鎌倉散策 鎌倉歳時記『曽我物語』九十八、箱根にて仏事の事(一) | 鎌倉歳時記

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定年後、大好きな鎌倉での生活に憧れ、移住計画や、その後の鎌倉での生活の日々を語ろうと思います。家族を大阪に置き、一人生活を鎌倉の歳時記を通し、趣味の歴史や寺社仏閣等を綴っていきす。

箱根にて仏事の事(一)

 こうして、別当は、この者共の仏事を取り行おうとしていた。その暇を見つけて、虎に、出家の為に教化され、

「たまたま人身となり受け、この度の浄土を願わなければ、また三途に帰るでしょう。祐成を仏道に導く導師と思い、浄土を願う事を、何の疑いがありましょう。すでにこの様な、法身となれば、自他の為に、未来永劫、有難い事です。法師とて、御導師(法会・供養などの時、衆僧の座主となって儀式を執り行う僧)になるだけではありません。ただ心をもって師とする時は、如何に往生を平素からの願う事です。何もない空間へと心が解き放たれる境地が果たされないと言う結果に終わってしまいます。又、五郎も心を通わせた親しい間柄であり、相手を思う心は互いに劣る事が無いので、なおさら手厚く供養されなさい。誰かおるか、僧たちを呼びなさい」と言って、さらに、

「持仏堂を立派に飾るよう。客殿の地理を取りなさい」と申し、様々に指図をされた。虎は、別当の強化を聞き、体いっぱいに嬉しく思った。その後、多くの僧が集まった。御経が多いと云えども、特に優れた一乗妙典(法華一乗の妙理を説く経典『法華経』の事)八巻を、同音で読誦された。『法華経』随喜高徳品第十八による五十展転の功力は最も有難かった。受持読誦(じゅじどくじゅ:経文をよく記憶して、空で読む事)の結縁は、頼もしく思えた。御経がようやく終わると、別当は高座に上り、彼らが追善の鐘を打ち鳴らし、施主(せしゅ:供養をする代表者)の志を量られれば、まず御涙に咽びつつ、説法のお声を出す事が出来なかった。少し経って、別当は涙を抑えて花房を捧げ、

 

(鎌倉 長谷寺)

 「それ、生死の道は事にして、御信を何れの方に通せん。輪廻分断生死の境を隔てて、兄弟の霊を敬して、お目に描かれる事を期待します。二十余年の夢、暁の月と共に空に隠れ、千万端の憂へ、夕べの嵐と共に一人で詩歌を詠まれ、雲となり雨となった。哀憐の涙は乾く事が無く、朝を迎え、夕べを送り、懐旧の腸(はらわた)絶える事は無い。読経や礼拝など、神仏に対する行いや、日々の日課は、止む事は無く、百日の忌日(きじつ:死後、仏事などを行うい一定の日)は既に満ちました。悲しみが是程までに至っても、なお悲しいのは、老いて子に先だたれ、恨みの事において最も恨めしいのは、盛んにして夫に先立たれたほど悲しく辛い事はございません。老少不定、老人が早く死に、若者が長く生きるとは限らず、人の命は定まる事は無いと云えどもなお、前後の死の相違に迷う事に、嘆いても叶わず、惜しんでもしかたがない。そうであるならば、仏も愛別離苦(あいべつりく:親・兄弟・妻子など愛するものと分れる苦しみ)と説かれる。一生は夢の如し、誰も百年の齢を保つ事は無い。万事は全て皆空しく、何れかは生滅変化することなく、過去・現在・未来に変って存在すると思いなさい。命は水の上の泡の如し。魂は籠の中の鳥で、開くのを待って、去るのと同じであります。消えて行く者は二度と見る事が出来ずに、去る者は再び来ません。恨めしい事であります。釈迦大師の心のこもった教化を忘れ、悲しい事に、閻魔王の責め、さいなむ言葉を聴く。名利は身を助けると云えども、未だ、墓地の屍を養う事は無く、恩愛の心を悩ませても、誰が冥土の責めを免れようか。冥利のために走り回っても、どれ程の利を得られようか。恩愛にすがっても追い求めても帰って多くの罪を作るだけである。しばらく目を塞いで、往時を思うに、かつて自身が旅した場所や、昔に親しんで遊んだ友など、旧遊皆空しい。指を折って、故人を数えれば、親しくも、疎縁な者も多く亡くなってしまった。時が移って、事が去り、今どれ程、遠く果てしなくなってしまったか。人が止まって、我が行き、誰かがまた残り、悲しみ嘆く事でしょう。私たちの迷うこの世界は、常に不安と燃え盛る家のように危険で安らげる場所がないという、『法華経』譬喩品(ひゆほん)に説かれる三界無安猶如火宅(三界無安、なおかたくのごとし)を見れば、王宮もこれ夢なり。天使と言われども、人生における生苦・老苦・病苦・死苦と言う大きな苦しみを持つ身であります。いわんや、下劣貧賤の輩(ともがら)等のその罪軽いものです。死に苦しみを増し、業に順って悲しみを添えるでしょう。思い悟らない事は愚かな事であります。

