鎌倉散策 妻と娘が鎌倉に来た。 | 鎌倉歳時記

鎌倉歳時記

定年後、大好きな鎌倉での生活に憧れ、移住計画や、その後の鎌倉での生活の日々を語ろうと思います。家族を大阪に置き、一人生活を鎌倉の歳時記を通し、趣味の歴史や寺社仏閣等を綴っていきす。

 

 九月二十一日から二十三日まで、妻と娘が鎌倉に来ると言う。私が大阪に戻ったのが八月二十日から五日間、ほぼ一月ぶりである。暑さも少し和らぎ、季節も良くなり、丁度良いペースなのかもしれないが、来るとなると押し入れから二人分の半畳の敷畳四枚、布団類を干して準備しなければならない。痛みで上がらない肩を駆使し、ほぼ三日はかかる。雨が降る日があるので、週間天気予報を見ながら準備する。二十一日から台風十七号が日本海側を通過するため、天候に恵まれないなと思い、三日間のスケジュールを考える。私と妻は晴れ男、女であるが、娘は典型的な雨女である。遠足、林間学校、修学旅行、すべて雨で、しかし両親が伴う旅行や運動会には晴れる。最近の海外旅行などは友人が晴れ女のようで楽しめているようだ。

 二十一日土曜日、三時半の飛行機で伊丹を出るとの事、昼まで仕事の為にその時間になる。大船まで二時間ぐらいで来る事が出来るが、横浜駅についたらLINEをしてもらう事にしている。荷物もあるので大船まで車で迎えに行くのだ。当日、横浜駅まで順調で、大船に着く時間を伝えてきた。そろそろ私も準備を仕掛けると、トイレに行ったため乗り遅れ、二十分ほどおくれるとのこと。そこからLINEのやり取りが始まる。六時半に由比ヶ浜の魚源さんに予約を入れており、荷物も多くないとの事で、鎌倉駅の江ノ電の乗り場で待ち合わせをすることにした。娘からLINEがすぐに入り、「小田原行きの電車やけど、これで鎌倉に行けるの」。東海道線に乗っているのだ。LINEで今、電車はどのあたりか、大船で降りて、横須賀線に乗り換えるように指示する。その後も色々と出来事があったが六時五分過ぎに鎌倉駅江ノ電乗り場で会う事が出来た。大阪にいるころは激怒していたと思うが、鎌倉に来て私も丸くなったのか、大阪弁で「ほんまアホやな」で終わった。

 江ノ電に乗り、時間通り魚源さんに着いた。以前も六月に妻と娘来た時に来た店で、すっかり気に入ってしまった。お品書きは茶懐石と鎌倉懐石と言うお魚中心の料理だが地元でとれた魚で美味しく、驚くほどリーズナブルである。ご主人は元漁師で、失礼ですが、今は御趣味でやられているような感じがします。食材が限られているので、予約のみで、それも携帯電話からの予約は取り合ってくれない。予約のいたずら電話や外国人観光客の問い合わせで何の連絡もなくキャンセルが多くあったためだと御主人が言っていた。妻は飲めないのでお茶、私と娘はビールを頼み鎌倉懐石が順に運ばれてきた。

 鎌倉懐石のお品書きと感想を記載させていただきます。先付(蒸し魚の味噌に)、食い意地が張っているため、写真を撮るのを忘れました。

八寸(牛肉たたき、エビ、焼き栗、玉子焼き、イクラ、枝豆と豆腐和え、サザエと胡瓜の和え、護摩豆腐、フキの味噌和え)、写真を撮ることを思い出す。説明を聞きながらメモを取るのも失礼で、頭の中で何度も確認しながら記憶する。

 

吸物(鱧と松茸)、結構厚みのある鱧と今年初めての松茸である。お刺身(鰹たたき、金目鯛、鮃、鱸、鯛)、どれも新鮮で歯ごたえのあるお刺身でした。

 

焼物(黒石鯛)、脂の乗りようがすごく、絶品で、珍しい鯛のようです。煮物(アナゴ)、丸一匹の肉厚で柔らかく、とろけるような美味しさでした。

 

  もう、食べるのと飲むのに夢中で、焼きおにぎりの茶漬けは写真を撮るのを忘れました。果物のデザートは梨、キューイ、葡萄、オレンジ。

ビール二本とお酒(こちらでは二百CCで)をいただきました。家族ともども美味しく頂きました。お値段は野暮な話なのでやめときますが、非常にリーズナブルです。ここの御主人の雰囲気では、小学生はダメなような気がします。

 魚源山を出て、歩いて何時もの行きつけのバーへ行き、妻は三回目、娘は二回目、少しずつ会話ができるようになり、楽しい夜を過ごしていましたが、私は台風が近づく明日の天気がどうなるか、心もとない思い出でスケジュールを考えながら、ARdbeg10年の水割りを楽しんだ。年を取り、好きな事ややり残したことを楽しみ、お互い距離を置いて接する、この様な家族関係も新鮮であり、一番喜んでいるのは妻だと思う。