鎌倉散策 星岡窯(せいこうよう)跡 | 鎌倉歳時記

鎌倉歳時記

定年後、大好きな鎌倉での生活に憧れ、移住計画や、その後の鎌倉での生活の日々を語ろうと思います。家族を大阪に置き、一人生活を鎌倉の歳時記を通し、趣味の歴史や寺社仏閣等を綴っていきす。

  先週の雨と寒さは関東甲信越地方の梅雨入りを示していた。今まで、鎌倉を年に4回ほど訪れていたが、気候に恵まれた時期である。

いざ住んでみると1年がどのように流れるか楽しみである。

芒種の節句、次候「腐草蛍となる(ふそうほたるとなる)」。蛍が明かりをともし、飛び交う頃で、昔の人は、腐った草が蛍に生まれ変わると信じたそうである。

 朝は快晴、神明神社のお参りの後、山崎小学校上の山道登ると課外活動用の水田と耕地あり、都会育ちの私にとって、恵まれた環境の中で育つ子供たちが、季節に応じ作業をする姿を思い描く。また、北大路魯山人の星岡窯(せいこうよう)跡があるが、古い竹の塀で囲われており、建物は残っていないようだ。平成十年、管理人の放火と焼身自殺の為家屋が焼失したらしい。今ここを不動産会社が管理しているらしいが、荒れ放題で、焼失してしまったことが悔やまれる。

 昼から市役所で地図を購入しに行く、2500分の1の都市開発基本図の白地図が3階の資料課で販売されている。

三十代の十年間ほど、登山にはまったことがある。山岳連盟に入り、登山技術を習得。、深田久弥の日本百名山も60峰ほどは登った。クライミングから中央・北アルプスの冬山にも行き、何度か死ぬ思いで帰ってきた。四十代に入り兵庫県の道場というクライミングができる場所があり、山仲間二人ずつザイルを組み、2組で登っている最中に隣の登攀者が滑落した。細い岩の隙間に安全確保するためのカム(ハーケンの様な物)が外れたのが原因であった。安全確保をしていた友人の的確な対応でホールアウト(地面に落ちる)は免れたが、足の複雑骨折に見舞われた。その岩場から、山道を降りてゆくのは困難なため、その場に集まっていた他の会の人達にザイルを借り、ザイルを連結し、200メートルほど直下で降りる。一人が怪我をしたものを背負い、両サイドに一人ずつ背負う者を支えるサポートに入る。ザイルの長さが約五十メートルなので一人分に4本が必要なる。、3人分なので計12本、そして怪我をした者と背負う者を結びつけるザイルが必要なので合計13本が必要になる。山での仁義上、このような場合ザイルを貸すのが当たり前になっている。しかし、借りたものは新品で返すか、それ相当の金額を後に渡す。

怪我人を背負い直下する事は訓練は行っているが、相当以上に苦しい。サーポートする者も、それ以上事故を起こさないよう注意と体力が必要になってくる。

その滑落の際、真横で見ていた私は、クライミングをその時からやめてしまった。

 仕事の休みを見つけ、山に入る。冬山登山でも20数キロを担ぎ、登りは10時間かけ、ラッセルを行い、体力の限界と闘いながらベースキャンプにたどり着く、その後2・3日ベースキャンプを基点にクライミングをする。予定を終え、帰路は2・3時間で飛ぶように滑りながら登山口にたどり着く。地元の温泉につかり、酒を飲んで達成感を味わうのだが、それ以上に生きていることの喜びのほうが強かった。正直言って、山に行きたいが怖い。私は、家族を持つ者、社会人として、そして怖くなりやめてしまった。

しかし、トレッキング程度はしていた。また、海外のトレッキンにも行くことができ、カナダのバンフ、アラスカのマタヌスカ氷河、ブナリ、マッキンリーの麓のカンナッシュビル、スイス等である。海外のトレッキングコースは設備も整っており、安全対策もかなり行っている。しかしカナダ、アラスカはトレッキングでもガイドが必要で、そのほうが楽しめる。ルートの確認と熊対策である。必要があれば銃も持っている。英語が少ししか話せない私は日本人ガイドがほとんどで、夜も食事に誘ったりして、有意義な旅ができた。

自然に満ちた裏山が有ることで、また昔の楽しかった思い出をめぐらしながら鎌倉の山々、切通しでの野花を見つけ、ゆっくりと楽しめることに感謝したい。

 

鎌倉散策にはあまり関係の無い事を綴ってしまったがお許しいただきたい。