建長五年(1253))日蓮上人の松ヶ谷草庵をむすび、法難跡として妙法寺、安国論寺、長勝寺の説がある。この寺院は日蓮聖人に帰依した石井藤五郎長勝が伊豆の流刑から戻った日蓮上人のために結んだ庵を寄進、創建が弘長三年(1263)とされ、これが起源となっている。しかし、『新編鎌倉志』、『新編相模風土記稿』において明らかではない。現在の寺社案内書『鎌倉古社寺辞典』においても「草創や寺史については未詳」としされている。開基である石井長勝が復興して長勝寺を創建したとされるが、自邸に庵を結び、寄進したと考えられる。京都移転時に開基の石井藤五郎長勝正安元年(1299)は没している。草庵を日静(日蓮宗六条門流宗祖)が京都山科区へ移転(1345)し、本圀寺の前身としている。その後、荒廃した庵を日際が再興し石井山長勝寺を号したと言われ、江戸幕府からの朱印状も与えられている。
帝釈堂の前に増長天、広目天、毘沙門天、持国天に囲まれた、高村光雲(智恵子抄の高村幸太郎の父)作の大きな日蓮上人像(鎌倉辻説法の図)に迎えられた境内は、鎌倉の日蓮宗寺院とは異なる様相を示す。十二月の訪問で日蓮上人の姿は樹木の枝を通して見ることはできたが、夏場の葉が茂った樹木には日蓮上人像が見えないように思われた。背後に立つ帝釈天堂は、日蓮上人が帝釈天の使いである白狐に助けられたことから、帝釈天ゆかりの霊場とされている。 県重要文化財の法華堂三昧堂は鎌倉時代特有の五間堂という建築様式(室町末期の造営と推定される)の貴重な建築物であり、ここで鎌倉の寺院であることが確かめられる。
宗派:日蓮宗。 山号寺号: 石井山長勝寺。 創建:弘長三年(1263)。日蓮上人。 開山:石井長勝。 寺宝:法華三昧堂、日蓮大聖人造、不動明王画像(鎌倉期作と伝わる)、日蓮聖人使用の三つ組繰膳、燭台一対、鰐口一懸等。
毎年二月十一日に行われる國祷会(こくとうえ)が行われる。千葉県の法華経寺での修行を終えた僧たちが、ここで冷水を浴びる荒行で、今は鎌倉の冬の風物詩になっている。
昭和五十一年(1976)八月から十月に渡る、帝釈天堂建て替え工事に伴う発掘調査で、約九百平方メートルに及ぶ境内調査区域からは墳墓、かわらけ、中国陶磁等数多くの鎌倉・室町期の遺構、遺物が出土した。それまで未知であった鎌倉の中世期の都市生活実態が示す発見であった。
日本のヂェームスデーンと言われた日活の映画俳優、赤木圭一郎の墓があり、自動車事故で亡くなった。彼は鎌倉高校の出身である。
境内に安置されている地蔵尊に手御合わせ、祈っている三十代ほどの女性がおられた。何を祈られているのだろうか。木漏れ日のさす日差しが紅葉の葉に照らされて輝いていた。