万両 紅花車輪梅
二十四節句の始まりは立春からであり、大寒は最後の二十四節気に当たる。一年で最も寒さが厳しい頃であるが、日が少しずつ長くなるのを感じだす頃でもある。三寒四温と言葉が出始めるのもこの頃であり、三日寒く、四日暖かい日が繰り返され、やがて春が訪れる。三寒四温は中国東北区や朝鮮で言われていた言葉が日本に伝わったようだ。
初候は款冬華さく(ふきのとうはなさく)。蕗の花が咲き始める頃で、凍てついた地の下で春の支度が進んでいる。正月の祝い納めとして二十日正月のならわしがあり、新年家事で働き詰めだった女性が体を休めたり、里帰りをするなど、女性の為の正月である。一月二十日から二十四日である。
次候は水沢深く堅し(みずさわあつくかたし)。沢の水が厚く張りつめている頃。候の言葉で「春隣(はるとなり)」がある。冬の季語でもあり、寒さが厳しい真冬の時期にも、かすかな春の予兆を感じ暖かな季節に思いをはせ、もうすぐ春が隣に来ているという意味である。
末候は鶏始めて乳す(にわとりはじめてにゅうす)。鶏が初めて卵を生み始める頃で、昔の鶏は現在とは違い庭で飼っていた為、産卵期が春から夏にかけであった。一月二十五日から二十九日である。候の言葉として節分があり、立春、立夏、立秋、立冬の季節の変わり目の前日が節分とされていた。
いさぎく ヒルムシロ
室町時代に入ってから一年の筋目の春の節分に重きを置き、邪気を祓う為に豆まきが行われるようになり、「鬼は外、福は内」の豆まきが行われるようになった。また、豆を数え年で自分の年齢の数を食べるようにもなった。豆は栄養価に優れ子供の健康を案じて食べさせたという。節分の夜には関西では恵方巻(巻きずし)をその年の縁起の良い方角に向かって食べる。七福神の縁起を担ぎ、かんぴょう、胡瓜、椎茸、だし巻き、鰻、でんぶ等の七種類の具材を入れる。
関西では恵方巻が昔からの風習であったが、関東で定着したのは平成十六年(2004)の事で、まだ最近の事である。一役買ったのがコンビニでの販売が大きいとの事。また、焼いたイワシも食べ、焼いた時に出る煙で鬼を祓うと言われる。二十代から六十代の人を対象に、節分に鰯を食べるかを聞いた調査がある。近畿地方が一番多く食べられると言われ二十三・九パーセントである。全国平均が十五・三パーセンであり、北関東(茨城、栃木、群馬)では二十一・三パーセントであり、首都圏(東京、千葉、埼玉、神奈川)では十二・九パーセントであった。この鎌倉でも市中、大船のスーパーで予約注文の声掛けを行っていた。
スイセン
イワシの頭は柊の枝に刺して門口に飾り魔除けとして使う。「柊鰯」「節分鰯」と呼ばれ、西日本では「焼嗅(やいかがし)」とも呼ばれる。この飾りつけは、よほど大きな家でないと、ほとんど見られない、が京都に行くと料亭や割烹でよく見るが民家でも見られる。奈良県がこの「柊鰯」の風習が一番残っているらしい。大阪生まれの大阪育ちの私は子供のころから食べており、結婚してからも、今年はどちらの方角と言いながら恵方巻とイワシは欠かさず食べていた。今年(令和二年)の方角は「西南西」との事。節分の話が長くなり申し訳ございません。
旬の魚貝は赤貝、わかさぎ、めひかり。旬の野菜・果物は小松菜、水菜、金柑。旬の花木は南天、難を転じると縁起がいいものとされていた。福寿草がある。また、お地蔵様の縁日が毎月二十四日で一月の二十四日が初地蔵と呼ばれる。この鎌倉でお地蔵さまは多いが特に主だった行事が無く地域による違いなのか分からない。まだまだ寒い日が続きますが、あと少しです。体調を壊さないようお気を付けください。