鎌倉散策 白露(はくろ) 神明神社例祭 | 鎌倉歳時記

鎌倉歳時記

定年後、大好きな鎌倉での生活に憧れ、移住計画や、その後の鎌倉での生活の日々を語ろうと思います。家族を大阪に置き、一人生活を鎌倉の歳時記を通し、趣味の歴史や寺社仏閣等を綴っていきす。

  本文に入る前にこのブログをお読みいただいている皆様にお礼を申し上げます。鎌倉に五月に来て山崎に住み、このブログを本格的に作成し配信してまいりました。六月(24件)から少しずつアクセス数が増え七月164件。八月は252件のアクセスをいただき、イイネの評価も多くいただいてまいりました。関西人でありながら、以前から鎌倉の中世史の歴史に興味に持ち、退職後に鎌倉に単身、家族を捨てて(家族の妻と娘は大喜び)来ました。ブログで見て頂いている皆様がいることが私にとって、今や生活の支えになりつつあります。今後、関西の文化と鎌倉の文化を記載しながら綴っていきたいと思います。誤字脱字等、素人ですのでありますが。今後もまた引き続き勉強しながら配信させていただきたく思います。どうかよろしくお願い申し上げます。忌憚のないご意見もお待ちしておりますので、よろしくお願いいたします。

 白露とは空気が少し冷えてきて、露を結ぶ頃の事を指し、ようやく残暑が収まって、日々の経過とともに待ちかねた秋の訪れがやって来る。

 初候は「草の露白し」(くさのつゆしろし)。新暦で九月八日から九月十二日ごろを言い、草に降りた露が白く光って見えるころで、朝夕の涼しさがくっきりと際立ってくる。

 次候は「鶺鴒鳴く」(せきれいなく)。新暦では九月十三日から九月十七日ごろを言い、鳥の鶺鴒が鳴き始めるころで、イザナギとイザナミに男女の交わりを尾の振る様子で教えたと言われ、恋教え鳥とも呼ばれている。

 末候は「玄鳥去る」(つばめさる)。新暦では九月十八から九月二十二日を言い、つばめが南に帰るころで、幸せをもたらす春先に訪れた渡り鳥と、しばしの別れの頃を言う。

 私の育った、関西では暑さ寒さも彼岸までとよく言い、三月二十日ごろには寒さが緩み本格的な春が訪れる。九月二十日を過ぎれば暑さも急に収まり、秋が感じ取れる。鎌倉の人もそのように言われるのか。新暦の現在、旧暦とは約一月の遅れがあるが、その分、秋の訪れを少しずつ感じたいものだ。秋の七草は、萩、ススキ、葛、なでしこ、女郎花、藤袴、桔梗がある。秋の花でオシロイバナ、鶏頭(けいとう:雄鶏のとさかの様に真っ赤な花を咲かせる)。旬の魚は島鯵、あわびで、旬の野菜はなすがあげられる。果物は梨。月を見ながら虫の音を聞き、一杯飲む。私にとって大好きな季節である。この鎌倉で、秋の訪れを感じたい。

 私が毎日、住居から四、五分ほどの台の神明神社に参拝する。これは自分の病気と家族の健康を祈願と健康の為である。。七日の朝、お参りに行くと、雑草を刈り取られている方に、翌日例祭があるので、ぜひ来てくださいと言われた。自分なりに行くつもりでいたが何時から始まるかわからないためお聞きする。二時から始まり、神楽、餅まき等があるので、ぜひ来てくださいとのことで、その言葉が大変うれしかった。当日、九月八日、日曜日。早々に用事を済ませ、(特に日曜日は鎌倉市内に出ても観光客が多く、家事、雑用に専念して終わる)午後二時十分前に訪れる。いつものごとく参拝し、様子を見ていると百名ぐらいの参列者の中、神主による祈祷と神楽が厳かに始まった。五穀豊穣と収穫のお礼のような雰囲気であった。神主の祈祷が終わると、お神酒、赤飯をいただいた。その後、神楽が始まる。普通は巫女の神楽と想像するが、神明神社では神主さんが神楽を舞われる。玉ぐしを熱湯に入れそれを見物者にかけるのは今まで見たこともない。玉串にお湯が付いて、皆に振り掛ける。振りかけた瞬間に熱湯は冷めるのだろう。子供たちは大喜びで、赤ちゃんは驚き泣き出す。また刀、弓等でお祓いをする。最後に紅白の御餅を神主が神楽の舞の中で投げ与える。子供たちが喜びながら取りに足る。帰りに大人はお持ちをひとついただく。

 こういった神事に参列できたことは、今まで都会で過ごしてきた私にとってすごく新鮮で、すごく光栄に思えた。台風の影響もなく無事終了した。その夜、鎌倉を通過した深夜の台風による暴風雨は、今まで生きている中で一番すごかった。