2月の終わりに京都に帰省しました。
梅と小旅行気分に浸りたく滋賀県長浜と大津市を観光してきました。
京都駅から(新快速:長浜行き)乗車。
米原で車両が短くなり乗車率高めに。
皆さんほぼ盆梅展目当てでした。
長浜駅から徒歩10分ほどで到着です。
2月の終わりに京都に帰省しました。
梅と小旅行気分に浸りたく滋賀県長浜と大津市を観光してきました。
京都駅から(新快速:長浜行き)乗車。
米原で車両が短くなり乗車率高めに。
皆さんほぼ盆梅展目当てでした。
長浜駅から徒歩10分ほどで到着です。
昨日の緊急地震速報‥。
これが鳴ると、心拍が上がったままでなかなか治まりません💦
今朝、京ばあちゃんから電話。
神経、参ってないか?
一回、京都に戻っておいで!と
泣かれた。
確かに地震は活発なままで、
またいつ震度7クラスが起きるか
解らない。心が休まらない毎日で活力も湧いて来ず、ただただ今日、大地震なくてよかった。次、大地震来たらどこに避難しようかとそんな事ばかり考えている。
奥能登地区をテレビで見る限り倒壊してる家屋はやはり古民家が目立つ。
新しいお家や鉄筋コンクリート系の建物は倒壊してない。
うちの町内はほぼ古民家。
震度7クラスだと町内の小路も瓦礫で塞がれる可能性があり、車の置き場も思案してる。けど、実際に駐車場所を変えたびら、びーとるさんの嫁さん、地震対策で車の置く所変えたらしいわ~と、グチャグチャ言われてしまうだろう。または、義母からそこまでせんでいいと言われるか‥だろうな。
義父母たちというか、
ここら辺りの近所付き合いの形か?
震災関係なく、なかなか自分たちだけ他所に行くという事がしづらい空気感がある。裏切る?でもないが、グチャグチャ陰口叩かれまくる。
なので今回、私自身も1人だけ京都に帰るとなると、義母自ら近所に言いふらすのが目に見えるのがまた難儀で‥。
帰って来たら、義父母放ったらかして自分だけ息抜きして!と言われるんちゃうかと、京ばあちゃんも帰って来いと言いながらもそれも心配している。
また逆に震災とは関係ないが、他所から移住してきた人に対しても冷たいというか、関わるきっかけ行事に毎回参加して、よく町内事に働かないと受け入れ態度が全く違うのだ。
田舎生活は本当に難しい‥。
母ちゃんはこれまで、町内事に無視してきたけど、この震災で町内の方々とコミュニケーションが少し取れた事で助けてもらえた事もあり、コミュニケーションの大事さも感じた。でも義父母の昔ながらの付き合いのタマモノが正しい。
なので近所付き合いは大事と言うが、この町内の連携と、避難生活形態は別物と感じる。今までの大きな震災で見てきた避難所生活では、復興も進まず被災者は疲弊と感染症で困難に陥るのだ。それを頑張ろう!頑張ろう!テレビからも全国からも頑張ろう!と言われてしまう。被災者が頑張るじゃなくて、安心安全確保された第2の生活場所の提供だと思うんです。
過疎地には集落毎にヘリポートを隣接し、被災後すぐ遠い場所へ脱出できるようにするべきだ。
今までの震災経験は一体何だったのか‥?