鎌倉散策 鎌倉歳時記 令和六年の師走 | 鎌倉歳時記

鎌倉歳時記

定年後、大好きな鎌倉での生活に憧れ、移住計画や、その後の鎌倉での生活の日々を語ろうと思います。家族を大阪に置き、一人生活を鎌倉の歳時記を通し、趣味の歴史や寺社仏閣等を綴っていきす。

 十一月は本来一番良い季節と言うが、鎌倉では曇天や雨の日が続くことが多い。十二月は毎年良好な天気が続き、午前中から午後の三時ごろまでは快晴の日が多く、気温も東京より二度ほど高い。また空気が澄み、いたるところで積雪のかぶった富士山を見ることが出来る。毎年、十二月の初旬に帰阪して、友人たちと忘年会を行い、正月は一人ゆっくりと鎌倉で迎える。

 

 

 

 二十四節句の冬至が過ぎ、クリスマスが来たかと思うと、早々に年の瀬がやって来る。鎌倉の長谷寺のライトアップや年の瀬市などの行事も楽しむことが出来る。鎌倉に居住して六回目のお正月を迎えようとしているが、これと言って決まった行動はしていない。はじめての年は、除夜の鐘を聞きに行ったが、その翌年からコロナ感染症により、除夜の鐘も数年打たなくなった寺院もあった。昨年あたりから除夜の鐘が討たれ出したようで、住居で、遠くで響く鐘の音を聞くのも良いものである。

 

 今年の漢字が金という事で、パリオリンピックの金メダルラッシュと政治家の裏金事件によるもので表現された。本当に政治家の行動の失墜は、あまりにも酷く、お粗末である。今年の選挙で自民党が少数野党になった事で、閣内決議が減少して、政策審議、法案の議論が国会で展開されるようになったことは非常に望まれる事である。それにしても選挙後、裏金事件で政倫審に出なかった自民党議員が大量に出た事は、あさまし過ぎだ。選挙前は、敢えて身を潜め、選挙で当選すれば禊をしたかのようである。少なくとも、その裏金全て国庫に徴収されなければ納税者は納得できないだろう。吉幾三さんのSNSを見ていると、「年金生活者のおじいちゃん・おばあちゃんから、税金を取るな」と言う。東北出身の吉幾三さんは、農業を営んできた老人は国民年だけで、金額が六万程度である。夫婦二人が十二万円前後でどのように暮らしてゆくのか。年金の税支出には私もそう思う。

 

 バブル崩壊後、失われた三十年を汗水流し、高い税金を払って支えてきたのは、団塊の世代後の私達である。正直何の補助もなく、妻と二人で働き、一人、娘を生後六か月から保育園に預けた。保育費用の支払いは毎月五万八千円と最高額であり、住宅金利が5%と言う時代であった。本当によく働いたと自分でも思うが、しかし今は、年金生活者を年金搾取者のように扱われているように見える。今年の衆議院選挙では、政党のマニフェストに、高齢者に関する記述はなかった。少子化の問題も子供一人を育てることが精一杯で、自信が高齢者になった時の不安が大きく関与していると考えられる。

 

 鎌倉武士は御恩と奉公として一所懸命に働いた。混迷する今は、奉公(仕事)により収入を得て、将来の不安を遠ざけ、将来の人生設計が成り立つのではないかと考える。しかし将来において何の保証もない事は誰もが知る所である。そして誰もが年を取って行く。三十を過ぎると年を取る速度は年々早く、あっという間に還暦を迎え、死ぬまで隷属の如く働かなければならなくなるようだ。世の中に対して誰もが、自身が恵まれた事に世の中に対して御恩と奉仕に向かう世の中でなければならない。政治は、民衆のためにあり、為政者・政治家は国民に奉仕しなければならないはずだが、道理に合わない事ばかりが行われ、無知で私欲をむさぼるばかりである。何と愚かで悲しい事だろうか。本当にこの国は、良い国なのだろうか疑問に思う。後に続く世代に対して良い国にしなければならないのはならないと思考えるのは私だけだろうか。

 

 今年最後のブログ配信が政治的な話題と自身の愚痴になった事が残念である。令和六年はこのような年であった。

来年は、大きな変革の年になり、本当に個々にとっても良い年でありますようと願いたいものである。よいお年をお迎えください。また来年早々に正月の鎌倉を紹介したいと思います。