夢の中の弁証法 ― 個別性への執着から、絶対性への帰属を介して、すべてを受け入れる離脱へ | 内的自己対話-川の畔のささめごと

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830日の記事で話題にしたビンスワンガーの『夢と実存』の中に、ビンスワンガーが診た女性患者の一人が治療(どのような精神疾患に対してかはわからないが)を受けた後に見たという夢の、患者自身による記述が引用されている。その夢は、大変イメージ豊かで、それだけでもとても印象的なのだが、ビンスワンガーは、その夢を構成する三つの場面が一つの精神疾患から快癒してゆく三段階の弁証法的過程のそれぞれに対応していることに特に注目する。

ダスチュール先生の仏訳からの重訳になるが、その夢の記述を訳してみよう。

 

ある晩、心の中のとても強い不安と興奮とによって苛まれながら微睡んでいました。夢の中で、私は、果てしない海岸線に沿って歩いていて、砕ける波の永遠の潮騒は、その絶えざる運動によって、私を絶望へと押しやりました。私は、力づくで休息へと辿り着くために、海の運動を終わらせることができればと激しく欲しました。そのとき、私は、砂丘の上を、背が高くソフト帽を被った一人の男の人が私の方に近づいてくるのを見ました。白いマントを着ていて、杖と大きな網を持ち、額に吊るされた大きな眼帯で片目を隠していました。その男の人は、私の前に来ると、網を打ち、その中に海を入れてしまい、私の前に置いたのです。恐る恐る網の間から覗き見ると、海がゆるやかに死のうとしているのがわかりました。奇妙で不安を呼び覚ます静けさが私の周りを支配し、網の中に捉えられた動物や魚らは、少しずつ土気色に変り、亡霊のように死んでいきました。私は泣きながら男の人の足元に身を投げ出し、海をまた解放してやってほしいと懇願しました ― 今になってわかりますが、その夢の中の不安は生命を意味し、静けさは死を意味しているのです。その男の人は、すると、網を引き裂き、海を自由にしてやりました。私はといえば、波がふたたび轟き、砕けるのを聞いて、狂喜しました。そのとき、目が覚めました。

 

ビンスワンガーが言っていることを少し敷衍して、この夢の弁証法的過程を記述すると、次のようになるだろう。

この夢の第一場面、つまり、海の永遠の運動に底知れぬ不安を感じながらの歩行は、すべてを永遠の反復のうちに飲み込み、休息することを知らない普遍的なものに対する恐れと慄き、そしてそれに対してあくまで己の個体性(個体化の原理)に執着している段階を表象している。それに対して、第二場面、つまり、背の高い男とその網による海とその中の全生物の捕獲は、圧倒的な力能を持った「他性」の原理への全面的な従属の結果として生ずる生命の消滅と死を表象している。そして、第三場面は、個体的自己を飲み込む動的永遠性をそれとして受け入れることで、第一段階での個体性への執着と永遠性への恐怖から解放された段階を表象している。

私はこの夢の記述とそれについてのビンスワンガーの分析は、少なくとも次の三つのことを意味していると私は思う。

一つは、弁証法が、一個の精神の自己解放過程そのものとして現実化されている。

一つは、夢は人間の実存の一部であり、そこでの経験が心の病からの治癒過程そのものを表現している。

一つは、イメージの持つ感覚的喚起力が夢を一つの具体的経験として世界了解を深化させることがある。