鎌倉散策 『徒然草』第二百三十四段から第二百三十七段 | 鎌倉歳時記

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定年後、大好きな鎌倉での生活に憧れ、移住計画や、その後の鎌倉での生活の日々を語ろうと思います。家族を大阪に置き、一人生活を鎌倉の歳時記を通し、趣味の歴史や寺社仏閣等を綴っていきす。

第二百三十四段 明瞭な言葉づかい

人の、物を問ひたるに、知らずしもあらじ、ありのままに言はんはをこがましとにや、心惑(まど)はすやうに返事(かへりごと)したる、よからぬ事なり。知りたる事も、なほさだかにと思ひてや問ふらん。また、まことに知らぬ人もなどかなからん。うららかに言ひ聞かせたらんは、おとなしく聞こえなまし。

人はいまだ聞き及ばぬ事を、わが知りたるままに、「さても、その人の事のあさましさ」などばかり言ひやりたれば、「いかなる事のあるにか」と、おし返し問ひにやるこそ、心づきなけれ。世に古(ふ)りぬる事も、おのづから聞きもらすあたりもあれば、おぼつかなからぬやうに告げやりたらん、あしかるべきことかは。

かやうの事は、ものなれぬ人のある事なり。

 

(兼好法師 徒然草)

現代語訳

 「人が、物を質問してきた時に、そのような事を知らないわけでもないと、ありのままに答えるえるのは馬鹿らしいと思うのであろうか、相手の心を惑わせるような曖昧な返事をしているのは、良い事ではない。知っている事も、いっそう正確に知りたいと思って尋ねるのかもしれない。また、本当に知らぬ人もどうしていない事があろうか。はっきりと言い聞かせるのは隠当に聞こえるだろう。他の人はまだ聞いていない事を、自分が知っているのにまかせて、「それにしても、誰それの件は真に驚き入った事で」などとだけ言いうのであれば、「どの様な事ですか」と、折り返し尋ねる事などは、不愉快な事である。世間にあまなく知れ渡った事でも、たまたま聞き漏らす人もいると思えば不審な点のない様に告げることは、どうして悪い事があろうか。

 このような事は世間慣れしていない人の良くする事である。」。

 

(鎌倉坂の下 虚空蔵堂)

第二百三十五段 空虚よく物をいる

 ぬしある家には、すずろな人、心のままに入り来る事なし。あるじなき所には、道行き人みだりに立ち入り、狐・ふくろふやうの物も、人げに塞かれねば、所得(ところえ)がほに入りすみ、こたまなどいふ、けしからぬかたちも、あらはるるものなり。また、鏡には色・かたちなき故に、よろづの影来りて映(うつ)らざらまし。

 虚空よき物をいる。われらが心に念々のほしきままに来たり浮ぶも、心といふもののなきにやあらん。心にぬしあらましかば、胸のうちに、若干(そこばく)のことは入り来たらざらまし。

 

現代語訳

 「主人がいる家には、何の関係もない人が、好き勝手に入って来る事はない。主人のない所には通行人がやたらに入って来て、狐・フクロウの様な物も(『源氏物語』「蓬生」の文)、人の気配に妨げられないので、わが物顔にいかにもふさわしい場所を得たという顔つきで入りすみ、樹木の精霊などと言う奇怪な形をした物も、現れるものである。また、鏡には色・形が無いので、あらゆる物が来て映る。鏡に色・形があったなら、映る事はない。

 空間はその中に万物を抱擁している。私たちの心に色々な思いがほしいままに来て浮かぶことも、心という実態が存在しないからであろうか。心に主人がいるとしたら、胸の内に、多くの思いは入り込まないものである。

 ※『源氏物語』「蓬生」に「もとよりあれたりし宮のうち、いとど狐のすみかになりて、うとましうけ遠き木立に、ふくろうの声を朝夕に耳ならしつる、人げにこそ、さ様の物もせかれて影かくしけれ、こたまなどけしからぬ物ども、所を得て、やうやうかたちをあらわはし、ものわびしきことのみかずしらぬ」とある部分によって書かれている。」。

 

(鶴岡八幡宮 二の鳥居、三の鳥居)

