第三十三段段 閑院殿の櫛型の穴
今の内裏作り出だされて、有識(いうそく)の人々に見せられけるに、いづくも難なしとて、すでに遷幸(せんかう)の日ちかくなりけるに、玄輝門院(げんきもんいん)御覧じて、「閑院殿の櫛型の穴は、まろく、縁もなくてありぞし」と仰せられける、いみじかりけり。
これは、葉(えふ)の入りて、木にて縁をしたりければ、あやまりにて、なほされにけり。
現代語訳
「(二条富小路に花園天皇が)今の内裏を造られて、朝廷における様々な礼式や典故に詳しい人々に見せられたところ、どこにも欠点は無いとして、すでに天皇がこの場所に移られる日が近くなっていたが、玄輝門院(げんきもんいん:後深草天皇の妃、藤原愔子)が御覧になって、「閑院内裏の櫛型の穴は、まろく(清涼殿の鬼の間と殿上の間を仕切る壁に、柱を挟んで設けられている半月型の窓)、縁もなかったようでありますが」と仰られ、(その記憶力と情趣は)素晴らしい事であった。
今の皇居は、切込みがあって木の周りに縁を造っていたが、伝統的建築の誤りだったとして直されることになった。
第三十四段 へなたり
甲香(かひかう:練香の材料とする長螺〔ながにし〕のへたをいう)は、ほら貝のやうなるが、ちひさくて、口のほどの細長にして出でたる貝のふたなり。武蔵国金沢といふ浦にありしを、所の者は、「へたなりと申し侍る」とぞ言ひし。
現代語訳
「練香の材料となる貝香(かいこう)は、ほら貝のような形の貝で、(それよりも)小さくて、口の辺りが細長く突き出ている貝のふたである。武蔵国金沢と言う海岸にあった物を、土地の人は、「へなたりと申します」と言っていた。」。
第三十五段 字の下手な人
手のわろき人はの、はばからず文書きちらすはよし。見ぐるしとて、人に書かするはうるさし。
現代語訳
「字の下手な人が、遠慮もせずに(恋文・手紙)をどんどん書くのは良いものである。(自分の字を)見苦しいと思って、人に代筆させて書かせることは不愉快である。
第三十六 仕丁やある
「久しくおとづれるぬころ、いかばかり恨むらんと、わが怠り思ひ知られて、言葉なき心ちするに、女のかたより『仕丁(じちやう)やある、ひとり』など言ひおこせたるこそ、ありがたくうれしけれ。さる心ざましたる人ぞよき」と、人の申し侍りし、さもあるべきことなり。
現代語訳
「(愛人であろう女性の家に)「長い間、訪ねずにいたところ、どんなに女性が自分を恨んでいるだろうと、自分の怠慢のほどがよく分かっていて、(何と言い訳したらよいかうまい)言葉が見つからない気持ちがするのに、その女性から『仕丁(雑役に使う下男)はおりますか、(おりましたら)一人お貸しください』などと言ってよこしたのは、意外な気持ちがして嬉しくなった。そうした気立ての良い女性が好ましい」と、ある人が申していた事は、いかにも最もな事である。
※間接的に便りを出した事は、長い間、訪れることのなかった女性から好きな男性に気配りをして男性の訪れを寛容な心持を表している。現在では、女性へのハラスメントのようにも捕らえられそうだが、私もやはりこのような女性の心遣いが好ましいと思う。しかし、訪れを待つ女性の皮肉にも聞こえるのは私だけだろうか。
第三十七段 馴れたる人とうとき人
朝夕へだてなく馴れたる人の、ともある時、我に心おき、ひきつくろへるさまに見ゆるこそ、「今さらかくやは」などと言ふ人もありぬべけれど、なほ、げにげにしく、よき人かなと覚ゆる。
うとき人の、うちとけたる事など言ひたる、また、よしと思ひつきぬべし。
現代語訳
「朝夕へだてなく慣れ親しんでいる人が、ふとした時、自分に遠慮して、改まった様子を見せるのは「今さらそのような事をする必要があろうか」などと言う人もいるに違いないが、なお、真実味があって真面目で、教養があり、立派な人と思える。
知り合ったばかりの親しくない女性の、うちとけた様子も話口調も、また、良いものだと心が引かれるのに違いない。」。
※第三十三段から三十七段にかけては、女性のあるべき姿と評価を記している。玄輝門院親の見識と親しき仲にも礼儀ありとしながら、知り合ったばかりの女性が、その場の雰囲気を壊さないような話口調の配慮も大切であることを述べている。