鎌倉散策 秋分 | 鎌倉歳時記

鎌倉歳時記

定年後、大好きな鎌倉での生活に憧れ、移住計画や、その後の鎌倉での生活の日々を語ろうと思います。家族を大阪に置き、一人生活を鎌倉の歳時記を通し、趣味の歴史や寺社仏閣等を綴っていきす。

 
  

 二十四節気で待ちに待った本格的な秋の始まりである。秋分とはご存じの通り、昼と夜の時間の長さが同じになることで、九月二十四日は日の出が五時三十分、日の入りが十七時三十五分である。これから、次第に日が短くなり、秋の気配が深まってゆく。鎌倉と関西での日の出、日の入りは関西の方が十五・六分遅い。今年、鎌倉に引っ越してきた私にとって、少々戸惑う事がある。

 秋分の日と言えば、仏教行事の一つとして、お彼岸があり、先祖供養が行われる。そのころに赤く咲く、彼岸花(曼殊沙華)が秋を彩る美しさが私は好きである。しかし、二十三日の秋分の日に鎌倉の寺院を訪ねたがまだ咲いていなかった。また秋分は、古来農耕にとっての意味合いが多く、収穫や、豊作を祝い、感謝をささげ、土地の産土神(うぶすながみ)を祀る、行事が社、社殿で多く行われる。

 秋分の初候は雷乃声を収む(かみなりのこえをおさむ)、で夕立に伴う雷がならなくなるころで、空の雲の形も入道雲から鰯雲、鱗雲へと変わり、秋の爽快に晴れ渡る空に変わっていく。今年は新暦では九月二十三日である。

 次候は蟄虫戸を坏す(すごもりのむしとをとざす)、で虫が隠れて戸をふさぐ頃で、土の巣ごもりの支度を始める。中秋の名月がこの時期にあたる。満月の前後の呼び名があり、十三夜、小望月(こもちづき)、十五夜、十六夜(いざよい)、立待月(たちまちづき)、居待月(いまちづき)、寝待月(ねまちづき)、更待月(更待付)と一夜一夜月の名を変えて雅を楽しむ。京都では月が生活の中で身近に、愛でた存在になっている。月見には春の中春の名月と秋の中秋の名月があるが、一年で片方の月だけを見る事を片見月(かたみつき)と言い。忌み嫌う。十五夜が雲で隠れて見えない月を無月。雨が降り見えない月を雨月と呼び、それでも月見をする。関西人も大阪、兵庫、奈良、滋賀とあるが

とくに京都人のこだわりは片苦しい(和歌山は関西であるが言語や文化的に独特なものがあり、徳川紀州の影響があると思う)。しかし、京都で人々が日本の伝統文化を継承していくために、このような片苦しさは必要なことである。鎌倉では鶴岡八幡宮拝殿から見る月も素晴らしい。新暦では九月二十八日からである。

  

 末候は水初めて涸る(みずはじめてかれる)、で田から水を抜き、稲刈りに取り掛かるころで、俵に実った稲穂の収穫が真っただ中の頃を言う。鎌倉中央公園の谷戸の田んぼの収穫がそろそろ見れる頃だと思う。秋分の頃の旬の魚として、はぜ、秋刀魚、とらふぐがある。食べ物はお萩、松茸、里芋、銀杏。植物は彼岸花、紫苑、金木犀があげられる。

 鎌倉では谷戸に囲まれているために中々月を眺める事が難しい。江の島由比ヶ浜、材木座の海岸近くでは綺麗なお月様を見る事が出来る。北鎌倉の明月院はどうかと考えるがこの寺院の月は丸窓の事を指すようである。先ほど述べたように以前八幡宮拝殿から見た月が美しい。しかし、縁側で芋煮を食べながら一杯飲みたいものだ。