鎌倉散策 長勝寺「大國祷会」 | 鎌倉歳時記

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定年後、大好きな鎌倉での生活に憧れ、移住計画や、その後の鎌倉での生活の日々を語ろうと思います。家族を大阪に置き、一人生活を鎌倉の歳時記を通し、趣味の歴史や寺社仏閣等を綴っていきす。

 

 建長五年(1253))日蓮上人の松ヶ谷草庵を結び、法難跡として妙法寺、安国論寺、長勝寺の説がある。この寺院は日蓮聖人に帰依した石井藤五郎長勝が伊豆の流刑から戻った日蓮上人のために自邸の庵を寄進、創建が弘長三年(1263)とされ、これが起源となっている。しかし、『新編鎌倉志』、『新編相模風土記稿』において明らかではない。現在の寺社案内書『鎌倉古社寺辞典』においても「草創や寺史については未詳」とされている。開基である石井長勝が復興して長勝寺を創建したとされるが、自邸に庵を結び、寄進したと考えられる。庵を日静(日蓮宗六条門流宗祖)が貞和元年(1345)に京都山科区へ移転し、本圀寺の前身としている。京都移転時に開基の石井藤五郎長勝正安元年(1299)は没している。その後、荒廃した庵を日際が再興し石井山長勝寺を号したと言われ、江戸幕府からの朱印状も与えられている。しかし、この説も江戸時代に入ってからの事であり、未詳と言わざるを得ない。昨年の十二月二十八日に鎌倉散策で「長勝寺」詳しく取り上げさせていただいている。

 

 長勝寺では毎年二月十一日、十時半からに大國祷会(こくとうえ)と言われる荒行が行われる。当日拝見する為に長勝寺を訪れた。この日は六角堂、本師導が開扉され、六角堂は日蓮上人の遺歯が祀られた金銅宝塔、本師堂はタイ国渡来金色釈迦像を拝観することもできる。どちらも金色に輝く立派なものである。以前に訪れた時にも六角堂、開扉されていたが、本師導はガラス越しに釈迦像を拝観した。たまたまだったのか。

 
 

 大國祷会は国家安泰と世界平和を祈願し、千葉県の法華経寺で百日間、午前二時半起床、三時から三時間毎に一日七回「水行」を行い、食事は一日二回の梅干しと「粥」だけの修行である。そして最後の冷水を浴びる荒行を長勝寺で行う。団扇太鼓を打つ僧侶に先導され、七~八人の修行僧が一組となり、合計四組の荒行が順次なされた。経を唱えながら水行場に入り、ふんどし姿で一心に経を唱える。一切経の言葉が聞き取られ、寒気の中で水行を行ってきた為か、唱える経も、だみ声になっている。そして一斉に手桶から水をかぶる。水行場の一メートルほど後ろでないと、同じように水をかぶってしまう。カメラを持たれた方々は、独自のカメラの水除を工夫されビニール等でカバーされていた。また、修行僧の各寺の方々や檀家の方々も駆けつけて来ている。この荒行を満了すると「修法師」という修法(加持祈祷)による布教を行える資格を得られるとの事だ。

 

 この鎌倉では節分の日は瀧口寺でも「水行」が行われるが、長勝寺の大國祷会は「水行」を行う僧侶も多い。この日は立春に入ったものの、まだまだ寒気が肌を刺し、気温は五度ほどであり、今は鎌倉の冬の風物詩になっている。