円覚寺塔頭 龍隠庵 餅つき | 鎌倉歳時記

鎌倉歳時記

定年後、大好きな鎌倉での生活に憧れ、移住計画や、その後の鎌倉での生活の日々を語ろうと思います。家族を大阪に置き、一人生活を鎌倉の歳時記を通し、趣味の歴史や寺社仏閣等を綴っていきす。

 

 円覚寺塔頭 龍隠庵については昨年十一月に記載させて頂いたので寺院についての記載は省略させていただきます。私が、まだ仕事をしていた七・八年前に、東京、横浜、大船、藤沢で仕事をする際は水木金を当て、金曜の昼過ぎに仕事を終えるようにして、金曜の夕方近くから土曜の夕方まで鎌倉に行き寺院巡りをしていた。その際、龍隠庵は廃屋のような状態であった。しかし、円覚寺を見渡す最高の眺望の場所であり、四年ほど前に伺った時は、屋根にビニールシートが掛けられ、寺院として手入れされているところだった。

 私が鎌倉に住み着き、令和元年の風入れの時に伺った際は、眺望を見渡すベンチもできており、京絞りの展示会も行われ、御住職とお話ができ、名刺交換をさせて頂いた。御住職のご努力で、この様に再興され、また、私にもお手伝いができる事が有れば何時でもおしゃってくださいと寺院を跡にした。それ以降、ブログの取材やブログ配信、大阪との行き来等で訪れる事は出来ず、十二月二十八日に年末の御挨拶に伺った。

 

 階段を登って行くと騒がしく、餅つきの用意がされている。その周りに男性十人ほどで二十代は三人、また屋内に女性十名ほどが様々な準備をされていた。御住職にお会いし、覚えて頂いていたようで、「連絡しようと思っていたんだけれど忙しく、今日は餅つきで、餅でも搗いて行ってください」と言われ、一時間程度の事と思い待つことにした。もち米が蒸し上がらないため、その間に周りにおられた方と自己紹介しながら時間をつぶした。時計を見ると十一時を過ぎていた。この日は事前準備の餅つきで、本番は明日の二十九日である。今日、搗いた餅は明日持って帰っていただく。小餅や伸し餅は最低でも一晩、冷やさないと型崩れや、切れないためである。ようやく、もち米が蒸し上がり二つの臼で討ち始めた。何十年ぶりかの餅つきで当初はぎこちなく、また病気の事もあるので無理はせず餅を搗いた。二十分強、蒸す時間がかかるため、二度ほど付きあがると、各自用意されたカレーライスを御馳走になる。時間が経つにつれ、世間話や、私が今年五月に鎌倉に来た事等の話や、各それぞれの人達の寺院との関係、職業等のお話など聞く事が出来き、檀家の方や御住職の友人、私のような人の集まりであった。今日は一日をつぶす覚悟を決めた。安全確認や明日の予定等を餅の付く合間に決め、事故が無いよう再度確認した。かなりの量の餅をつき四時過ぎに終了する事が出来た。明日は今日の量の三割くらい多く搗くため、八時ぐらいの集合になり、私もすでにその中に含まれていた。山門をくぐると暗くなっていた。

 

 翌朝、九時過ぎには付き始め、十時くらいになると檀家の人や一般の方々がやって来た。午後三時の終了を目途に餅搗き大会が始まった。餡子、きな粉、大根おろしの餅、そして、けんちん汁が振る舞われる。餅を搗きたい人は、ある程度、搗きあがってから順番に打ってもらう。小さな子供から老人、外国人の男性女性まで総勢七百人ほどの参加があったと言われた。帰りには搗いた小餅と伸し餅のお土産にして頂く。また日本人でパタゴニアから戻ってきた中学生と小学生の姉妹が二人で返し手と、搗き手になって息の合ったしぐさが非常に可愛かった。みんなが二・三日後には、どこか痛くなるよねと言いながら、後片付けを終え寺院を跡にしたのは昨日と同じ時間であった。毎年二十九日前後に行われているとの事だ。

 

 人の御縁とは不思議なもので、このように交友が広まってゆく、人々の優しさに感謝して、一日が無事に終了した。大晦日、元旦と神事が多く、行く所は決めていたが、この餅つきが入り、楽しく、あっという間に年末の時間が過ぎていった。