鎌倉散策 円覚寺塔頭 仏日庵 | 鎌倉歳時記

鎌倉歳時記

定年後、大好きな鎌倉での生活に憧れ、移住計画や、その後の鎌倉での生活の日々を語ろうと思います。家族を大阪に置き、一人生活を鎌倉の歳時記を通し、趣味の歴史や寺社仏閣等を綴っていきす。

 

 円覚寺塔頭の中で以前から拝観させていただける塔頭である。現在公開されているのは十九の塔頭の内、六の塔頭が公開されており、仏日庵、松嶺院(花の季節のみ)、桂昌院、黄梅院、龍隠庵、如意庵(水、木、金、本堂内で茶寮安寧により本堂を伺える) と数少ない塔頭である。本来、禅僧寺院として寺は修行の場であり、祖師や門徒高僧の死後その弟子たちが師の徳を慕う所であるため、非公開は当然である。しかし、拝観者にとって、寺院の成り立ちや、塔頭の由来、仏殿、仏像を深く知ることができ、拝観させていただけることは本当にありがたい事だ。

 

 円覚寺が建立されたのが弘安五年(1282)であり、その二年後、八代執権北条時宗は弘安七年(1284)四月四日に没した。仏日庵は円覚寺開基の北条時宗、そして子の九代執権貞時、孫の十四代執権高時を合葬されている開基廟である。廟所とは石碑を立て建てその上にお木像祀るお堂を建てたものが正式な墓であり、先祖、貴人の霊を祀ってあるところである。北条時宗の時代は地震、災害が多く、二度の元寇に対し異国防衛を果たした。時宗が亡くなられた後、開基廟が建立されたが現在の開基廟は江戸時代(1811)に改築された建物とされている。

廟所には木造十一面観音菩薩坐像(総高七十五・八センチ、像高五十七・七センチ。面部は鎌倉時代作、他は江戸時代作)とともに寄木造り、玉眼嵌入(ぎょくがんかんにゅう)で、江戸時代作の僧姿の時宗、貞時、高時の木造座像が祀られている。本堂には南北朝時代作の本尊木造地蔵菩薩坐像(市文)が祀られている。

 

宗派:臨済宗円覚寺派。 本尊:地蔵菩薩。 寺宝:本尊、法体木造像、木造十一面観音座像、仏日庵公物目録(中国から日本への文化流入の歴史を探るうえでの貴重な資料)。

 新編相模風土記によれば、お堂の下に各遺骨が納められた石棺があると伝えられている。また、「幾度の困難な戦火をくぐり抜け、ずば抜けた才能で幕府をまとめ上げてきたことから学問の神、開運の神とあがめられていました」と開基廟のしおりに記されている。境内の烟足軒(えんそくけん)、不顧庵で、四月の命日と十月四日に時宗を偲び茶会が開かれる。烟足軒は仏日庵中興開基鶴隱周音(かくいんしゅうおん)、不顧庵は円覚寺一八九世の誠拙周樗(せいせつしゅうちょう)の隠居所として建てられた。

 

 十月三日、円覚寺開山の無学祖元の開山忌があり、無学祖元を偲び宋様式の古式ゆかしい法会が行われる。法会も一般に参加は可能だが、食事等もあり有料である。舎利殿から方丈に向かう僧侶の列も宋様式の古式ゆかしい法衣を着られ、その場は一般も拝観することが可能である。その日の夕方に仏日庵を訪ね、仕事をされている女性に聞き、残念に思った。晴れた夕方、赤い毛氈が敷かれた縁台に座り、お抹茶と和三盆をいただき、自分の思慮の浅さを感じてしまった。