鎌倉散策 新宮神社(にいみやじんじゃ) | 鎌倉歳時記

鎌倉歳時記

定年後、大好きな鎌倉での生活に憧れ、移住計画や、その後の鎌倉での生活の日々を語ろうと思います。家族を大阪に置き、一人生活を鎌倉の歳時記を通し、趣味の歴史や寺社仏閣等を綴っていきす。

 雪ノ下に鎮座し、鶴岡八幡宮の境外末社で今宮神社とも呼ばれる。八幡宮北側の駐車場の北側を東に入り道に沿って行くと朱の鳥居が見られ奥に崖に囲まれた小さな社殿がひっそりと建てられている。数年前に訪れた時、なぜか神秘的な様相を感じた。祭神:後鳥羽天皇、御門天皇(つちみかど)、順徳天皇。例祭:六月七日。宝治元年(1247)、四月に創建され、承久の乱(1221)で配流された三天皇の御霊を慰めるために祀られた。

 

 承久の乱は承久三年(1221)に後鳥羽上皇が幕府討伐の為、宣旨下した兵乱である。日本史上、朝敵と宣下された北条義時が朝廷を破った初めての事件である。承久の乱で幕府は圧倒的な勝利をおさめたが、その後鎌倉で様々な怪異現象が起きた。嘉禎三年(1237)、配流先の隠岐の島で「万一にもこの世の妄念(もうねん)にひかれて魔縁(魔物)となることが有れば、この世に災いをなすだろう。我が子孫が世を取ることがあれば、それはすべて我が力によるものである。もし我が子孫が世をとることがあれば、我が菩提を弔うように」と置文を記した。また同時代の公家平経高の日記『平戸記』には三浦義村や北条時房の死を後鳥羽院の怨霊が原因とする記述がある(ウィキペディア:後鳥羽天皇、怨霊としての後鳥羽院)。鎌倉幕府は後鳥羽天皇の怨霊を恐れ創建されたのが新宮神社の社殿である。鎌倉幕府は後の後白河院の子孫の後醍醐天皇によって滅ぼされている。

 

 今年に入り再び訪れたが昨年の台風で社が崩壊しビニールシートが掛けられていた。この社も貴重な遺産である。この鎌倉歳時記においても祟り信仰について、またその社について記載させて頂いたが、台風から半年ほど経過する。早急に再建していただくことを心より願っている。