悪だとかそういう単純な理屈で割り切るべきものではないのです。嘘だって花を育てる愛情たり得るのが医療の世界なのであり、人格の改変で救われる心だってあるのです。もちろん副作用だってあるしケースバイケースです。松村の場合は人格の改変でしか彼の人生は救えなかった。現在の彼は間違いなく過去の彼よりも幸福な人生を生きており、人格の改変の話を蒸し返して彼の幸せを壊す権利は須堂には無い。瀬戸の不法行為を告発する権利も同様に不法行為をやっている須堂には無い。須堂に出来ることは結局、瀬戸から貰った6年前のデータを元にして松村の不眠症に対する対症療法を行うことだけであり、それは上首尾に終わり、結局は松村夫婦には記憶の書き換えの話はすることはなく、松村への治療は終了したのでした。

ただ、だからといって、瀬戸が正しくて須堂が間違っているというわけではない。瀬戸も「あの患者には嘘が特効薬だ」と言っているだけであり、松村のケースでは嘘が有用だったと言っているだけです。そして「医療に絶対の正解は無い」とも言っている。だから、嘘による救いが絶対的に正しいなんてこともないのです。いや、そもそも救われることが正しいとも限らない。ずっと苦しみ続けることが正しい場合だってある。花に注がれる水、人に注がれる愛情というものは、都合の良い嘘による救いという形をとることもあれば、不都合な真実による苦しみという形をとることもある。苦しみという名の恵みによっても花や人は育つものなのです。そうしたケースが描かれたのが後半パートのユウタのお話です。

アバンで登場したヒューマノイドの少年ユウタは幼少時からピアノを習っていて、かなりの腕前なのですが、学校ではクラスメイトと揉め事ばかり起こす問題児で、母親はいつも学校に呼び出されてユタのことを注意を受けるばかりで、ユウタ本人も自分の感情を制御出来ないことで自分のAIがバグでも起こしているのではないかと怖くなり、母親と共に須堂の病院に診察にやって来ました。須堂は参考までにユウタの弾いたピアノの演奏の音源を聴かせてもらったが、かなり良い演奏で須堂は率直に感動してユウタの演奏を褒め、他の演奏の音源も持ってきてほしいと頼みました。だがユウタは須堂の言葉を聞いても不愉快そうに黙ったままで須堂を無視するのでした。

それでユウタの検査を終えて、須堂はユウタの母親と治療方針の相談をしますが、そこには医療AIのジェイも同席しました。ジェイの所見を聞いてみたところ、確かにユウタは情動系の回路の制御が悪いので、そこを調律するのが良いと言う。要するにユウタの性格を社会生活に適応出来るようにもっと他人に寛容で穏やかなものに変えようということです。

ちなみにこれは瀬戸のやっていたようなものとは違って合法です。記憶を書き換えたりするわけではなく、ちょっと性格を変えるだけですからセーフなのだそうです。人間でいえば効果としては精神安定剤を投与するようなものです。人間の場合は精神安定剤を投与しても効果は薄いし持続性も無いが、ヒューマノイドの場合は情動の回路を直接いじることができるので劇的な効果が得られるようですね。

ただ須堂はユウタの性格を変えてしまうことにあまり賛成ではないようです。松村の場合のように記憶まで変えてしまうわけではないといっても、まだ子供のユウタの場合、性格が変わることで人格形成に影響が出ることを懸念しているのです。嘘の記憶を植え付けるわけではないから松村のような副作用は出ないだろうけど、須堂はさっき聴いたピアノの演奏の印象から、ユウタがそんなに性格を変えなければいけないほどに問題のある子供だとはあまり思えなかったのです。それに不愛想にしているユウタに対しても須堂はそんなに悪い印象は持てなかった。ユウタの母親もユウタの性格を変えることには躊躇しており、ユウタが自分の感情をコントロール出来ないことも一種の個性なのかもしれないと言い、それを変えてしまって良いのかと迷う。

だが、ユウタが感情をコントロール出来ないことで社会に適応できずにトラブルが多発しているのは事実であり、結局はユウタ自身と母親に判断は一任することにして1週間後に治療を行うかどうか返事を貰うということにして帰ってもらうこととしました。そして、実害が生じている以上、おそらくユウタや母親は治療を受けるのだろうと思い、須堂は残念に思います。そして帰り際、ユウタを呼び止めて、再度しつこくピアノの音源を持ってきてくれるよう頼むのでした。

実はユウタはずっとピアノを一番の友達と見なして生きてきた影響で、頭の中で常にピアノの音が鳴り響いているような類の子供であり、まぁ一種のピアノの天才児でした。こういう類の天才というのは他にも存在し、頭の中が常に数式でいっぱいであったり、常に言葉が洪水のように湧いてきたりする。こういうのは一種の脳のバグであり、AIにもこういうバグが生じてユウタのようなヒューマノイドの天才児が生まれることもあるのでしょう。

