鎌倉歳時記 -5ページ目

鎌倉歳時記

定年後、大好きな鎌倉での生活に憧れ、移住計画や、その後の鎌倉での生活の日々を語ろうと思います。家族を大阪に置き、一人生活を鎌倉の歳時記を通し、趣味の歴史や寺社仏閣等を綴っていきす。

 庵室にて、二宮の姉が話された後、少し経って母が言うには、

「十郎の事から、忘れる間もなく、常に参り、お会いしたいと思っていましたが、思うようには出来ない女の身であり、人の心も憚れるなどと思って、今までこの様に、どの様にお住まいになられているのも見ずにいました。彼ら二人の七年の追善を、曽我で執り行い、また貴方の有様も見て参ろうと思って、これなる二宮の女房を誘って、参りました。又、親子恩愛に至って切ない事は、人の申す習いですが、我が身の上かと思われます。年月がこのように過ぎて行きますが、忘れる事も出来ないでしょう。それで、容姿を変えようと思うも、曽我祐信との間にも受けた幼少の子供を持捨てがたく、思い切れずにおりました。これと言う志に至って切ないものかと、我が身ながらも情けなく思います。貴方とのご縁は、さして深い物ではございませんが、祐成が、所領を持っていて、頼りになる事ならば、思い出が増す事も有っただろうに。只ひとえに前世の宿縁の執行に引かれて、互いに善知識になられたと、あまりにも尊く哀れに思えて、私までも死後、極楽浄土で、あの人と同じ蓮の上で生まれ変わる縁を結びたいと思います。およそ、人間の八苦(人間のあらゆる苦しみ。苦しみの称。四苦の生苦、老苦、病苦、死苦、八苦はこの四苦に、愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五蘊盛苦の四つを加えた物)、天上の五衰(天人の死が近づくときに思われる五つの死相)は、今に始まった事ではないですが、前業(前世の業因。これにより現世の禍福が定まるとされる)のつたなき(未熟な)身であるので、無常の理に動揺せず、つれなく辛い悲しいこの世に長らえるのです。私自身の身でありながら情けなく思います。そうであるのに、五障三従(女性が宿命として課せられるとされる五つの障害と三種の忍従『法華経』提婆達多品十二による)の身でありながら、さいわいに仏法が流布される世に生まれて、世俗を離れ、悟りを開いて、生死の句を克服する出離生死の道を求めると云えども、女人の愚かさは、それも叶わない事です。貴方様方は、このほど、それと悟りを開かれた事であるなさるのならば、後生を助けられる事も知らせられたでしょう。

 

 心に深く染み入ります。どうかお話ししていただけないでしょうか。たとえ自分の思い通りにならなくても、せめて心の中に思い浮かべて、見てみたいものです」と言うと、虎は涙を止めて申すには、

「真に、これまでして戴いた事は、夢の心地として御志、有難く思います。このような身となり果てても、まったく十郎殿故の事と思えば、どんな短い時間でも忘れる事はありません。この世は定めのない世界の境で、それは愛別離苦の悲しみをひるがえして、菩提の彼岸に至る事だと、仏教の大切な文言とともに、あらゆる物を尋ね求めて、然るべき善知識(仏法に導く導師)にも会う事が出来ると思いました。諸国を修行し、都に上り、法然上人に会い、念仏修行を受け、一筋に浄土を願いました。この尼御前は(手越の少将)は私の姉でございます。私の有様を見て羨ましく思い、同じく共に容姿を変えて、一つの庵に閉じ籠り、修行を行っております。今思えば、この人(祐成)は、発心の便りになると、嬉しく思います。その上、私は、不思議に釈尊の遺弟に連なり、比丘尼の(出家して具足戒を受けた女性)の名を汚し、かたじけなくも、仏・菩薩が過去に世において、衆生を救済するために起こした請願の本願の声明を頼みとし、三時六根を清め、一心に生死を離れる事を願います。本願を如何にも誤っているとも、疑いの心を持ちません。五郎殿も、同じ煙と消えてしまわれました。二人を共に、成仏得脱(仏果を得てこの世の苦しみから逃れる事)を弔う為に、二人の位牌を安置しております。あらゆる事象は、全て因縁によって生じると言う諸法従縁起においても、何事も縁に引かれる事であるので、二人ともに、仏教において善事を縁として仏道に入る事が順延とし、悪事を縁としてはいる事を逆縁とされる、順延逆縁に、仏教上の悟りを得る縁となる事は疑う事ではございません。およそ、分段輪廻のこの娑婆の世界に生まれて、必ず死滅の恨みを持ち、妄想如幻の家に来ては、終に別離の悲しみがあります。経に言う所の、『出でつる息は入る息を持たず』の世の中に生まれ、あまつさへ、「人身受け難いく、仏教に遭い難く」と言い、人が会い難い仏教に会いながら、この度、空しく過ぎて行くことは、良い機会に会いながら、その望みを達し得ないで終わらせることでしょう。必ず仏道を怠らずに、信心を深めて、極楽浄土へ参ると思っております」と申すと、母も二宮の姉も仏教を深く信じて慕っておられるので、心から有難く感じて涙を流された。

 

そして、

「渡って行く世の中に交わる習いは、世の中の営みに信仰心を持ち、再び地獄、餓鬼、畜生の三途の場所に戻って、如何なる苦難を受ける事になろうかと、前もって悲しく思います。そうであるならば、尊き人にも会って、女人の得道をする心理に至る仏の教えを聞かせて戴きたくとも、そのような御縁の人もいないので、とかく過ぎ行く所に、今の念仏を申すとしても、人なみに唱えて申しても、どの様に心を持ち、如何なる趣きで、往生する事でしょうか。かつて是迄、誰かと区別して特別扱いしたようなことはございません。同じ事なら、ついでに詳しくお聞かせ願えれば、どれ程嬉しい事でしょう」と言われた。虎はこれを聞いて、これはひとえに、二人の兄弟たちが亡くなった事による縁で、後に思いを残したけれど、この様な縁に引かれて仏道に深く志すようになったのである。真の道に赴きたいのであれば、ひとえに、この兄弟二人の孝行にて有る物だと思い、仏道の修行に入る事を、大変有難く思われた。 少将の方を見て少し笑いながら、

「姉様こそ、念仏の法門を知らせられれば、語って聞かせられては」と申した。     

―続く―