鎌倉散策 台 神明神社例祭 | 鎌倉歳時記

鎌倉歳時記

定年後、大好きな鎌倉での生活に憧れ、移住計画や、その後の鎌倉での生活の日々を語ろうと思います。家族を大阪に置き、一人生活を鎌倉の歳時記を通し、趣味の歴史や寺社仏閣等を綴っていきす。

 

 北鎌倉周辺も今週の七日辺りから涼しい風か吹き、秋を感じさせる過ごし易い日が続いている。雨の日以外、ほとんど毎日参詣する神明神社の例祭が、九月第二日曜日の十一日に行われた。コロナ過において三年ぶりの例祭である。

 

 神明という語は天照大神を言い、神明社は伊勢神宮を勧請した分祀された社であり、伊勢神宮・外宮の神を奉祀する。創設の起源は、元亀年間(1570~1573)の織田信長が浅井・朝倉氏を姉川の戦いで破り、延暦寺焼き討ち、そして将軍足利義昭を追放した信長の絶頂期を迎える時期に村に疫病が流行り、村人代表四人が伊勢詣でに出向いて賜った神札を、この地に祀ったのが始まりという。また、江戸時代に中期に同じく村に疫病が流行った時に源左衛門という人物が伊勢神宮で診察を賜ったという説がる。近代に入り大正九年(1920)、村内にあった淡島社、第六天社、諏訪神社が合祀され、今も祠が残されている。

 

 四年前、鎌倉に住みだしてこの神明神社の例祭を体験させてもらった。台の鎮守社で、田舎の神社の素朴な例祭で、氏子の人々が総勢四・五十人集まり、厳かに神事が行われる。この神明神社の特徴は、この規模の神社でありながら、鎌倉の民俗芸能の一つ「鎌倉神楽」が行われる事だ。神職が榊を持ち、一風変わった足踏みを踏みながら舞う。剣を振り、弓を射る。そして煮えたぎる釜の湯をかき混ぜることで吉凶を占う。また釜に榊を入れ、その榊を参詣者に振るい、お湯が飛び散る。そのお湯が身体にかかるとその冬は、風邪もひかず健康に過ごせるという。これらのことから鎌倉神楽は「湯立神楽」または「湯花神楽」とも呼ばれ、京都の石清水八幡宮から約八百年前に鶴岡八幡宮に伝わったとされている。神事の最期にお餅やお菓子の入った袋が参詣者に投げられ終了する。その後二年の間コロナ過のため、例祭は関係者のみで行われた。

 
 令和四年、三年ぶりに開催され、鎌倉神楽を見ることが出来た。まだまだコロナ感染症が発症している中であるため、神楽の演目も短縮され、剣と弓の舞を見る事は出来なかった。それは仕方のない事であるが、それでも以前の生活に戻るための一歩であると思う。神様もお許しになるだろう。湯立神楽は行われ、私も顔にお湯のしぶきを受けた。この冬も健康に過ごせるだろう。そして、紅白のお餅は手渡しで頂き、その日の夜の魚すきの御鍋に入れて頂いた。