光明寺の稲荷社について伝承が残されている。良忠が佐助谷で寺を開いた蓮華寺の頃の伝承がこの神社の由来である。良忠がある時、子狐を救った、その夜、良忠の枕元にその親狐が現れ、お礼にと薬種袋を残した。鎌倉に疫病が流行った際にこの薬種を蒔くと、三日のちに薬草が生えて、それを病人に与えたところ、直ちに疫病が癒えたと言うる。その狐の霊験から。寺内に稲荷社を勧請して崇めた。繁盛稲荷大明神として病魔退散、豊魚祈願家業繁栄の神徳がある。また綱引き地蔵と延命寺像が本堂向かって右側に安置されている。光明寺裏山には秋葉三尺大権現が鎮座している。秋葉権現は火災盗難を防ぐ権現で光明寺域内の鎮護の社である。伝えによると、光明寺三十三世深譽伝察上人が身を天狗に現じて当山を守護したと伝えられている。
光明寺の裏山は天照山と言い、本殿裏の坂道を進み、大聖閣を後ろから見る事が出来る。階段を登ると小さな展望台があり、本堂の屋根の向こうに稲村ケ崎が見え、その眺望は美しく、夕日が落ちる頃は最高の景色になる。道標に沿って登って行く中腹に開かれた墓地があり、開山の良忠上人や北条経時の墓標が建てられている。
広い境内から外れたところに内藤家の墓所がある。内藤家は陸奥国盤城平藩、後日向国延岡藩の領主であった、内藤家歴代の墓所がある。以前に訪れた時は外から見て、墓地が綺麗に整備されていた。今回、墓地内に入らせていただいたが、雑草が多く伸び、墓標を通る浮石は隠れていた。しかし、巨大な宝篋印塔十基と歴代藩主や正室など二百期程の石塔が立ち並び、その威圧感と重厚感を、より一層感じるものがあった。これらの宝篋印塔および石塔は江戸の霊巌寺から移されたとされたと言う。その中で、手を合わせ「南無阿弥陀仏」と自分なりに御供養させていただいた。
他に、総門、稲荷社、鐘楼など近世の建築で、開山堂、書院、客殿が立つ。小堀遠州作と伝わる蓮池を中心とした記主庭園と大聖閣があり、三尊五祖と称する枯山水がある。また近くの千手院は光明寺の支院。蓮乗院は光明寺が佐助ヶ谷二から移転する前にこの地にあり、光明寺完成まで住職がこの寺に滞在した古事から現在においても新しく住職が変わられる時この寺に入ってから光明寺に行く。
お十夜は例年十月十二日から十五日まで行われる念仏法要であり、境内に植木市や露店が立ち並び鎌倉のこの季節の風物詩となっている春は桜の名所、夏は蓮。冬は空気が澄み、眺望の美しい海岸線に富士山が見通せる日が多い。今回訪れ、材木座海岸に近く、鎌倉の海と山を感じさせてくれる寺院である。
今回訪問させて頂いたが、総門、山門とも台風の影響があったようで、足場が組まれていた。ちょうど今年のお十夜は台風の中で行われ、縁日も最終日の一日だけだったと聞く。もう今年もあと数日で師走に入り、一年が過ぎようとする。今年は特に関東地方の災害が目立ち、このように散策していると材木座辺りの被害が大きかったようだ。
光明寺(こうみょうじ) 鎌倉市材木座6-17-19 ☏0467(22)0603 拝観時間七時から十六時(夏期六時から十七時)。拝観無料。鎌倉駅東口、小坪経由逗子駅行バス光明寺下車一分