私の愛用している、わたせせいぞう氏のイラスト卓上カレンダーが海の日が十九日なっており、その日、余裕を持ち、日課の住居近くの新明神社にお参りに行くが、小学校が開かれているので不思議に思ったが、二十二日の木曜日が海の日であることを確認。慌ててブログ配信しないといけない思い、慌てて住居に帰る。十六日の梅雨明け以来、急激な暑さになり、本当に暑い。家に戻ると汗が噴き出してくる。後ほぼ二か月は続くと思うと、うんざりしてくる。梅雨に入ればじめじめして早く夏に来ればと思うが、いざ夏が来ると暑さに辟易する。季節が過ぎ、冬の寒さは音を上げ「春よ来い」と待ちわびる。勝手なものだが、以前より温暖化の影響で、夏は極暑が続くから仕方がない。道元禅師の「春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて 冷(すず)しかりけり」と永平寺で季節を詠んだ如く過ごしたいものだ。
四連休の初日、七月二十二日の海の日に由比ガ浜海水浴場に行くことにした。九時半に住居を出て、小袋谷のバス停に行く、休日なのでこの時間帯は一時間に三本あるが、平日は二本と少なくなった。バスは休日だが乗客は三名ほど、北鎌倉に着くと少し乗客が増える。しかし、鎌倉街道は休日のためか何時もより渋滞がひどい。早いときは十五分で鎌倉駅に着くが,この日は三十分ほどかかってしまった。鎌倉駅から由比ガ浜まで徒歩で十五分ほど到着する。
快晴の今日の気温予想は三十二度、炎天下の由比ガ浜では三十五度ぐらいに達すると思われる。現在、蔓延防止等重点措置が取られており、海水浴は一様禁止されているが、多くの人が訪れている。海の家は建てられておらず、海に入る人は少ない。しかし、海に入る人は近隣の人か、近隣の飲食店でシャワーを利用する事を知っている人である。横浜・東京方面から来る人は少なく、海の家を設営している三浦海岸・藤沢の海水浴場に行かれる人が多い。コロナ前でも私が行った日は平日で少なかったかもしれないが、由比ガ浜海水浴場はすいており、同じ平日でも江の島の海水浴場は結構人が多かった。
私は、夏に二度ほど由比ガ浜に行き、日光浴をする。たっぷりサンオイルを塗り二時間ほどで十分で、それ以上日光浴をすると、火傷になる。ひどい人は痛みや耳たぶ・皮膚に水膨ができ、それが破れ、感染する場合もあるため注意が必要である。五十代を過ぎると骨量が低下し、カルシュウム・ビタミンD2を取っても骨は形成さず日光を伴う事で骨形成がされる。また、適度に焼くことで皮膚疾患などの罹患予防もあるとされる。鎌倉に来て三度目の夏であるが、風邪をひかなくなった。人それぞれであるが、紫外線が有効に働く場合とそうでない場合もあり、皮膚がんの要因にもなる。日光浴は午前中の紫外線の方がよいと言われ、適度に日光浴を楽しむのも夏の風物詩だろう。
由比ガ浜海水浴場は、先述した通り蔓延卒重点措置で海水浴禁止になっており、アルコール類の持ち込み、飲酒は禁止されている。その日、お弁当を持って食べていたビキニのお姉さんたちに後ろからトンビがやってきて、おかずを取り去っていった。ハンバーガーを食べていた男性や、フライドチキンを食べていた男性もトンビにやられた。稲荷ずしを食べていたおじいさんには襲撃しに来なかった。トンビは、いなりずしが嫌いなのだろうか。鎌倉に住む人や、良く知っている人は由比ヶ浜ではお弁当を持ち込まない。必ずトンビがやってくるからだ。真後ろに来て、空中で止まったと思うと急降下して食べ物を取る。手でも傷をつけられると大変なことになるので要注意していただきたい。
現在の由比ガ浜海水浴場は中世の鎌倉時代には海岸線が、現在よりも百メートルから五百メートル内陸に入り込み、まだ海の中であった。そして現在の由比ガ浜・和田塚辺りの住宅地において発掘調査が行われ多数の数の方形竪穴式建築址(小規模な半地下式の建築物)と人骨が一体となって見つかっている。小規模マンションに伴う発掘調査を行ったところ狭い範囲で数十軒とみつかており、その建築群に交じり人骨も発見される。一体ずつ埋葬されたものや複数の人骨が一括して出土する場合もあり、刀傷のあるものなどさまざまであり、和田塚などがそうである。市中の外縁にあたる浜地は、庶民の葬送の地墓所の役割をもっていたようだ。
暑い中、いかに夏を楽しく過ごすか、風物詩を持って楽しみたいと思う。