 

 『まさに今、書庫は塵が積もり、竹簡(ちくかん:古代中国で使われた竹の書物〔竹簡〕に記された幾何学〔数学〕の総称)幾何程の千巻に値する。苔龍の様に雲が静かなびき、松風が吹くと、園の中の花月は互いに伝わり、主を失う。七月半ばの盂蘭(うら)盆の尊霊は、誰の為でしょう』と、泣く泣く当座にて書かれた。真に理を極まる。そうであるならば、親の子を思いう志の深い事は。父の恩を須弥に例え、母の恩を大海と同じと言う。我一劫(いちごう:仏教やインド哲学において途方もない長い時間の単位〔劫〕を指す)の間を説いても、父母の恩は、尽きる事は無いと見られます。胎内に宿り、身を苦しめ、心を尽くして、月日を重ね、日を送り、生まれる時は、桑の弓・蓬(よもぎ)の矢をもって、天地四方を射て、身体髪膚(しんたいはっぷ:体と髪と皮膚の事で「体全体」をさす言葉)を父母に受けて、あえて損ない破らざる(無事に生まれてくる事)を、孝の始めとされる。襁褓(きょうほう:産着。転じておむつ)の袋に包まれたころより、今に至るまで、昼夜に安心出来た事は無いでしょう。人の親の習いで、わが身の衰える事を知らずに、子の成人を願っております。この恩を捨て、未だ盛りにも満たずにして、母に先だった。それは、『孝経』に曰く、『君は尊くして親しからず、母は親しくして尊からず、尊親共にこれを兼ねたるは、父一人なり』と云えども、衆生がこの世で受ける四種の恩(父母、衆生、国王、三宝の恩)の中には、二親であれば、母の嘆きも切なれども、当たる所の恥、父の敵に身を捨て、各々命を失いました。人の親の子を思う闇に迷う道は、愚かなる子も愛おしく、片端(かたわ:肉体的、精神的、知能的に一部障害を持つ者を差し、現代ではその使用は憚られる)になる子供も悲しく、この人々は弓馬の家の生まれ、武略は共に賢く、名を後代に残し留めた事は、遠きも近くも(世の中の人達に)、知らぬ人はおりません」。

 

※『法華経』随喜高徳品第十八による五十展転とは、『法華経』を聞いた者が、それを他の人に語り、その人がまた他の人に語ると言うように、次々に回りまわって五十人目に至る事を言う。なお、最初に聞いた人と同じ無量の功徳を五十人目の人も得るとし、経の広大な事を説く。

 身体髪膚は、体と髪と皮膚の事で「体全体」をさす言葉で、古代中国の儒教の経典の『孝経(こうきょう)』の冒頭の開宗明義章第一に「身体髪膚、これを父母に受く。敢て毀傷(きしょう)せざるは孝の始也」とあり、『明文抄』三・人事部上に引かれている。           ―続く―