鎌倉散策 鎌倉新仏教十六、無学祖元 | 鎌倉歳時記

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定年後、大好きな鎌倉での生活に憧れ、移住計画や、その後の鎌倉での生活の日々を語ろうと思います。家族を大阪に置き、一人生活を鎌倉の歳時記を通し、趣味の歴史や寺社仏閣等を綴っていきす。

 

(写真:鎌倉円覚寺総門 三門)

 日本の臨済宗に影響を与えた中国の南宋の僧がもう一人存在する。それは無学祖元であった。中国南宋の慶元府県(現寧波市海曙区)の許家に1223年誕生している。1237年、兄の仲挙懐徳の命で臨安浄慈寺の下で出家し、1240年代には径山の無準師範に参じて、その法を嗣ぐ。この頃、南宋の著名な禅僧である石渓心月や虚堂智愚(きどうちぐ:虎巌浄上の法嗣)・物初大観(もっしょたいかん:臨済宗大慧派の禅傑)・環渓惟一(無準師範の法嗣の僧匠)らを暦参していた。1262年には東湖の白雲庵に移転する。1275年、元軍が南宋に侵入した時、温州の能仁寺に避難しており、元軍が周囲を包囲した際、無学祖元が『臨刃偈(りんじんげ)』「乾坤(けんこん)孤筇(こきょう)を卓(た)つるも地なし 喜び得たり、人空(ひとくう)にして、法もまた空なることを珍重す、大元三尺の剣電光、影裏に春風を斬らん」を詠み、元軍が黙って去ったと伝わる。

 

(写真:鎌倉円覚寺境内)

 弘安元年(1278)蘭渓道隆が遷化(死去)後、北条時宗は、建長寺の僧二名を南宋に贈り、禅僧の招聘等が行われた。弘安二年(1279)宋から無学祖元が招かれ、五十四歳で来日して建長寺の住持となる。父の時頼同様、禅への信仰心を深めていた時宗は祖元のもとに参禅し、崇敬した。祖元は、生涯日本語を話せなかったとされ、時宗とは筆談を交わし、法話には通訳が付いたと言う。しかし、その指導方法は懇切で、老婆禅と呼ばれ、多くの鎌倉武士の参禅を得ることになった。

 弘安四年(1281)、二度目の蒙古襲来により弘安の役が起きると、元に対する強硬姿勢を持つ祖元は時宗の精神的支柱となり、「『幕煩悩、(ばくぼんのう)』迷うことなく信ずるところへ行え」と三文字の書を与え、また、「『驀直去』(まくじきこ)驀直に前へ向かい回顧するなかれ」と伝える。「驀直前進」(ばくちょくしんげん)という故事成語になった。若い時宗を激励したという話は有名であり、「驀妄想」妄想すること莫れ、過去や未来を思わず今に集中する。

  

(写真:鎌倉円覚寺正続院と舎利殿)

 無学祖元は、時宗に対し元軍撃退は神風による意識は少なく、禅の大悟(だいご)により精神を支えたとしている。元寇も終わった頃、祖元が宋への帰国を願い出たが、時宗は怨親平等に菩提を供養する大寺院(敵味方関係なく元寇で亡くなった戦没者を弔うための大寺院)の創建を話し、鎌倉に留まるよう説得した。祖元は、時宗の信仰心と熱意に打たれ、帰国を断念して日本に帰化しており、円覚寺の開山となり寺を建立された。

 弘安五年(1282)巨費を投じ、開山者無学祖元として建立された。円覚寺には多くの伝説が残されている。この円覚寺の構想は当初、建長寺が官寺的な性格の強い寺院に対し、北条氏の私寺として時宗と蘭渓道隆により構想された。この地において寺院を建立し、円覚寺の寺名まで決められていた。工事着工すぐに、石櫃(せきひつ)が出てきて中に円覚経が納められていたため円覚寺の寺名が決められたとされる。そして、道隆の突然の遷化(死去)と元寇により、建立の目的も替えられている。また、山号の「瑞鹿山」は、祖元が建立法要の説法を行っている時、一群の白鹿が人々に交じり聴聞していたとされ、山号を「瑞鹿山」と命名されたと言う。鹿の出現した洞穴の白鹿洞が塔頭仏日庵の前に今も残されている。無学祖元は、建長寺・円覚寺の兼住を勤め、日本の臨済宗に影響を与えた。日本に帰化していた祖元は(仏光派)の祖となる。弘安九年(1286)九月三日、建長寺にて遷化。享年六十一歳であった。諡号は仏光国師・円満常照国師、号は子元。『仏光国師語録』が残され、辞世「百億毛頭に獅子現じ、百億毛頭獅子吼湯」として残されている。

 

(写真:鎌倉 台峰からの円覚寺 龍隠庵からの円覚寺境内)

 無学祖元の法を嗣、弟子は後嵯峨天皇の第二皇で建長寺住持の高峰顕日(こうほうけんにち)、諡号は仏国禅師・仏国応供広済国師と南禅寺二世住持で南禅寺堂宇の建立と整備に尽力し、勅諡南院国師の号を賜った規庵祖円(きあんそえん)の二人がおり、高峰顕日の門下には夢窓疎石などの俊才を拝し、関東の禅林の主流を成している。また、夢窓疎石(後夢窓派の祖)の弟子には義堂周信などが続き、南北朝期から室町期において、時の為政者の精神的支柱となり、無学祖元の法を嗣。そして臨済宗の発展に大きく寄与していった。 

 中世鎌倉期の鎌倉新仏教は、従来の国家鎮護を目的とした官寺と官僧からの仏教を在家信者の基とする救済的な仏教に変化し、基礎を形成した。浄土宗、浄土真宗、時宗、日蓮宗、曹洞宗、臨済の鎌倉新仏教六宗は近世・近代・現代と様々な変遷を経て、今もその法嗣を行っている。  ―完

 

(写真:鎌倉円覚寺塔頭 仏日庵)