そして、こういう「他人には理解不可能な自分だけの世界を持った人間」というのは、それを理解しない他人が自分の世界に踏み込んでくることを嫌い閉鎖的になる傾向が強い。だから他人を邪魔者扱いして攻撃的になり集団生活に適応できない。一見すると「発達障害」のように見えますが、世間で「発達障害」と見なされる人間のうち一定数はこうした天才児のような者が混じっています。彼らが社会に適応しようとしないのは別に性格が悪いからなのではなく、自分の世界を守り育てていくために本当に他人の存在が妨げになるからなのですが、周囲はそれが理解出来ないので単なるワガママ人間と見なして非難し攻撃してしまい、世間一般の人間と同じように周囲に融和した生き方をするよう求め、諍いが絶えなくなるわけです。

実際問題、ユウタも1人で生きていけるわけではなく社会の中で暮らしていかねばいけないので、周囲と揉め続けるのはユウタ本人にとっても苦しみです。そして周囲と揉める原因を作っているのが周囲に対してあまりに不寛容な自分の性格だということも分かっているので、そんな自分の性格そのものがユウタにとっては苦痛でしかない。また、自分がそうやって周囲と揉めてばかりいるせいで母親が苦しんでいるのも、そんな母親の苦しみを知っていながら「ピアノさえ弾ければ幸せだ」などと言ってただ楽しくピアノを弾いて悦に入っている自分の無責任さも、ユウタにとっては苦しみでした。

普通の人間ならば、そうした苦しみからは逃れることは出来ず、ずっと苦しみ続けながら生きていくしかない。そして苦しみながら一生を終えるのでしょう。だがユウタはヒューマノイドであり性格を変えることが出来た。だから結局ユウタは須堂の治療を受ける道を選び、穏やかで寛容な性格になった。その結果、ユウタは相変わらず頭の中でピアノの音は鳴り響いてはいたが、その自分だけの世界に入り込んでくる他人に以前よりも寛容になり、受け入れることが出来るようになった。そうしてユウタは学校でも揉め事を起こさなくなり友達もたくさん出来るようになり、以前のような苦しみの無い楽しい日々を送るようになった。

だが、治療が終わって以前よりも自分に対して当たりの柔らかくなったユウタを見た時、須堂はかけがえのない何かが失われたと感じた。そしてユウタが約束通りに「治療前の演奏の音源」を持ってきてくれて良かったと安堵もした。ユウタは相変わらずピアノの天才児であったが、治療後は治療前の演奏とは明らかに違ってしまっていたのです。治療前のような「自分にはピアノしかない」という苦しみの中で1つ1つの音に命を賭けるような切迫した演奏はもう出来なくなっていた。ユウタとピアノだけの世界に他人の侵入を受け入れた時点で、その純度は明らかに下がってしまったのです。

つまり、花を育てる「水」は「愛情」である場合もあれば「苦しみ」という形をとる場合もあるのです。甘い嘘によって愛情を与えられて育つ花もあるが、自分にとって不都合な真実による苦しみの中で育つ花もある。社会に適応できないという自分の本性による苦しみの中でこそ天才という花は純粋な形で育つのです。いや、それはまさに「愛情という水も注いで貰えない苦しみの中で育つサボテン」そのものだともいえるでしょう。

 

 

デキる猫は今日も憂鬱

第5話を観ました。

今回は、前回登場した部長の姪の3歳児の優芽ちゃんの誕生日パーティーに幸来と一緒に諭吉も招待されてしまうという話。いや諭吉は巨大猫だから絶対無理だろうと思ったら、仮装パーティーだとのことで何とかなるんじゃないかということになる。いやそれでも無理だろうと思う幸来だが、諭吉が幸来の分の仮装も作ってくれたり、持参していく菓子も作ったりして凄い張り切っているので結局行くことになり、意外と徒歩圏のご近所であった優芽の家の前に来てやっぱり帰ろうとする幸来であったが優芽やその母親に見つかってしまい、なし崩しで諭吉と共に誕生パーティーに参加する。

諭吉は当然ムチャクチャ目立ってしまい、もともとご近所で巨大猫の出没情報があったので集まったママさん達は怪しむが、諭吉が背中にフェイクのファスナーを装着していたため、全員が諭吉のことを黒猫の着ぐるみを着た人だと思い込み、上手く誤魔化すと同時にご近所の不審巨大猫情報も払拭するというファインプレーとなる。

ここで優芽の祖母、つまり部長の母親が登場して諭吉や幸来と会ったりするが、どうやら部長の母は昔黒猫を飼っていたらしい。幸来が諭吉を拾った公園もこの家の近所であり、もしかしたら諭吉とその黒猫は何か関係があるのかもしれませんね。その他、幸来が諭吉ぬいぐるみを作ってほしいと諭吉にせがむけど無神経発言のせいで断られてしまう話や、酔っぱらった幸来を諭吉が公園まで迎えに行く話など、ちょっと笑えたり、ちょっとイイ話など。あと、出張で不参加だった部長が誕生日パーティーの写真を見て諭吉を見てリアルな猫のぬいぐるみだと思い「こっわ」とビビるのが爆笑モノでした。部長だけはまだ「ユキちゃん」を幸来の女友達だと思い込んでるんですよね。