鎌倉散策 延命寺(えんめいじ)  | 鎌倉歳時記

鎌倉歳時記

定年後、大好きな鎌倉での生活に憧れ、移住計画や、その後の鎌倉での生活の日々を語ろうと思います。家族を大阪に置き、一人生活を鎌倉の歳時記を通し、趣味の歴史や寺社仏閣等を綴っていきす。

 

 北条時頼夫人(正室は毛利季光の娘、側室は北条茂秋の娘の讃岐の局)が建てたと伝えられる。鎌倉市中、若宮大路の下馬を大町に入るとすぐに佇む普通の寺院だが、多くの逸話を持つ寺院である。鎌倉三十三所観音霊場の第十一番札所。鎌倉二十四地蔵尊の第二十三番。開山は浄土宗の高僧・専蓮社昌誉能公(せんれんじゃしょうよのうこう)上人。本堂の正面には本尊の阿弥陀如来坐像と聖観世音菩薩立像、右側に弥陀三尊・両大使(浄土宗でお祭りする佛菩薩並びに祖師のひとそろい)、左側に寺宝とされる地蔵菩薩が祀られている。運慶作と伝えられる地蔵像は別名を「身代わり地蔵」とも呼ばれ、時頼夫人の守護物であったと伝えられている。

宗派:浄土宗。 山号寺号:帰命山延命寺。 開山:専蓮社昌誉能公上人(天文四年:1535遷化)
。 創建:十三世紀中頃と思われる。

本尊:阿弥陀如来。 寺宝:木造地蔵菩薩立像。

 

 木造地蔵菩薩立像「裸地蔵」とも呼ばれている。その逸話として、時頼夫妻が双六遊びをし、負けた方が裸になるという賭けをした。負けそうになった時頼夫人が困った時、お地蔵様を念じたところ、裸のお地蔵様が双六盤に現れて、夫人を救ったという。夫人は感謝の気持ちで地蔵尊を作らせ、以前に増して篤い信仰を捧げた。本殿左側の地蔵菩薩は女性の姿をした裸像であるが、普段は法衣をまとっておられ、双六盤の上に立つ珍しい像である。運慶作と伝えられているが、逸話を基に検討すると、運慶は貞応二年(1224)に他界しており、北条時頼が執権になったのが寛元三年(1246)で整合性が合わない。また、運慶の作風である写実性に富む表情と力量感に富む力強い体躯などが特色としてあげられる。拝観させて頂き、女性的な地蔵菩薩において、疑問が残るが、信仰とは別の問題である。

 

 地蔵菩薩は特に生身(しょうじん)思想によって造立されることも多く、本像のような実際の衣を着せる例としては平安時代後期の古記録にも見え、三重県金剛証寺(おちんこ地蔵)や奈良県・伝香寺(裸地蔵尊)にも同様の地蔵菩薩がある。「平凡社:運慶と鎌倉仏像、瀬谷孝之」より引用。鶴岡八幡宮の弁財天座像((重文)も生身思想によるものである。

 本尊の木像阿弥陀如来像は円応寺の閻魔王像のあまった木材から作られたことにより、「木あまり弥陀」、また予定より早く完成したことから「日あまり阿弥陀」とも呼ばれる。

赤穂浪士の一人岡島八十衛門の三男が出家し、延命寺の住職だったこともあると伝えられ、その住職が書いた義士銘々伝や義士画像(現存せず)が寺宝とされていたという。

 

 古狸の逸話があり、江戸時代の終わりの頃、寺に住み着いた狸が酒好きの和尚の為に町へ酒を買いに出かけ、町人にも可愛がられた。その狸が死に、町人たちが弔って墓標を建て、供養した。その墓標が本堂裏地の墓地に「古狸塚」がある。本殿の拝観は当日の依頼はお断りされ、事前予約にて受け付けられている。町の中にある、ごく普通の寺院ではあるが、多くの伝承、逸話があり、今後も大切に残していただきたいものだ。

延命寺(えんめいじ) 鎌倉市材木座1-1-3 ☏0467(22)95464 拝観時間は事前申し込み。拝観料無料。鎌倉駅東口徒歩五分