立秋、次候、寒蝉鳴く(ひぐらしなく)、今年は八月十三日から始まる。
ちょうど盆の時期にあたり、セミの鳴く種類も変わってくる。日の入りが鎌倉では十八時三十三分になり、日没が速くなったことを感じる。夕暮れ時の虫の音は蜩のカナカナカナと変わり、夏の終わりを一つ見つけ出す。なぜか寂しい情景が浮かんでくる。私だけだろうか。しかし残暑は厳しく夏のはかない夢を追い求めるには、まだ厳しすぎる。
私の住んでいた大阪ではこの盆の時期になると様々な宗教的行事が行われる。奈良では春日大社の中元万燈籠、大阪では四天王寺の万灯供養法要、京都では五山の送り火、大文字焼が行われる。私は中元万燈籠、万灯供養法要には何度も行ったが、五山の送り火には、大学生の時に一度だけ行ったことがある。五山の送り火は本来宗教行事であり、お精霊さんを冥府に送る行事である。八月十六日に京都の五山の送り火は東山如意ヶ嶽の右大文字から午後八時に点火され、五分刻みで次々に転嫁される。松ヶ崎の西山に「妙」、東山に「法」がともる。昔の書き順とすれば東山に[妙]が来て西山に「法」が来るはずだが、理由は鎌倉時代の日蓮宗の日像上人が松ヶ崎の西山に「妙」を先に作られ、江戸時代に入り場所がなく、東山に「法」がつくられた為だ。続いて、西加茂に船山に船形、金閣寺大北山に左大文字、そして最後に嵯峨野曼荼羅山に鳥居がともされる。昔は、十の送り火があったと言われる。市原野の「い」、鳴滝村の「一」、北嵯峨野「蛇」、勧空寺村の「長」、西山に「竹の先に鈴」があったそうだ。しかし明治期に入り次第に姿を消していった。送り火が東から西へともされるのはご先祖を西方浄土に導くための道標(みちしるべ)の為と言われている。
灯される木は先祖の名を書いた護摩木、割り木を燃やすのだが、二年乾燥させた木を使われ、先祖の戒名や家内安全と書かれたものもある。お盆に入ると右大文字では銀閣寺で護摩木、割り木を収められる。およそ一抱えの護摩木、割り木を一束にし、三百五十束を十五日の日に町内の大文字保存会の人達が山に上げ、ともされる。十日に登山道の整備、草取り、火床の整備、十五日に護摩木、割り木の火床に上げる。しかし、送り火が終われば、また来年の為に活動が開始され、一年中登山道、火床は管理される。送り火の運営は町内の保存会の人たちで行われており、京都にしては珍しい運営方法である。また、燃やされた護摩木、割り木の消し灰(からけし)を奉書紙に巻いて水引をかけ家につるしておくと魔除け、厄除けのお守りになると言われている。
この時期の京都は酷暑の上、見物人も多く、京都盆地の東、北、西 に送り火がともされる為、一層暑さはすごい。日帰りともなると熱中症の危険が高い。私が行ったとき高台寺横の月真院(昔は人の伝手で可能だった)に泊めて頂いた。五山の送り火が終わった次の日の京都はあまりにも静かだったことを記憶している。今では外国人観光客も増え、より一層の人と熱気がすごいと思い、もう出かけることは無いと思う。五山の送り火の放送が十六日夜、NHKのBSプレミアムであります。
鎌倉の盆も十日の覚園寺の黒地蔵縁日から始まり、十六日の円応寺の閻魔縁日で終わると言われている。また十五日には円覚寺山門で盆踊りもあるらしい。今は、昔幼いころ、家で行っていた静かに迎え火をともし、そして、送り火をともしたいと思う。