正続院は円覚寺の塔頭の中で、最も有名な塔頭であろう。塔頭の境内は本殿、正法眼堂(しょうほうげんどう:禅堂)開山堂、そして国宝の舎利殿がある。正続院は公開されていないが、門外から舎利殿の屋根の一部を伺うことができる。
十一月二日、宝物の風通しで、やって来たが、今年度は取りやめとなり、特別法話と座禅・写経会が行われていた。せっかく来たのだから、仏日庵に行ってお抹茶でもいただこうと思い、歩いていると、龍隠庵で京絞りの展示が行われている事を知り、訪ねた。一度お会いしたいと思っていた御住職にお会いでき、これが一つ目の出来事である。二つ目の出来事は風通しで正続院の舎利殿が公開されていることを忘れており、前を通り驚いた。大阪に居た頃は、この日に休暇を取り、ホテルを予約し、来ることは難しく、喜び勇んで正続院の門をくぐった。
正続院は三代将軍源実朝が宋の能仁寺から分け与えられたとされる仏舎利を大慈寺に安置した後、九代執権北条貞時が弘安八年(1285)仏舎利を納めるために建立し円覚寺堂宇(祥勝院)で、仏舎利を遷祀された。また、建長寺に円覚寺開山無学祖元を祀る「正続庵」が創建されていたが、建武二年に後醍醐天皇からの勅命を受けた夢窓国師が円覚寺の祥勝院に移し正続院と改名された。円覚寺は永禄六年の火災で開山堂や昭堂を焼失したが、天正元年、北条氏康により西御門にあった太平寺(廃寺となり現在碑だけが残されている)の仏殿が移築された。その昭堂に納められた仏舎利は「仏牙舎利(ぶつげしゃり)」と言う。お釈迦様の歯が納められ、舎利殿と呼ぶようになったと言う。関東大震災で倒壊したが、昭和四年(1929)に復元された。現在の舎利殿は日本で最も古いとされる禅宗様式の建物で、鎌倉様式とも呼ばれる。二重の屋根の建物で、上層部の屋根の勾配、軒の反りが美しく、柱の細いことが特徴である。屋根の軒下から出ている垂木は扇子の骨状に広がっているのが特徴である。修復・再現においては非常に高い技術が必要と言われている。杮葺き入母屋造りの建物であり、鎌倉唯一の国宝建造物である。内部は須弥壇があり、仏舎利を祀る宮殿が安置され、両脇に観音菩薩像と地蔵菩薩が安置されている。普段は非公開だが宝物風通しと正月三が日だけ公開される。
開山堂には木造仏光国師(無学祖元)座像(総高九十五センチ、座高六十二センチ)は国の重要文化財であり、写実性に優れた鎌倉時代の頂相彫刻の代表作の一つである。正法眼堂の木造文殊菩薩騎子半跏像(像高四十二・八センチ・市文)鎌倉後期の作が安置され、円覚寺派の雲水が全国各地から集まり、修行をする場所である。
宗派:臨済宗円覚寺派。 山号寺号:万年山正続院。 創建:弘安八年(1285)。 開山:無学祖元。
開基:北条貞時。 本尊:仏光国師座像他。
この日、初めて見た舎利殿は国宝としての威厳に満ちた風格を示し、青空の中、背後の緑に包まれていた。そして入り口で、御朱印帳や『鎌倉円覚寺の宝物』が販売されており、以前から『鎌倉円覚寺の宝物』が欲しかったので買わせていただくと、表紙の裏に令和元年十一月二日の記載を入れた御朱印を書いて頂いた。御朱印には今まで申し訳ないが、あまり興味を持っていなかったが、この令和元年十一月二日の御朱印記載の『鎌倉円覚寺の宝物』は私にとっての宝物になった。佛の十戒の中で「おのれの自慢人の悪口を言ってはならない」とあるが、本日はお許しください。
円覚寺塔頭 正続院(しょうぞくいん) 円覚寺山内。 拝観不可