鎌倉駅より若宮大路を渡ったところにあり、何度も鎌倉を訪れているが、大巧寺を訪れたことは無い。言われだけは知っていたが、男性にとっては縁遠いところかもしれない。六月の梅雨の中休みの時、鎌倉の郵便局に行く用事があり。地図を見ると若宮大路から小町大路に抜けられるので入ったのが初めてである。
大巧寺(だいぎょうじ) 宗派 日蓮宗系単位。 山号寺号 長慶山正覚院大巧寺。
開山 日澄(にっちょう)上人。 本尊 産女霊神(うぶすめれいしん)。 寺宝 水晶宝塔(本山妙本寺宝物殿に保管)
若宮大路沿いの山門をくぐると、季節に咲く花が植えられた参道を行く、手入れの行きとどいた花々に見とれてしまう。名札があるため、驚くこともある。ガクアジサイと思いながら名札を見ると、墨田の花火と書かれていた。よく見るとなるほどと思う節が窺える。ほかに、ビョウヤナギ、アカパンサス、ストケシアガなどが咲いていた。手入れをされている女性に名札のない花の名を聞いたりした。多分ボランティアの人だと思う。この寺は檀家を待たず、安産祈願の寺として存在する全国的にも有名な寺院である。本堂を過ぎ、お参りするが、小町大路に本堂が向いており、手水舎もその脇にあるため、本来の正門は小町大路沿いだったと思われる。妙本寺もこちらの方である。
大行寺(だいぎょうじ)という真言宗の寺院が十二所の梶原屋敷あたりにあったらしく、頼朝がこの寺で軍議の後、大勝を収めたことにより大巧寺と名を改めたと伝えられている。また、文永十一年(1274)時の住職が妙本寺にいた日蓮聖人に帰依したため、日蓮宗に改宗したという。そして、妙本寺に近い現在地に移された、若宮大路沿いに「頼朝戦評定所」の石碑があるのはこのためである。
大巧寺は「おんめさま」の名で安産祈願の有名な寺院であり、「おんめさま」(おうめさま)と言われる。御産女様(おぶめさま)が起源のようだ。天分元年(1532)、第五世の日棟(日当が)、難産で亡くなった秋山勘解由(かげゆ)の妻の霊魂を鎮めるために、女霊神として祀ったことによる。以後、女霊神は「おんめさま」と呼ばれるようになり、安産の神様として信仰された。
また、『新編鎌倉志』では日棟が毎夜、祖師道に参詣しており、ある夜、夷堂橋(えびすどうばし)の脇から産女の幽霊が現れ、苦患をどうにか免れたいと願った。そこで日棟は念入り廻向(えこう)してやったところ、その幽魂は礼に一包みの金を奉じたのでその金で日棟は産女宝塔を造立したという。 『新編鎌倉志』は貞亨二年(1685)徳川光圀が彰構館員の河合恒久らに命じ編纂した鎌倉の地誌で、延宝元年(1673)に光圀が鎌倉を旅行した際の見聞記を基に製作された。全八巻十二冊。
鎌倉駅周辺に来た際は、季節の花を見に訪れることにしよう 。この後、本覚寺、妙本寺を訪れた。
大巧寺(だいこうじ) 鎌倉市小町1-9-28 ☎0467(22)0639 9時から7時 境内拝観自由