鎌倉散策 黒地蔵縁日 | 鎌倉歳時記

鎌倉歳時記

定年後、大好きな鎌倉での生活に憧れ、移住計画や、その後の鎌倉での生活の日々を語ろうと思います。家族を大阪に置き、一人生活を鎌倉の歳時記を通し、趣味の歴史や寺社仏閣等を綴っていきす。

  ぼんぼり祭を見てから、御成通りの「野分」さんに行く。カウンターには三名連れと一人の常連さんがおられ、六席のカウンターが二席残されているだけだった。早速ビールを頂き、付け合わせの三品盛りをいただく。今日は鯵の塩たたき、マグロの角煮、そして枝豆。ぼんぼり祭に行って来た事をおかみさんに言うと、先週も来た事に気づいていただき、映してきた写真をお客さんとともに見せた。常連の方は鎌倉におられるようで、今日がぼんぼり祭の最終日とは気づいておられなかった。わが町の祭りは気になるようだが、何回もぼんぼり祭には行かれておられるのだろう。八時半を過ぎているので、順々にお客さんが帰っていく。私は時間稼ぎもあるので、鰹のたたきと名焼きナスのお浸しを頼む。やはり輪切りで、関西風のだし汁に浸してあった。以前にも書いたが、関西は縦切りが多いと思う。今の季節、関西では大阪府の泉州で取れた水那須が美味しい。ずんぐりとした丸い茄子で漬物、焼き、煮浸しと、瑞々しい触感が夏の風物詩である。。最後におでんの大根と揚げを頼んでお腹が一杯。ビール二杯と日本酒冷酒一合。私の後に来た座敷に座った二人のお客と私が来る前から来ていた常連さん一人を残して、いつものBarに行く。

  店の前に来た時ちょうど女性のお客さんが出るところだった。美人の女性で、最近店の前で何かと女性に会う。先日は水着姿の女性とあった。店の中では少し私よりも年配の方がお一人カウンターにおられた。マスターに由比ヶ浜の海水浴場に行って、二時間ほどで火傷状態になったことを話す。マスターは奥さんの実家の高知県に戻られていたことなど話していると、もう一人の常連さんが、高知県には行ったことがないと話され、マスターと私で色々と観光案内をした。以前にマスターにも話していたが、三年前、私の父が残した土地の登記をGPS管理に変える為、立ち合いが必要で戻ったことがある。その際、太平洋沿岸に集落のある地区には五百メートル間隔位で四・五階に相当し、津波に耐えられるコンクリート造りの避難塔が建てられている。それを見ると南海トラフ地震が本当に起こることを実感する。少し恐怖感を感じてしまう。そうこう話しているうちにお客さんが少しずつ増え、十時に店を出た。

 鎌倉宮行きのバスが十時二十二分発の最終に乗る。夜の鎌倉は日中と違い、閑散としているので、十分もかからず鎌倉宮に着いた。鎌倉宮から覚園寺の参道を歩く。日中とは違った景色であり、涼しい風が流れ心地良い。いつもは山懐の緑に灯りがともされており、家がある事に気づいたりする。そうこう歩いているうちに覚園寺に着いた。山門は開けられていいたが、まだ人気はまばらで縁日の準備もこれからの用だ。私はお不動様を参拝し、縁台に座って人々の動きを見ていた。縁日でのお店はお札等を渡されるところ、塗香のお店、Tシャツ等の店、蒲鉾屋さん、コーヒー店、かき氷店などで、地元の人の用だ。十一時四十五分ぐらいに僧侶の方が愛染堂に入られ、経を唱えられ、拝観の受付のところに人が並び始める。黒地蔵盆の日は拝観無料である。

 十数名の僧侶が愛染堂から出てこられ午前零時に始まる。僧侶に続いて、ぼんぼりが照らす道順を参拝者が続く。黒地蔵堂で経が始まり、千躰地蔵堂、十三仏やぐら、薬師堂と続き参拝する。各地蔵様、仏様に蝋燭と御線香を供えることで心が休まる。少し離れた場所からこの景観を見ていると、ぼんぼりの灯りが美しく、粛々とそれぞれの思いを込めた参拝が続いていく。何度も日中、覚園寺には来ているが、また違った幽玄さを感じる。

 十三仏信仰には自らも良いことをする事はもちろん、先祖を弔うことで先祖も救われる。忘れがちの亡くなった父の供養に大きな蝋燭を求め、名前を書き十三仏やぐらに備えた。鎌倉の盆は黒地蔵縁日で早々始まった。そして、十六日の北鎌倉の円応寺の閻魔縁日で終わると言われる。私も今年の盆は円応寺の閻魔縁日で終わりたいと思っている。お参りが終わり、山門を出るとかなりな長い参拝者の列ができていた。