鎌倉散策 實相寺(じっそうじ) | 鎌倉歳時記

鎌倉歳時記

定年後、大好きな鎌倉での生活に憧れ、移住計画や、その後の鎌倉での生活の日々を語ろうと思います。家族を大阪に置き、一人生活を鎌倉の歳時記を通し、趣味の歴史や寺社仏閣等を綴っていきす。

 

 山門に大きく「日照尊者濱戸法華堂霊石」と書かれた板書が掲げられている。山門の奥に本堂があり、特に目立たず、静かで落ち着いた境内である。日蓮が文永八年(1271)、日蓮宗六老僧の日照が、日蓮が佐渡に流罪の間、ここを拠点とし、一門の強化、統率に当たった「浜戸の法華堂」の始まりとされて、鎌倉での布教活動を続けたと伝わる。日蓮入滅二年後、弘安七年(1284)、越後の風間信照の援助により「浜戸の法華堂」を「法華寺」とした。この寺院が實相寺の前身である。

 日照上人は下総印東の領主印東祐照の武家の子として生まれ、十五歳で出家をし、翌年に京都の比叡山で天台の教議を学び成弁(じょうべん)と称した。天台の協議において疑問を解く事が出来ず、鎌倉の名越の松葉ヶ谷の日蓮の草庵を訪ねた。日蓮の法華経に対する教義は成弁を心服さするに充分であった。日蓮の草庵を訪ねたのは僧侶、俗人であれ、この成弁が初めてであったと言う。日蓮が日蓮宗を立教改宗した建長五年(1253)に弟子となった。日蓮も比叡山にて遊学し、法華経を中心とする学問と天台本覚思想を学び、日蓮、成弁の両者は同じような遍歴の過程を持つ。日蓮没後は法器第一、智慧第一、と称され、「六老僧」と言う直弟子六人の筆頭とされ、日蓮亡き後は一門の長老として仰がれた。また、この地は鎌倉時代の武将で、曽我兄弟に父のあだとして討たれた工藤祐経(すねつけ)の屋敷跡と伝えられている。そして日照の母は、この工藤祐経の娘と言われている。

宗派:日蓮宗。 山号寺号:弘延山寺實掃除。 創建:弘安七年(1284)。 開基:越後の太守(たいしゅ)風間信照。 本尊:一塔両尊四士。 寺宝:木造日蓮上人坐像、木造日照上人坐像、木造三日月大月大月天使立道など。

  

 明治元年に大火により本堂は焼失され、その後再建された。本堂の虹梁(こうりょう)は象鼻の彫刻である。本堂に安置されている本尊一塔両尊四士には南無妙法蓮華経の七文字が書かれた党を中心に釈迦・多宝如来の両尊、四菩薩が祀られている。境内は拝観可能だが、本殿内は非公開である。本殿裏に墓地があり、その奥の石段を少し登ると日照上人の墓がある。

 この小町大路の大町四ッ角から材木座に行く道の周辺には、小さく静かでありながら歴史を持つ寺院が多い。観光客で列をなす寺院ではなく、自分のペースで歩く事が出来る。日蓮宗、時宗、浄土宗の知識を少し頭に入れて歩くと、面白い発見がいくつも出合う事が出来る場所である。

 

日照上人墓標                日義上人墓標