鎌倉散策 鶴岡八幡宮 手水舎 | 鎌倉歳時記

鎌倉歳時記

定年後、大好きな鎌倉での生活に憧れ、移住計画や、その後の鎌倉での生活の日々を語ろうと思います。家族を大阪に置き、一人生活を鎌倉の歳時記を通し、趣味の歴史や寺社仏閣等を綴っていきす。

 毎週木曜日は、鎌倉市中に出て四軒ほどある行きつけの店に飲みに行く。一週間のその他の日は自炊をして過ごし、気晴らしの日である。選週の木曜日、何時もの様に夕方、鎌倉街道の小袋谷からバスに乗り八幡宮裏で降りて鶴岡八幡宮を参詣して若宮大路を下る。昨日は梅雨寒で気温は十九度と四月上旬の気温であったが、今日は、最高気温が二十六度と平年並みの気温になり蒸し暑い。

 

 最近、コロナ感染症の行動規制が解かれたせいか、この鎌倉街道も以前以上に渋滞し、北鎌倉の明月院バス停横のJRの踏切で何らかのトラブルが発生する事が多い。この日は、ここから渋滞した。上町・建長寺・八幡宮裏といつもなら五分程度で行けるが二十分近くかる。何時もは若宮大路の本屋さんで本を購入するので、今日は参詣せずに若宮大路まで行こうかと思ったが、そこはやはり八幡様に参詣しなければと思いう。やっと着いた八幡宮裏でバスを降り、少しの距離であるが、木陰で静かな八幡宮の階段を上ると丸山稲荷が見え、人が少ないこの風景が好きである。そして何時もの様に正面に回り、本殿に入り二礼・二拝・一礼をする。日々の健康等のお願い事をする場合には、それが改善した場合や治癒した時などは、まずお礼の言葉を発するのが神道の倣いでもある。今を問題なく過ごせていることや、願い事が叶うと、「ありがとうございます」「ありがとうございました」と感謝の気持ちを伝える。そして、また新しい願い事をお願いしたりする。仏教的には、それが煩悩なのかもしれないが、日本人には八百万の神様がおられ、多様性に長けている。それが、日本人の長所なのである。

 

 参詣後、本殿を出ると前拝殿(舞殿)を見渡せる。季節の変わり目に燃えたような拝殿と若宮大路を映し出すことが出来る。朝焼け、夕焼けの撮影場所でもある。真直ぐ階段を下りるのも、左右の脇道を下りるのもその日によって違う。この日は左から降りた。そして、一ノ鳥居までの参道を歩く。丁度その横に手水舎があり、コロナ感染症が猛威を振るっていた時には、ここも使用できなくなっていたが、今では再開され、人が拝殿する前に手を清めることが出来るようになった。この手水舎、どのように読むか。「ちょうずや」または「てみずや」と読む。また舎を「や」、「しゃ」と神社により名称が違う。もとも手水鉢(ちょうずばち)が古くから寺社仏閣にあるため「ちょうず」と読む方が正しいのかもしれない。

 

 手水舎は、神道で神域に入る時、川で禊(みそぎ)を行うが、すべての寺社に川があるわけでもない。そこで手水舎で手を清めることで禊の簡略化させたものである。寺社において手水舎で手を清める事にも作法があり、本来なら私の好きな項目でもあるが、政治家の禊や、コロナ過での手水が行われなくなった事などで記述するのが空しくなることが多かった。要するに概念的に右手が不浄のため、まず右手で柄杓を持ち左手を清め、右手を清める。左手に柄杓から水を受け口に注ぐ(コロナ感染症のため、真似をするだけでよい)。残る水で柄杓を立て、手で持った部分に水を流し清め、元にあったところに納める。これを一度に行う為、最初に柄杓の水を十分に入れて行う。私自身思うのは、自身が持った柄杓の部分を水で流すことで次の人絵へ配慮・思いやりを示すと言うことが一番大切なことであると思う。

 

 今日の鶴岡八幡宮の手水舎は、この季節の花である多くの紫陽花が浮かべられ、人々に興味を持っていただく配慮のようで、またそこには神社の文化、日本の文化の伝統の継承が必要だと思った。

何時もの様に本屋に行き、行きつけの店でピンチョス相手にビールを飲む。何時もの様に過ごせることが幸福なのだ。