毎年春休みはお休みをいただいて、社会科見学に出かけます。
子供たちにとっては単なる旅行ですが、私の中ではあくまでも社会科見学です。
「楽しかったー」
「きれいだったー」
という旅行もいいのですが、何かその土地のものを学べることを毎回意識してます。まぁ趣味みたいなものですね。
さて、今年の目的地は、大変です。
一昨年からずっと行きたかったところです。
飛行機を2便乗り継ぎ、やっと到着。
インターナショナルエアポートです。ここ。
あれれ? しーん。店も閉まってる・・・。レンタカー、事前アポとっておいてよかったです。私に車を渡すと、店じまいしてました。
カフェももちろんしまってます。wifiなんてありません。
セキュリティなんて言葉はないような空港でした。
ちなみに、公共交通機関はありません。タクシーもいませんよ。
便座がない・・・。
早朝着の便だったので、そのままレンタカーを借りてドライブしました。
この道も。
地図もカーナビもありませんよ。
と走っていると、いきなり現れます。
国会議事堂、もちろん国の首都にあるわけですが、首都の人口は400人ほど。
世界有数の人口が少ない首都です。
周りには本当に何もありません。
この議事堂の近くに、ありました。
第一次大戦から太平洋戦争での敗北まで、日本統治でした。
その名残がいたるところにあります。
翌日、ボートに乗って75分ほど。
今回の社会科見学の目的地に向かいます。
某島に到着。
洞窟内。洞窟内は要塞化してあります。
『ルービ○○』と、右から左に書いてあります。
当時のものです。
さらに移動します。
日本軍旧司令部です。米軍が野戦病院としても使用していました。
かつて東洋一だった飛行場です。
米軍はこの飛行場を手にすることが目的でした。
ジャングルの中に突然巨大な滑走路が現れます。
この滑走路を歩きましたが、当時ここで何があったのか、どんな思いでこれを作ったのか、一歩一歩足を踏み出すごとに、胸が熱くなります。
この記念碑はニュースでご覧になったことがある方も多いでしょう。
子供たちに、昔あったことを知って欲しくて、連れて行きました。
百聞は一見にしかず、行ってよかったです。
こんな南方の地までやってきて国のためになくなっていった方々を思うとこみ上げてくるものを抑えきれません。なくなった方のほとんどは、まだ10代20代の若い兵士でした。いわゆるバンザイ攻撃や玉砕も許されず、最後まで戦い抜いた若い兵士です。
子供たちにはまだ理解できる年ではありませんが、このように自分の目で見せることで記憶に残り、いつか思い出す日が来てくれればそれでいいのです。
そして現在、
空港も、橋も、車も、その他の建造物も、食料も、かなり日本が援助しているようです。
なぜ日本が東南アジア諸国に対し援助する必要があるのか、自分から考えてくれるときがくればいいな、と思い帰国しました。
それにしても今回の社会科見学は、事前準備が色々大変でした・・・。
次回の場所はもう決めています。
それに向けて、こちらも予習が必要なんですよ。
《テーマ別、今までのブログです》
算数の指導は、こちらから
http://ameblo.jp/knightriderkitt/theme-10084202341.html
理科の指導はこちらから
http://ameblo.jp/knightriderkitt/theme-10084384078.html
受験結果と受験直前期はこちらから
http://ameblo.jp/knightriderkitt/theme-10089445202.html
教場指導の様子はこちらから
http://ameblo.jp/knightriderkitt/theme-10090288405.html
それ以外の記事は、←のリンクからどうぞ
《私のホームページです。ご覧ください》
http://www016.upp.so-net.ne.jp/SWmeister/
ご連絡・お問い合わせはこちらまで。お住まいのエリアまたは住所、小学校名、お通いの塾とクラス、最近の模試の成績、お決まりであれば志望校、をお知らせいただけるとスムーズです。
maimaica@hotmail.com
↓クリックをお願いします。(^∇^)