第百三十五段 むまのきつりやう
資季(すけすえ)大納言入道とかや聞こえける人、具氏(ともうぢ)宰相中将にあひて、「わぬしの問はれんほどのこと、何事なりともお答え申さざらんや」と言はれければ、具志、「いかが侍らん」と申されけるを、「さらば、あらがい給へ」と言はれて、「はかばかしき事は、片端も学び知り侍らねば、尋ね申すまでもなし。何となきそぞろごとの中に、おぼつかなき事こそ問ひ奉らめ」と申されけり。「まして、ここもとの浅き事は、何事なりとも明らめ申さん」と言はれければ、近習の人々、女房なども、「興あるあらがひなり。同じくは、御前にて争はるべし。負けたらん人は、供御(ぐご)をまうけらるべし」と定めて、御前にて召し合わせられたりけるに、、具氏、「幼くより聞きならひ侍れど、その心知らぬこと侍り。『むまのきつりやうきつにのをかなかくぼれいりくれんとう』と申す事は、如何なる心にか侍らん。承らん」と申されけるに、大納言入道、はたとつまりて、「これはそぞろごとなれば、言ふに足らず」と言はれけるを、「もとより深き道は知り侍らず。そぞろごとを尋ね奉らんと定め申しつ」と申されければ、大納言入道、負けになりて、所課(しよくわ)いかめしくせられたりけるとぞ。
(鎌倉 荏柄天神)
現代語訳
「資季(すけすえ:藤原資季。右大臣道綱の子孫)大納言入道と申される方が、具氏(ともうぢ:源具氏。村上源氏、中院通方の孫)宰相中将に会って、「あなたのお尋ねになるくらいの事なら、何事であってもお答えできない事があろうか」と言われると、具氏は、「さあどんなものでございましょう」と申され、「それでは、挑戦してごらんなさい」と言って、「しかし学問上のことは、少しも学び知りませんので、お尋ね申すまでもございません。何となくくだらない事の中で、不審に思っている遺ことをお尋ねいたしましょう」と申された。(そこで資季)は、「まして、身近の卑近な事は、何事でもはっきりと分かるようにお話いたしましょう」と言われると、近習の人々や女房などが、「面白い挑戦ですね。同じ事なら、(天皇又は上皇の)御前で争われるべきです。負けない人は(天皇の)御馳走を受けられる」と定めて、御前にて召しよせて対決されたところが、具氏は、「幼い時から聞きなれていますが、その意味が分からない事がございます、『むまのきつりやうきつにのをかなかくぼれいりくれんとう』と申す事は、いかなる意味でしょう。うけたまわる」と申されると、大納言入道は、はたとつまり、「これはくだらない事だから、言うに足らず」と言われたが、「元よりより学問上のことは知りません。くだらないことをお尋ねするとお約束いたしておりました」ともうされて、大納言入道は負けられた。負けた罪として課せられた御馳走は盛大にお出しになられたと。
第百三十六段 しおの字は土偏
医師篤成(くすしあつしげ)は、故法皇の御前にさぶらひて、供御(ぐご)の参りけるに、「今参り侍る供御の色々を、文字も功能(くのう)も尋ね下されて、そらに申し侍らば,本草(ほんざう)に御覧じ合はせられ侍れかし。ひとつも申し誤り侍らじ」と申しける時しも、六条故内府参り給ひて、「有房ついでに物習ひ侍らん」とて、まづ、「しほという文字は、いづれの偏(へん)にかけ侍らん」と問はれたりけるに、「土偏(どへん)に候」と申したりければ、「才(ざえ)のほど、すでにあらはれにたり。いまはさばかりにて候へ。ゆかしきところなし」と申されけるに、どよみになりて、まかり出でにけり。
(鎌倉 佐助稲荷神社)
現代語訳
「医師篤成(くすしあつしげ:和気篤成、大膳職の長官も務めた)は、故後宇多法皇の御前に同行して、法皇の召しあがる御食膳に参られた時に、「今差し上げられました御食膳の品々の、名前と効能を尋ね下されて、(篤成は、それを)何も見ないで暗記だけで申し上げますので、本草学の書物に照らし合わせて御覧ください。一つも誤りはございませんので」と申した時に調度、六条故内府(六条有房:村上源氏で和漢の学に通じ、後宇多法皇の信任が厚かった)が参られて、「この有房がついでにこの機会に物を教えてもらいたく」と言って、まず「しほ(鹽)という文字は、何れの偏でしょう」と問いかけられた。(篤成は)「土偏です」と申されると、「学識の程、それでよく分かりました。もうそれで結構です。これ以上お尋ねしたいことはありません」と申されると(その場にいた皆が)大笑いになって、(篤成は、)退室してしまった。
※六条有房が、しほの偏を聞くが、本来の正しい字は「鹽」で、「塩」は俗字であることを前提にして「塩」の字で答える事を予想した高名な質問であった。