鎌倉散策 建長寺半蔵坊大権現から紅葉ヶ谷獅子舞「天園ハイク」 | 鎌倉歳時記

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定年後、大好きな鎌倉での生活に憧れ、移住計画や、その後の鎌倉での生活の日々を語ろうと思います。家族を大阪に置き、一人生活を鎌倉の歳時記を通し、趣味の歴史や寺社仏閣等を綴っていきす。

 

 十一月二十一日土曜日、見事な快晴の日になり、三連休が始まった。この素晴らしい天気に誘われ、かねてから行きたかった建長寺半蔵坊大権現から紅葉ヶ谷獅子舞「天園ハイキングに出掛ける事にした。九時半に住居を出てバスで建長寺に向かった。まだそれほど鎌倉街道は渋滞していなかったが、これから十時を過ぎると、多分かなりの渋滞が予想される。

 

 建長寺の半蔵坊大権現に向かい歩く。半蔵坊は建長寺第二百三十五世の貫道周一(かんどうしゅういつ:明治三十七年(1904)没)が霊夢により半蔵坊真姿を見た。臨済宗方広寺派の建徳二年(1371)に無文元選(むもんげんせん)が開山した深奥山(じんのうさん)方広寺(現静岡県浜松市北区引佐町)へ出向いて、分身を勧請したものである。そして、建長寺奥の勝上岳の地に建長寺の鎮守とした。無文元選は中国元からの帰りに嵐に遭遇して、遭難しかけた際、海上に現れた鼻の高い偉人が現れ、船を救ったとされる。この霊神に感謝をし、祀ったのが方広寺の奥山半蔵坊大権現である。

 

 建長寺の奥を進むと鳥居が立ち、階段が長く九十九折に続く。やがて、ひと汗かいた頃に半蔵坊の像が何体か見え、壇上の平たん地に権現堂が立つ。そこからの景色は建長寺の伽藍と相模湾、そして富士山が美しく見る事が出来る。ここから天園ハイキングの始まりであるが、昨年の台風の影響で横浜方面と瑞泉寺方面は通行止めのままであり、覚園寺か天園休憩所から獅子舞(紅葉ヶ谷)下りる事が出来、今回は獅子舞の紅葉の状況を見るため、そちら側に降りる事にした。

 

 

 勝上山を過ぎ十王岩展望台では若宮大路が真直ぐに由比ヶ浜まで伸びている景色が見る事が出来る。弘法大師石造、鷲峰山を過ぎ、道の左は今泉の住宅地がすぐ横に見え、右手は深い樹林が立ち並んでいた。やぐらの様な地があり、その中を覗いてみると五体ほどの石像の地蔵尊が祀られているが、すべて首が無かった。大事なお地蔵さまが哀れでお賽銭をそれぞれに供え手を合わせた。ここからの道は切通を思わせるような岩肌が見え楽しく歩くことが出来る。

 

 

 途中、対抗者が増え、二人の女子大生風の女の子に、何方から登ったのか尋ねた。「半蔵坊から大平山まで行き、瑞泉寺方面が通行止めの為引き返してきました」と言う。天園休憩所から鎌倉で一番紅葉が綺麗な獅子舞(紅葉ヶ谷)に降りるコースを話すと、残念そうに、「また次回来ます」と言う事で別れた。やがて大平山に辿るととゴルフ場のクラブハウスが見え、その横の空き地で休憩する人が多くおり、そこから見える稲村ケ崎は非常に断崖の様相を呈している。

 

 

 ゴルフコースのティグランド横を過ぎ再び山道に入るが、すぐに展望所に着き、そこを少し下ると天園休憩所に着く。各分かれ道に道標があり、ここでも獅子舞と書かれているので迷う事は無い。少し下ると木々に覆われた空間の中に獅子石があり、まだ紅葉はニ週間前後早いようである。しかし、下って行くと黄色に染まった銀杏の葉が道を覆い隠していた。この銀杏の葉の黄色と紅葉の赤く染まった木々が同時に見る事が出来るのは僅か一週間ぐらいだと思う。しばらく景色を見ながら下って行くと、やがて小川のせせらぎが聞こえてくる。雨が降った後はかなりぬかるむ道で滑り易い。また夏場は蒸して非常に暑い。秋の紅葉も綺麗だが新緑の頃も綺麗である。

 

 

 半蔵坊から歩く方が比較的なだらかで歩きやすい。建長寺に入る際に拝観料が必要となる。特に獅子舞(紅葉ヶ谷)から上がる方は息が切れる。しばらくして町中に出て永福寺横に出る。ススキと赤く染まる紅葉が点在していた。十二時近くになっていたので、瑞泉寺の方に行き、いつも行く「もみじや」さんで昼食をとる。ビールとうどんセットをお願いする。関西風のうどんと炊き込みご飯、そして付け合わせと白玉だんご、優しい味にほっこりした気分になり、大塔の宮まで歩きバスに乗った。一時前であったが帰宅の途に就いた。