鎌倉駅はかつて横須賀の軍港(海軍鎮守府)、観音崎砲台と敵軍の上陸予想地点の一つの長井への輸送目的として東京と横須賀を結ぶために、陸海軍の要請のもと重要路線として横須賀線が計画された。円覚寺境内を分断し百鷺池(びゃくろち)の半分を埋め立て、鶴岡八幡宮から由比ヶ浜に向かう段葛を寸断して敷設された。明治二十二年に(1889)六月十六日、大船・横須賀間が開業した。大船駅、鎌倉駅、逗子駅、横須賀駅が開設された。昭和二年(1927)年五月二十日北鎌倉仮停車場開設、昭和五年(1930)年十月には北鎌倉仮停車場を駅に変更された。横須賀・久里浜間は昭和十九年(1944)四月一日に開通した。当初東京・横須賀間は百十分掛かったと言われる。海軍高官は逗子や鎌倉に居住し横須賀に通ったとされ、また鎌倉の裕福な家の子女が東京の学校に通い女中などの付き添い人と共に乗車する姿が多く見られたと言う。しかも着席位置はそれぞれ決まっており、乗降口からの位置関係により序列も存在したと言う(引用:ウィキペディア横須賀線)。戦後、軍の重要路線から、別荘地や海水浴、観光そして一般の通勤電車として用いられている。槇野修著の『鎌倉の寺社122を歩く』で何時も込み合う鎌倉駅の人数であるが、多くの資料を用いられ推測されている。「おおざっぱに言えば、鎌倉駅前を往来する100人中、住民はたった一人にしかならない」と述べられている。現在では土日、平日を問わず、観光客ですごい混雑ぶりであった。
四月十一日土曜日、所用があり鎌倉市中に散歩がてら歩いたが、コロナウイルスにより自粛要請があり、鎌倉駅、小町通りの人の数は、ほとんど今までの八割以下になっていた。鎌倉市中に出てこの状況を見ると槇野修さんの述べられた事に間違いは無い。しかし、十二日の日曜日はニュースによると通常の四割程度の人になっていたと言う。横須賀線の鎌倉駅は外敵の脅威にさらされ開通し、戦後、平和な日本を象徴してきた。これは京都でも奈良でもない、老若男女が鎌倉、湘南を作り上げてきた。あと四週間頑張ろう。火曜日、私は大型スーパーのあるホームセンターに行き必要な物を買おうとしたが、ここは一地方の歓楽地帯かと思うほど混雑していた。家族全員で買い物に出かけて、レジでの混雑ぶりは通常三倍以上である。何のための非常事態宣言なのか疑問に感じる。私は製薬会社に三十数年勤め、病気を発症して早期退職し、免疫抑制剤で治療している。その後、自身で勉強し、ISOの滅菌のバリデーション(滅菌機器の管理・監視に伴う検証)について各企業に支援・指示をしてきた。難しい事を記述しても理解し難いので、簡単に言うと人は遺伝子DNAによって受け継がれていく、しかし小さな怪我や細胞が傷ついた時に修復を目的に細胞内にあるDNAとRNAにより細胞が作られ、元に戻る。その時RNAは転写遺伝子として働き、コピ―を作っていく。ウイルスは細菌よりも極めて小さく細胞ではない、極論を言うと単に増殖するために転写を繰り返す物である。胎内でも十万個、百万個と造り、他の人に移り、また転写して十万個、百万個と造る。コピー機にたとえれば少し見栄えが悪い文字も出来る。トナーも不足し、インクジェットも不足すれば訳の分からない文字になる。そこで突然変異として現れるのがウイルスの恐ろしいところで、感染力や毒性を強めたりする。免疫の落ちている人や高齢者は特に感染しやすくなり、肺にウイルスが持ち込まれ転写が繰り返される。まだこのCOVID19の特性は未知の部分が多く、増幅されたウイルスにより発症し、急激に悪化する。COVID19はRNAの転写する事のみ使命を果たすのである。従来、六から八割の感染者が出れば自己抗体ができ免疫は確立されると言われるが、今回のコロナウイルスは再発例が多い事が気になる。従来の免疫の確立も難しく、そうなればワクチン開発などできない。今の欧州のイタリア、スペインの様に十パーセントの致死率で行くと日本でも考えられない数字になる。その前に医療従事者の不足により医療崩壊が生じ、それ以上になる危険性がある。私の住居の近くの公園でも母親たちが滑り台などで遊ばせた場合、危険性は大きい、手洗い、嗽をしても何時の間にか子供はその手で口や瞼に降れる。その点注意だ。今から感染すれば適切な治療は受けられないと思った方がいいだろう。病床数は野戦病院的に増えても、重症化すれば陰圧病床や人工呼吸器、ECMOが足らず、それを使う医療スタッフも足らないのが、欧州や米国のニューヨークで見られている現状である。
中国の武漢でも閉鎖された区域では発症数も無くなった。しかし今後、再発が懸念される。台湾の対策は非常に優れている、これは日本の明治期の後藤新平がもたらした台湾の疫学指導によるものが大きいとされている。WHOのテドロ・アダムスは中国の配慮と忖度により台湾をWHOに加入させていない。台湾は昨年十二月末からWHOに武漢の肺炎通報と人からの感染を通報しているがテドロ・アダムスが無視し、当初において危険性を軽視した。そのために各国の初期対応が遅れ、対策が顕著に表れなかった。WHOにおいてリーダーシップを執るべきテドロ・アダムスの能力の無さを実感する。彼の出来る事は今すぐに台湾をWHOに参画させるべきであり、世界がワンチームとなってこの現状を打開しなければならないと考える。
今、現状、政府を信じる事はさておき、自身考えて自分の愛する人、家族、親類、友人をいかに守るかを問われていると思う。いかに早く終息させるにはロックダウンが有効である。しかし日本人は災害に対し強く、ここが我慢のしどころである。何のための自粛か考えてもらいたい。感染者の減少させる事が目的で、長引けば長引くほど後の経済のダメージは大きい。三密の防止と手洗い、うがい、換気、入浴、洗濯、そして栄養価のある食事を規則正しく行う事が生き残るためのマニュアルである。この様な事はこのサイトで記載したくなかったが、今日のホームセンターとスーパーに行った事で、満杯の状況と余暇のような過ごし方をしている人に疑問を持ち記載させて頂いた。鎌倉は幾度も戦火に襲われ、復興した。しかし、その間は耐えまない努力を行ってきた。戦時と等しい状況であることを提言するために。