鎌倉散策 御霊神社 梶原(ごりょうじんじゃ) | 鎌倉歳時記

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定年後、大好きな鎌倉での生活に憧れ、移住計画や、その後の鎌倉での生活の日々を語ろうと思います。家族を大阪に置き、一人生活を鎌倉の歳時記を通し、趣味の歴史や寺社仏閣等を綴っていきす。

 

 湘南深沢駅は昭和四十五年(1970)三月七日開業の湘南モノレールの現在の深沢地区の梶原にある駅名であり、梶原、寺分、笛田、手広の人々の交通機関として担っている。梶原は平安時代中期に梶原郷として鎌倉内七郷の一つとして倭名類聚抄に記録され、律令制下の国群郷制の郷であり深沢地域をほぼ指していたと言われる。『吾妻鏡』では深沢里、深沢村の地名が存在し、鎌倉大仏で有名な高徳院の地まで、およんでいた。その後時代とともに名称は変遷され、昭和二十三年(1948)鎌倉市の大字となり、現在に至る。寺分の地名の由来は「寺領のあった所」を意味し、南北朝時代から戦国時代に大慶寺の寺領であったことから寺名を略し「寺分」と称された。湘南深沢駅の周りには御霊神社、東光寺、駒形神社、大慶寺、等覚寺の寺社が建立され、一周すれば湘南深沢駅に戻る。御霊神社から紹介させて頂く。

 

 鎌倉に御霊神社は坂ノ下(平成三十一年九月二十五日御霊神社、例大祭、鎌倉神楽で記載)と梶原の二つの社があり、祭神はどちらも鎌倉源五郎景政である。景政は十六歳で、永保三年(1083)の後三年の役に源義家に従軍し右目を矢で討たれながらも奮戦した逸話が『奥州後三年記』に残されている。坂東八平氏の流れをくむ鎌倉氏の一族で、梶原景時の先祖とされる。『相模風土記』には景政夫婦の像と伝わる二体の木像を御神体とし、梶原景時の像も安置されていたとされる。

 

祭神:鎌倉源五郎景政。例祭:九月十七日に近い休日。神事芸能:湯立神楽、神輿渡御(例祭)。神徳:家内安全。

 

 片瀬小学校の東側から参道が続き、鳥居が一の鳥居と二の鳥居を過ぎると左右の狛犬が両方とも子を手で押さえており、これも珍しい狛犬の姿である。階段を登ると境内になり、拝殿があり、拝殿左の斜面にやぐらが彫られ、像が刻まれた庚申塔や石碑等が並べられている。拝殿の上に本殿が建立されており、横には青面金剛童子の文字が刻まれた庚申碑が置かれていた。もともと葛原岡に創建されたとも言われ、坂ノ下の御霊神社は、この梶原の社から移されたとも云えられる。

 

御霊神社(ごりょうじんじゃ)梶原 鎌倉市梶原1-12-27 湘南モノレール湘南藤沢駅より徒歩五分