県道三〇二号小袋谷藤沢線のバス停植木周辺に宗派が違う貞宗寺、円光寺、久成寺の三寺院がある。もう少し道を進めば藤沢市であり、植木、城廻、玉縄の人が知るくらいの寺院であるが、室町期から江戸期初頭に建てられた寺院であり、戦国時代の歴史を物語る寺院である。貞宗寺は浄土宗の寺院で山号寺号が:玉縄山殊光院(たまなわさんしゅこういん)貞宗寺である。複雑な植木の民家の中を進み、ようやく貞宗寺の門に着く。参道が続き奥の本殿が見え、本堂大棟に三葉葵の徳川家紋所が入っている。
貞宗寺は二代将軍徳川秀忠を生んだ徳川家康側室のお愛の局(宝台院)の生母、秀忠の祖母であり、江戸城大奥で「貞宗院」と号され、お年寄り役を務め晩年に、この地に屋敷を構え、隠居した。貞宗院は慶長十四年(1609)に没し、邸内に葬られた、その二年後にこの地に貞宗寺が開かれた。貞宗院の名から寺号になったとされる。
宗派:浄土宗。山号寺号:玉縄山殊光院貞宗寺。創建:慶長十六年(1611)。開山:暁誉源栄(ぎょうよげんえい)。開基:貞僧院。本尊:阿弥陀三尊。寺宝:お愛の局が寄進したと伝わる、三つ葉葵の門の入った膳等の蒔絵の入った食器類、大蔵経五百巻。
建立時の貞宗寺の開山は岩瀬の大長寺住職の暁誉幻影と伝えられ、大長寺の末寺であったが幕府の命により徳川家菩提寺として芝増上寺の末寺となった。貞宗寺は貞宗院の菩提寺であり、徳川歴代将軍の供養に努めていたため知行地も多く当てられていた。江戸時代には寺子屋として子供たちの勉学を担い、明治六に学制が敷かれると、龍宝寺に玉縄学校として移り、現在の玉縄小学校の始まりとされる。
貞宗寺第十六世「迎蓮社接誉上人心阿独有雲来大和尚(文学博士 萩原雲来上人)」は貞宗寺の援助を受け、明治七年から七年間イギリスのオックスフォード大学に留学し、梵語(サンスクリット語)を研究した。これが、我が国の梵語研究の始まりとされている。帰国後の明治十五年に活字活版印刷の技術が進み書籍印刷が容易になると雲来上人と有志者と共に経蔵縮刷の挙を興し、布教活動において仏教の眞意を容易に広める好機ととらえ、有志信者を勧奨し、浄財を投じ蔵経五百巻を蔵書にした。現在貞宗寺に残る「大蔵経」は貴重な資料になっている。また『漢訳対照 梵和大辞典』『実習梵語学』『改訂梵文法華経ローマナイズ』等著す(引用:鎌倉シニア通信、「玉縄山殊光院貞宗寺訪問記」)。
関東大震災までは山門、土蔵、庫裡等を有していたが、本堂と長屋門以外倒壊してしまった。現在の本堂や立小野はその後立て替えられたものと言う。本堂内では本尊の美しい阿弥陀三尊座像が祀られ、徳川歴代将軍の位牌が置かれている。境内入り口の左に御霊屋があり、貞僧院の墓と言われる宝篋印塔が安置されている。また墓地横に地蔵堂もあり、初春には白梅、紅梅が美しく咲く、ひっそりとした寺院であるが貴重な歴史を示してくれている。
貞宗寺(ていそうじ)鎌倉市植木656 ☏0467(46)5341 拝観時間特に無し 拝観料無料。大船西口より藤沢駅北口行バス植木下車徒歩五分。