滞仏丸十九年 | 内的自己対話-川の畔のささめごと

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日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

 

このブログを始めた2013年から、1996年に初めてフランスの地に降り立ったこの日910日になると、フランスに来てからのことを振り返ってみての感懐を記事にしている(こちらが一昨年の記事去年の記事)。この日にそうすること自体は、ブログを始めるずっと前からの個人的「年中行事」であった。

先月の誕生日の日の記事にも書いたことだが、この十九年というのは、私には少し特別な意味がある。他の人たちにとってはまったく意味のないことだとは思うけれど。滞仏十九年、それはちょうど自分のこれまでの人生の三分の一をフランスで過ごしたことになるからだ。

平均寿命などあてにはならないし、これからどうなるかもわからないけれど、何か人生の最終コーナーを回ったような気持ちがするとでも言えばいいだろうか。何か特別なことがあったわけではない。ここ十年以上ずっと心に重くのしかかっている問題は、相変わらず解決の見通しさえたっていない。それでもやはり、人生のラストステージに入ったなあという気がするのである。

幸い健康には恵まれていて、フランスに来てから一度も病気や怪我で病院にかかったことはない(そもそも日本にいるときから、青年期以降は、病院にお世話になったことはほとんどない)。食事内容もバランスを考えている。ここ六年間は、毎年二百回以上水泳に通うなど、健康管理にも特に気をつけている。

挫折に挫折を重ね、道を誤り、人より遅れに遅れ、何周も周回遅れのこれまでの生き方からして、そして過酷な現代社会の状況を目の当たりするにつけ、フランスであれ、日本であれ、のんびりと余生を送るなどということは、私にはあり得ない、と確信せざるを得ない。

しかし、どんな否定的な感情がゆくりなくも襲ってくることがあっても、ときにどうしようもなく鬱々とすることがあっても、原則は変わらない。ピエール・アドが言うように、過去と未来に引き裂かれることなく、現在に集中すること、これだけである。

ピエール・アドが、La philosophie comme manière de vivre の中で、若い頃からの読書経験と後年の度重なる手術(十回ほど全身麻酔を経験したという)とから死に思いを巡らすようになり、そのことで、しかし、死の思いに脅かされるのではなく、逆に、死の瞑想がより良く生きるための助けとなっていることを述べている箇所から一節引用して、それを今日という日に改めて肝に銘じることにする。

 

Vivre comme si l’on vivait son dernier jour, sa dernière heure. Une telle attitude exige une totale conversion de l’attention. Ne plus se projeter dans l’avenir, mais considérer en elle-même et pour elle-même l’action que l’on fait, ne plus regarder le monde comme le simple cadre de notre action, mais le regarder en lui-même et pour lui-même. Cette attitude a à la fois une valeur existentielle et une valeur éthique. Elle permet tout d’abord de prendre conscience de la valeur infinie du moment présent, de la valeur infinie des moments d’aujourd’hui, mais aussi de la valeur infinie des moments de demain, que l’on accueillera avec gratitude comme une chance inespérée. Mais elle permet aussi de prendre conscience du sérieux de chaque moment de la vie. Faire ce que l’on fait d’habitude, mais pas comme d’habitude, au contraire comme si on faisait cela pour la première fois, en découvrant tout ce que cette action implique pour qu’elle soit bien faite. (Pierre Hadot, op. cit., Le Livre de Poche, coll. « biblio essais », 2004, p. 254-255)

 

人生の最後の日、最後の時間を生きているかのように生きること。このような態度は、注意の全面的な転換を要求する。もはや未来に投企しないこと、己が為す行為をそれ自体においてそれ自体のために考えること、世界を私たちの行動の単なる枠組みとして見るのではなく、それ自体においてそれ自体のために見ること。このような態度には、同時に実存的価値と倫理的価値とがある。それは、まず、現在の瞬間の無限の価値を、今日の諸々の瞬間の無限の価値を、しかしまた、明日の諸々の瞬間の無限の価値をも自覚させる。人はそれらの瞬間を望外のチャンスとして感謝とともに迎えるだろう。しかし、このような態度はまた、人生の各瞬間の大切さを自覚させもする。普段していることをする、しかし、いつものようにするのではなく、あたかも初めてそうするかのようにすること、その行為がよくなされるように、それが含んでいるすべてを見出すことによって。