第百三十六段 背中合わせの獅子・狛犬

 丹波に出雲といふ所あり。大社(おおやしろ)をうつして、めでたく造れり。しだのなにがしとかや、しる所なれば、秋のころ、聖海(しやうかい)上人、そのほかも人あまたに誘ひて、「いざ給へ。出雲をがみに。かいもちひめさせん」とて、具しもて行きたるに、おのおの拝みて、ゆゆしく信起したり。御前(みまえ)なる獅子・狛犬、背(そむ)きてうしろさまに立ちたりければ、上人いみじく感じて、「あなめでたや。この獅子の立ちやう、いとめづらし。深き故あらん」と涙ぐみて、「いかに殿ばら、殊勝の事は御覧じとがめずや。無下なり」といえば、おのおの怪しみて、「まことに他に異なりけり。都のつとに語らん」などいふに、上人なほゆかしがりて、おとなしく物知りぬべき顔したる神官を呼びて、「この御社の獅子の立てられやう、定めて習ひある事に侍らん。「ちと承(うけたまは)らばや」と言はれければ、「その事に候。さがなきわらはべどもの仕りける、奇怪に候ふことなり」とて、さし寄りて、据(す)ゑなほして去(い)にければ、上人の感涙いたづらになりにけり。

 

(鎌倉 成就院から見た由比ヶ浜 妙法寺から見た稲村ケ崎)

現代語訳

 「丹波に出雲という所がある。大社を勧請して移し、(社殿を)立派に作られた。志田(伝未詳:もしくは志太)の何某が、支配している土地で、秋の季節の頃に、聖海上人(しやうかい:伝未詳)、そのほかの人たちを多く誘って「さあいらっしゃい。出雲神社の参詣に、ぼたもち(もしくは、そばがき)を御馳走しましょう」と言い、一同を連れて行った。それぞれが(神社を)拝み、非常に信心を越した。神社の社殿の前においてある獅子と狛犬の像が背中合わせに後ろ向きに立っていたので、上人は極めて感心して、「ああ、結構な事だ。この獅子の立ち方は、実に珍しい。何か深い由縁があろう」と涙ぐんで「何と皆さん、こんなに素晴らしい事を御覧になって不思議と思いになりませんか。それでは、ひどすぎます」と言えば、各自が不思議に思い、「実に、他とは違っている。都への土産話にしよう」などと言う。上人は、言われを知りたがって、相当の年配で物を心得ていそうな顔をした神官を呼んで、「この御社の獅子の立てられようは、言い伝えがあるのでしょうか。少し聞かせていただきたい」と言うと、「それなんですよ。いたづらな子供たちがいたしました事で、けしからぬことでございます」と、獅子の傍に寄り、据え直して行ってしまったので、上人の感涙は無駄な事になった。」。

 ※丹波に出雲は、今の京都府亀岡市出雲。この地に、丹波国の一宮出雲神社がある。祭神は、大己貴命(おおなむちのみこと)と三穂津姫命。島根県大社町に鎮座する出雲大社、主神大国主命(大己貴命)を勧請して分霊を請じ迎えて、この地に神社を造営したという。

(筥に入る承久記絵巻)

第二百三十七段 柳筥に据ゆる物

柳筥(やないばこ)に据ゆる物は、縦さま・横さま、物によるべきにや。「巻物などは、縦さまに置きて、木のあはひより紙ひねりを通して、結(ゆ)ひつく。硯(すずり)も、縦さまに置きたる、筆ころばず、よし」と、三条右大臣殿おほせられき。

勘解由小路(かでのこうぢ)の家の能書(のうしよ)の人々は、かりにも縦さまに置かるる事なし。必ず横さまに据ゑられ侍りき。

 

現代語訳

 柳筥にのせて置く物は、縦に置くか、横に置くかは、置くべき物によるだろうか。「巻物などは、縦に置いて、編んだ木の間から紙で作ったこよりを通して結ぶ。硯も縦に置かれる。筆が転がらなくて、良い」と三条右大臣(伝未詳。三条実重か)が言われた。

 勘解由小路(かでのこうぢ:世尊寺流の宗家。藤原行成の子孫で歴代能書の人を輩出した)の能書(文字を書く技がうまい)の人々は、(硯を)かりにも縦に置かれる事はない。必ず横置に据えられる。」。