鎌倉散策 小町から大町への散策 | 鎌倉歳時記

鎌倉歳時記

定年後、大好きな鎌倉での生活に憧れ、移住計画や、その後の鎌倉での生活の日々を語ろうと思います。家族を大阪に置き、一人生活を鎌倉の歳時記を通し、趣味の歴史や寺社仏閣等を綴っていきす。

 

(写真:東照寺橋鎌倉)

 十月一日の金曜日、台風十六号も夜には関東地方を後にして、大型ではあったが鎌倉に被害はなかったと思われる。令和元年の台風は、かなりの寺社仏閣に被害をもたらし、周辺の山々の木々が倒木した。特に大町の妙本寺参道の幅一メートルほどの幹を持つ杉の木が多く倒木したことに驚いた。翌土曜日は、まだ風は少し残っており、晴天であったが、一人暮らしのため洗濯、掃除、食材の買い出しと忙しく、その後は自宅でのんびりと読書とビデオの一日になった。八月六日の日曜日も晴れた良い天気なので、早朝から久しぶりに市中の散策にでかけた。この夏の八月六日に行われた鶴岡八幡宮の「ぼんぼり祭り」以来、市中には出向いていない。行きつけのお店もアルコールが出せないため店を閉じている。コロナ感染症も意外なほど激減しているので、気分的にも良い。

 

(写真:東照寺橋鎌倉)

 今日の散策は小町の東勝寺跡から腹切りやぐら、小町三丁目のトンネルを抜けて、大町三丁目に出て釈迦堂口遺跡、黄金やぐらに向かう二時間ほどの行程である。バス停の鶴岡八幡宮で降り、宝戒寺の方に向かう。金沢街道に向かうこの道は何時も渋滞しており、車が多い道はどうしても避けたくなる。一筋南に入ると静かな住宅地を歩くことができる。小町大路に入ると、そのまま東へ向かい東勝寺橋を渡り、そのまま進むと東勝寺跡にたどり着く。東勝寺は葛西ヶ谷に北条氏の菩提寺として開山は妙菴栄西の弟子退耕行勇で、開基は北条泰時で嘉暦元年(1225)に建立された寺院跡である。

 

(写真:鎌倉東勝寺跡)

 元弘三年、後醍醐天皇に呼応と(護良親王の)宣旨を受け挙兵した新田義貞の鎌倉攻めで北条高時がここで自ら火を放ち自害して北条氏が滅亡した。『太平記』には、高時をはじめとする北条一門と家臣二八三名が自害し、それに続いた兵等合わせて八七〇余人であったとされる。その際、焼失しているが、南北朝・室町期に再建され永正九年(1512)五月二十日に古川公方足利政が妙徳を東勝寺住持に任じ(東山文庫記録)まで存在が記されているが、何時廃寺になったかは不明である。現在は草に覆われた平地が残り、金網に覆われ、中に入ることはできない。元亨三年(1307)北条貞時の十三回忌教養には当寺の五十三名の僧が参加しており、諸寺の僧数として十番目に多く大寺であった事が窺える。

  

(写真:鎌倉腹切りやぐら)

 東勝寺跡を少し行くと腹切りやぐらが在るが、現在崩落のため中に入ることができない。まだ令和元年の台風の被害で、祇園山ハイクキングコースの立ち入りもできない状況である。来た道を少し戻ると小町三丁目から大町三丁目に抜けるトンネルがあり旧坂を上る。ほとんど車も人も少ない道で私の好きな散策道である。この道を進んでゆくと大宝寺、安養院が並ぶ鎌倉葉山線の道に出る。途中で左に折れ釈迦堂切通方面に向かう。釈迦堂切通は、もうかなり前から崩落のため通行不可能である。通行ができなくともフェンスごしから見られるように整備してもらいたいものだが、草木が覆い荒れ果てた状態のまま放置されているのが現状である。

 

(写真:鎌倉腹切りやぐら)

 大町釈迦堂口遺跡群に向かう。かつては北条時政邸跡(名越邸跡)と言われてきたが、近年、三回の調査が行われた。平成八年(2008)発掘調査の結果、新たに、やぐら二十九基が発見され総数六十四基が存在する。十三から十四世紀の前半に丘陵部が削平され平場が拡大し雛壇状に造成が行われた。疎石建築掘建柱建築やそれに付随する石組溝や玉石敷き、火葬跡等が確認され平場には仏堂等の宗教的施設が存在したとされ利用されていたことが想定されるとしている。釈迦堂跡とされた。こちらも立ち入りができない状況である。以前は土地所有者の「国際自動車」という会社が、ある程度開放していたが、ゴミや不法投棄の問題で閉鎖している。衣張山ハイキングコースからも入ることはできたらしいが、衣張山ハイキングコースが鎌倉市の管理するコースでないため、釈迦堂口に席に下りる道は獣道と化しており、入り口がわからない状況である。その周辺には、多くのやぐら郡が存在し、価値のある遺構であり、来年NHKの大河ドラマが鎌倉を舞台とされるが、本当に、もったいないとしか言いようがない。

 

(写真:鎌倉 大町釈迦堂口遺跡)

 そして、何度か探しに来た黄金やぐらに向かった。来た道を戻ると釈迦堂切通と黄金やぐら道標があり黄金やぐらまで二百メートルの表示があり、その方向に進むが、その後の道標は無い。二百メートル以上歩く。周辺で四人の人に聞くが、わからないという。最後の人に、やっと教えていただいた。大町七丁目の自自会館の先にあり金網で覆われ側構のような状態の中にやぐらが存在する。以前この道を通った事があり普通に歩いていると全く気が付かない。やぐら内部の水中に光苔が発生し黄金色に輝いていたことから呼称されたという。半分土に埋もれたやぐらは、台風の影響で水に埋もれていた。この先の道を行くとパイプ造りの階段があり衣張り山ハイキングコースに出ることができる。

 今回の散策では、残念な思いの中、帰路に着いた。久しぶりの散策で、日差しが強く、気温が二十八度とかなり暑く、汗が噴き出す状態であった。鎌倉駅に戻ると若干いつもよりは人流が少ない状態であった。このままコロナ感染症が落ち着きますように。

 

(写真:鎌倉黄金やぐら)