鎌倉五山第五位に列する禅寺であったが、建長寺や円覚寺のような重厚な面はなく、明るい境内を持つ寺院である。かつては多くの塔頭がある巨刹であった浄妙寺の本堂の大きな銅葺き屋根は、その面影をしのばせてくれる。
開山は退耕行勇、開基は足利義兼(よしかね:北条正子の妹の夫)で、創建は文治四年(1188)。当初密教系の寺院で極楽寺と称したが正嘉元年(1257)に蘭渓道隆の弟子月峯了然(げつぼうりょうねん)が従事してから禅寺に改められた。寺名も浄明寺に改名される。中興開基は足利貞氏。室町時代は七堂伽藍を供える二十三党の塔頭が存在したが、度重なる火災などで寺院は衰退した。本尊は釈迦如来像で本堂に安置されている。本堂裏手の墓地には足利貞氏の墓と伝わる「明徳三年(1392)」銘の宝篋印塔がある。
宗派:臨済宗建長寺派。 山号寺号:稲荷山浄妙寺。 創建文治四年(1188)。 開山:退耕行勇。
開基:足利義兼。 本尊:釈迦如来。 寺宝:本尊釈迦如来坐像(南北朝時代作)。木造退耕行勇座像(国重文・非公開)。絵画、紙本淡彩地蔵菩薩像・足利尊氏自画像(市文)
阿弥陀如来立像、三宝荒神立像室町時代作とされる。残念なことであるが寺宝を拝観することはできない。
藤原鎌足が鹿島神宮(茨木県)の参詣の途中、相模国由比の里で夢に現れた老師に鎌槍を受けられ、「この地に埋めれば天下が良く治まる」と告げられる。鎌足は白狐に案内され浄妙寺の裏山に埋め、堂を建てたと伝えられる。これが鎌倉の地名となった説とも言われる。
境内には茶室・喜泉庵と言う茶室がある。甘党・辛党の私にとって円覚寺の如意庵とともに喜ばしい茶寮である。なぜかと言うと、抹茶に付く錬り切りの和菓子を出していただける。お値段は高いが、せっかく味わうなら季節に合わせた錬り切りの和菓子をいただきたいものだ。ほとんどの寺院の茶寮は和三盆か落雁の干菓子である。今回は小町の美鈴さんの錬り切りの柿をいただいた。本当の柿のように作られた錬り切りの和菓子の美しさと季節感を感じ、枯山水を眺めながら頂いた。また山腹に洋館があり、石窯ガーデンテラスと言う名でイタリア料理をいただける。鎌倉の腰越漁港や小坪漁港で仕入れられる魚介類や農協で仕入れられる野菜は新鮮で美味しい。また本格的な石窯で谷ヶ岳の薪で焼き上げられるパンも人気である。以前家族とともにうかがったが、乳児から幼児まで連れる家族が多く、落ち着かない雰囲気で食事をした。ここに入るのは浄妙寺の拝観料が必要である。
拝観料を支払い、本尊を拝することなく、レストランに進んでゆく人も多い。何か切なく感じながら報国寺に向かった。